第7章 3
ルートとレルが通されたのは、応接室のような部屋だった。
部屋の真ん中にテーブルが置かれ、テーブルを挟むようにソファが二つ配置されている。室内の調度品からは、高級そうな雰囲気が漂っていた。
先ほどの男性は、しばらくお待ちくださいと言い残して部屋を出ていった。誰か別の人を呼んでくるのかもしれない。
ソファに腰をおろすと、ルートは声をあげた。
「すげえな、このソファ。傾かねえぞ」
隣に腰をおろし、レルが答える。
「当たり前じゃない」
「いつも使ってるソファ傾いてるだろ」
「傾かないところに置き直さないからでしょ」
「どこの床が腐ってるか分からないから、穴だらけになったら困るだろ」
「それはそうだけど。それより、さっきの何なのよ?」
「さっきのって?」
「受付の人をネチネチやってたの」
「ああ」
「やめてよ、ああいうの。いじめてるみたいじゃない」
「あの人には本当に悪いことしたと思うけど、他に方法がなあ……」
「後で絶対、謝ってよ」
「全部上手くいったら、お菓子かなんか持って謝りに行くわ」
ルートは日本にいた頃を思い出す。
――納期に間に合わないのはどうして?
――間に合うようにスケジュール設定してるんだけど。
――どこに時間がかかってるのが具体的に教えてくれる?
――量も納期も初めに提示してるよね? 今さら量が多いっていうのは、納期に間に合わない理由になるの?
――間に合わないなら、手順を見直したり、やり方を工夫したりして改善提案すればいいんじゃないの?
――これ、請負契約なんだけど。契約の意味理解してる?
言い返せない立場の人間がネチネチやられる辛さは痛いほど分かっている。自分がネチネチやる側に回るなんて、こっちとしても不本意だ。どうしても罪悪感が残る。
いつか絶対、謝りに行こう。
「なんかさ、このソファふかふかすぎない?」
「身体沈むわね」
「逆に座りづらいよな」
「慣れてないのよね、こういうの」
「このソファ持って帰りたいよな」
「これで寝れたら、絶対気持ちいいわよね」
そんなくだらない会話をしていたら、先ほどの男性と、別の男性の二人が部屋に入ってきた。新しく入って来た男性は初老で柔和な雰囲気を醸し出している。
先ほどの男性が口を開く。
「お待たせしました」
ルートは立ち上がって頭を下げる。
つられてレルも立ち上がるが、ワンテンポ遅れる。その彼女を見て。
「…………」
初老の男性は固まった。おっさん、おまえもかよ。気にせずルートは返事をする。
「いえ、お忙しいところ、お時間をとっていただいて、ありがとうございます」
「……ああ、いえ。こちらこそ」
初老の男性の返事を聞いて、ルートは思う。ここまで効果があるなら、カスハラなんかやらずに、レルに色仕掛けでもさせた方が早かったかもしれない。
……いや、無理だな。絶対、涙目になってテンパるな。
「まあ、どうぞ」
先ほどの男性に勧められて、ルートはソファに腰かける。つられてレルも腰かける。男性二人もソファに座り、話し合いが始まった。
先ほどの男性が口を開く。
「私が当協会にお見えになる会員様の対応全般を担当しておりまして。受付担当の責任者とでも言えば、分かりやすいですかね。それで、こちらが当協会の副会長となります」
紹介されて、副会長は小さくうなずく。受付担当と副会長か。まさか副会長が釣れるとは。
受付担当は、言葉を続ける。
「それで、ヤム国の存亡に関わるお話というのは」
ここからだ、とルートは思う。まずはここで条件をクリアすることがこの先の戦略を左右する。心の内を見透かされないように。受付担当と副会長の顔を見ながら、ゆっくりとルートは話し始めた。
「帝国の噂はご存知ですかね?」
「……どのような噂ですか?」
副会長の返事に、ルートは答える。
「帝国が、別の世界から人間を召喚し、奴隷として働かせているというお話です」
「それは有名な話なので、もちろん知っていますが」
副会長の回答を、受付担当は横目で眺める。ここからの会話を、副会長に委ねているようだった。ルートは話す相手を副会長に定めることにした。
「……実は私も、帝国から召喚された、別の世界の人間なんですよ」
「え?」
驚愕が伝わる。
「……それは……。噂では聞いていましたが、実際、お目にかかるのは初めてでして」
「そうなんですね。ずっと帝国で奴隷として働かされているので、関わる機会はないかもしれませんね」
「そうかもしれませんね」
副会長の言葉を聞いてルートはここに葡萄酒を運んできたことを思い出す。見るのが初めてなんじゃない。見ようとしなかっただけだろう。商人貴族が連れてきた奴隷が、どこの出身かなんて、考えもしなかっただけだろう。
「……私も奴隷として働かされていたんですけどね、この前、帝国と魔族が戦争になりまして。軍隊に入れられて戦場に送り込まれたんですよ。ただ、途中で重症を負って帝国に見捨てられたんですけどね」
「それは……」
レルから視線を感じる。嘘ついてるんだから、黙ってろよ、おまえ。
「……それで、帝国に見捨てられたので、帝国から脱走しまして。今後は商人として生活しようと思っているんですよ」
「はぁ」
「それで、おうかがいしたいんですけどね。別の世界というと、どんなイメージですかね」
「……そうですね。まったく想像がつきませんね」
おそらく本心なのだろう。別の世界と言われて明確にイメージできるほど想像力が豊かな人間なんて、なかなかいない。
「率直に言って、この世界の文明レベルは、かなり低いんですよ。未発達ですね。私がもともといた世界の基準で考えると、原始時代と表現するほかないんですよね」
その言葉に、副会長は眉をひそめる。
「……文明のレベルが低いというのは、具体的にはどういうことですかね」
「分かりやすい例をお見せしますよ。文明のレベルが低すぎて、再現するのに、ものすごく時間がかかりました。しかも、まだ試作品の段階なので量産化には時間がかかります。ですが、ここまで再現はできました。……レル」
言われてレルは、袋からマントを取り出した。クーロンに作ってもらった、あのマントを。
ルートはソファから立ち上がると、副会長と受付担当に言った。
「……これが、私のいた世界の文明のレベルです。本当はもっと再現できればよかったんですけどね。この世界の文明のレベルが低すぎて、今はまだ、ここまでです」
レルは立ち上がると、マントを羽織る。
そして。
マントが、ふわりと揺れる。
副会長と受付担当のレルを見る視線が、上へと移動していく。
「「なっ……」」
副会長も受付担当も絶句した。
目の前で、少女が、宙に浮いていた。
床に落ちた彼女の影が、揺れる。
驚愕の表情のまま固まった副会長と受付担当を見て、思わずルートは頬が緩んだ。
「私のいた世界では、誰もが空を飛ぶことができます。行きたいところまで、空を飛んで移動することができるんですよ。ここの世界の方々には難しいみたいですが。それでも、ここまで再現できました。この部屋の中なので宙に浮く程度にしていますけどね、どこまででも飛んで移動できますよ」
「馬鹿な……」
独り言のように、副会長はつぶやく。
「……そんなこと、できるわけが……」
「できないと思いますか? 今、こうやって宙に浮いているのに?」
「……一体、どうやって?」
「私のいた世界の技術ですよ。マントに特殊な処理をする素材を見つけるのに、かなり苦労しましたけどね」
「そのマントを羽織れば、誰でも空を飛べることができるということですか?」
「いえ、マントだけでは無理です。空を飛べるようになるには、飛ぶ人間の身体に特殊な処理を施す必要があります。もちろん害はありませんが」
「……空を飛べるというのは、分かりました。しかし、それがヤム国の存亡と何の関係があるのですか?」
「ここからは、私のお願いです。この技術を担保に投資をお願いしたいんですよ」
「投資?」
「ええ。投資です。私は帝国から離脱して、今後は商人として生きていこうと思っています。ですが、ずっと奴隷でしたので、資金がないんですよ。ですので、この技術を担保に投資をお願いしたい。もしも受け入れられないのであれば、別の国の商業協会に話を持っていくつもりです。そうなると、どうなるかは分かりますか?」
副会長は答えない。ルートは言葉を続ける。
「他の国の商業協会が、この技術を担保に、私に投資する可能性があるということですよ」
「……それは分かりますが、ヤム国の存亡との関係が分かりかねますが」
「空を飛ぶというのは、移動手段だけの話ではありません。ここから帝国まで、馬車で五日ほどかかります。ですが、空を飛ぶと、川を超えるのに橋まで迂回しなくてもいい。山を越えるのにも迂回しなくていい。一直線で帝国までたどり着けます。一日もあれば十分でしょう。つまり、時間の概念を書き換えるということです」
副会長はピンときていないようだった。ルートは話を続ける。
「……例えば、帝国の商人が契約をしてヤム国の商業協会に書類を提出しようとすれば、五日かかります。ですが、空を飛ぶことができれば、一日で書類を提出できます。商業協会の返事が必要な書類であれば、十日必要な時間が、二日に短縮できます。商人にとって、時間はお金に直結します。ヤム国では十日かかるのに、他の国の商業協会では二日で済むとなれば、商人がどちらを選ぶかは明白ですよね」
「……書類のやり取りに、そちらが協力してくれるということですか?」
「私が言っているのは、あくまでも担保です。借りたお金が返せないときに、技術を協会に提供するということです。ですが、そちらがお望みであれば、書類のやり取りに協力することはかまいません。もちろん、こちらとしても対価はいただきますが」
ルートの言葉に、副会長は思案すると、口を開く。
「少し、整理させていただきたいのですが。そちらの要望としては、空を飛べる技術を担保に当協会からお金を借りたい。借りたお金をそちらが返済できなければ、技術を当協会に提供する。また、お金のやり取りとは別に、空を飛ぶ技術で書類のやり取りを業務の一環として請け負う用意がある、ということで間違いないですか?」
「ええ、その通りです」
「お金を借りたいというのは、いくらですか?」
「120000デスマです」
「……それは、何をするためのお金ですか?」
「お察しだと思いますが、そのお金で、商業協会に一級商人として登録していただきたい」
副会長の眉間に皺が寄る。
「馬鹿な。何の実績もないのに、一級商人などと」
「その通りです。何の実績も私にはないんですよ。そして、帝国で奴隷をしていたので、お金もない。ですが、ご覧の通り、技術はあります。先ほども申し上げましたが、この技術は時間の概念を書き換えます。私のいた世界での技術は、これだけではありません。例えば、この世界ではお風呂に入ろうと思うと大変ですよね? 井戸から水をくみ上げ、その水を大量に沸かしてお湯にして、そのお湯を順に運んでお風呂に貯めなければならない。ですが、私のいた世界では、どの家でも簡単にお湯が出せます。どの家でもお風呂に入れます」
「なっ……」
「それだけではありません。ヤム国の広場では、調理した食べ物が並んでいるだけでした。ですが、私のいた世界では、屋台で料理をして、その場で客に提供しています。もちろん、かまどなんて使わずに、です」
「そんなこと、どうやって……」
「それが、私のいた世界の技術なんですよ。私であれば、この国の文明を発展させることができます。ですから、私に投資をして欲しいとお願いしているんです。もちろん無理にとは言いません。断られたら他の国にお願いしに行くだけです。……結果として、どちらが発展するかは明らかだと思いますが」
副会長は、しばし逡巡すると、口を開いた。
「……少し、お待ちいただけますか」
「分かりました」
返事をすると、ルートは横目でレルを見た。レルの目が、いつまで浮いていればいいのよと訴えていた。




