王弟ロバーツ
中の原地区の東の峠を越えると、東の原地区と呼ばれる地域になる。中の原川の流域に広がる平野部で盆地の中の原とは違い、特に南部において平野部が広がっている。北の端は山地になっている。
その山地の北は人間にとって未開の森だ。何本かの川に区切られた北東の森と呼ばれる深い森が広がっていて、魔王軍の一部が逃げ込んでいた。
北東の森と東の原とは、山地の切れ目になるところに作られた一本の街道で結ばれている。
その街道を見下ろす尾根に大きな砦が築かれていて、セルトリア王国軍が千人ほど駐留している。
魔王が復活した時、それに呼応して森から東の原に魔王軍幹部の軍勢約一万が攻め込んできた。
砦の部隊は、隣国のメディオランドからの援軍が来るまでの間足止めに成功し、魔王軍との野戦の初戦に勝利する要因を作ったのだった。
現在は森に逃げ帰った魔王軍が再び侵入してこないよう、街道に睨みをきかせている。
砦の守将は代々王族もしくは次期兵団総長候補者が務めていた。隣国にして友好国であるメディオランドとの外交の最前線でもあるからだ。
現在の守将は王弟のロバーツで、武勇は魔王を倒した先代王をしのぐのではないかと言われている。
政治というものに全く興味が無い。王宮を離れてこの砦で暮らすのが当然とばかりに、王都を出て移り住んでいる。
そして、それまでの守将が兵団総長へ就任するに伴い、そのまま守将となった。
その後十年になる。メディオランドとの外交も単純明快で、良き友人としてのみ振る舞っている。
時に酒樽一つを馬の背に乗せて、単身国境の砦に行き兵達と杯を酌み交わした。それだけなら単なる部下思いの陽気な将なのだが、行く先の砦は国境を越えたメディオランドのものも含まれていた。
二,三か月に一度は少数の供を伴って隣国の王都に出向いてメディオランド王に謁見し、そこでも酒を飲んだ。王は裏表の無い彼の性格を愛し、同時に安堵した。それがロバーツの外交だった。
メディオランド王には三人の息子と三人の娘がいる。そのうち三番目の王女グラディスは兄妹の末っ子とあって甘やかされたのもあるが、生来奔放かつ、いわゆるお転婆であった。
鎧を着て馬に乗り槍を振り回し、王や兄達が留守番を命じてもこっそりと最前線に出てくるような娘で、日々自分より強い男としか結婚しない、と公言していた。
メディオランドの王からその話……と言うよりは縁談を破談にし続ける娘を持った父親の愚痴を、宴席の場で耳にしたロバーツは、ならば自分がと申し出た。
王女と向かい合うや否や、構える槍を己が剣で叩き斬り、槍を捨て組打ちに出て来たところを容赦なく地に叩き伏せ、かっさらうように砦に連れ帰った。その時グラディスは十八歳で、ロバーツは二十七歳だった。二年前の話だ。
メディオランド王は、お気に入りのロバーツと最愛の末娘の結婚を密かに喜んだ。
王族の娘の結婚など外交の道具に過ぎない。いずれは顔も見たこともない男に嫁がされる。世継ぎを産めば良いがそうでなければ使い捨てだ。ましてや三女ともなれば、相手は王族では無く配下の貴族で妾を抱えた四十男の後妻かもしれない。
それを十分に分かったうえで花嫁修業なぞ全く眼中にせず武芸ばかり修行してきた末娘が、幼い頃からの懸命な恋心をようやく実らせたことを彼は知っていた。
かつて魔法を使えぬ女子の護身の一環として短剣の使い方を習っていたグラディスが、たまたま通りかかったロバーツに練習相手になって貰った時からだろう。
強くなってロバーツと結婚すると宣言したことが、侍女の間で微笑ましいと笑い話になっていた。今は誰も覚えていまい。
六年かけたかと、メディオランド王は指折り数えた。
ロバーツの兄である現セルトリア国王も、父である前王も、王族のくせに縁談を全て断り続けていたロバーツの本心を知って大いに驚き、そして喜んだ。新郎新婦に似合いと言えば似合いの質素で無骨な結婚式は、砦の主の親族のみならずメディオランド王までも呼んで、砦で執り行った。
セルトリアでは、麗しいながら槍を持たせれば鬼より強い花嫁が来たと、二人の馴れ初めと共に評判になった。
以来、二人して轡を並べて視察に魔物退治にと行軍の先頭を進んでいる。魔王軍の侵攻があった時も、それは変わらなかった。
その二人がカンタス討伐の戦勝祝いと称して、揃ってメディオランド王に謁見したのは八月の初頭だ。
二人は王の前に進み出てひとしきり形式的な祝辞を述べると、セルトリア王の親書を手渡した。
メディオランド王は目を通し、宰相に手渡した。その後皇太子である王子や閣僚に回された。それらは全てロバーツ夫妻の目の前で行われた。
親書には時候の挨拶と共に戦勝の祝辞が述べられており、末尾にはたまには他国に嫁入りした娘と共に過ごされてはどうかとの気づかいが記されていた。
型通りの謁見が終わると二人は一旦退室し、宴席の場までの時間を用意された部屋で過ごすことになった。やや遅れて国王と王太子がやってきた。
「ようこそお越し下さいました。父上様、兄上様」
「ようこそも何もここは儂の城だ」
「ではございますが、私の部屋でもありますので」
「元、だろう」
「それは随分なお言葉。もう私はこの部屋を自由に使えないのですか?」
「当り前だ。他家へ嫁に出したのだぞ」
珍妙な父娘の会話を聞きながら、ロバーツは王太子と肩をすくめ合った。
ロバーツと王太子ジェームズは仲が良かった。年が近いせいもあるが、それにも増して馬が合うのだろう。ロバーツがメディオランドを訪ねた時は二人して連れ立って馬を駆けさせたりしている。上級魔法使いでもある王太子には嘘や誤魔化しは通用しないが、そういったこと以前に、常に本音で話し嘘偽りなく接してくるロバーツを信頼していた。
知のジェームズ、武のロバーツと呼ばれ、互いに認め合っているところも上手く働いた。
「ところで、今日は二人してどうしたのだ?」
嫁に出た分際でいつまでも部屋の所有権を主張する娘を振り切って、王がロバーツに声を掛けた。戦勝の祝辞など家臣に持たせれば良いのであって、王族が嫁を伴ってわざわざ来ることもない。
「実は直接会ってお話したいことがございまして」
ロバーツが切り出すと、さきほどまでじゃれつくような笑顔を見せていたグラディスが神妙な顔つきになった。
ふむとメディオランド王は頷き、四人でテーブルを囲んで豪華な飾りつけのある椅子に座った。騎士として修業を積んでいたグラディスの部屋は他の姫の部屋と比べると質素ではあるが、調度品はやはり立場に相応しく豪華なものだ。もっとも、全て彼女の父母が選んだのではあるが。
ロバーツが切り出した話は、エングリオがレヴァナントを集めた兵団を作ろうとしているらしいとの容易ならぬ話であった。二人共驚愕している。
「そんなことが本当にあるのか?」
うかつに言葉を発せられない王に代って、ジェームズが聞き返した。
「それがどうやら本当らしいのです。兄から知らせがまいりました。そして急ぎ陛下にお伝えせよと」
中の原がレヴァナントに襲われたこと……これもすでにロバーツによってメディオランド王に伝えられており、その後斥候達がもたらした情報からも裏付けが取れていた。
そのことにしろ、今回のカンタスとの戦でのエングリオの神官たちが戦没者を弔ったことにしろ、通常の範囲の話ではない。ましてや、その神官たちはメディオランドやモランディーヌが攻め込んだ地においても、弔いに国境は無いとして戦没者の回収や慰霊を行っている。
中の原を襲ったレヴァントの背後にエングリオがあるとすれば、戦士の死体を欲しがっていても不思議ではない。
しかし、信じがたいことであった。
「しかし、それが本当だとして、セルトリア国王はどのような手を打つおつもりだ」
ジェームズの問いに、ロバーツは兄から伝えられてきた内容を話した。
「実は、近々我が国では年に一度の戦没者慰霊祭を執り行うことになっておりましてね。そこで盛大に聖水を墓場に振りまいて、墓地から何から浄化しようと企図しております。もちろん、表向きは天国へ向かった魂の慰霊ですが」
「セルトリアにはそんな慣習があるのか?」
「いや、今年から始まったのですよ」
ロバーツは詳細について二人に話した。グラディスも知っていたと見えて無言で頷いている。
「なるほど。表向きは慰霊を兼ねた祭りだな。良い隠れ蓑にはなる。しかし、水かけ祭りとは、良くも考え付いたな」
王太子が笑うと、ロバーツは祭りの発端についても話した。
「セルトリアと言うのは面白い国だな。庶民の思い付きが発端になって国全体が動くのか」
そう言う国だと分かった上で、からかうように王太子が笑う。
「王を名乗っているとはいえ、元は猟師ですからな」
ロバーツも笑った。そこには卑下するものではなく誇りさえ感じられた。
グラディスは、メディオランドも同様にすれば良いのですよと言いかけた。
嫁入りした当初は戸惑いもあり、庶民の態度に腹が立つこともあった。
しかし、慣れるにつれ、庶民達が制度や権力に従うのではなく、自分達の守護者であるセルトリア王家に親しみを持っていることに驚いた。そして、ロバーツと共に庶民に接する機会が増えるにつれ、庶民に近いセルトリアの行政制度が好ましく思えるようになっていた。
無論、それは嫁入り前から騎士として振る舞っていたグラディスが、庶民から徴募された兵士達と接する機会が多かったことも理由になるだろう。
メディオランドの徴募兵が彼女を護る理由は王女という身分であったが、セルトリアの志願兵のそれは同じ兵団の仲間であることに気づいたからだ。
もし彼女が、その他大勢の王女達のように、深窓のお姫様であれば気付かなかったかも知れない。
しかし、彼女はその言葉を飲み込んだ。いわば禁句である。貴族の存在を認めないセルトリアは他国の貴族たちにとっては疎ましい存在でもある。うかつに中央集権体制を認めれば内乱が起きかねない。セルトリアとメディオランドが友好国であるのも、エングリオという極めて好戦的な大国と国境を接しているからだ。自国は自国、他国は他国。そう割り切って、互いに干渉しないことが友好国であり続ける秘訣であった。
「いずれにせよ、良く話してくれた。我が国でも何か対策を考えよう」
王の結論にロバーツは黙って頭を下げた。
こういった話は謁見の場では話せない。エングリオに情報を流す者が紛れ込んでいるかも知れないからだ。セルトリア王の親書の末尾に書かれた気遣いの文言は暗号でもあった。
「それと、もう一つ。不思議な話がありまして……」
続いて語られた話に、王と王太子が身を乗り出した。
その夜の宴席の場では、グラディスの日頃の行いがやり玉に挙げられていた。最近、刺繍を習っていると言う。なんでも、近い将来身重になった時に大人しく座っていられるようにと、侍女に教わっているそうだ。夫による暴露話に顔を赤くしたグラディスであったが、それでも母親に刺繍用の道具と色とりどりの糸をもらって嬉しそうにしていた。
二人は二日間滞在した。二夜連続で痛飲したロバーツは、二日酔いの頭を抱えてグラディスに介抱されながら帰って行った。
その数日後、ゴブリンと暮らしていた人間がセルトリアで発見され、ゴブリン共々討伐されたとの噂がメディオランド国内の酒場で流布された。
何を寝ぼけたことをと一笑に付されるような話だが、酔っ払いが誰に対しても同じ話をするのはどの国も同じだ。思ったよりも話が広まった。
いずれ行商人により他国へも伝わっていくのだろう。




