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少年、罪過を喰む -弐ノ章-  作者: 藤崎湊
FILE1 青の鋼
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亡霊




 裏社会に染まった人間は、とことん己のテリトリーから離れることができないらしい。

 それが跡地だったとしても、そこに対する執着心は無意識か、それとも……。


 コツリ、コツリと踵を鳴らす音がやけに響いた。

 六年前と違い、黒く荒廃した倉庫街を視界の端に入れながら、亜紀はただ前だけを見つめていた。

 一歩一歩歩みを進めていく内に、脳裏に甦ってくる剣崎の笑顔。

 その隣には、あまり笑顔を見せない花園がいた。

 彼らの未来をこの銃で台無しにしてしまった罪は、何千何万年経とうとも晴れることない。

 自分の未熟さが招いた結果だった。

 ああすればよかった、こうすればよかった――なんて、後悔はいくらでも思いつく。

 けれど、今の亜紀に出来ることは……彼らのような犠牲者を二度と出さないよう、きっちりケリをつけること。


 亜紀は一番燃えた跡が酷い倉庫の前に辿り着くと、足を止め、当時のことを思い出すかのようにゆっくりと見上げた。

 ここだけ時が奪われてしまったかのように、静まり返っていた。

 険しい表情のままゆっくりと倉庫内に入ると、天井は朽ちて崩壊しており、暗雲が顔を出していた。

 そして、奥の方には部下を従えた目黒の姿があった。

 何もかも自分の意のままに事が運んでいる。機嫌良さそうな彼の表情はきっと、そんな思いが胸にあるからだろうか。



「来たか、東崎。待っていたぜ」

「……攫った二人は何処にいる」

「くくっ、心配するな。ちゃんと生きているさ」

「――っ亜紀!」


 後ろ手に縄で手を拘束された雪兎が仲間たちに連れられて姿を見せた。

 顔の所々に殴られたような傷はあったが、無事だと分かり、ほっと息をついた。


「女の方もすぐに来るさ。心配するな」

「テメェの言葉を信用できるとでも?」

「信用できねぇっていうなら、どうするんだ?」

「決まってんだろう――とっとと返してもらうまでだ」

「いいねぇ、お前のそのオレたちを本気で始末しようとする目は、六年前と何ら変わらねぇ」


 雪兎が後方に下げられ、目黒の仲間の銃がこめかみに押し当てられた。


「だが、こちらが有利だってことを忘れちゃ困るぜ?」

「そいつは無関係だ。とっとと解放しろ」

「心配するなと言っただろう? このガキは六年前の決着をつけるために利用させてもらうだけだ」

「……何をするつもりだ」

「東崎、お前なら分かるはずだ。オレたちは常に非日常、裏の世界でしか生きられない。その中で、オレは渇望していたんだ……命のやり取り、互いに相手を確かな殺意を持って力を振るう殺し合いに……!」


 目黒は裏社会で生きる男だった。

 身を潜め、秘密裏に法に反する行為をいくらでもやってきた。

 ――だが、それだけでは物足りなくなってきたのだ。

 血と鉛の匂いが嗅覚にしみこみ、怒声と悲鳴が脳裏に反響し、女と金を貪りつくした世界の中で、自分と相反する存在と、全てを懸けた勝負を求めるようになった。

 ルデラリスを流すようになったのは、ただの小遣い稼ぎ――もしくは、単なる余興に過ぎなかった。

 あの薬を飲み、誰が狂おうが、誰が死のうが、目黒の与り知らぬところだった。

 

 ――そんな中、最凶の裏社会の番人と謳われたAPOCが、目黒の前に現れた。

 目黒は、狩るものと狩られるものの勝負……中でも猟犬のように自分を追って来る東崎亜紀という存在に興味を持った。

 亜紀はどう身を隠そうが、どう動こうか目黒の一手、二手先を読んで喉笛に食らいつかんばかりに追ってきた。

 今までにない高揚感が、目黒の全身を駆け巡った。

 あの狩りの目がいずれ自分の元に届くのかと思うと、楽しみで仕方がなかった。

 そして……その亜紀をこの手で始末することができたのなら、生きてきた中で最高の快楽を得られるのではないのかと考えた。


「六年前は思わぬ横槍に邪魔されちまった。だが、今度こそ……今度こそ、オレはお前を殺して、悦楽、高揚感に浸りたいんだよ!」

「……狂っていやがるな」

「あぁそうだとも!! オレはお前という天敵に魅了されたんだ!」



 ――まぁ、その点では、六年前に死んだガキも似たようなものか?



「……何だと?」

「お前のために力になりたいと、単独でのこのこオレの前に現れた、馬鹿なガキさ」

「それって、まさか……」


 雪兎の瞳がふるりと揺れた。

 目黒が指す人物が剣崎と分かり、声が震えた。

 

「あっけなくも人質になり、お前のためどころかお前を傷つけることしかできなかった、哀れな生涯だったぜ」

「――ッ、千草を悪く言うな!!!」


 銃口を向けられているというのに、雪兎は顔を赤くし、目を尖らせ身体を震わせながら目黒を睨みつけた。


「お前らなんかに千草の何が分かる!? アイツは誰よりも傷ついた人たちを守ろうとしていた! っ、お前みたいな……お前らみたいな奴がいるから……!」

「ユキ……」

「千草を悪く言う奴は……俺が絶対に許さないぞ!!」



 自分のテリトリーに他人を決して入れたくなかった。

 ――なのに、それなのに……彼は見えない壁をあっさりとすり抜け、懐にまで入り込んでしまった。


 何処までも他人に甘くて、損得を考えない馬鹿な男だった。

 綺麗事だといくら拒絶しても、彼は絶対に揺るがなかった。

 他人にも、自分にも嘘をつかず、思いを貫き、人の心を変えた愚かなくらい優しい彼を――ましてその生涯を哀れと片付ける目黒が、雪兎は許せなかった。

 目に涙を溜め、怒りなのか恐怖なのか分からず震える雪兎に対し、目黒はつまらなそうな冷めた目で見下ろした。


「許す? ガキで無力なお前に何が出来るっていうんだ? 笑わせてくれる」

「俺なんか何もできない……っ、お前なんか、亜紀に摘発されてしまえばいいんだ!」

「っ、ははは! このオレが東崎なんぞに捕まるわけがないだろう。なんせ、六年前オレ様を逃がしちまったんだからな!」

「六年前……」

「そこの悪魔はな、オレから贈り(・・・)に手こずったんだよ――お前の大好きなチクサという青の鋼の人形にな!」

「青の、鋼……」


 雪兎がその名前を知らないわけがなかった。

 APOCに保護されてから、彼は捜査官から説明を受けていた。

 父親を蝕み続け、中毒患者にし、狂魔と成り果ててしまった元凶――それこそ、青の鋼。


「お父さんはね、君が嫌いで襲い掛かったんじゃない。愛していなかったんじゃない。それだけは、信じて欲しい」


 全ては青の鋼――ルデラリスの成分作用が招いたこと。

 父親は決して悪の道に染まりたくて手を出したわけではないこと。

 分かって欲しい、信じて欲しいと祈るように説明した捜査官の表情が忘れられなかった。

 当事者でもないのに、苦しそうで……今にも泣きだしそうな、辛そうな顔をしていた。

 青の鋼は人を傷つける薬物。

 雪兎は目黒の言葉の『人形』に胸騒ぎがした。

 それはつまり……。


「お前……まさか千草に……っ、千草に青の鋼を使いやがったのか!?」


 青の鋼の流出阻止と、その親玉の目黒を摘発すること。

 それを目標としていた当時のAPOC。

 忌み嫌うものを投与され、最も慕う亜紀の前に立たされた千草の気持ちはどうだったのだろうか。

 変わり果ててしまった部下を目の前に晒された亜紀の気持ちは、どうだろうか。

 それを考えただけで、雪兎は血の気が失せ、今にも発狂しそうだった。


「ッ殺してやる!!! お前なんか殺してやる――ッ!!! よくも千草を……っ、亜紀を苦しめやがったなあああ!!」

「はははは!! 良いぞもっとオレ様を恨め、怒れ! そして、どれだけ暴れようが、噛みつこうが、ただただ吠え続けるしかできねぇ無力さを知れ!」

「くっそおおおお!! 千草をよくも殺したな!!」


 暴れる雪兎の確かな殺意が心地いいのか、声高らかに笑う目黒。


「おいおいガキ、オレたちは、ただコソコソ周辺を嗅ぎまわる奴をこらしめてやろうとしただけだぜ? 殺しただなんて人聞きの悪い」

「ぬかせ!!」

「それに、奴を殺したのは、他ならないお前だろう――東崎?」


 ポツリ、と雨が亜紀の肩を叩いた。


「……そうだな」


 銃を握る力が強くなる。


「千草を殺したのは、俺だ」

「亜紀……?」


 この六年間。ずっと、ずっと彼のことを忘れたことはなかった。

 彼が守りたかったものを守り続けてきた。

 そして、ずっと考えてきた。

 彼が死んでしまった――自分の手で殺めることになってしまった原因は一体何か?

 答えは、一つしかなかった。


「千草は未来のある優秀な奴だった。俺みたいな悪魔なんぞの後をついて回るより、自分なりの正義と夢を持って自由に生きていて欲しかった」


 思い出すのは、彼の苦しそうに、でも懸命に笑顔を浮かべる表情。


「全ての元凶は、テメェらだ。――だから、千草に代わり、この俺が、テメェらを摘発しても関係ねぇよな?」


 次第に雨音が強くなり、全てが濡らされていく。

 重くなった前髪の奥に見える、ギラリとした獣のような瞳が目黒を捉えた。

 その瞳が、六年前、自分に向けられた千草のものと似ていると感じ、目黒は忌々しげに歯を噛みしめた。


「おのれ……小僧の亡霊が……! っ、殺せ! 殺せぇぇえ!」






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