エピローグ
私は、ロキ様よりは長く生きられない。
そんなことはわかりきっている。
でも――お別れは、案外早くおとずれたみたいだ。
理由はよく分からない。
風船から空気が抜けるみたいに、私の体から命の欠片のようなものが漏れていっているみたいだった。
オイルランプのオイルが切れてしまったようなものだ。
あるいは――深い湖の底にいる魚が、世界の夢を見ることに満足してしまったのかもしれない。
「……もう、お別れなのかな」
「ロキ様。……十分に、幸せでした」
ロキ様は、いつもの六畳間で、私の体を抱きしめている。
まるで宝物のように触れてくれる指先に、私は頬を擦り付ける。
「僕は足りない。……ね、アンジュ。君がどこにいても、それがどんな場所でも、必ずみつけだすから」
私は微笑んだ。
いつも、ロキ様は、私が一番嬉しい言葉をくれる。
小さな部屋の天井を見上げると、どういうわけか空が見える。
空を、ゆうゆうと大きな魚が泳いでいる。
ロキ様は私を抱きしめて顔を伏せた。
世界がばらばらにほどけて壊れていく。壊れた世界の中を、魚が泳ぎ続けている。
私のスノードームの街と同じように、この世界も、小さな水晶玉の中にある。
ロキ様の移してくれた写真が、ばらばらと空から振ってきて、私たちの上に降り積もっていく。
壊れた世界の真ん中で、ロキ様は朽ちていく私の体を抱きしめ続けていた。
◆◆◆
何かを忘れているような、気がする。
そんな喪失感が昔から付きまとっていた。
それは私が幼い時から繰り返し見ている夢に、何か関係があるのかもしれない。
夢の中の私は、ここではない、けれどよく似た世界で、真っ白い男の人と一緒に暮らしている。
名前は分からないし、顔もぼんやりしていてわからない。
誰なのか知りたいのに、名前を呼ぼうとすると目が覚めてしまうのだ。
世界が崩壊する夢を見た。
空には大きな魚が泳いでいて、それはまるで湖が空になってしまったようだった。
私は小さな部屋の中で眠っていて、大切そうに、白っぽい男の人が、私を抱きしめている。
足場が徐々に崩れ始める。
実体のあった世界が、まるでブロックを崩す様にして、ばらばらと崩れていく。
でも、怖くは無かった。
だって、私は――深く、強く、愛されている。
そんな夢を授業中に見た。
私には珍しく、居眠りをしてしまったらしい。
このところ、悩みが多くて疲れていることも影響していたのだろう。
――友人が、私の恋人と浮気をして、子供ができたのだという。
私の恋人というのは、私の幼馴染で、今まで一度も恋愛をしたことの無かった私は幼馴染のことを気安い知り合い程度に思っていたのだけれど、告白されたから付き合う事にした。
清く正しい関係だった。手を繋ぐ、ぐらいしかしなかった。
だから、私の親しい友人が恋人と浮気をしたと知った時も、そこまでショックを受けなかった。
恋人だった幼馴染は、ただの幼馴染に戻る。
友人は友人のままだ。それで良いと思った。
でも、子供のことは心配だ。友人はまだ私と同じ年だから、高校三年生。これから、大変だろう。
心配になったので、心配だと伝えた。
できるだけ、協力することも伝えた。
それが正しいと、思っていた。
友人は――柏木茜は、ありがとうと言って泣いていた。
私達は友人のままでいられる。
数日悩んだけれど、安堵した。
だから、授業中に居眠りをして、世界の崩壊する夢をみてしまったのだろう。
体の調子が悪そうな茜と共に、駅のホームで帰りの電車を待った。
そうして私は、茜によって、駅の線路の上へと突き落とされたのである。
◆◆◆
薄暗い店のカウンターの奥に、バーテンダーが立っている。
僕はカウンターの椅子に座って、クリームソーダに刺さったストローで、メロン味のする何かを一口飲んだ。
バーテンダーは「オシャレバーに来て、クリームソーダとか、子供か」と怒っていたけれど、僕はあまり酒が好きじゃない。昼間から飲むような趣味はないし、昼間から営業しているこの場所に来たのは、別に酒を飲みたかったからというわけでもない。
呼びだされたのだ。
仕事の用事だった。
「……ハイナルコプレシー?」
耳慣れない言葉を、確認のために繰り返した。
隣に座っている男が、頷く。
「最近、患者が増えている。過眠障害の一種だろうが、……集団幻覚、に近いのかもしれないな」
「……集団幻覚」
「長く眠りについて、理想の世界の夢を見るらしい。目覚めてしまえばどうということもないが、夢の世界の住人になってしまい、徐々に衰弱して死んでしまう者もいる。帝都の病院は、最近この患者で溢れているよ。皆、現実世界で生きるのが嫌になったらしい」
僕はメロンソーダのグラスのストローをぐるりとかき回す。
中の泡が、ぷつぷつと上に昇っては消えていく。
「昨日、帝都都市線の線路に、女子高生が一人落ちた。それなのにその子は……怪我一つなく無事だったそうだ。電車にひかれたにも関わらず」
「そんなことってある?」
「報告を受けて現場を見に行ったら、その場所にこれが」
男の手から、僕に渡されたのは携帯電話だった。
ひび割れていて、真っ黒な画面にはなにもうつっていない。
「落とした方は、その子の友人らしい。今は家にいる。死んだように眠っている。ハイナルコプレシーの症状が出ているようだ」
「落とされた方は、どうなった?」
「入院しているよ。念のため。……こちらも、怪我はないが、目覚めない。……まるで、誰かを待っている、みたいに」
「名前は?」
「……苗字は忘れたが、確か、名前は……杏樹、だったかな」
「……アンジュ」
僕は椅子から立ち上がった。
どうして忘れていたんだろう。どこにいても、どんな場所でも、必ず見つけ出すと約束していたのに。
「知り合いか?」
「うん。僕の大切な人だよ」
「呂希、お前にそんな相手がいたなんてな。……女子高生だぞ? 犯罪じゃないか?」
「……年齢差とか、どうでも良いよね」
迎えに、いかないと。
僕の言葉にバーテンダーが嬉しそうに「年齢と性別なんて無意味よ、ね、ロキちゃん」と言った。
◆◆◆
長い夢の続きを見ているようだった。
私は骨になり、砂漠のなかに埋もれて、砂漠の奥底にある湖の底で夢を見る大きな魚になった。
魚になった私は、骨になった私を見て涙を溢した綺麗で儚い男の人を、幸せにしたいと願った。
そうして私は、何度も繰り返した。
触れたい。
あなたが、好き。
そう、心の奥底で、骨になった私が囁き続けていたけれど、私はまるでそれに気づかなかった。
けれど私たちは、多分、幸せになることができたんだと思う。
夢の中の私は、別の世界の私は、嬉しそうにその人と手を繋いで歩いている。
世界は崩壊してなんかいなくて、平和な日常が続いている。
世界の崩壊なんて間違いだ。
駅のホームから落ちた私はいない。
もしかしたらもう死んでしまっているのかもしれない。
だから幸せな夢をずっと見続けているのだろう。
「……杏樹ちゃん、起きて」
誰かが私を呼ぶ声がする。
私は目覚めたくなんてないのに、その声は、とても懐かしくて、愛しい。
薄く目を開くと、真っ白い男の人が私を覗き込んでいた。
「……はじめまして。……迎えに来たよ」
その人は、私と目が合うと困ったように微笑んだ。
「吃驚、したよね。……僕は」
「ろき、さま」
私は重たい体を無理やり起こして、白いベッドから飛び上がるようにして、その人の首筋へと抱き着いた。
その人は私を抱きしめて、「アンジュ」と言って、愛しそうに髪を撫でてくれた。
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