第九話 水の中へ
そのまま沈んでいきそうになったので、慌てて足を動かして立ち泳ぎする。
溺れないように懸命に手足を動かしながら、水に顔を突っ込んで中を見ると、黒子が水底に向けて泳いで行くのが見えた。ロビンソンさんも潜っていくので慌ててついて行く。
黒子は時々こちらを振り返りながら、どんどん底に向かって進んで行った。
パウルさんが言った通り水の中は真っ白で霧の中を泳いでいるようだ。周りは何も見えないが、ロビンソンさんと黒子だけはやたらとハッキリと見える。
黒子が島の方に方向を変えて少し泳いだ後で、こちら向きになり私達を待っている。
息が切れそうになる中、懸命に泳いで行くと、いきなり黒子が消えてしまった。
「?」
ロビンソンさんと顔を見合わせていると、何も無い所から、突然顔だけ出して来た。
口を開けて、ガバガバと空気を吐き出し、苦しそうに悶えている。
水の中で鳴こうとして失敗したようだ。
そのまま引っ込んでしまった。
顔が出て来た辺りにロビンソンさんが手を伸ばすと、手首から先が消えてなくなった。
そのまま、スゥー、と身体を消しながら入って行く。
途中で私の手を取り引っ張ってきた。抵抗も何もない。そのまま引っ張られるがままにされていると、突然水が無いところに出た。
地面がある。
薄暗くはあるが見えないことはない。
土の壁に土の天井。洞窟のようなところか。
振り返って元居た所を見ると真っ白なままだ。
何故か黒子がゲホゲホ言いながら、くるくると空中……いや水中か……で回転している。
「え?」
と思うと同時に、こちらに来て地面に転がった後、立ち上がって私を見た。
「ジャンヌ大丈夫か?」
「はい。大丈夫です。でも、ここは?」
「分からない。島の地下なのか?」
「水がありませんね」
「水は、この向こう側かな」
水は白い膜の様なものに閉ざされていて、こちらは乾いている。膜に手を突っ込むと、確かに水がある。
慌ててひっこめると、バシャっと音がして地面に零れ落ちた。何とも不思議な結界もあったものだ。
「これはもう外しても大丈夫じゃないかな?」
ロビンソンさんが手に取ったロープの先はベイオウルフの身体に縛り付けてある。ここから先に進むには外さなければならないだろう。
黒子を見ると、グアと返事がある。
あんた、本当に大丈夫なんでしょうね?
ロビンソンさんを見ると頷いている。
少々不安があるが仕方がない。
ロープをゆっくり手繰り寄せると、そんなに引っ張らなくても手ごたえがあった。
グングン、と二回引っ張られた。心配してくれているらしい。
ゆっくりと、二回引っ張ったあと、三回引っ張って連絡を送る。
ロープを体から外して、服の裾を絞ったら案の定大量の水が流れ落ちる。歌にある通りびしょびしょだ。
びちゃびちゃ髪の毛から水が滴って碌に前も見えない。臨時防水袋から手拭を取り出し髪の水を拭った。
着いたところのすぐ近くに石造りの登り階段があった。
光が差し込んでいる。
嘴で階段を指し示しながらグアグア言っているところを見ると、登って行くのだろう。
どうせ一人では登れないだろうから、と手拭でくるんで抱えて階段を上る。
ゲンキンなもので、目を閉じて機嫌良さそうにしている。
水に潜るだけあって、水滴一つ付いていない。対してこちらの二人はビショビショだ。裾が足にまとわりついて気持ち悪いったらありゃしない。
「あんた、これだけやらせておいて、何もなかったら鳥の頭亭に売っ払うわよ。オーウェンさんに言って丸焼きにして貰うんだからね」
呑気そうにしているのを見ていたら段々腹が立ってきた。そう言ってやると、片目をちょっと開けただけですぐ閉じた。
鳴きもしない。
鳥に舐められるとは屈辱だ。ロビンソンさんが、まあまあと宥めてきたので、それ以上言うのは止めておいた。
階段を登って行くと青空が見えてきた。随分と深く潜ったような気がしたのだが、二階半程度に登ったら地上に出た。
「地上に出たようだね。太陽が見える」
明るい日差しの元、緑の草地が広がっていて、その向こうには二つ目の湖と島が見える。
「あの建物が原初の遺跡とかいうやつかな?」
島の真ん中には何本かの木に囲まれるように白い石造りの建物がある。
「ここが湖の中の島だとすると、この島の中の湖の中の島に建っていますね」
原初の遺跡は湖の中の島の中の湖の中の島にあるはずだ。今私達がいるのが湖の中の島だから、見えているのは原初の遺跡……か、その偽物だ。
たどり着いたのか……。
「ありがとうぅぅぅ! 丸焼きにするなんて言ってごめんね!」
頬ずりしてやると、グア、と言って口を大きく開けた。
仕方ないな。
一旦地面に黒子を下ろし、干し肉の欠片を噛んでやって口の中に放り込む。
自分で来い、と言っておきながら餌を要求するとは厚かましい奴め。
後ろを振り返ると、沢山の木が植わっているのが見える、船に乗った私達をザワザワと威嚇してきた連中だろう。
「ねえ、あれ何とかならない? あの木のせいで仲間がここに来られないのよ」
聞いてみると、鳥のくせにため息をついた。
それでも、ぴょん、ぴょん、と木に向かって跳んで行く。
途中で抱き抱えて木に近づいたが、木は特に動く気配がない。
黒子が、グアグアグア、と一際大きい声で鳴く。
なんと木が動き始めた。
まるで根っこが人間の足のようだ。
いつの間にか向こう側が見える隙間ができた。
そして、隙間からは船に乗った仲間が見えた。
「ジャンヌー! 大丈夫ー?」
ベアトリクスの声が聞こえる。
「大丈夫だよー。ありがとうー!」
手を振ったら、振り返してくれた。
良かった。連絡が着いた。
黒子を見ると、胸を反らしてふんぞり返っている。
「あんた、凄いじゃない」
褒めてあげると、また口を開ける。
また一つ、と良く噛んでおいて口の中に放り込んでやると、飲み込んで満足そうにしている。
オーウェンさんも調理人冥利に尽きるに違いない。
黒子が傍にいたら大丈夫だろうと、二人で岸に近づいていき、皆が上陸するのを手伝った。
ロープは既に引き上げられていたので、船が流れて行かないように固定する本来の役目に使える。
木に縛り付けるのと、地面に杭を打つのとどっちが良いか黒子に聞くと、木の方が良いらしい。
木に抵抗されたら怪我人が出るかもしれない。
そう思ったのだが、楯を持ったベイオウルフがヴィルと一緒に近づいて行くと、木の方から歩いて来た。
大人しくしている木にロープを結びつけ、船を固定していると、リュドミラが傍にいって木に触っている。
「リュドミラ? どうしたの?
「木に虫がついてたから取ってあげてるの」
取った虫は、そのまま黒子の口の中に放り込んでいる。
いつの間にか木が何本かリュドミラの回りに集まって来た。虫を取って欲しいようだ。
「ここは小鳥がいないでしょう? だから虫を食べるのがいないんだよ」
「そっか、じゃあ皆で手分けして取ってあげようか」
「うん」
リュドミラに教えて貰いながら皆で虫取りをすることにした。
取った虫は、黒子の口に放り込んだり、ロビンソンさんの小袋に入れたりしながら、半時間位かけてとった。
もう大丈夫だろうと、額の汗を拭いていたら、いつの間にか他の木が距離を詰めてきている。
ちょっと待て。あんたら、何百、いや何千本いるんだい?
いくいらなんでも全部は無理だろう、と皆で頭を抱えたのだが……。
「ごめんね。また来るから、その時に順番に取ってあげるね」
リュドミラが言うと、すごすごと下がって行った。
流石は農業研究者。大したものだ。
食べ過ぎたのかゲップをし出した黒子を連れて、探索開始だ。
湖の中の島は真夏のように一面緑の草原で、植わっている木は島の縁に整列している連中だけだ。それ以外は平坦な地形が広がっている。
そう大きくはないので、島の中の湖のほとりにはすぐに着いた。
島の中の湖は池と言ったほうが良い大きさだ。その中の小さな島へは、石を投げたら私でも届くんじゃないか、というくらいの距離しかない。
島には二階建ての塔のような石造りの建物がある。所々に窓なのか穴が空いたように石が無い場所がある。建物の周囲に生えている木の葉っぱは、黄色や赤の鮮やかな色で、地面にも沢山枯れ落ている。
地面の草も、秋らしく緑色のものはほとんどない。そこの季節は私達の世界と同じだ。
黒子を水に離すとスイスイと泳いで行ってしまった。
そのまま対岸の岸辺にある巣の様な所に入って丸くなってしまった。お役御免と言ったところなのか。
ここから先は案内なしか……。
正直不安だが仕方ない。ここまで連れて来てもらっただけでもありがたい。
ありがとう、と言うと、無視された。
聞こえなかったのかもしれないので、落ちていた小石を拾って、丸くなっている近くの水面に投げてやると、返事をしてきた。最初からそうすれば良いのにね。
最後の関門だ。
覗き込んだら随分深そうだ。
いきなり水に飛び込むのは危ない。皆で相談して一周することにする。目印は黒子の寝姿だ。
塔を右に見ながら湖の縁を歩いていたら、いつの間にか黒子の寝姿が見えてきた。
「気付いたか、あの塔には入り口が無かったぞ」
そう言われれば、パウルさんの言う通りだ。
「じゃあ、渡ったところで中に入れないじゃない」
「また地下で繋がっているのではないのか?」
「じゃあ、もう一回、誰かが潜るしかないよねぇ」
どうして私を見る。
「もうロープが無いし、無理よ」
「こんなに近いんだからロープなんていらないでしょ?」
「深かったらどうするのよ。上がって来れないかもしれないじゃない」
「ジャンヌ、凄いなあ。また潜るんだ」
リュドミラ、手拭を出すんじゃない。第一潜る前に使ってどうするのよ。
段々私に潜れと言う人間が増えて来る。これはいけない……。
ベイオウルフとを見ると目を逸らされた。
ロビンソンさんはいつの間にか距離を取って空を見上げている。
パウルさんを見ると腕組みしている。何か考えてくれそうだ。
「パウルさん。何か良い方法は無いですか」
「うーむ。奴に聞くしか良い方法が浮かばんな」
黒子を見ている。
そうしよう。潜るのは嫌なので、早速石を投げる。
皆呆れているが、そうも言っていられない。
おーい! おーい! と呼びながら、ボチャン、ボチャンと石を投げる。
当りはしなかったが、機嫌を損ねたらしい。盛大に鳴き始めた。
「渡り方教えてよ! また干し肉あげるからあ!」
羽ばたきながら、ガアガア騒いでいる黒子に懸命に呼びかけていたら、突然その声は聞こえてきた。
「うるさーい!」
いきなり、湖の水が飛び上がってきて私の頭の上から降り注ぐ。
またも水浸しだ。しかも大量にふりかかった割には、私しか濡れていない。
なんなんだ、一体……。
水かけ祭りの時と言い、陣地で溺れそうになった時と言い、水難の相でも出ているのだろうか……。
水が飛んできた方向を見ると、人の形をした水の塊が水面に立っていた。




