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少年、罪過を喰む -弐ノ章-  作者: 藤崎湊
FILE1 青の鋼
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招かれざる来訪





 ――雪兎はそこで目を覚ました。


 

 ぼんやりと辺りを見渡せば、そこは昔自分が住んでいた古びれたアパートの一室ではなく、星霜院の談話室だと分かった。

 自分が眠ってしまっていたと気づいたのは、すぐのことだった。

 読書をしながら眠りこけていたようだ。

 膝元に放置された文庫本を横目に、後ろの窓の外を見れば、茜色の空が広がっていた。


 ――嫌な夢を見た。


 こんな昔の夢を見るなんてここ最近なかった。

 きっと、あのAPOCの捜査官――工藤蒼斗に会ったからだろう。

 捜査官に見えない平和ボケした締まりのない顔を思い出し、雪兎は胸糞悪そうに舌打ちした。

 蒼斗は、あまりにも『彼』に似ていた。

 言葉という言葉すら交わしていなかった。

 けれども、雪兎は蒼斗を一目見て直感した――関わってはいけない。目の前の存在を認識してしまったら、必然と『彼』を思い出してしまう。

 本当に、不快でしかなかった。

 蒼斗と言葉を交わし、笑みを浮かべる花園の表情が昔と重なり、瞬間的に怒りが募った。

 あんな表情をさせたくない。その先にはきっと、絶望しか――。


「魘されていたわよ」

「……っ、帰ってたのかよ」


 雪兎は息を呑み、片手で覆っていた顔を咄嗟に上げた。視線の先には、洗濯物を取り込んでいたのか、籠を両手に持ちながら談話室に入ってきた花園の姿があった。

 雪兎は本を横の丸テーブルに置くと立ち上がり、花園から籠を流れるように奪い取ると元の位置に戻り、慣れたように洗濯物を畳み始めた。

 花園はいつものことなのか、ふと笑みを浮かべ「ありがとう」とその隣に腰掛け、雪兎同様洗濯物を畳んだ。

 布の擦れる音と、小さな動きで軋むソファの音と、遠くから聞こえてくる子供たちの騒ぎ声。

 この静かな空間が、雪兎は好きだった。

 決して裕福ではない――けれど、独りで食事をすることも、独りで眠ることもない。

 豊かな富など必要なかった。

 そこに温かい家庭の匂いがあれば、それだけで十分だった。


「さっきは叩いてごめんなさい」


 花園は作業する手を止めないまま、静かに謝った。

 雪兎は特に気にする様子もなく――否、気にしない素振りを装いながら「別に」と、一言返した。

 左頬がチリ、と主張するのは、気にしてはいけない。

 

「アイツと何話していたんだよ」

「ただの世間話のようなものよ」

「……そうかよ」


 聞いたところで花園が素直に答えてくれるとは、思っていなかった。

 けれど半分期待していた分、小さな落胆さが心に積もった。


「大丈夫よ」

「……何がだよ」


 畳まれた洗濯物が、綺麗にテーブルの上に重ねられていく。

 花園は、これで終わり、と言わんばかりに四つ折りされたタオルを洗濯物の山の一番上に置き、ポンと軽く叩いて立ち上がった。


「ユキが私のことを心配してくれていたのは、分かっていたわ」

「……」

「本当に、私はもう大丈夫よ」

「そんなわけが……っ」

「だって……ユキや子どもたちがいてくれるもの」

「――っ」

「それだけで、私は十分なの」


 わがままを言ってぐずる子どもをあやすかのような優しい手が、そっと雪兎の頭を撫でた。

 他人に触れられることを極端に嫌う雪兎が、唯一心を許した彼女の手のぬくもりを跳ね除けることはなかった。

 むしろ、甘んじて受けているようだった。



 ――インターホンが鳴った。

 こんな時間に来客とは珍しい、と花園と雪兎は顔を見合わせた。

 一体誰だろうかと首を傾げながらカメラを見れば、そこにはAPOCの制服を着た捜査官が立っていた。

 ドアを開ければ、焦りを滲ませた捜査官がサッと頭を下げた。


「はい」

「こんな時間に申し訳ありません。わたくし、APOCの捜査官の黒田と申します。東崎総帥からのご命令でお伺いしました」

「亜紀さんからですか……?」

「えぇ」

「何かありましたら直接私のところに連絡が来る手はずになっているのですが……?」

「なんでも火急の知らせのようで……車を用意してあります、お急ぎいただけますか?」

「火急……それはおかしいですね」

「なにが、ですか?」


 車の方へ反転した黒田の足が止まった。


「火急の知らせならば……あの方は既に私に伝えているはずです――悪魔を使って」


 ――付近の木々にとまっていた烏が騒がしくなり、けたたましく叫びながら飛び立った。

 緊張感がこの場に走った。

 亜紀が本当に緊急の知らせを寄越すのであれば、バチカルを使役して一目散に花園に伝えている。

 これはいかなる状況下に亜紀が置かれていても、あらかじめバチカルに指令してあれば、バチカル自身が独断で動かせられるようにしている。

 花園は瞠目する目黒から視線をそらさないまま、玄関横に潜ませていた薙刀に指をかけた。

 敵と疑わしき者に対して隙は見せてはいけない。

 それは昔から亜紀に教え込まれていたこと。

 

「――そうですか」


 無の表情に一変した捜査官を取り巻く空気。

 花園は咄嗟に一歩下がり、薙刀の柄をしっかりと掴んで構えた。


「賢い女は、損をするぜ?」

「――っ、やはりあなた……!」


 黒田と名乗る捜査官は、APOCの人間ではない。

 何を目的としてここにやって来たのかは分からない。けれど、自分たちの敵――すなわち、亜紀の敵。

 彼はあまりにも危険すぎた。

 正体を見破られたというのに動揺すら見せない不気味さ。何より、自分で太刀打ち出来る気が全くしなかった。

 子どもたちを守らなければならない。いかにこの状況を打破するかをひたすらに思考を巡らせ、脂汗を滲ませた。


「どうした?」

「っ、来ちゃダメよ!!」

「!?」


 戻りが遅い花園を心配して顔を出した雪兎の声を拾った。

 花園は彼を危険な目に遭わせてはいけない、この場に居合わせてはいけない――その一心で振り返り、叫んでしまった。

 ――これが、花園の最大のミスだった。


「……ぁ」


 膠着状態が、一瞬で乱れた。

 慌てて柄を握り直しながら体勢を戻したときには、既に遅かった。


「あの悪魔からしっかり教え込まれていたようだが……、所詮こんなものだな」


 黒田の嘲笑、雪兎の悲鳴を聞きながら、花園は意識を手放した。



 ――ごめんなさい……。



 真っ暗になる直前まで、花園は自分のミスを悔いた。







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