エピソード17
森を抜けると、ふっと大きな池が現れた。
湛えられた水同様、透き通った羽を持つ名も知らない虫たちが縁にその羽を休めている。輝くような苔に覆われた大地からは真っ白な大岩が幾本も飛び出ていた。よく見ると、それは長い間風雨にさらされて白骨化した巨大な骨だった。
流石ファンタジー。何を食えばこんなにでかくなるんだ。チビとしてはあやかりたいものである。
池には先客がいた。
驚くほどの透明度を誇る池に半身を浸からせて微睡んでいた、これまた馬鹿でかい白い竜が二頭、ゆっくりとまぶたを上げた。
「・・・・おや、懐かしい匂いがする」
「ほんに。それに幼子の匂いもするの」
「んもお、シモンのじい様ったらアタシよぉ、サンドラだってば。可愛い孫娘を忘れないでよねぇ。シモーヌのばあ様も、折角約束通りの『落とし仔』を連れてきたのよん。もっと誉めてよ」
「む、む。『落とし仔』か」
「ほ、サンドラか。どれどれ」
巨竜たちはぐいとこちらに首を伸ば し、すんすんと鼻を鳴らした。
「ふむ、確かに確かに。まだ若い水の匂いがするの」
「良かったの、サンドラ。これで誰はばかることなくウサギの若大将のところへゆけるの」
「げ。・・・・気づいてたのん?」
「ほ、ほ、ほ。この世の匂い届くところは全てわしの目のうちよ」
腰が引けながらも、僕はふと気づいてた。
・・・・目が、見えていないんだ・・・・
白竜の四つの目は、皆尽く濁っている。この幻想的な景色の中にありながら、彼の金の瞳は一切の光を映していなかった。
白竜はそんな僕の心を読み取ったように柔らかく目を細めた。
「此度は随分と聡い子じゃの。いかにもいかにも」
「我らは“香る竜”。光なくとも花を見しもの」
「あれはシモン。我が愛しき夫」
「あれはシモーヌ。我が愛しき妻」
「あ、あの僕はキース・ド・ラフォンと言います」
僕は慌てて名乗り、頭を下げた。
後でサンドラさんが教えてくれたことだが、竜という生き物はその伴侶に合わせて生きるため、基本的に寿命というものはあってないようなものらしい。これもまた、竜の進化と退化が早いと言われる理由の一つなのだという。
それこそシモンさんとシモーヌさんみたいに、お互い竜のパートナーを選べは片割れが死なない限り恐ろしく長生きすることが可能なのだ。
「彼らは旧いタイプの竜では最後の番よん。アタシもよく知らないけど、人が文明を起こす前からここにいるみたい」
「それは・・・・すごいですね」
「“香る竜”の名の通り、視覚の代わりに嗅覚が発達していてねぇ、僅かな風の匂いからこの世のあらゆるを嗅ぎ分けるのん」
竜は大概、二つ目の名を持つ。
余程親しい仲でなければ直接名前を呼ぶのは失礼に当たるので、普段使いの仮の名というヤツだ。ラフォンでも貴人たちの間で大昔は普通にあった習慣なのだが、流石にもうそんな回りくどいことはしない。
それにしても“香る竜”とか、なんかちょっとおしゃんてぃである。厨二にならない絶妙な火加減で僕もなんか欲しいものである。
「ほ、ほ、サンドラとウサギの若大将との恋路も丸見えじゃの」
「おのしらが番と乳くりあってもまるっと丸見えじゃの」
「毎日毎日ガツガツとしとるじゃろ」
「飽きもせずズコズコとしとるじゃろ」
・・・・はーい、カット。
うん、ある意味年を取っても性少年か、“香る竜”。
微笑ましそうにとんでもないことを抜かし出す。純情路線を目指す僕の情操教育に弊害が出たらどうしてくれるんだ。
そして今更だけど、サンドラお姉さんのお相手ってウサギさんだったんだね。意外と草食系がお好みだったらしい。
「どうでもいいが胸毛プレイはないと思うぞ?」
「流行りは尻尾プレイじゃ。サンドラがフワフワの胸毛が自慢なのは分かるがの」
「男は女の尻を追いかけたいものなんじゃよ」
「ただでさえウサギは早さと数が命だからの」
いやほんとなんの話だ。
恋愛脳はハッピーエンドのその後までばっちりカバーしているらしい。
***
取り敢えず、竜の里である『ドニの樹海』からはしばらく出して貰えそうにない(そんなことした途端多分お姉さんに狩られる)ので、心配しているであろう爺の元に手紙だけ届けてもらうことにした。
告白します。
城に連絡が入れられるという時点で、僕は既に脱出の意欲を失っていました。
ストックホルムではない。
確かに誘拐犯には末永く爆発しろと寿いでやるのもやぶさかではない。現実的に考えてこのラブウォリア―から逃げるのは無理だわ、っていうインドア思考も多分にある。
だが本音をいうと、僕は外の世界というものに、これで結構憧れを抱いていたのだ。
今更説明する間でもないがキース少年のお立場は結構複雑です。
中途半端に血筋だけはよろしいが、それに附随するしがらみでかえって身動きが取れなくなっちゃったパターンなので他貴族の期待は望めず、実家や後見、紹介などですでに派閥が完成しているメイドさん方は冷ややかだし、他の王族と同行するのは目立ちすぎる。
どーんと一発政変でも起こらなければ、僕は外に出る機会すらないモヤシっ子のままだったろう。
だがしかし。
安穏とした生活のため誇りを捨て去りし生白い引きニートにだって、夢や憧れのひとつくらいはある。
健康的な小麦色の肌でカッチョいい水着なんか着ちゃって、僕を知る人のいない遠いどこか夕日の美しい浜辺で、行きずりの美女と共に一夏のアバンチュール、なんていうガキっぽくも崇高な願望がある。
・・・・笑いたければ笑うがいいさ。
どうせ引きこもりのジレンマというやつだ。
そんな少年の心をときめかすあれやこれやが、お茶目と傍若無人が手を取り合って花振り撒いてカーニバルな某恋するドラコンのお陰で、図らずしも叶えられちゃった訳で。
さてそこでお出まし、竜の里。
魔力変換の話を聞いて以来、マリーとはまた違った意味で僕は竜という生き物に会いたい、知りたいと思っていた。宿願と言っていい。
このなんともファンタジーな響きの聖地は、長年「第三王子はきの字であるまいか」なんて囁かれながらも頭掻き回して図書館の研究と史料を読み漁っていた僕にとっての、いわば約束の地である。
どうせ時期的にアバンチュールなんて気候は過ぎ去っているし。もう秋だしクラゲが出てるだろうし。大体この爬虫類顔では美女にも逃げられてしまう。
それよりも、生の竜に独占取材なんて、こんな絶好の機会を逃す手があるか!?
いやないだろう。ないに決まってる。ないのである。
ブリュノさんや妹様なら三遍回ってスライディング土下座して鼻からそうめん啜ってでも代わりたいと願う立場である。
かくいう僕も静かに興奮していた。箇条書きにして土曜ドラマなスタンドライトを持ってこなかったことを軽く後悔するくらい、訊きたいことが沢山ある。
魔力変換の方法知識についてこの白くてでかいのから絞れるだけ搾り取らねば。鱗問題は僕の将来的にも重要なファクターだ。男には暮らしを捨て家を捨てても成さねばならぬときがあるのでござる。
まあ要約するに、今この場でうちに帰る理由がないってこと。
折角引きこもりが部屋から出たのである。手ぶらでは帰れない。
そんなわけだからひとまず知らせておきたい相手は爺だけでいい。人外魔境のここにはクロネコもカモメも真っ青、どんな手紙も即日配達を誇るドラゴン便がある。
夕刻には着くとのこと。
「・・・・そういえば、サンドラお姉さんは里の外にも普通に出てましたよね? 里って戻ってくるなら出てても良いんですか? 嫁ぐのがアウト?」
シモンさんたちがどこからともなく出してくれたペンをつらつらと走らせていた僕は、竜の里に引きこもりますと綴ったところではたと首を傾げた。
老体方は里の範囲は大きく見積もっても精々この谷筋までと教えてくれた。でも考えてみればサンドラさんとのファーストコンタクトは遥かなラフォンの王城である。
ふらふらと逢い引きしたり、『落とし仔』を探したりしていたのをかんばみれば、彼女の行動範囲はそれなりに広いのではなかろうか。
わざわざ「里を出る」というのがいまいちよく分からない。住民票でもあるのか。
こう言っちゃなんだが通い婚でもいいじゃん。
発情期だけ通えばいいじゃん。あ、ウサギは年中なんだっけ?
しかし僕の問にサンドラお姉さんは首を振って否定した。
「どこに拠点を置くかが重要なのよ。――――キースちゃんは竜魔心って分かる?」
「えっと、魔石ですよね? 竜の魔力が凝り固まったものって聞きましたけど・・・・」
「そうそう。竜魔心ってのはねん、膨大なエネルギーそのもの。存在するだけで大地を富ませ、ひとたび火力に変じれば一夜で国を傾けるくらいのねん」
そんな物騒なのが無作為にあちこちバラまかれたんじゃ堪らないから、普通は成竜になったら魔力の大半を魔石として里に預けてから外に出ていくらしい。
竜のパワーもある程度制限がかかるから愛の戦士たちが暴れても少しは被害を抑えられる。
「アタシらはそれを拠点と呼ぶんだけど、やっぱり自分の番には楽をさせて幸せになって貰いたいじゃない? だからなんとか自分の竜魔心を持ち出して里を出たいのよん」
ははぁ。これはつまり、あれか。どっかのプレイボーイさんが一生種馬ならぬ種ウサギとして遊んで暮らすためにと、そう言いたいのですな。
サンドラさん艶やかな見かけによらずとことん貢ぐタイプだな。
竜というやつらがちょっと分かった気がする。




