二度目の原初の遺跡
二回目の原初の遺跡探索だ。
今日も天高く羊雲が浮いている。
すっかり紅葉に包まれた湖を、新しく開発した緑を少なくし黒とこげ茶を加えて外套兼用にした秋冬用緑マーブルを着た私達は、お供え物とお弁当を持って船に乗り込んだ。
遺跡が迷宮だった場合に備えて、オーウェンさん特製の干し肉の塊と野菜も物入袋にはいっている。リュドミラも鍋を背負っている。準備は万端だ。
今回は資金援助してくれたアドルフさん、原初の遺跡絡みだからか大司教様、大司教秘書様の視察付きだったりする。しかも、軍事面での転用の可能性を見にきたのだろう、衛兵隊長、副隊長に加え、工作所の二人まで参加している。
何となく圧を感じてしまう。
嘴は最初の水道管と比べると随分と形が変わった。
人の背丈程度だったものが、船首から船尾にいたるほどの長さになった。嘴の根元がクランク状に折れ曲がり、舷側に装着した筒から水面へと嘴を延ばしている。嘴も鴨の様な平たい形から、烏の様な太短い形に変わった。
形が変わったのだから名前も変えようと提案したのだが、もう書類にしとる、と相手にされなかった。
今日はパウルさんが嘴の調整に専念するから、漕ぎ手の一人はボニーが務めている。
ある程度漕いでいく。霧に近ずくにつれ速度を上げ、嘴を左右同時に解放した後、皆で真ん中を向いて長い輪になって手を繋いだ。
一度お試しとして霧の近くを横切って、端から端まで止まらずに行けることを確認している。普通なら反対側に抜けるはずだ。
パウルさんの音頭で歌い始める。
本番ともなると、どうにも声が上ずってしまう。
それに私とベアトリクスが先頭だ。
遂に霧に突入し、皆一段と声を上げる。
しっとりとした霧が肌にまとわりついてくると、思わず左側のベアトリクスと右側のベイオウルフの手を握り締めてしまう。
二人がぎゅっと握り返してくれたのが嬉しかった。
真っ白な中に閉ざされ、皆の歌声と嘴が空気を吐き出すボコボコいう音以外何も聞こえない。
随分と時間が経ったように思える。何回歌を歌ったろうか。
「霧が晴れてきたわよ!」
ベアトリクスが叫んだ。
徐々に周囲が明るくなってくる。
霧が晴れて辺りが見える。目の前には湖が広がっていた。
あれ? 頭上を見ても太陽が無い。なのに、昼間のように明るい。
既に嘴は静かになっていて、船はゆらゆらと漂うだけになった。
「手を離すぞ」
パウルさんに向かって頷いて一斉に離したが、特に変わりはなかった。
湖面は鏡の様に静まりかえり、湖のぐるりを、それどころか頭の上まで天井のように霧が立ち込めていて、何も見えない。
音がしないので、一人一人の息遣いがはっきりと聞こえる。
「どこなの? ここ?」
ベアトリクスが不安そうに周囲を見回している。
「元の湖ではなさそうだな。どこかに跳ばされたんじゃないのか?」
パウルさんが言うように、霧を抜けて別の湖に来たと言われた方が納得できる。
「あっ、鳥!」
船端から顔を突き出して水面を見ていたリュドミラが声を上げた。鳥が鏡のような水面に写ったのか。
一斉に空を見上げるが、どこにもいない。
「リュドミラ、鳥はどこなの?」
リュドミラは私の顔を見て、水面を指さす。
「えっ?」
「水の中にいるよ」
さては水鳥か。今度は皆で水面を覗き込み、息を呑んだ。
水底には青空が広がっていて、羊雲が浮かんでいる。確かに鳥が飛んでいた。
慌てて空を見上げるが、真っ白なままだ。
「どういうこと?」
ベアトリクスが手を握ってきた。微かに震えている。
「きっと、反対側に来たんだ」
リュドミラは意外と落ち着いているが、言っている意味が分からない。
「水面の反対側か?」
パウルさんが聞くと、うん、と頷く。
反対側の世界……。確か、リュドミラが鏡の向こうには反対側の世界があると言っていた……。
突然、パウルさんが意を決したように立ち上がった。
「お前達はここにいろ」
外套緑マーブルを脱ぎ捨てて、身体にロープを巻き付ける。
「パウルさん、まさか水の中に入る気じゃ?」
パウルさんはロビンソンさんに向かって答える代わりにニカッと笑うと、皆を頼んだぞ、と言い捨て湖に飛び込んだ。
パウルさんが飛び込んだ先を見るが、水中には青空が広がっているばかりで何も見えない。ロープまで途中から消えたかのように見えなくなっている。
何も変化はない。そろそろ息が切れる頃ではないかと心配していたら、離れたところにプカリと浮かんできた。
「何もない。どこまで行っても白いだけだ」
そう叫ぶと、船まで平泳いできてロビンソンさんやベイオウルフに引き上げられた。
「水の中を泳いどるのか、霧の中を泳いどるのか、分からんかったな。向こうの景色は水面を通さんと見えんみたいじゃ」
弟子のボニーが差し出す手拭で顔を拭きながら、ゼイゼイ言っている。
パウルさんが落ち着いた頃、今度はベアトリクスが魔法の詠唱を始めた。ファイアー・ボールだ。しかし、魔法は発動しなかった。
「ジャンヌ。ライトを唱えてみて」
「えっ、どうして?」
「ここが女神様の領域なら、神聖魔法は使えるはずよ」
そう言うことか。しかし、良く頭が回るもんだ。
分かった、と答えて詠唱を始める。考えてみたら巻物も持ってきていない。私の魔法が使えなかったら、誰かが怪我をしても助けられない。
「ライト!」
手のひらに光が灯った! 神聖魔法は使えるようだ。
「何かが足りないのよ」
ベアトリクスの言う通りだろう。
「歌の出だしは、窓から光が見える時、だよねぇ。窓ってもしかして外が見える水面のことじゃないかなぁ」
ボニーの言葉に思わず顔を見合わせた。
「それだ! あとは光だ!」
パウルさんが私の手元を見る。手元にはライトの光が灯っている。
「試してみる価値はあるわね。やってみようか」
ベアトリクスまでが私を見る。そう言われても、どうすればいいのか……。
「立って! 支えるから!」
せっかちな魔法使いが膝立ちになって私に掴まった。
仕方ない。船底に足を踏ん張り立ち上がり、身を乗り出した。
「目一杯にして!」
両手を水面に向けて、目一杯に光らせた。
途端に頭上から強烈な光が降り注ぐ。
これは、私のライトの光じゃない……。
思わず目を閉じた。それでも懸命にライトを光らせていたら、急に足元が揺れはじめた。
ベアトリクスが、しがみついてくる。
「ジャンヌ。頑張って!」
リュドミラもしがみついてきた。
何かが私の足を掴んだ。
一体なにが起きてるんだ。
ベアトリクスとリュドミラに支えてもらって、なんとか転ばずに立っていたら揺れがおさまってきた。皆を見ると、ベイオウルフとヴィルが片手で舷側に掴まり、もう一方の手でベアトリクスとリュドミラそれぞれで支えていた。
ボニーはと見ると、四つん這いになって私の足を掴んでいた。
「結束が固いじゃないか」
「仲が良いね」
パウルさんとロビンソンさんが笑っている。二人はボニーが転んで落ちないように腰の辺りを上から抑え込んでいた。
いつの間にか頭上に青空が広がり太陽が見える。
湖が霧に閉ざされている状況に変わりはないが、明らかに広さが違う。
太陽、青空、羊雲、白い鳥も飛んでいる。霧の背後には山が見えた。私達がいた湖の周囲の山と同じだ。
「見て!」
ベアトリクスが指さす方向には、木がたくさん生えた小さな島が浮かんでいる。
湖の中の島なんだろうか?
島に近づいて行くと、生えている木がワサワサ鳴り始める。風は吹いていない。どうやら木が動いている。
近づけば近づくほどワサワサ鳴る。
岸に船べりが着くかと言うところまで進むと、急に木が枝をしならせて攻撃してきた。鞭のようなものだ。幸いにも距離があるので届きはしないが、当たったらミミズ腫れでは済まない。
警告されているのではないか。
ものは試しにライトを掲げてみたが、ワサワサは止まない。
お供え物を見せても効果がない。
一旦船を遠ざける。
距離をとればとるほど、ワサワサは小さくなり、遂には動かなくなった。
原初の遺跡は、湖の中の島の中の湖の中の島にあるはずだ。島に上がれなければ遺跡には到達できない。
「あまり歓迎されておらんようじゃな」
パウルさんの提案で遠巻きに島を一周することにしたが、丸い島はいつまでたっても同じ風景しか見えなかった。木が沢山生えているだけだ。
皆でもう一回歌を歌うが何の変化もない。
「水浸しか。もう一回飛び込んでみるか」
「危ないわよ。これ以上無茶しないで」
「女神様がお創りになった場所だぞ。拒まれはするだろうが、殺されはせんじゃろ」
ベアトリクスが裾を掴んで反対するが、パウルさんは聞かない。命綱を体に巻き付けて飛び込んだ。
ところがだ。
飛び込んだはいいが、すぐに水面でじたばたしながら、引き上げてくれ、と叫び始めた。
慌てて皆で引き上げると、身体が浮かないと言う。
そんなことがあるのか、と木の切れっ端を放り込んだら、ゆっくりとまるで飲み込まれるかのように沈んでしまった。
リュドミラが手で掬った感じはただの水だ。
パウルさん曰く、なんだか身体が重くなったみたいに感じた、らしい。
少し口に入った、と言っていたが今のところ大丈夫なようだ。
「仕方ない。とりあえず飯を食おう」
「ここで食事するんですか?」
思わず突っ込んでしまった。
「記念だ。ここまでは来たんだ。折角だからこの状況を楽しもう」
なるほど。そういう考え方もあるのだな。
皆でお弁当を広げる。今日はアンジェリカさんが作ってくれた特製だ。アドルフさんや大司教様とも同じものだ。奮発して豪勢なものになっている。楽しむには十分過ぎる。
「これ、見て。多分鯰を油で揚げたのよ。随分高いの使ったのね」
「これは栗を甘く煮たのか。売りに出しても儲かるんじゃないのか?」
パンにも工夫が凝らしてあって、クルミや干しブドウが中に入っている。革袋には水で薄めた蜂蜜酒まで入れてくれてあった。
謎な湖の真ん中で思わずはしゃいでしまう。
デザートはもちろん街道クッキーだ。
パウルさんが、女神様に差し上げようと特別に詰め合わせデラックスを一つ買ってきたらしい。
箱の厚みが普通の詰め合わせの三倍はある。蓋を開けるとクッキーが三段重ねになっている。豪華ブックレット付きだ。街道クッキー誕生秘話や販売している駅逓の村の紹介が書かれていた。
「これは王都の本店でしか扱ってないんだ」
「王都で勲章もらったんでしたっけ?」
「うむ。勲章と一緒に貰った報奨金で王都の目抜き通りに店を出したらしい」
ベアトリクスの目の色が変わった。王都に魔道具屋を出すのが彼女の夢だ。
「幾らあったら王都にお店出せるの?」
「目抜き通りなら金貨二百枚積めば大丈夫じゃないか。もっとも空いてる場所があればの話だがな」
「二百枚!」
ネズミ八千匹分だ。二人で週に四十匹倒すとしても八年はかかる。
「遠い道のりになりそうね」
予想以上だったのだろう。ベアトリクスはがっくりと項垂れた。
「なんじゃ、王都で店を出したいのか? ならドラゴンでも倒してこい。報奨金は金貨二百枚だぞ」
無茶を言う。ドラゴンなんて相手にした日には、金貨を手にする前に死んでしまう。
「大丈夫よ。私の計算じゃ、ネズミ退治を頑張っていれば二十三歳になる頃には金貨二百枚貯まるわよ」
「あんた、ネズミでしか計算出来ないの? 店舗だけでそんなに掛かった上に、相手が金持ちなんだから店の内装やら最初の開店資金やらで同じくらいのお金が掛かるわよ。それに開店しても三年は赤字だって言うんだからね」
てことは、三倍にしたとして二十四年か。四十才になるな。
「私は二十代で店のオーナーになりたいの」
地道という言葉を忘れた魔法使いが、贅沢を言っている。
まあ、しかし、その先を考えたら、あまり悠長なことは言ってられないけどね。




