グランド・フィナーレ③
あれ。あれれ。あれれれ。
ここはどこ。私は誰? …………いや、俺は俺だ。俺は、千葉大翔だ。
でもなんだこの初めての感触。気持ちがいいとも悪いとも言えんぞ。少なくとも、普通に生きていたらこんな感触を感じることはまずない。……あぁそうか、俺は死んだんだった。
俺は、そのとき。いつの瞬間からか肉体感覚を得た。何故か視覚・聴覚・嗅覚・味覚は奪われているものの肉体感覚を得た俺は、自分がどこかのベッドの上に寝かされていることに気がついた。ベッドはとても寝心地が良く、できるのであればずっと眠っていたい。
しばらくして、聴覚が復活した。だが、周囲はほぼ無音に近い状態で、だから聴覚が戻ったことに少しばかり気がつかなかった。
それから、嗅覚、味覚が復活し、視覚が復活したのは一番最後であった。
視覚という概念が奪われていた俺に視覚という概念が戻ってくると、俺は目を瞑っている状態だった。だから、視覚が戻ってきたことに少しばかり気がつかなかった。閉じている瞼であるが、開こうと思えば開けることが感覚で分かる。そして俺は、ゆっくりと、恐る恐る閉じていた瞼を開いてみた。
「どこだ……ここ……」
ここがどこかは分からないが、ここがどこかの病室であることは一瞬で分かった。
白を基調とした内装。一人部屋にしてはやや広すぎる気がしないでもない部屋だが、ここがどこかの病室であることは間違いがなさそうだった。つまり、今、俺が眠っていたベッドというのは病床ということだった。俺は……助かったのか?
記憶は、ハッキリとある。淫魔となったものの身体に異常な疲労感を感じて、死の予感を感じた俺は、嵐のような天候の中、学校の屋上で自衛隊に殺された。
その記憶はハッキリとある。ハッキリとあるのだが、じゃあ今のこの光景はなんだ? なんで俺は病院にいるんだ? 死んだのであればこんな病床に寝かしつけられるはずがない。
俺は、ベットから起き上がると、立ち上がってやや広すぎる部屋の中を歩いてみた。
周囲をよく見回してみても、やっぱりここは病室だ。そのとき、俺は自分の服装に意識がいき、気がついた。自分が、入院中の患者が着るような服装をしていることに気がついた。
じゃあやっぱり、俺は生きてるってこと? そんなはずは……。
俺は、ベッドの右手側にある大きな遮光カーテンを見た。その遮光カーテンの後ろには、大きな一枚窓があることが遮光カーテン越しに分かる。遮光カーテンの性能が高いからか、外が明るいことはカーテン越しでもよく分かるのだが、部屋の中は日陰となって暗く少し肌寒かった。
遮光カーテンまで近づくと、俺は遮光カーテンを窓から引っぺがした。だが、自分が思っていたような結果は得られなかった。
「はぁ?」
俺は思わず声を漏らしてしまった。遮光カーテンを引っぺがし、大きな一枚窓が露わになったはいいものの、外からの光が強すぎるあまりに、逆光となって外の風景が一切見えなかった。 ここがどこなのかを確認しようと思ったが、それができなかった。俺は目の前のその逆光の光景に、違和感を抱いた。こんなに逆光が強くて外の風景が見れないことなんて普通あるだろうか? いや、これはもはや逆光というよりも、外の風景が無いとでも言った方が納得できる光景だ。そんな、まるでホームセンターの窓のショールームを見ているような光景に、俺はムカついて勢いよく遮光カーテンを閉めた。
今自分が生きているのか死んでいるのかなんて知らん。だが、自衛隊に殺される前の時のような身体の疲弊感とは全く違い、身体が万全であることは身体をいくら点検しても変わらない。
俺は、ベッドから見て右側の遮光カーテンの真反対、ベッドから見て左側にある部屋と外界とを繋ぐ扉に視線を移した。
もう、出るしかないか。
この部屋の中で得られる情報は全て得た。後はもう、いつかのタイミングで目に入ってきたあの扉から外に出るしかなさそうだ。正直、今自分が生きているのか死んでいるのかも分からないのに、そもそもここが自分の元いた世界と同じとも限らないのに、部屋の外に出るのは怖かった。
俺は、恐る恐るその扉に近づいた。そして、一度背後に視線をやって部屋を確認した。それから、正面に視線を戻すと、俺は覚悟を決めた。
俺は扉のノブを握った。扉のノブをゆっくりと、ガチャ……っと開けた。すると、頬を優しく撫でるような微風が扉の隙間から入り込んできた。
俺はその微風に、視界を細めた。生温かい風だった。まるで、ピクニックするのに最適な風のような。俺は、その微風に連れられるがままに扉を全て開いた。そうして、外の世界が俺の目一杯飛び込んできた。
チュンチュン。チョウチョウ。チチチチチ。まるで俺を歓迎してくれているような鳥のさえずりが聞こえてきた。
俺は、その目の前の光景を見ただけでここがどんな場所であるか分かった。
ここは、天国だ。
何をどう見たってそうとしか考えられない光景が、俺の眼前には広がっていた。
病室を出た一歩先は、すぐ草原となっていて、遠くを見ると様々な種類の木々や植物が生えている。どこからか水の流れる沢の音も聞こえてくる。肉体だけでなく精神までもを回復させるような陽光が、未だ病室に留まっている俺を照らす。俺は、この天国と言うべき世界に歓迎されているような気持ちになった。
「ここが……天国。じゃあ俺は、やっぱり死んだ、のか……?」
そう声に出してみても、誰かが答えてくれるわけではない。だが、口にしなければ俺の頭はパンクして今にも壊れてしまいそうだ。自分は死んだのか、それとも生きているのか、それだけを教えてほしかった。
いや、死んでもいるし生きてもいるのだろう。天国とも言うべきこの場所で、死んだ後今こうして生きているのだ。
この天国とも言うべきこの場所――いや、この〝天国〟は、俺の心にこれまでに感じたこともないような安寧を与えてくれる。
俺は、ゆっくりと、恐る恐るではあるが目の前の草原に足を踏み入れてみた。
右足を出すと、それから左足を出した。柔らかい草の感触が足の裏に感じられ、それが少しこそばゆかった。そうして、俺は完全に草原へと降り立つと、それからは何かに突き動かされるように駆け足で草原を進んでいった。
原っぱを駆け巡る感覚が気持ちいい。人間の原初的な感情を感じた。草原を走り回るのは、ただただ気持ちよくて、全身を照らしてくる陽光に俺の歪んだ感情は浄化されるようだった。
俺は走り回った。意味もなくアテもなく走り回った。それはまるで子供に戻ったようだった。俺は、ふとしたタイミングで背後を振り返った。するともう、どこにも病室は見当たらなくなっていた。だからといって別になにか不安など感じなかった。あぁ、そうか、もう見えなくなちゃったか。そう思っただけで、俺はすぐさま草原を駆け回るのを再開した。
すると、そのときだった。
俺は、草原の奥に、人影を見つけた。その人影は三つあって、遠くからみてもそれが人間であることには間違いがなさそうだった。
俺はその三つの人影にすぐさま近づいた。ここにいるってことは、悪人じゃないだろう。何か俺に教えてくれるかもしれない。そう思ってのことだった。
その人影までは少し距離があったが、走ったらあっという間だ。俺は草原をそのまま駆け巡りながら、その人影の元まで向かった。俺が、その三つの人影が俺のことにも気がつくくらいの距離まで行くと、その三つの人影は俺のことにもちゃんと気がついてくれた。
その三人が俺の方を振り向いた。……知っている、顔だった。
その三人というのは、有紗と優也と椎奈先輩だった。
俺は大きくのけぞった。だが、三人は俺とは違い表情を全く変えることはなく、まるで予定通りとでも言うかのような澄まし顔をしていた。まるで俺がここに来るのを知っていたようだ。
俺は驚愕のあまり言葉が出なかった。何度顔を確認しても、その三人は確かに間違いなく有紗と優也と椎奈先輩である。その事実は、目を擦っても三人の頬に触ってみても変わらない。
「意外と遅かったじゃん。ちょっと迷った?」
「う、う、うわぁあああああああ! 喋ったぁあああああ!」
精巧な蝋人形みたいに黙っていた三人のうち、有紗からそう言われた俺は、思わず大声を出して有紗の頭にチョップをしてしまった。
「痛い! 馬鹿じゃないの!」
思いのほか俺のチョップが強かったのか、有紗はチョップされた自分の頭を押えながら俺にそう叫んできた。
そんなやり取りをしたものの、俺は、未だに目の前の現実が受け入れられなかった。だから、俺は思わず、優也にハグをしてしまった。
「な、なんだよ。ハグなんて死ぬ前もしたことねぇだろ」
俺は感じる優也の温もりに、三人が俺の幻想なんかではなく本物であることをやっと受け入れた。優也の言う通り、確かに生前俺達はハグなんてものはしたことはなかったが、優也の温もりはハグなんてしなくとも分かる。
俺は、優也とハグをしたことによって思わず涙が目から流れはじめた。恥ずかしい、恥ずかしい。そう思いながらも、涙は止まることを知らずに流れ続けた。
涙でぐっしょり濡れているだろう俺の顔を見てきた優也は、やはりそうなのか俺の顔を見て大笑いしてきた。
「お前の泣き顔超面白いわ」
「う、うるせぇ……」
俺は目頭を押えながら、弱々しい声で返した。すると俺と優也のハグが終わった次の瞬間、俺はすぐさま有紗に抱きつかれた。有紗の温もりが俺の全身を包み込んだ。
「な、なんだよぉ……」
俺は未だに泣きながら、弱々しい声で有紗に言うと、有紗もクスクスとこれまた笑ってきながら、「本当に可愛いね」と言ってきた。
「何かさぁ、こうして本当に有紗先輩と大翔の絡みを見るとさ、なんか……生前の俺ってすっげぇ邪魔だったのも分かるわ。まぁだからって、殺すのはどうかと思うけど」
優也が少し皮肉交じりの口調で言った。この頃になると、有紗の俺をぎゅっとする力は異常な域に達しており、俺は絞め殺されそうになっていた。今の俺はどちらかというと有紗よりも優也の温もりを感じたかった。だが、有紗の俺をぎゅっとする力は異常に強かったから抜け出すことは叶わない。
「そうだねぇ。私だってまさか有紗に殺されるだなんて思わなかったな。しかも、あんなに大勢人がいるところで」
椎奈先輩も、優也と同様に皮肉交じりに自分が殺されるとは思わなかったと語る。すると、その言葉を聞いた有紗が、突然俺をぎゅっとするのをやめて俺を地面に落とした。地面に落とされた俺が顔を上げると、有紗は俺のことなんて心配していないような顔をしながら、椎奈先輩と、それから優也に向き直っていた。
「本当に、それについてはごめんなさい」
そう言うと、有紗は深々と頭を下げて謝罪をした。俺はその光景が、信じられなかった。
「さっきも言われたけど、改めてそう真正面から言われちゃうとねぇ……」「有紗がそんな真面目な顔で謝るだなんて、相当後悔してるんだね」
優也と椎奈先輩は、有紗から受けた謝罪についてそう呟くと、二人は顔を見合わせて笑った。
俺はその光景に口をポカンと開けて見ていることしかできなかった。マジ? 本当に言ってる? 本当に……自分が殺されたことを許すの?
俺はその二人の態度が信じられなくて、その場に立ち上がりながら思わず訊いた。
「二人は殺されたんだよ? どれだけ誠心誠意謝罪をされたって、殺されたことを許すなんて……」
「なぁ大翔。ひとつ訊くけどよ。俺が有紗先輩に烈火の如くキレたら、俺が殺されたことは無しになるのか? ……ならねぇよな? つまりそういうこった」
優也は俺の肩に手を置きながらそんなことを言ってきた。だが俺はそんな言葉じゃ納得しない。俺は椎奈先輩を見る。だけど椎奈先輩も、優也と同意見だというようにウンウンと小さく頷いていた。俺は、軽い溜息を吐いた。
「まぁ大翔、俺達はお前がここに来るまでの間に沢山話し合ったんだよ。勿論、有紗先輩が殺されてここに辿り着いた時は俺も椎奈先輩も直接怒ったよ。でも、話し合ったんだよ。だからお前のその気持ちはすげぇ嬉しいんだが、でも……大丈夫だから」
俺はそう言われ、納得した。いいや、納得なんて未来永劫しないししたくもないのだが、被害者二人がそう言っているのだから、俺がそれ以上何かを言うことはない。というかできない。
「……で、訊きたいんだけどさ、ここはどこ?」
俺は周りを見渡しながら、三人に訊いた。すると、有紗が答えた。
「ここは見ての通り、天国。なんで私や大翔のような人殺しがここに辿り着けたのかは分からない。でも、ここが天国であることに間違いはないよ」
俺は周りを見渡しながら「そうかぁ……」と呟く。すると、有紗は突然俺に肩を組んできた。まさか有紗がそんなことをしてくるだなんて思わなかったが、有紗は実際に俺に肩を組んできた。そんな有紗に俺が驚いていると、有紗は言ってきた。
「これからは、四人で仲良く生きていこうよ」
俺は答えた。
「四人で仲良く生きていくって、なにをどう生きていくの?」
すると、有紗は軽い溜息を吐きながら、周りの情緒溢れる自然を見渡しながら言ってきた。
「草原を駆け回ること。それがここでの一番楽しいこと」
すると、有紗は満面の笑みを見せてきながら「ついてきて!」と俺達三人に向かって言ってきた。有紗はそう言うと我先にと草原を思いっきり駆け回り始めた。そこに目的などなく、ただしたいからそうするのだということは俺も身をもって体験している。
有紗が草原を駆け回り少し遠くまで行くと、椎奈先輩が有紗を追いかけ草原を奥へと走って行った。そんな椎奈先輩を見て、俺は優也と目を合わせた。次の瞬間、俺達は女子二人を追いかけて草原を駆け巡り始めた。
気持ちの良い陽光は、まるでこれまで背負ってきた全ての罪を浄化してくれているようだ。
俺達四人は、この天国で、何もかもを忘れてずっとずっと草原を駆け巡った。
ずっとずっと。ずっとずっとずっと。ずっとずっとずっとずっとずっと……。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また、別の作品でお会いすることができたら嬉しいです。




