21 結実
対峙するアンナは血の気が引いた顔をしている。
「あ、愛する妻ですって……?」
かすれた声で繰り返したアンナの顔から、わずかに残っていた血の気まで引いていく。隣のエリザも声を失って一歩下がった。
「私が妻を大切にすることに、何か問題がおありですか? お義姉様がた」
「えっ」
穏やかにそう言いながら、アルベルトはレティシアの腰をぐっと抱き寄せた。
突然のことに、レティシアの口から小さな声が漏れる。
その様子を見て、優雅な扇を広げる音と共に、涼やかな声が割って入った。イザベラだった。
「そちらのリューベルク公爵閣下は、見ている方が恥ずかしくなるくらいの愛妻家でいらっしゃいますのよ。ご存じありませんでしたか?」
扇の影から、イザベラがにこやかに姉妹を見つめる。
すると周囲の貴婦人方も同意するように頷き、貴公子たちの中には軽く苦笑する者もいる。
(えっ……? そうなのですか?)
レティシアは思わず周囲を見回した。誰もが「当然のこと」という顔で頷いている。アルベルトの腕の中で、レティシアの頬がますます熱くなる。
(わたし、知りませんでした……!)
そんなレティシアの戸惑いをよそに、イザベラがぱちりと扇を閉じ、姉妹に向き直った。
「グランチェスター王国の王女殿下のお話を、わたくしもいくつか知っていますわ」
扇の影で、イザベラの紅い唇が艶やかに弧を描く。
「他家のご令嬢の婚約者をお気に召されて、王命で強引に奪っていらっしゃるという噂、本当でいらっしゃいますの?」
会場が、しんと静まり返った。アンナとエリザの顔から、すべての血の気が引いていく。
「な……何を言っているのか、わからないわ」
「そうでしたか。婚約者を奪われ、他国で新しい暮らしを得られたご令嬢方が各国の社交界でお話を共有していらっしゃるそうですけれど……間違いであれば謝罪いたしますわね」
イザベラは扇を畳んで、優雅に首を傾げる。
その言葉に、レティシアはわずかに睫毛を伏せた。
姉たちが他家のご令嬢の婚約者に手を出していたという話は、レティシアもぼんやりと噂で耳にしたことがあった。彼女たちはグランチェスターでは誰も逆らえない存在だったのだ。
会場のあちこちから、刺すような視線が姉妹に集中していた。とりわけ、若い令嬢たちのなかに、扇を握りしめたまま姉妹を見つめる者が幾人かいる。
アンナとエリザは、自分たちが思っていたよりはるかに深い場所まで噂が浸透していたことを、ようやく悟ったらしい。
「やあ、なんだか盛り上がっているようだな」
回廊の方から穏やかな足音が近づいてくる。その音と共に、ジークフリートはにこやかにテーブルへと歩み寄った。その手には、なにやら書状の束が握られている。
「あ、あの、王太子殿下、わたくしたち、貴方にお会いしたくて……」
アンナが懸命に声を絞り出すと、ジークフリートが穏やかな笑顔で姉妹を見据えた。だが、その瞳は笑っていない。
「おお、そうでしたか! それは好都合だ。今ちょうど宰相殿から面白い書状が届いたところでね」
「ジークフリート殿下、この場で?」
アルベルトが片眉を上げるが、ジークフリートは気にも留めない。
「ちょうどグランチェスター王女様方がお揃いだ。お国の最近のご様子を、お伝えする絶好の機会じゃないか」
ジークフリートは書状の一通目をひらりと開いた。
「まずはこれ。グランチェスターから各国への『妃を匿っているのではないか』という不躾な書簡。これがどの国でも、外交儀礼に著しく反するとして問題になっている」
「そんなの! わたくしたちには関係ありませんわ」
反射的に上ずった声を上げたエリザに、ジークフリートは肩を竦めるだけだ。
「第一王女殿下と第二王女殿下が、レティシア殿下とリューベルク公爵の手紙を偽造した件。こちらは、宰相殿から我が国に正式な謝罪文が発出されている」
「!」
姉たちの目が、大きく見開かれる。
アルベルトから聞かされていた話が、こうして他国に向けた公の謝罪文の形で確かめられると、胸の奥がわずかに軋む。けれど、それも長くは続かなかった。
(あのひとたちの企みは、結果として、わたしをこの大切な家族のもとへ届けてくれたのですから)
傍らに立つアルベルトを、レティシアはそっと見上げる。その視線に気づいたアルベルトが、安心させるように、軽く頷いてくれた。
ジークフリートは淡々と書状をめくる。
「さらに。アルメリア公国陥落の件で、同盟国だったグランチェスターがその信義に反して帝国と癒着していたことについても調べがついていてね。各国とも、今後一切グランチェスターを信用しないという結論に達した」
姉妹は呆然と立ちつくしている。
ジークフリートが、書状を軽く振ってにやりと笑う。
「貴国の宰相殿、そして国内の重臣たちが、ここまでの一連の事態について、すでに陛下に対して厳しい意見を申し入れているそうだ。お父君だけではない。ご家族のお身の振り方についても、お国の中で、もはや厳しい目が向けられている、ということになる」
ジークフリートは、書状を畳んで懐にしまった。
その傍らで、アルベルトが静かに口を開く。
「つまり、あなた方が安らかにお過ごしいただける場所は、もはやお国の内にも外にも、少なくなっているということです」
アルベルトの言葉に、しんとした静寂が広がる。
会場に集まる貴婦人や貴公子たちを軽く見渡すと、そこかしこから、姉妹を見つめる冷ややかな視線が返ってきた。
アンナとエリザは、震える脚でじりじりと後ずさり始めた。彼女たちが連れてきた侍従たちも同様に、先行きが見えずにすっかり狼狽えてしまっている。
「せっかく来ていただいたのだ。お二人を国境までは確実にお送りいたしましょう。その先は、我々は関知しません」
ジークフリートの皮肉とも本気ともつかない一言に、姉妹は項垂れたまま、一礼もそこそこに踵を返そうとする。その背中に、穏やかでよく通る声が落ちた。
「お姉さまたち」
レティシアの声だった。姉妹がぎこちなく振り返ると、アルベルトの腕からそっと離れたレティシアが、淑女の礼を取り、姉たちにまっすぐ視線を向けていた。
「どうかこれからのお姉さまたちが、少しでも安らかでありますよう、お祈りしております」
頭を下げる姿は、洗練された公爵夫人そのもの。アンナとエリザは何も言い返せず、唇を噛み締めながら足早に庭を後にした。
バタバタと慌ててついていく足音が遠ざかった頃、レティシアは、すっと息を吐いた。その肩に、アルベルトの大きな手がそっと添えられる。
午後の柔らかな陽射しが、ふたたび薔薇の香りに重なる。会場には、何ごともなかったかのような穏やかな空気が戻ってきていた。




