第六話 魔法の巻物
次の日。
ベアトリクスと一緒にマルセロ魔道具店に行くことにした。
巻物作りがどういうものか、実際に見せてもらうためだ。
開店前なので裏口から工房に入ると、一人の女性が箒を手に掃除をしている。青いローブを着た、ウェーブのかかった長い赤紫色の髪の毛の、可愛らしい顔立ちの女性だ。
「おはよう!アンジェリカさん!」
ベアトリクスが右手を振って挨拶する。
「おはよう、ベアトリクス。今日もよろしくね」
顔だけじゃなくて声も可愛らしいこの人は、マルセロさんの奥さんだそうだ。
「あら、そちらの方は?」
「紹介しとくわ。この子がジャンヌよ。例の野良神官」
「野良っていわないでよ。 あっ、いえ、初めまして、ジャンヌと申します」
「初めまして、マルセロの妻のアンジェリカです。話は夫から聞いています。巻物作りを手伝ってくれるそうですね。よろしくお願いします」
アンジェリカさんはわざわざ箒を壁に立てかけると、両手をそろえて頭を下げて挨拶してくれた。
その仕草まで可愛い。
右手の薬指には黒い石の指輪をしている。
結婚指輪だけじゃなく右手の指輪までお揃いなんて、マルセロさんも隅に置けないじゃない。
「でも、あれね。ベアトリクスのお友達にしては礼儀正しいわね」
「それ、どういう意味?」
いたずらっぽく笑うアンジェリカさんに、食って掛かるベアトリクス。
きゃいきゃいと言い騒ぐ二人はまるで年の離れた姉妹のようだ。
私達の声を聞きつけたのか、ガラガラと奥の引き戸が開いてマルセロさんが顔を出した。
「やあ、おはようジャンヌ。早速来てくれたんだね」
「あっ、はい。おはようございます。早いうちに慣れておこうと思いまして。よろしくお願いします」
無所属神官には時間があるのだ。
うん、と頷いたマルセロさんは、店舗に続く引き戸を大きく開けて、お店の中を案内してくれた。
そう広くもないお店には、ガラス製の蓋のついた四人掛けの長いす程度の大きさの陳列棚が四つあり、それぞれの棚には所狭しとばかりに、色々な物が割と乱雑に置いてある。
マルセロさんの説明では、回復系の薬瓶とそれ以外の魔道具が置いてある棚、巻物とそれ以外の魔道具が置いてある棚、首飾りや指輪といった装飾品とそれ以外の魔道具の棚、説明を受けても私にはなんだかよく分からない石やら動物の手のミイラやら人形やら革袋やらの他の三つの棚に入っていない魔道具を置いた棚、に分けられているそうだ。
部屋の四隅には木の箱が置いてあり、地図なのか何なのか大きな巻紙を何本ずつかが放り込んでいる。
右手の壁際にはローブや帽子が掛かった衣装掛けが置いてあり、左手の壁には杖や剣、弓といった魔法の装備品が、壁に打ち込んだ釘に無造作に紐で引っ掛けてある。
乱雑は魔法使いのキーワードだ。
例えばローブ。
魔法使いがローブを好む理由は、はっきりしていない。ベアトリクス曰く、何となくしっくりくるらしい。モサッとした感じが良いとも言っていた。
なんでも、魔法使いは、あんまりにもきっちりしていると居心地が悪い人が多いらしい。
ベアトリクスの部屋が小物まみれだったのも、本人曰く魔法使いの嗜みだそうだ。
整理整頓に厳しい先生達が何も言わなかったのは、魔法使いだから手加減されていたのだろう。この店を見てそう思った。
「見せたいものがあるんだよ」
そう言って、大きな巻紙を手に取って広げた。
なんですか、と見てみると、今にもこちらに向かって飛び掛かって来そうなネズミを大きく描いた一枚の絵だった。
思わず、うっ、とのけぞってしまう。
「ごめん、ごめん。間違えたよ」
言いながら別の巻紙を手に取り直すマルセロさん。
絶対わざとでしょ、この人! 大体、そんなのどこで手に入れたのよ!
こっちだった、と言って広げたのを恐る恐る覗き込むと、それは地下下水道の見取り図だった。
「昨日の夜、見つけたんだよ。しばらくベアトリクスに貸しておくから、今後のネズミ退治の参考にすれば良い」
マルセロさんはいたずらっぽく笑っている。
「あ、ありがとうございます」
本当に、こんなのどこで手に入れたんだろう。
店番をするためにカウンターに来たベアトリクスと入れ違いに工房に戻った私達は、アンジェリカさんと三人で、早速巻物作りに取り掛かることにした。
下水道の地図を見て大喜びしたベアトリクスは、早速カウンターに広げて眺めていた。
工房の棚から一抱えほどの大きさの木箱を持ってきたマルセロさんは、木箱を作業台に置くと被せていた布を外した。
箱には巻物が何本も入っている。
マルセロさんはその内の一本を無造作に取り出すと、括ってある革紐を解き、おもむろに広げた。何も書かれていない新品だ。
巻物の内側の辺には細い木の棒がくっつけてあり、その棒を中心にくるくると巻いてある。革紐がくっついている外側を手で持つと、棒の重みで巻物が広がるようになっている。
外側は防水加工を施してあるのか、艶のある白い皮を下地にしており、幾つかの小さい鋲を打って木の棒に固定している。内側には一回り小さい大きさのこれもまた艶のある羊皮紙が張り付けてあり、はがれない様に、黒い色の皮の帯で縁取りがしてある。
「これが魔法の巻物の下地だ。ここに魔法陣を書いて魔法を封じ込めるんだよ」
マルセロさんがひらひらと巻物の両側を見せてくれた後、作業台に広げた羊皮紙を指さしながら説明してくれた。説明によると巻物の外側と羊皮紙の縁取りは丈夫な牛のお尻の皮を使っているらしい。皮屋さんから皮を買ってきて、巻物作りの全ての加工をマルセロさんの工房でやっているそうだ。
「じゃあ、始めようか。アンジェリカ頼んだよ」
「はーい」
アンジェリカさんが、壁際の引き出しからインク壺と羽ペンを待ってきた。
インク壺は作業台にあるのに、と思っていたら、マルセロさんが説明してくれた。
魔法陣を書くインクは特別製らしい。魔力結晶石……通称魔石と言われる魔力を蓄えた石の粉末を顔料に混ぜてあるから、見る人が見れば書かれた文字そのものがわずかな魔力を帯びているのが分かるそうだ。
そう言えば、お店の陳列棚にもインク壺がいくつかあったわね。
「では、始めますよ」
重しを置いて動かないようにした巻物に、アンジェリカさんが羽ペンで魔法陣を書いていく。
思わず息を呑んだ。
定規も何も当てずに、無造作に円を二重に書き、内側の円を十字で仕切っただけだ。しかし、人の手で書かれたとは思えないくらい見事な円と直線なのだ。
職人芸とは、きっとこういうことなのだろう。
アンジェリカさんは、円と円の間に文字を書いていく。古代文字なのだろう、私には読めなかった。同じ大きさの文字を一周するように書き終わったところが、丁度最初の文字の前に一文字分空けたところだ。最後にピリオドを打つ。
次いで、見事な直線によって仕切られた四つのマスに、さらさらと文字を連ねていく。
言葉の長さが違うのだろう、それぞれのマスに書かれた文字の大きさはマス毎に異なっているのだが、測ったようにきれいにそれぞれのマスを埋め、その魔法陣は完成した。
「出来たわ。良く見ててね。魔法陣が起動するわよ」
魔法陣を見つめていると、その表面にほんのりと光の靄の様なものが漂い始め、数分ほどで消えてしまった。
アンジェリカさんは、真剣な表情で魔法陣に左手をかざすと、魔法を唱えた。
無詠唱だ。一流魔法使いの証だ。
思わずゴクリと唾を飲む。
今までに聞いたことのない魔法だった。
今はいわば戦時中だ。巻物の注文も戦闘に使うものが多いと聞いた。
アンジェリカさんは状態変化の魔法が得意らしいから、例えば、翼を生やして空を飛べたりするような戦闘で使える魔法だったのだろうか。
手のひらから、青紫色の靄が湧き出たかと思えば、魔法陣に吸収されてしまった。
凄い。もの凄い。私は感動で震えてきた。
アンジェリカさんは羽ペンを持つと、魔法陣の下に言葉を書き連ねる。魔法を開放する合言葉なのだろう。巻物を広げて合言葉を唱えると、誰でも魔法を放てる。
「終わったわよ。後はインクがかすれたりしない様に、マルセロが表面加工したら出来上がりね」
にっこりと微笑んでくるアンジェリカさんに、尊敬の眼差しを向けながら、魔法の内容を聞いてみた。
「髪を青紫色に染める魔法よ」
へっ? 目が点になった。
いや、確かに凄かったんだけどさ、腕が良いのは認めるけども。
二人して、合言葉は綺麗な青紫に染まるようにだね、といたずらっぽく笑っている。
感動を返して欲しい……かも。
「最初は私も、今も魔王軍と戦って命を失くしている人がいるかも知れないのにふざけんなよって思ったわよ」
ベアトリクスは言う。
ホーリーの巻物二本とヒールの巻物一本を作る手伝いをした後、お昼ご飯を食べるためにベアトリクスと連れ立って食堂に来た。
「でもね、あの髪を染める魔法の巻物を、どんな人が何に使うかを聞いて考えを変えたわ」
「どんな人が使うの?」
「今年の二月だったかな、町の劇団の人が来て、魔王軍と戦っている王国軍を慰問に行くために使うんだって注文しに来たの」
どの町にも劇団があり、劇場で歌ったり、劇を上演していたりしている。
孤児院にも年二回の慰問訪問があって子供達は皆楽しみにしている。
そういった劇団の人達は、舞台に上がってこそ人の役に立てるとの信念を持ち、自分達の舞台を見たがる人の存在を誇りとしているのだろう。
「話を持って来られた時は、さすがのマルセロさんも難色を示したわ。元々あの手の巻物はお金持ちのマダム達が買っていたからね。魔王軍と戦いが始まってからは注文が無くなって、代わりに攻撃魔法や回復魔法に切り替わってたのよ。当然よね。こんなご時世で、いきなり髪を染める巻物をまとめて何本か欲しいって言うんだから、常識を疑っちゃうじゃない」
確かにそうだ。巻物一本で戦局とやらは変わらないだろうが、一人の兵士が生き残れるかもしれない。優先順位が違う。
それがね、とベアトリクスが話を続ける。
「確かに派手なだけの服装では魔王軍とは戦えない。でも、貧相な格好で兵士の慰問は出来ない。贅沢の誹りを受けようと構わない。魔物と戦う力を持たない私達にとって、魅力的な服装で生を歌い上げ、死地に赴く兵士に生き残った先の希望をほんの僅かでも与える事こそが魔王軍との戦いなのだ。鎧は鋼で出来ているものだけじゃないって、劇団の女優さんに言われたのよ」
なにそれ、格好いい! そんなセリフを女優が言うのをその場で聞いてみたかった。
「その場にいたけど、感動しちゃった。ああいう戦い方もあるんだなってね」
その場に居たならなんでもっと早くに話さなかったかなあ。言って欲しかったなあ。思い出独り占めして感慨にふけってんじゃないわよ。
「でね、三人で相談したの。だったら、派手な色の魔法を新しく開発して皆を驚かせようって。だから、ジャンヌにも黙ってたのよ。で、三月に出来たのが青紫と赤紫と紅玉なの。評判良いのよ。慰問に行く人には半額で売ってるの」
髪を染める巻物は隠れた人気商品らしい。アンジェリカさんの赤紫の髪色も実は魔法で染めているのだそうだ。
えええっ!あんた新しい魔法なんて開発できるの?
て言うか、いつの間に状態変化魔法覚えたの?
私は新しい色を絵具で作っただけよ、と道行く人を見ながら簡単に受け流したベアトリクスは、こちらに向き直って言ってきた。
「マルセロさんとアンジェリカさんの二人ってさ、いっつも、子供みたいに人を驚かせるいたずらばっかりしてるでしょ? 下らないけどあれが二人の楽しみだと思うの。だからこれからも二人の冗談に付き合ってあげてね」
いつになく真面目な口調で言うベアトリクスの茶色い瞳を見ていると、何も言えなくなってしまった。
女優のセリフは、故淡谷のり子さんの戦時中の逸話を改変したものです。たまたま、wikiで調べて感動した事を覚えています。世代も文化も考え方も全く違うのですが、偉大な銃後の女性という方はいらっしゃるものなのですね。
パクリ、と言われても……仕方ないかも。ごめんなさい。