19 一難去ってまた一難2
唯がしばらく気力をなくしていると、咀嚼音が聞こえて来た。
見るとフェネックが、いつの間にかバッグからでて、綾香の弁当の残りを食べている。
「ごめん、小弥太。お腹空いてたんだね。これは、食べ残しだから、こっちの開けてないお弁当を食べて」
しかし、小弥太は綾香の食べ残しをペロリと残さず食べてしまった。
「駄目だよ、小弥太。あーあ、せっかくお供え物なのに……。綾香ちゃんの食べ残しでごめんね」
唯のいう事などどこ吹く風でいつのものソファーで丸くなる。
フェネックをなでてやると「きゅう」と気持ちよさそうに鳴いた。
「小弥太が、いてよかった」
唯はしみじみといった。
それから、唯はもう一つの弁当を小弥太と分けて食べた。さすがに食欲がわかなかったが、何とか水で流し込んだ。こういうときこそ食べなければ参ってしまう。
唯はスマホの音で目を覚ました。どうやら、小弥太を撫でながら居間で眠ってしまったようだ。着信を見ると叔父だ。
「なんて迷惑な人たちなの」
唯は仕方なく鳴り続ける電話に出た。
「ああ、唯か、そっちに綾香がいってないか?」
「さっきまでいたよ。それより、おじさん、私、綾香ちゃんに二万円とられたんだけど」
「そんなことは知らん。当人同士の問題だろ。それより、綾香がどこにいったかしらないか?」
酷い言いざまだ。
「知らない。彼氏のところに行くってでていったよ」
「何で止めてくれないんだ」
「それはこっちのセリフです。勝手に上がり込んでいたんだけれど。うちの鍵を預かるって持って行ったのは叔父さんなんだから、鍵の管理くらいきちんとしてください」
「うるさい。お前はいちいち口答えして生意気なんだ。だから、綾香やうちのと上手くやれなかったんだ。仲良くできれば家においてやったのに。そんなことより……」
それから続く叔父の話は――――。
三日ほど前、綾香が、現金とカードを持ちだして家出したと言う。そして今日カードを止めたから金に困って唯のところ行くだろうと思い電話したとのこと。
「いまから、そっちに車で行くから」
それだけ言うと叔父は電話を切った。唯の実家は不便な場所にある。まず高速に乗るまでに時間がかかるのだ。
「冗談でしょ? 今から来たら、こっちに着くの朝方じゃない」
唯がぶつくさと言う横で、フェネックは気持ちよさそうに眠っていた。
ピンポーンというインターホンの音でまた目が覚めた。非常識にも叔父は明け方に本当にやって来た。
居留守と使おうかと思ったが、叔父は綾香と似た性格なのでそんなことをされたら大騒ぎするだろう。ことが大きくなるので諦めた。
「おい、唯、綾香は帰って来たか?」
「帰って来てないよ」
叔父は勝手に上がり込む。
「奥が寝室か? 綾香が帰ってきたら起こしてくれて」
「ちょっと、冗談じゃありませんよ。私のベッド使わないで」
叔父が来ることがわかっていたので、フェネックを唯のベッドに移動しておいたのだ。みつかったら、ペットを飼うなんて贅沢だと捨てられかねない。
「お前は、叔父に向かって何て言い草だ」
叔父が癇癪を起こしかけたその時、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。
「綾香か?」
「やべえ」
綾香が玄関で叔父が来ていることに気付き廊下に逃げだした。叔父が後を追う。
「お前は、親の金やカードを勝手に持ち出していったいどういうつもりなんだ!」
マンションの廊下で親子喧嘩が始まった。唯は慌てて彼らを追って廊下へ出た。
「ちょっとこんなところでやめてください! 近所、迷惑です! 静かにしてください。警察でも呼ばれたらどうするんですか? 私ここに住めなくなってしまいます。とりあえず今日は帰ってください。それから、綾香ちゃん、私の2万円返して」
唯は声を潜めて注意する。どさくさに紛れて2万円の返還も要求する。
「あるわけねえだろ! ばあか! ラブホで男に持ち逃げされたよ」
いきり立ち煽るように大声で叫ぶ綾香は、酒に酔っているのか顔が真っ赤で化粧が落ち猿みたいだ。
「男だと! 綾香、どういう事だ! それに俺の金とカードはどうした!」
叔父が大声で綾香を怒鳴りつける。
「うるさいな! カラオケやってだけだよ! ラブホでカラオケ、これ東京の常識だから」
恥ずかしすぎる。廊下で変な東京の常識とラブホを連呼しないで欲しい。
二万円を返してもらえないことも悔しいが、親子喧嘩が、ますますヒートアップしてしまい唯はほとほと困り果てた。これでは近所の人たちが起きてしまう。迷惑過ぎる親戚親子をなんとか鎮められないだろうかと焦るが、妙案は浮かばない。打つ手なしだ。
唯が途方に暮れかかったとき……。
「あの、さっきから何なんですか? こんな明け方に近所迷惑ですよ」
低く落ち着いた声が廊下に響く。驚いて振り返ると、艶やかな黒髪を持つ恐ろしく美しい男性が廊下の先から現れた。場違いなほど麗しく燐光を放っているよう。同じ階にこんな綺麗な人が住んでいただろうか? まったく見覚えがない。あまりの美しさに迷惑親子も唯も一瞬息を飲んだ。
「隣に住んでいる者ですが、トラブルなら警察を呼びましょうか?」
美しい青年が問うように軽く首を傾げる。サラリと黒髪が揺れた。
唯はフルフルと首を横にふる。隣にこんなに美しい男性は断じて住んでいない。確信を持って言える。
「あ、ああ、い、いや、何でもありません。と、とりあえず、綾香、帰るぞ」
警察と聞いたとたん叔父は及び腰になり、慌てて綾香を引きずりエレベーターホールへ去って行った。
そしてエレベーターに綾香を放り込むと叔父も乗り込んだ。
それを見届けてほっとする。唯は男性に謝ろうと思い振り返ると、そこには誰もいなかった。
「う、嘘……消えた。てか、いまの誰? 隣に住んでの女性の会社員なんだけど、彼氏さん、とか?」
唯は慌てて自分の部屋にもどると鍵を閉めた。
もしかしたらと思いベッドを確かめると子ぎつねは気持ちよさそうに眠っている。
しかし、あの男性は唯が小弥太に買ってやった青いトレーナーの上下と同じもの着ていた気がする。
「まさかね……。ないよね……。小弥太の訳、ないない」
――ということは、幽霊……じゃないよね?




