第四話 初仕事の後
町長のところへも報告に行かないといけない。
魔物退治は当面午後にやる事になっている。それが終わるとその日の勤務は終わりになるベイオウルフも一緒だ。彼女は皮鎧を脱いで薄緑のインナーに薄茶色の上着を羽織っている
町役場に行くと既に窓口は閉まっていたが、私達が来ることを聞かされていたらしい職員が中へ入れてくれた。
そのまま町長室へ入っていくと、正面の事務机に町長が座っていた。
「ご苦労だったの。今日の成果はどうだったかな」
事務椅子から立ち上がった町長が、私達にソファーに座るように勧めてくれた。
ちょっと、ベアトリクスったらもう座ってるし。
「七匹よ。上々でしょう?」
ことさらに胸をそらしている。
「初めてなのに七匹も倒したか。そりゃ頑張ったな。どういう塩梅だったのだい?」
身振り手振りを交えるベアトリクスの説明に、ほうほう、と相槌を打ちながら聞いていた町長は、餌を撒くのは良い工夫だの、と言った。
「そうでしょ、その方が楽なのに何で今までやらなかったのかしら?」
うんうんと頷くと、出来なかったのだろうな、と町長。
理由の一つは衛兵隊の戦闘訓練を兼ねているからなのだそうだが、もう一つの理由が面白かった。
「ネズミの餌として残飯を買い上げるのは予算が必要になるが、何分回数が多いのでその額が馬鹿に出来ないのだよ」
「そんなもの、食堂で貰ってきた鶏ガラでいいんじゃないの?」
「それが、役所ともなると無償にはできん。それに鶏ガラは鶏ガラで使い道があるからの。砕いて肥料にしたり家畜の餌にしたりしとる。ネズミに食い逃げされるかも知れないものを、ただで大量に引き取るわけにはいかんのだ」
ふーん、そういうものなんだ。
「まあ、私達も貰ってきた食堂で、晩御飯食べるからって、約束してきたからね」
ベアトリクスの言葉で今日の晩御飯を食べる場所が判明する。
アドルフさんはニコニコと頷いている。
「そういう小回りの利く取引が役所には出来んのだ」
「でも私達がいつも餌に使ったら、肥料や家畜の餌にする分が減ったりしませんか」
引き取り業者に睨まれるのは嫌だ。
「それは大丈夫だろう。量は十分足りているはずだ。回収する業者も一つだけではないし、いわば引き取り先が変わるだけだからなあ。後は何か所かの食堂と話をつけて餌にする鶏ガラがいつも手に入るようにすることと、残飯の種類を色々試してみて他の扱いやすいのがあるかどうかを調べるくらいだろうて」
そのほうが、晩御飯の種類が増えていいだろう? と町長が笑った。
確かに食べる場所がいつも同じだったら、そのうち飽きるかもしれない。
「それから、ベアトリクスはどんな風にファイアー・ボールのイメージを創っているのかな?」
「そうね。詠唱しながら、こう掲げた手のひらを目標に向けて、そこに魔力を集めて炎の塊が出来上がるイメージかな。後はそれを目標に投げつける」
ベアトリクスが右手を振り上げ、こう石でも投げる感じ、と物を投げるふりをした。
「投げつけた後に、炎が獲物に向かって飛んで行くことはイメージしていないのかい? 命中するまでの間の飛んで行く軌道や速度をイメージし続けるのだよ」
「そこまでは……してないわね」
ベアトリクスが真剣な表情になった。
「やってみると良い。多分、そうそう外れないよ」
「わかった。今度やってみるわ。ありがとう」
ベアトリクスが素直に頭を下げている。
「町長は魔法使いなんですか?」
思わず聞いてしまう。魔法を覚えた時に教えて貰ったのは発動の仕方だけだ。
「ふっふっふ、ある時はケーキのおじさん、ある時は中の原町長、ある時は魔法の相談役、しかしてその実態は……」
「ただの爺じゃ、でしょ?」
「なんだ、先に落ちを言ってはいかんよ」
ベアトリクスと町長は笑いあっている。
この二人、一体どういう関係なんだろう?
私とベイオウルフは思わず小首を傾げた。
結局、町長の正体は分からずじまいだ。機会があったらベアトリクスに聞いてみよう。
町役場を後にして、次に訪れたのはベアトリクスの職場である魔道具屋だ。
広げた巻物をあしらった看板には、マルセロ魔道具店、と書かれている。
既に店じまいしていたが、店員のベアトリクスに案内されて裏口から店に入った。
そこは、店の工房らしく壁には大工道具のようなものが吊るしてあり、中央の作業台に置かれた空き缶には、画家が使うヘラや刷毛、筆のような物が差してある。
「やあ、ベアトリクス。終わったのかい?」
作業台に向かってなにかの作業をしていたらしい丸い眼鏡をかけた大人しそうな三十代半ばくらいの男性が、顔を上げて声を掛けてくる。
この店の店主のマルセロさんだろう。つまりは、ベアトリクスの雇い主である。
ベイオウルフと、初めまして、と挨拶をしてそれぞれに名乗った。
マルセロさんは、私達二人の名を知っていた。きっと、ベアトリクスに聞いたんだろう。
「七匹倒したわよ。銀貨三枚半ね」
ベアトリクスが両手を突き出し指で七を強調する。
「それは凄いじゃないか。半日で銀貨三枚半なら、うちの給料より単価が高いね」
「まあねえ。でも三人分だし、今のとこ週に三回だけだからちょっと生活できないわね」
ちょっと待って、私の収入それだけなんだけど。
「頼んだものは手に入ったのかい?」
「これね、ネズミの髭。二十本とってきたわよ」
ベアトリクスが、肩にかけた物入れ袋から紙に包んだ白い筋を取り出した。
ネズミの死体を熱心に検分していたのは、これを集めるためだったのね。どうりでファイアー・ボールで倒した奴じゃなくて、ベイオウルフの突進と私のホーリーで倒したのばっかり見ていたわけだ。焼け焦げた髭には用がなかったんだ。
「ありがとう。注文通りだ。助かるよ」
マルセロさんは人差し指と親指で髭を摘まむと灯りにかざして見ながら満足そうに頷いている。薬指には黒い石の指輪をしていた。
右手だからおしゃれなんだろけど、黒い石って珍しいわね。
「何に使うんですか?」
「薬師が薬を調合する時の材料として使うんだよ」
えっ、薬にはネズミの髭が入ってるの? 今まで飲んだ薬に入ってるとしたら、私もしかしてネズミの髭を口に入れちゃったってこと?
思わず口をゆがめると、マルセロさんがいたずらっぽく笑った。
「はっはっは。紛らわしい言い方をしたね。ネズミの髭は薬には使わないよ。そういうことをするのは大昔の錬金術師さ。粉薬をかき混ぜるときに細くて弾力がある毛があれば丁度いいのだけれど、こいつを束ねると具合がいいのさ」
うん、わざと紛らわしく言ったよね、この人。大人しいだけじゃなさそうね。
「君がジャンヌだね。話はベアトリクスから聞いているよ」
いぶかしげにベアトリクスの顔を見ると、ニヤついている。
絶対なにか企んでる顔だ。これは。
「君は神聖魔法が使えるんだってね?」
「あっ、はい。初級魔法だけですが。ホーリーとヒールが使えます」
「うん。この店は僕と妻の二人でやっていてね。僕は小間物師で、妻が魔法使いなんだ。二人で一緒に魔道具を作っている。今はベアトリクスにも手伝ってもらっているんだけどね」
えっへんとばかりに、ベアトリクスが胸をそらした。
それを見てニッコリ笑ったマルセロさんが話を続ける。
「今のうちの売れ筋の一つに魔法の巻物があるんだけど、妻が使えるのが水、土属性と状態変化系の魔法で、僕が使えるのが移動系の魔法、それにベアトリクスが使える魔法を加えて、それなりの種類の系統の魔法の巻物が自作出来る。ただ、神聖魔法は自作出来ないから他から仕入れているんだ。でも、その分利益が出ないんだよ。もし君が手伝ってくれたら、ホーリーとヒールがうちの店で新しく自作出来るようになる。もしよかったら手伝ってもらえないかな。正規の店員を雇うほどの余裕はうちにはないから、巻物作りを手伝ってもらうだけでいいんだけどね。そうだね、巻物一本につき銅貨四枚でどうだろう」
魔法の巻物は、簡単に言うと、魔法を封じ込める魔法陣が書かれた物だ。
特別に加工した羊皮紙……別に特別な物じゃなくても良いのだが、保管や持ち運びに優れているらしい……に向けて魔法を放つとその魔法が封じ込められる。使う時に巻物を広げて合言葉を唱えると、封じ込められた魔法が開放される仕組みらしい。
マルセロさんの話では、神聖魔法系の巻物は値段が高く、初級でも一本銀貨二枚で販売しているとのこと。そのうちの、一割が巻物そのものをつくる小間物師に、一割が巻物の魔法を封じ込める魔法陣を描く魔法使いに、そして一割が魔法を封じ込める人間に、それぞれ支払われるのが相場だそうだ。私が魔法を封じ込めた場合、銀貨二枚は銅貨四十枚だからその一割の銅貨四枚が支払われる事になる。
巻物は小間物師のマルセロさんが作り、魔法陣は奥さんが描いているらしいから、材料費を差し引いた金額が売り上げになる。マルセロさんも魔法陣が描けるそうだが、奥さんの手による物は絶品なのだそうだ。何がどう違うのかは、私には分からないが、夫婦円満なのは良い事だ。
今のところ、一日に神聖魔法が六回は使えるから、頑張れば一日に銀貨一枚と銅貨四枚の稼ぎになる。
これって、もう、これだけで十分生活出来るじゃないの!
「初級神聖魔法の巻物は週に五本は売れるから、毎週五本作るのを手伝ってもらうだけでいいからね。週に一、二回来てもらえば良いから、そんなに負担にはならないと思うよ」
世の中はそんには甘くない。でも週に銀貨一枚は凄く助かるかも。
「どう? 悪くないでしょ?」
さっきから、ベアトリクスが微笑んでいる理由がわかった。
もう、この娘ったら、笑顔が可愛いんだから!
ちなみに、上級神聖魔法の巻物はなんと一本あたりの値段が金貨十枚くらいらしい。上級神聖魔法が使えるのは神官職だけなので、実質教会専売となっていて教会の良い収入になっているそうだ。後で知ったのだが、孤児院の院長先生も貢献しているとのこと。もっとも、今はほとんどが戦場で使われていて、国の管理下におかれているらしいが。
「是非、お願いします」
しっかり頭を下げておいた。