深海の『聖者』
敵は強大です
たかまに最強アスリート六女神艦隊が完全敗北、そしてシースラット・スポール協会が秘密裏に実戦部隊を大規模に所持していた事が世界を駆け巡った時。世界中が揺れ。協会は最悪の嵐に見舞われた。反乱逃亡した最新鋭の原子力潜水艦たかまは公開された性能だけでも世界最強の単艦として誇れるものであったが一番の問題は『艦長』だった。
「何でだよ……。何であの『深海の聖者』をシースラット・スポール協会は反逆者にしたんだ!!」
SNSに軍事ファンアカウントの一人が嘆いて。それから雨後の筍の様に各々の思いや憂いが掲示板やコミュニティで見られる様になった。
黒瀬龍太郎『海佐』。ディープ・ガーディアン艦隊――いや、世界最強のサブマリナー。絶対にどんな時でも無益な撃沈はせず、所属する勢力はもちろんどこの国や企業にも必ず最低限の利益を与え勝ち続け。どの様な勢力にも付け入る隙を与えない、犠牲者は極力出さない。世界を静かに守り続けた『海の聖者』という異名の不世出の天才少年艦長で密かな人気があった。
「やっぱり六女神の口振りが原因じゃないか? あんな酷い罵倒見た事ないぞ?! 一応国を代表するアスリートが言っていい口振りじゃないぞ!!」
とあるユーザーが世界的SNSに六女神の黒瀬龍太郎艦長に対する罵詈雑言のショート動画をアップした。その動画は瞬く間に感想がつき、引用文が世界を駆け巡る。
「それ以外はあり得ないが黒瀬艦長はやり過ぎだろう」
判官贔屓や性欲で六女神や協会を庇う声もあった。しかしそれは少数だ。全員どう見ても六女神及びシースラット・スポール協会に非があり過ぎたのが判ってしまったからだ。
「それよりこの性能でどうやって武装解除とか撃沈させるんだよ! 無理ゲーだろどー見ても?!」
軍事ファンの一人はたかまの公開されている範囲のスペック・シートを上げて絶句した。
「というかICBM十二基搭載だぞ?! 戦闘開始したらいつでもどこでも『通常弾頭に有らず』という攻撃が飛んで来るこの状況どうするんだ?!」
もう一人の軍事ファンが慌てて記載する。協会の息がかかった企業がスポンサーの報道局やSNS運営のニュースではキャスターや専門家達がシースラット・スポール協会に反逆した黒瀬龍太郎を悪しき様に言っていたがほとんど誰も聞いてはいない。完全に彼女達の出る幕は、無くなっていた。それでもシースラット・スポール協会は今現在、各国に『反乱逃亡した原子力潜水艦たかまの即時撃沈』を通達しようとしていた。恥知らずに、ワガママに。今でもそれで通じると思っているのだろう。
しかし。世界からの呼び掛けは冷ややかなものだった。
◇◇◇
「全世界に要求します! あの反乱逃亡した原子力潜水艦たかまを協会の名誉回復の為に即時撃沈しなさい!!」
破裂しそうな程の青筋を浮かべたイヴ・クロエは。ディスプレイに映る選手が所属している政府達の高官に向かってマイク越しに公開通信でに叫んでいた。
「世界平和の祭典である『シースラット・スポール』を汚したあの劣等種に制裁を加えなさい!!」
彼女の背後では選手達の『そーだそーだ!』という賛同の獣声が室内を揺るがす。まるで子供が駄々をこねている様にしか見えないが彼女達も本気ではあった。もちろんそれは自分達の権利やプライドに対してだけで他は何も考えてはいない。徹頭徹尾自分達の面子だけ、それがシースラット・スポール協会の本心だった。
『その様な要請には応じかねます』
真っ先に口を開いたのはアメリカ合衆国のジョン・リードだ。迷いの一切無い力強い口調である。
「な――」
『我がアメリカ合衆国はグローバルな国家として判断する。今回の原子力潜水艦たかま反乱逃亡事件は貴女方に問題が有ると判断しています。よって我がアメリカ合衆国は貴女方の要請を拒否します。それ以前に貴女方シースラット・スポール協会が秘蔵戦力を有していた事実を見て我が合衆国は国連安保理を開き貴女方に対して国外移動禁止と武装解除を要求する意志があります』
イヴ・クロエが何かを言う前に。予め決めていたと言わんばかりの淀み無い口調でジョン・リードはそう告げて通信回線を閉ざした。黒いディスプレイには何も映らない。
『我がロシアも同感だ。今回の責任は貴女方にある。よって我々は国連安全保障理事会を開く予定だ。近々国際原子力機関の派遣も要求するつもりである』
追撃をかける様にロシアの外交官アレクサンドル・セルゲエヴィチ・ヴォロディンも同様に返し回線を閉じた。
『我が中国も同じだ。これ以上の資金や技術者の援助も出来ない』
『我がフランスも欧州代表の声としてこれ以上は協力は出来ない。貴女方は渡航禁止の要求を国連で決めるつもりだ』
中国の外交官、楊文明も同様に頷き、フランスの外交官ジャン=ピエール・デュポンも同時に回線を切る。イヴ・クロエはくっきりと浮かんだ青筋でディスプレイを睨む。
そして。彼女の視野の端が動いた瞬間、
『……何とか。諸国をまとめてみます。期待はなさらないで下さい』
イヴ・クロエに見据えられた中東代表の外交官、ジャラール・バルザーニが苦しそうに告げて回線を閉ざした。
「この……臆病者のクソオス風情が!!」
ぎりぎりと歯軋りをしながらイヴ・クロエは殆ど映らない黒いディスプレイを睨み付けた。唯一まだ回線を閉じてないのは、日本だけだった。
イヴ・クロエは目敏くそれを見つけると、
「日本はあの反乱逃亡した原子力潜水艦たかまを即時撃沈しなさい!! 元々は日本の資金と技術の提供で首謀者も日本人だから責任が無いとは言わせませんよっっ!!」
あらん限りの怒気を込めて日本の外交官に叫ぶ。もはや要求ではなく恫喝に近いやり口だ。
『……回答は現在検討中です』
しかし日本の外交官である山本宏は答えずに回線を閉ざした。もう誰も、ディスプレイには映らない。
「どいつもこいつも恩や女性への加害を忘れて……」
イヴ・クロエの怨みは誰にも届かない。選手達は『何であいつら動かないのよ!』とか『日和見しやがって!!』等々を連呼するばかりで何もしない。
そんな中でイヴ・クロエは速やかに退室を始める。選手達が『会長! どこへ?』と呼びかける。
「理事長に動いて貰います。貴女方も今は各々の部屋に居なさい」
苛立ちを隠さず乱暴に扉を閉めるイヴ・クロエ。早足前のめりで廊下を進む。目指す先は理事長室だ。
「どいつもこいつも役に立たない。やはり理事長しか女性の力を体現した方はいらっしゃらないのね」
廊下を進むイヴ・クロエの声はどこにも届く事なく吸い込まれてゆく。
◇◇◇
シースラット・スポール協会の深奥。ほとんどの者達が訪れないそこに理事長室があった。調度品はとても質素で数々のトロフィーや賞状が奉られ、まるで古代の霊廟みたいな室内の中央付近に書類だらけの大きめの机と体幹を乱さない椅子に腰掛ける黒いスーツ姿に黒髪の毛先から見目麗しい美人が居た。書類に書かれた事を的確に読み取り認証の判を押したり代案要請を記入したり色んな所に電話をしたりと大変そうだ。
そして。外界と霊廟を結ぶ扉がやや乱暴にノックされた。
「どうぞ」
顔を上げる事も無く、霊廟の主は入室許可を出した。
「失礼いたします」
入って来たのは激昂してはいるイヴ・クロエ。だが少しばかり気を落ち着けたのか、口調の荒さは薄れ青筋も少し消えていた。彼女はつかつかと早足で麗人の座るデスクに近寄り、
「理事長! 我々は非常に危険な状況に陥っていますっっ!!」
イヴ・クロエは紙を浮かばせる程の勢いで、両手を机に叩きつけて曇りなき真っ直ぐな黒目をした華奢な麗人に向かって叫んだ。そう彼女の呼ぶこの方こそシースラット・スポール協会の『理事長』その人なのだ。
「聞いていますよミスイヴ・クロエ。ディープ・ガーディアン所属の原子力潜水艦たかまが反乱逃亡、我々に宣戦布告。そして秘蔵戦力のアズライール艦隊原潜部隊六十隻が世界に露呈した事と救助を行わないといけない関係で世界中から孤立無援なんだろう」
そんなヒステリックなイヴ・クロエにも穏やかに応じる理事長。疲れを見せない穏やかな春先を思わせる微笑みは凝り固まった心を解すのにとても心地よい。
「え、ええ。そうですわ理事長……」
そんな理事長に絆されて。イヴ・クロエは怒気を弛めてしまう。
「その処理は私がやる。君達は自室でいつでも『発進準備』をしていなさい」
手を挙げて『任せなさい』と頼もしく承る理事長。
「理事長。ではこの一件はお任せして私は選手達を自室待機させておきます」
「ああ任せなさいイヴ・クロエ会長。恐らく国連で緊急安保理事会が開かれて資産凍結や食料品や消耗品の運搬制限が始まるだろうが私が何とかしておくよ」
「ありがとうございます、理事長」
安堵したイヴ・クロエは一礼して退室する。理事長は電話をかけながらちらりとデスクにある写真を見た。
そこにはハッブル宇宙望遠鏡が写した『プレアデス星団』の写真の写真が額に入れられていた。
その写真達を眺め理事長は一瞬微笑むと、
「少しシャワーでも浴びるか」
黒いタイトスカートを椅子から離し、自室へと歩いていった。
◇◇◇
「原子力潜水艦たかまと黒瀬龍太郎艦長が反乱逃亡した。これは予定通りで問題が無い」
湯気の帳が立ち込める浴室で、理事長は熱いシャワーを浴びながら冷静に事態を受け止めていた。今回の反乱逃亡は六女神の軽率な侮辱が原因でそれを育んで来たのは長年『女性を虐げていた過去』という事実だ。黒瀬龍太郎艦長は機会を絶対に見逃さない。この瞬間が相応しいと判断して反乱を起こしたのだろう。事実その通りに動いたし自分もそう予想していた。反乱逃亡は機会が早いか遅いかで理事長にとって予想の範疇であった。現在たかまの補給量は弾薬を消費した以外食料品や医薬品は万全だ。現時点で武力で追い詰めるのは難しい。国際的な視点も考慮すべきだ。
「もっともうちの会長と選手達だ。私の命令なんか聞かないで更に被害者アピールをするだろうな。無駄な事だ」
立ち上る熱靄の中で理事長は分かり切った事実に苦笑してしまう。見栄と虚栄心だけで生きてきた連中が止まる訳は無い。自らで自分達の首を絞め続けるだけだろう、良く知っている。そんな連中だと理事長の顔に侮蔑の色がまざまざと浮かんでいた。
「アメリカ合衆国、ロシア、中国、欧州の国家達はお互い手を組まないが『企業』と『国民』は別だ。日本は兄弟の『一応の』所属国だ、難航するかもな。まだ残存兵力のアズライール艦隊を含めてカードは残っているしだいたい予定通りに事が運んでいる。うちの連中は……どうせ止まらないな。だから『自爆するのを前提』に予定を組み立てるか」
熱い滴で華奢だが肩幅が少し広めで引き締まったぜい肉の無い身体を清めながら予定を決めてゆく理事長。蒸気の靄が暗闇みたいに肢体を隠す。無駄の無い裸体。必要性しか無い、としか答えられない程に整えられている身体だ。
「しかしうちの連中は本当に短絡的で、攻撃的で不愉快を極める。褒められる所は全く無いよ」
熱時雨の中で透き通る深淵の様に光の無い黒い眼差しで呟く理事長。何故だろう、その口調にはシースラット・スポール協会選手達への仲間意識や信頼は感じられない。
「まぁ。役には立たないが囮にはなる屑肉共だ。せいぜい派手に首を絞めてくれるのを希望している」
むしろ、見下している様に感じられた。理事長はシャワーの蛇口を止める。温水は、もう出ない。ノズルから滴が落ちてくるだけ。それもじきに停止する。まるで人工島エデンの未来の暗示みたいに。理事長はシャワー室から出るとバスタオルで身体を拭いてゆく。肩にタオルを掛けた理事長の身体は腰にくびれはあまり無く直線的だ。
そして半裸のまま真っ直ぐ、書斎へと向かってゆく。
「アダム・アガントカ。知恵のリンゴを発動してくれ」
書斎に入るなりすぐに理事長は椅子に腰掛けながら室内に命令を下した。刹那、『了解致しました、理事長』と人工アナウンスが流れ。室内のオペレーションAIが起動した。
起動したのは最新鋭のスーパーコンピュータ、『知恵のリンゴ』だ。このルート・オルタ諸島に無理やり造った人工島エデンに相応しい名前だと理事長は常々見下していた。
「原子力潜水艦たかまを即時撃沈は協会の戦力では可能だと思うか?」
理事長の質問に対し、
『理事長。可能性は0%です』
知恵のリンゴは無慈悲な事実を告げる。だが理事長はそれを聞いてもだろうなと納得した様に背もたれに身体を深く預けた。
「うちのアホ選手は撃沈する気満々だ。知恵のリンゴ、即時撃沈が不可能な理由を述べよ」
『理事長。AIと座学で身体を美しく魅せる為に鍛えただけのパフォーマーと実戦と様々な海軍と演習してきた原子力潜水艦たかまとは根底から戦闘力が違います。事実として六女神四十隻を全滅、アズライール原潜艦隊の攻撃戦力も失う程のデータが物語っております』
知恵のリンゴの回答を肘掛けに頬杖をついて聞き入る理事長。双眸を閉ざし熟考する表情は納得を表現していた。
「うちのシースラット・スポール関係者や選手達はどう動くと思うかね? 私は被害者意識を全面的に押し出してSNS等で騒ぎ立てサポーターを扇動すると思っている」
頬杖をついたまま尋ねると、
『仰る通りかと。選手達の戦術はパフォーマンスの域を超えていませんので後は自分達の正統性と被害者意識をアピールする位のやり方しか残されておりません』
知恵のリンゴは真面目に答えた。それを聞いた理事長は、
「だろうな。それ以外に戦術はもう無い。相手を子供っぽい悪口で貶める位だけしか思いつかないだろう。知恵のリンゴに命ずる、彼女らがそれをし始めたら放置しなさい。止まらないだろうし黒瀬龍太郎艦長がその程度では負けないからそれを組み込んで予定を立てる」
双眸を開いて命令を下した。受諾した知恵のリンゴは『了解致しました。理事長』とだけ告げる。
「知恵のリンゴ。私はこれから各国の企業や水面下で我々の利権技術を狙う者達と交渉しにゆく予定だ。データは侵入者が来たら完全削除せよ。どの道もう諜報員が派遣されている前提で準備せよ」
『了解致しました、理事長』
知恵のリンゴはそう告げると、スリープ状態に入る。理事長は椅子から立ち上がると傍にある姿見を見る。
そこには中性的な身体つきながらも筋肉量が少し多めの肉体が映っていた。明らかに女性というより『男性が女性に成り済ましているみたい』な、身体つきだった。
そして理事長は机にある『原子力潜水艦たかまの進水式で敬礼している黒瀬兄弟』の写真スタンドを見た後、
「たかま。お前は私の願いを叶えてくれるかな?」
そう呟いて着衣を始めていった。
ここまで読んでいただいて誠にありがとうございます。また続きを書きますね




