第三話 初めての音
こんにちは、藤田伸二です。
第三話を読みに来てくださり、本当にありがとうございます。
今回のお話は、主人公にとって大きな意味を持つ一話になります。
前世で生まれてから一度も「音」を聞くことができなかった少女。
誰かの声。
笑い声。
何気ない生活の音。
普通なら当たり前に存在するものが、彼女にとってはずっと遠い憧れでした。
しかし、新たな人生を歩み始めた彼女は、初めて世界の「音」に触れることになります。
それは決して大きな出来事ではないかもしれません。
ですが、彼女にとっては奇跡とも言える瞬間でした。
新しい世界。
新しい家族。
そして、これから始まる新しい人生。
まだ主人公は、この世界について何も知りません。
魔法の存在も。
この世界の広さも。
これから出会う人々のことも。
それでも、初めて感じた温もりと声を胸に、少しずつ前へ進んでいきます。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
暗い。
どこまでも、暗い。
私は、自分がどこにいるのか分からなかった。
目を開けているのか、閉じているのかさえ分からない。
何も見えない。
何も感じない。
それでも、不思議と怖くはなかった。
どこか温かくて、柔らかい。
誰かに優しく包まれているような安心感があった。
(私は……。)
(死んだんだよね。)
最後に見たのは、お母さんの泣き顔だった。
お父さん。
弟。
みんなの顔が頭に浮かぶ。
胸が少しだけ締めつけられる。
約束、守れなかったな。
弟と「帰ってきたら遊ぼう」って約束したのに。
お父さんに「いってらっしゃい」って笑顔で送ったのに。
お母さんには、「ありがとう」も「大好き」も、まだ何度でも伝えたかった。
少しだけ、心残りだった。
でも。
私は幸せだった。
耳は聞こえなかった。
声も出せなかった。
自由に走ることもできなかった。
それでも、私は世界で一番幸せな子どもだったと思う。
家族がいたから。
愛してくれる人がいたから。
だから、後悔はない。
……そう思っていた。
その時だった。
何かが私の体をゆっくりと押した。
(……?)
また押される。
さっきよりも強く。
私は思わず体を丸めた。
狭い。
とても狭い。
身動きがほとんど取れない。
息苦しいわけではない。
でも、この感覚は初めてだった。
(ここ……どこ?)
分からない。
考えても答えは出ない。
すると、遠くの方で何かが揺れた気がした。
最初は気のせいだと思った。
でも違う。
何かがある。
何かが、私へ届こうとしている。
(これは……。)
私は意識を集中させる。
前世では「音」を聞いたことがない。
だから今感じているものが何なのか、分からなかった。
ただ、不思議だった。
心が震える。
胸の奥が温かくなる。
まるで誰かが、私を呼んでいるような気がした。
何を伝えているのかは分からない。
それでも、その”何か”は優しかった。
安心できるものだった。
私は自然と、その方向へ意識を向ける。
すると突然、体が大きく揺れた。
(えっ……。)
ぐっと押される。
苦しい。
さっきまでの優しい温もりとは違う。
体が何かに押し出されていく。
狭い場所が、どんどん狭くなっていく。
苦しい。
でも、怖くはない。
不思議と、「この先へ行かなきゃ」という気持ちになっていた。
私は小さな体を預ける。
押されるままに。
流されるままに。
そして――
眩しい。
今まで経験したことのないほど強い光が、私を包み込んだ。
思わず目を閉じる。
冷たい空気が肌に触れる。
体が急に軽くなった。
その瞬間だった。
世界が――
鳴った。
「──────!!」
頭の中に何かが流れ込んでくる。
何?
これは何?
胸が震える。
心が震える。
世界が震えている。
私は思わず息を吸い込み、大きく口を開いた。
「ぁ……あ……っ」
次の瞬間、自分の喉から何かが溢れ出した。
その瞬間、私はまだ知らなかった。
今、世界で初めて。
自分自身の泣き声を聞いているということを。
泣いている。
誰かが。
悲しそうに。
苦しそうに。
……違う。
(この声……。)
私は必死に耳を澄ませる。
耳を澄ます。
その意味すら知らなかった私が、本能のままに何かを聞こうとしていた。
胸が高鳴る。
頭の中が真っ白になる。
聞こえる。
何かが、聞こえる。
でも、何を聞いているのか分からない。
世界そのものが、私へ押し寄せてくるようだった。
一定の速さで繰り返される音。
近くで何かが擦れる音。
何人もの”声”。
どれも初めてなのに、不思議と嫌じゃない。
むしろ、嬉しかった。
(これが……。)
(これが、音……?)
私は目を大きく開こうとする。
ぼやけた光しか見えない。
輪郭も曖昧で、何が何だか分からない。
それでも、世界はさっきまでとはまるで違っていた。
静寂しか知らなかった私の世界へ、一つ、また一つと新しいものが流れ込んでくる。
私は泣くことも忘れ、そのすべてを感じようとしていた。
すると、突然。
「――――!」
すぐ近くで、一際大きな声が響いた。
思わず体が震える。
びっくりした。
でも、不思議だった。
怖くない。
優しい。
温かい。
その声を聞いているだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(……誰?)
私を呼んでいるのだろうか。
言葉は分からない。
一つも理解できない。
それでも、その声には愛情が込められている気がした。
その瞬間。
ふわりと体が持ち上げられた。
(え……。)
温かい。
柔らかい。
誰かの腕の中だった。
頬に何か柔らかいものが触れる。
鼓動が聞こえる。
ドクン。
ドクン。
規則正しく響くその音が、不思議と心を落ち着かせた。
(心臓……。)
これも音なんだ。
世界には、こんなにもたくさんの音があったんだ。
私は知らなかった。
知らないまま、生きてきた。
涙が溢れる。
悲しいからじゃない。
嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
初めて世界を感じられた気がしたから。
抱き上げてくれている人が、何かを話している。
優しい声。
透き通るような綺麗な声。
私は夢中になって聞いていた。
意味なんて分からない。
それでも、一秒でも長く聞いていたかった。
(綺麗……。)
(これが、人の声なんだ……。)
ずっと。
ずっと。
聞いてみたかった。
お母さんの声。
お父さんの声。
弟の声。
それはもう叶わない。
でも今、私は初めて”声”というものを知った。
それだけで涙が止まらなかった。
その時、不意に別の声が聞こえた。
少し低く、落ち着いた声。
さっきとは違う。
二人が何かを話している。
でも、全く意味が分からない。
(日本語……じゃない。)
私はその事実に、ようやく違和感を覚え始めた。
どの言葉も聞いたことがない。
それどころか、口の動きまで見たことのないものだった。
(ここは……どこなの?)
胸の奥に、小さな疑問が芽生え始める。
胸の奥に、小さな疑問が芽生え始める。
私はゆっくりと視線を動かした。
ぼやけていた景色が、少しずつ輪郭を持ち始める。
真っ白な天井ではない。
木で組まれた梁。
見たこともない模様が彫られた壁。
柔らかな光を放つランプ。
病院ではない。
もちろん、自分の家でもなかった。
(……どこ?)
私は目を瞬かせる。
知らない場所。
知らない人。
知らない言葉。
何もかもが初めてだった。
それでも、不思議と恐怖はなかった。
私を抱きしめている女性が、とても優しい目で私を見つめていたから。
透き通るような金色の髪。
光を受けて輝く碧い瞳。
どこか疲れた表情を浮かべながらも、その顔には幸せそうな笑みが広がっていた。
その人は、私の小さな手をそっと握る。
温かい。
その温もりに、前世のお母さんを思い出した。
(お母さん……。)
一瞬だけ胸が締めつけられる。
もう会えない。
もう「ありがとう」と伝えることもできない。
その事実を思い出し、涙が一筋流れた。
女性は驚いたように目を丸くし、優しく私の額へ口づけをした。
そして、何かを語りかける。
「──○○○、□□□□。」
やっぱり分からない。
けれど、その声はどこまでも優しかった。
私は意味も分からないまま、その声を聞き続ける。
それだけで心が満たされていく。
すると今度は、先ほど聞こえた低い声の人物が近づいてきた。
大きな手。
鍛えられた腕。
短い黒髪に、優しい茶色の瞳。
その男性は私を見つめると、安心したように大きく息を吐いた。
「────。」
また知らない言葉。
女性は嬉しそうに頷き、二人は顔を見合わせて笑った。
……笑い声。
私は思わず目を見開く。
(これが……笑う声。)
前世では、誰かが笑っていることは表情でしか分からなかった。
でも今は違う。
表情と一緒に、声まで聞こえる。
こんなにも温かいものだったんだ。
私は嬉しくなって、小さく手を伸ばす。
男性は驚いたような顔をすると、恐る恐るその指を私の手へ添えた。
ぎゅっ。
私は小さな指で、その大きな指を握る。
二人は顔を見合わせ、また笑った。
その瞬間だった。
女性は空いていた方の手をゆっくりと持ち上げる。
何かを呟くように唇が動く。
言葉は分からない。
けれど次の瞬間――
女性の指先に、小さな炎がふわりと灯った。
私は思わず息を呑む。
(……火?)
炎は熱そうなのに、女性は平然としている。
まるで、それが当たり前であるかのように。
私は燃える小さな炎を、ただ呆然と見つめていた。
胸の奥で、ある考えがゆっくりと形になり始める。
(まさか……。)
(そんなこと……あるの?)
私は目の前の小さな炎から、目を離すことができなかった。
揺れている。
確かにそこに存在している。
赤く、橙色に輝くその光は、暗い部屋の中を優しく照らしていた。
前世で見た火とは違う。
もちろん、火そのものを見たことはある。
料理をする時に使う火。
誕生日のケーキに立てられた小さな蝋燭。
テレビの中で映っていた炎。
でも、それらとは明らかに違った。
この女性は、何も持っていない。
道具もない。
火をつけるための準備もしていない。
ただ、指先を少し動かしただけ。
それなのに。
火が生まれた。
(……ありえない。)
前世の私は、そんなものが存在しない世界で生きてきた。
だから分かる。
これは普通じゃない。
科学では説明できない何かだ。
私は小さな手を伸ばす。
炎に触れたいわけではない。
ただ、確かめたかった。
今、自分が見ているものが夢ではないのか。
女性は私の動きに気づくと、優しく笑った。
そして、指先の炎を少しだけ近づけてくれる。
怖くない。
不思議と、怖いとは思わなかった。
その炎は熱さよりも、温かさを感じた。
まるで「大丈夫」と言ってくれているようだった。
(声も……温かい。)
私はふと思った。
前世で最後に願ったこと。
一度だけでいいから、お母さんの声を聞きたかった。
その願いは、もう叶わないと思っていた。
でも今。
私は知らない世界で、知らない人の声を聞いている。
意味は分からない。
言葉も理解できない。
それでも、この声が私を安心させてくれることだけは分かった。
女性は私を抱きしめながら、もう一度何かを呟く。
優しい声。
綺麗な声。
私はその声を聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。
まだ分からないことだらけだ。
ここはどこなのか。
なぜ私は生きているのか。
この女性たちは誰なのか。
そして、この不思議な力は何なのか。
答えは何一つ分からない。
それでも。
私はもう一度、生きることができる。
それだけで十分だった。
(今度こそ……。)
(後悔しない人生を歩きたい。)
前の人生でもらった愛を忘れない。
新しい人生でも、誰かを大切にできる人になりたい。
そんな想いを胸に抱きながら。
私は初めて聞く優しい声に包まれ、静かに眠りについた。
――この日。
音を知らなかった少女は、初めて世界の声を知った。
そして同時に。
新しい運命の扉を開いたのだった。
第三話「初めての音」を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
この話を書く上で、特に大切にしたかったのは「当たり前の尊さ」です。
私たちにとって、誰かの声を聞くことや、周りの音を感じることは日常の一部です。
ですが、主人公にとってそれは人生で初めて経験する特別な出来事でした。
前世では叶わなかった願い。
「一度だけでも、大切な人の声を聞いてみたい。」
その想いを抱えた少女が、新しい世界で初めて声を聞く。
それは新しい人生の始まりであり、同時に彼女が失ったものを取り戻していく第一歩でもあります。
これから物語は、異世界での生活へ進んでいきます。
魔法。
剣。
冒険。
そして、様々な人との出会い。
主人公はこれから多くの経験をし、悩みながら成長していきます。
ただ強くなるだけではなく、誰かを大切に想う心を忘れない主人公の物語にしていきたいと思っています。
また、今まで描いてきた小さな出来事や言葉が、後々大きな意味を持つこともあります。
「あの時の場面が、ここにつながるんだ」
そう思っていただけるような作品を目指していきます。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
次回からも、主人公の新しい人生を一緒に見届けていただけると嬉しいです。




