ロドニーン要塞
気がつくと、少年は山奥の貧しい村にいた。彼の家は山で樵をしていて、生活は苦しいが、なんとかやっていけた。少年が切株を台にして、薪を手斧で割っていると、茶色の長い髪をゆらして、粗末な身なりの少女が駆けてきた。
「グリフェ……大変よ……村に……軍隊がやってくるって噂、知っている?」
「ああ、ギャリオッツがこの国の鉱山を狙っているとか……大丈夫だって、国の偉い人たちがなんとか外交で治めるって、爺ちゃんもいってたぜ……」
「そうかなあ……水車小屋のオジサン、この辺り一帯、軍隊に襲われるから逃げ出さないといかんって、言っているよ……」
「まさか……そんな……きっと、大丈夫だって……リディア……」
普段は気丈なリディアが、怯えた目で銀髪の少年を見上げる。
「本当?」
「ホント、ホント……」
「こんな風に?」
少女の顔の半分が無惨に焼け焦げ、白煙をあげ、グリフェを睨みつけた。
「リディア!」
身を起こして目を覚ましたグリフェの視界に、鉄枠と帆布でできた幌の天井が見えた。そして、心配そうに見つめるアンドレアとミランが見えた。
「グリフェが目を覚ましましたわ!」
「タートル殿、グリフェ殿が……」
ミランが御者台のタートルに知らせに行った。あれから丸一日経っている。グリフェは大きく深呼吸し、口の端をあげた。
「やれやれ……ホント、お前らは純真で良い奴らだな……」
8日目の旅はなにごとも無く過ぎ去り、次の日も気が抜けるほど順調に旅を終えた。もう、ギャリオッツの軍人や賞金稼ぎは、追跡手段を失ったかに思えた……
旅から10日目の早朝――
ドルレアックの町の宿屋を出て、幌馬車はポクポクと高原地帯を進んでいく。西方を見れば、剣のように峻険なる山脈が巨獣の背びれのようにそびえているのが見える。プラグセン王国とベルデンリンク帝国の国境にある山岳地帯だ。
「あれが、ロドニーンの町のようだねえ……」
「そのようだな……」
途中の丘陵で昼食に立ち止まると、西の山道の果てにある山岳地帯に、刃物で切り取ったように平原が広がり、石造りの建物が見え、その先の山に城砦が見えた。それがロドニーン要塞である。要塞といっても大きな本城があり、峰に小城の砦がいくつかある山城であった。
300年ほど前に築かれた城で、隣国ベルデンリンク帝国からの侵入を防ぐために造られたものだ。隣国側にも同様に城砦が築かれている。歴代のプラグセン貴族のなかでも勇猛果敢な貴族や軍人が総督として着任。国境警備隊を率いて、隣国の総督と警備軍に睨みをきかせている。
現在の総督・パワーズフット男爵は南北戦争で師団指揮官として、メルドキアの軍隊と善戦した勇猛な軍人でもある。そのため、王国軍元帥から認められ、ロドニーンへ領地替えの栄転をしたのだ。
日が暮れて夕日が赤く染まるロドニーンの街並みを、幌馬車は静かに抜け、断崖絶壁に建つ山城へ目指した。年代物の外壁がそびえ立ち、他者の侵入を拒んでいる。
城門でミランが横柄な守衛兵にパワーズフッド男爵の書いた手紙を見せた。守衛兵は顔色を変えて、伝声管で総督指令室へつなぎ、確認をとる。態度が改まり、幌馬車が通された。城兵の案内でクランクの馬車道を通り、広場にでると、正面に巨大な城砦が見えた。山肌と一体化した本城は天を斬り裂くように泰然と存在。空中回廊が伸びて、小城や倉庫、火薬庫、望楼の尖塔に通じている。その周囲に警備兵の宿舎や食糧庫などが広がる。ここだけ見ると中世にタイムスリップした印象であるが、急に現代を思わせる鋼鉄製の代物が垣間見られる。
他の軍事施設と中継連絡する電波塔と魔力増幅塔。蒸気発電施設から白煙があがる。滑走路がみえ、格納庫のなかで偵察用飛行機を整備員がチェックをしている。その奥の格納庫には巨大な鋼の足が見えた。チャペック兄弟社製の軍事用ロボットであろう。軍用馬車と蒸気式兵員輸送車、騎馬隊と火砲を備えた戦闘車両が混在する駐輪場。兵士の隊列訓練が見えると思えば、フードを被った魔道士団が魔法演習所へ入るところが見えた。身長3メートルの戦闘用ゴーレムが律法学者にメンテナンスを受けている。
「こりゃまた、警戒厳重な軍事基地だなあ……タートル……」
「ホントだ。なんかこう、昔の軍隊生活を思い出しちゃうねえ……」
御者台に座るお気楽なスレイヤー達と違い、アンドレア主従は緊張した面持ちである。
「こちらの城砦でお世話になるのね……ミラン……」
「はい……きっと、パワーズフッド男爵とアボイル子爵がよくしてくれるはずですよ……」
城兵が幌馬車を厩舎に案内すると、中から白馬に騎乗した青年が出てきた。軍服ではなく、煌びやかな乗馬服で違和感のある男だ。金髪青眼で白皙の貴公子然とした優男である。ナヨナヨした男で、軍人というより、文化人の貴族の子弟といった感じだ。アンドレアに気がついたようで、馬から降りる。が、慣れていないのか、従者が四つん這いになって台となっていた。
「やあっ……アンドレア・ユルコヴァー嬢ではありませんか!」
「あなたは……アボイル子爵……」
「お久しぶりです、アンドレア姫。あいかわらず美しい……庶民の身なりをしていても、貴族の気品がにじみ出ている……実はこの日のために、都に注文したドレスの贈り物があるのですよ……」
「まあ……ありがとうございます。子爵さま……」
粗末な身なりに変装しているアンドレアは急に気恥ずかしくなって、うつむく。子爵が膝をついて令嬢の掌にキスをした。美貌の令嬢と貴公子の姿は、都の著名な画家たちが争って絵画のモデルに希望するであろう。ミランは心の闇の部分から黒い感情が湧きだしそうになるが、強い意志で押さえつけた。それに、元々二人は婚約者だ。ロドニーン要塞で復縁することもありえることだ。
――お二人とも、お美しい貴族の令嬢令息だ……庶民出の地味な私などとは天と地ほどの差がある……
「それに執事の……ミラン君だっけ? 手紙が達筆だったから年上かと思ったけど、まだ童顔の少年だったんだねえ……」
「はい……この度はお世話になります。アボイル子爵さま……」
完璧な会釈をして答える少年執事。女主人が生きて、幸福になることが至上の目的なのだ……それを見守っていくことが、執事たる自分の役目であると肝に銘じた。一方、グリフェとタートルはアボイル子爵に違和感を案じていた。
「あれがアボイル子爵かあ……てっきりごつい体躯の軍人貴族かと思っていたが、頼りなげな文化人って感じだな……それに、軟禁の身にしちゃ、偉そうだなあ……」
「そうだな、グリフェ……プラグセン王国にギャリオッツが侵略してきたとき、徹底抗戦を叫んで、義勇軍を結成しようとしたって武勇伝が似合わねえなあ……でもよ、非力であっても愛国心にあふれた勇気ある若者かもしれないぜ……」
「まあ、そうだな……実際に西の果ての辺境に幽閉されているしなあ……案外、宮廷では発言力のある貴族なんだろうな……」
と、二人がゴニョゴニョと内緒話をしている最中に、当の本人がやってきた。
「そして、こちらのお二人は……高名なモンスター・スレイヤーのグリフェ殿とタートル殿ですな……いやいや、さすがに逞しい面構えの御仁たちだ。姫君を守ってよくぞモンスターの闊歩する街道をやってこられた……夕食で酒宴の席を設けるので、ぜひ城砦に逗留されて武勇譚をお聞きしたい……この日のために国境を通る交易商人からプラグセンやベルデンリンクの名酒と上等な食材を用意してありますので……」
「なにっ! 酒が出るのか……」
「ご馳走にありつけそうですなあ……うひひひ……さすが、アボイル子爵さま!」
仏頂面の二人がとたんに舌舐めずりをして喜色満面となった。現金なものである。




