第八話 二羽の鳥
湖の周囲が霧に閉ざされている状況に変わりはないが、明らかに広さが違う。
太陽、青空、羊雲、白い鳥も飛んでいる。霧の背後には山が見えた。ただし、私達がいた湖の周囲の山と同じだった。どうやら霧の中の狭い範囲にいる。
島に近づいて行くと、生えている木がワサワサ鳴り始める。風は吹いていない。どうやら木が動いている。
近づけば近づくほどワサワサ鳴る。とうとう岸に船べりが着くかと言うところまできた。
急に木が枝をしならせて攻撃してきた。鞭のようなものだ。幸いにも距離があるので届きはしないが、当たったらミミズ腫れでは済まない。
警告されているのではないか。
ものは試しにライトを掲げてみたが、ワサワサは止まない。
お供え物を見せたが効果がなかった。
一旦船を遠ざける。
距離を置けば置くほど、ワサワサは小さくなり、遂には動かなくなった。
原初の遺跡は、湖の中の島の中の湖の中の島にあるはずだ。島に上がれなければ遺跡には到達できない。
「どうしましょうか?」
ライトを手の中で抱え込む。今のところ手立てはこの光以外に思いつかない。
「あまり歓迎されておらんようじゃな」
仕方ないので、遠巻きに島を一周することにした。
隙間があれば入れるかも知れない。
そう思ったのだが、丸い島はいつまでたっても同じ風景しか見えなかった。何周しても木が沢山生えているだけだ。
皆でもう一回歌を歌うが何の変化もない。
「水浸しか。もう一回飛び込んでみるか」
「危ないわよ。これ以上無茶しないで」
「女神様がお創りになった場所だぞ。拒まれはするだろうが、危害は加えてこんじゃろ」
ベアトリクスが裾を掴んで反対するが、パウルさんは聞かない。命綱を体に巻き付けて飛び込んだ。
ところがだ。
飛び込んだはいいが、すぐに水面でじたばたしながら、引き上げてくれ、と叫び始めた。
慌てて皆で引き上げると、身体が浮かないと言う。
そんなことがあるのか、と木の切れっ端を放り込んだら、ゆっくりとまるで飲み込まれるかのように沈んでしまった。
リュドミラが手で掬った感じはただの水だ。
パウルさん曰く、なんだか身体が重くなったみたいに感じた、らしい。
少し口に入った、と言っていたが今のところ大丈夫なようだ。
「どうしましょうか?」
再び尋ねる。
「仕方ない。飯を食ったら帰ることにしよう」
「ここで食事するんですか?」
「記念だ。ここまでは来たんだ。折角だからこの状況を楽しもう」
なるほど。そういう考え方もあるのだな。
皆でお弁当を広げる。今日はアンジェリカさんが作ってくれた特製だ。アドルフさんや大司教様とも同じものなので、奮発して豪勢なものになっている。
「これ、見て。多分鯰を油で揚げたのよ。随分高いの使ったのね」
「これは栗を甘く煮たのか。売りに出しても儲かるんじゃないのか?」
パンにも工夫が凝らしてあって、クルミや干しブドウが中に入っている。革袋には水で薄めた蜂蜜酒まで入れてくれてあった。
謎な湖の真ん中で思わずはしゃいでしまう。
鬼のアンジェリカ……もとい、中の原マドンナのアンジェリカは本当にマドンナだった。
デザートはもちろん街道クッキーだ。
今回は特別に詰め合わせデラックスを一つ買ったらしい。女神様に差し上げるのだそうだ。
どうだ、とパウルさんが取り出したのは、箱の厚みが普通の詰め合わせの三倍はある。蓋を開けるとクッキーが三段重ねになっている。
豪華ブックレット付きだ。街道クッキー誕生秘話や販売している駅逓の村の紹介が書かれていた。
「これは王都の本店でしか扱ってないんだ」
「本店なんてあったんだ」
「なんじゃ知らんのか。元々このクッキーを売り出した女性が店長をやっとるんだ」
「王都で勲章もらったんでしたっけ?」
「うむ。勲章と一緒に貰った報奨金で王都の目抜き通りに店を出したらしい」
ベアトリクスの目の色が変わった。
彼女の夢は魔法屋さんを王都に出す事だ。
「幾らあったら王都にお店出せるの?」
「目抜き通りなら金貨二百枚積めば大丈夫じゃないか。もっとも空いてる場所があればの話だがな」
「二百枚!」
金貨二百枚というと、ネズミ八千匹分だ。二人で週に四十匹倒すとしても八年はかかる。
「遠い道のりになりそうね」
予想以上だったのだろう。ベアトリクスはがっくりと項垂れた。
「なんじゃ、王都で店を出したいのか? ならドラゴンでも倒してこい。ドラゴンはSランクだ。報奨金は金貨二百枚だぞ」
無茶を言う。ドラゴンなんて相手にした日には、金貨を手にする前に死んでしまう。
「大丈夫よ。私の計算じゃあ、ネズミ退治を頑張っていれば二十三歳になる頃には金貨二百枚貯まるわよ」
「あんた、ネズミでしか計算出来ないの? 店舗だけでそんなに掛かった上に、相手が金持ちなんだから店の内装やら最初の開店資金やらで同じくらいのお金が掛かるわよ。それに開店しても三年は赤字だって言うんだからね」
てことは、三倍にしたとして二十四年か。四十才になるな。
「私は二十代で店のオーナーになりたいの」
地道と言う言葉を忘れた魔法使いが、贅沢を言っている。
まあ、しかし、その先を考えたら、あまり悠長なことは言ってられない。
「鳥が来たよ」
リュドミラが鳥を見つけた。
空の上を飛んでいたのが水面近くに降りて来た。
目の前をやたら首と嘴の長い白いでっかい鳥が近づいて来て、船を中心に回るように飛んでいる。
「餌をやってみよう」
ロビンソンさんが芋虫を入れた小袋を取り出した。
鳥に声を掛けながら、飛んでいる前に芋虫を投げると、飛びながら若干方向を変えて空中で器用に咥えた。
そのまま飛びながら食べている。
私もやりたい、とリュドミラが言い、同じ様にしたらタイミングが悪かったのか、随分と低いところに投げてしまった。
鳥は水面すれすれまで急降下し、若干の水しぶきを上げながら見事キャッチ、再び舞い上がってきた。
ごめんねー、と言いながらも、きゃいきゃい、言って喜んでいる。
そんな楽しそうなこと、やらなきゃ損だ。
我も我もと争うように芋虫を手にし、順番に投げてあげた。鳥は見事全部キャッチする。
興奮だ。こんな経験は初めてだ。
遂に芋虫が底をついたが、鳥はまだ船の周りを回っている。
何かないのか、とベアトリクスが言うので、物入れ袋から干し肉の塊を取り出す。固すぎるのでは、と言うので、ナイフで削って水に入れてふやかすことにした。
柄杓に水を掬って欠片を入れて柔らかくなるのを待っていたら、鳥が船べりに止まった。
これは狼の時の再来だ。懐いてもらうチャンスかも知れない。
近くで見て見ると、長すぎない首と黄色く細い嘴を持ち、足の長いスラっとした綺麗な鳥だ。
鳥は待ちきれないのか、私を見ながらクアクアと鳴いている。
仕方がない。口に入れて噛んで柔らかくしたのを指で摘まんで差し出すと、直接咥えて食べてくれた。
気に入ったのか、まだクアクア言っている。リュドミラを見ると目を逸らされた。口に入れた物を吐き出して食べさせるのに抵抗があるようだ。
乳離れする子供の面倒をみたことがないのだろう。
止むを得まい。誰も真似をしようとしないので、私一人で噛んではやり、噛んではやり、と二つ食べさせたら満足したのか、翼を広げて飛び去っていった。
「なんだったんだろう。白い鳥かなあ」
ボニーの言うように、手つなぎ歌にあった白い鳥かもしれない。
てことは、黒い鳥もいるはずだ。
「黒い鳥は下から来るんだよねえ?」
下から来る……。水中か?
「ジャンヌ。光を水に漬けてみな」
言い出したベアトリクスに身体を掴まえて貰って、身を乗り出して水中に両手を延ばす。
そのまま光らせていたら、バシャッと水音が聞こえた。
本当に水の中から出て来た。黒い鳥だ。
さっきの白い鳥は大きくて綺麗だったけど、黒い方はなんだかみすぼらしい。
鴨が黒くなったような姿なのだが、烏の様な光沢が無い。
水に浮かんだままこちらを見ている。
水に漬けていた干し肉の欠片が柔らかくなっていたので、ロビンソンさんに投げてもらう。
上手なもので、口元にまで飛んでいった。
黒い鳥は口を開けたまま、飛んできた欠片を飲み込むように食べた。
気に入ったのかグワグワ言っている。
喉に引っ掛からないのだろうか。心配なので、半分にちぎって櫂の先に乗せて突き出した。
ベイオウルフが両手で櫂を支えて鳥の口元に持っていくと、啄み始めた。
食べ終わると、グワグワ言いながら近づいて来た。
皆が私の方を見る。
仕方ないな。
噛んで柔らかくしたのを指で摘まんで差し出すと口を大きく開いたままだ。
咥えてくるのを待っていたが、大きく口を開けたまま羽を広げてバタバタしている。
やむを得ず、そのまま放り込むとゴクンと飲み込んだ。
どうやら、この食べ方がこの子のスタイルらしい。
もう一つ、と噛んで口の中に放り込んでやる。慣れてきたのか飲み込んだ後に、飛び上がって船べりに着地……出来ずに船底にバタバタと、文字通り転がり込んで来た。足がひれのようになっているから滑ったのか?
懐いてしまったものは仕方がない。噛んでは放り込み、噛んでは放り込みで、幾つか上げたら満足したようだ。グワグワと鳴きながら、チョン、チョンと船底を跳ねている。
「飛び上がれないんじゃないかな」
ロビンソンさんが言うと、グワグワと私の傍に跳ねて来た。
ジッと私を見ている。
どこまでも不器用な子だ。思わず、プッと吹き出してしまう。
気に障ったのか、羽を広げてグワグワ言うので、ごめんね、と謝って、両手で抱え上げる。
鳥は大人しくしている。
そのまま、赤ちゃんを抱っこするように左手で抱っこし、撫でてやると、気持ちいいのか目を閉じた。
何となく、愛着が湧いてきたので、密かに黒子と名付けた。
ゆっくりと水に降ろしてあげる。
水面に浮かんだ黒子は、くるくると水面を移動した後、一声鳴いて水の中に潜っていった。
湖面に出来た波紋を見つめていたら、少し離れたところに浮かんできた。
グワグワ言っている。
「近づいてみようか」
ロビンソンさん言うので、近くに漕いでいくと島の方に向かう。
「案内してくれるようだ。ついて行こう」
流石は魔物使い。分かるらしい。
島に近づくにつれ、生えた木がザワザワ鳴り始める。
大丈夫なんだろうか。なにせ色々不器用な子だ。なにか間違ってはいないだろうか。
人の心配を他所に、黒子が岸辺の近くで浮かんでこちらを見ている。
船がいよいよ岸に近づき、島の木々が枝をブンブンと振り回し始めた頃、羽を広げて水の上に立ちあがった。
「船を止めて!」
またもやロビンソンさんだ。まるで通訳だ。
黒子は私の傍に来て首を水に突っ込んだ。それを何度も繰り返している。
「ジャンヌ。水に入れと言ってるんだ」
えっ? そういうのって、パウルさんの役割じゃ……。
パウルさんが首を傾げながら立ち上がった。
途端に黒子が騒ぎ始める。
「どうやら儂ではないようだぞ。皆順番に立ってみろ」
一人ずつ立ち上がる。
次から次へと羽ばたかれ、私が立つと首を水に突っ込んだ。
最後にロビンソンさんが立った時は、しばらく浮かんだままで首を捻っていた。結局、グアと一声鳴いて首を水に突っ込んだ。
私一人では心許ないので、通訳が必要と考えたのだろうか?
「女神様の領域で、その御使いに選ばれたんだ。名誉だと思って行ってこい」
パウルさんはそう言うが、随分と不器用な御使いもいるもんだ。
そう思ったが、懐かれてしまったものは仕方がない。ロビンソンさんと二人命綱を体に巻き付けて潜ることにした。
ベアトリクスが皮袋の蜂蜜酒を一気飲みし、袋を裏返して臨時の防水用物入袋を用意してくれた。
お供え物の他、皆が使えそうなものを色々と入れてくれる。水筒、街道クッキー、干し肉の欠片……食べ物ばっかりだな……誰だ! 私の肌着を入れたのは! すぐに帰って来るから大丈夫よ!
いきなり飛び込んだら浮かんでくるのが大変らしいので、足からそろそろと降りる。
「何かあったら一回強く。安全が確認出来たら二回。止むを得ず命綱を外すときは三回、引くんだよ」
ベイオウルフの言葉に頷きながら、パウルさんの山刀を背負ったロビンソンさんと二人で、水に浸かった。




