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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第三章 〜仮面を被りし者〜
47/64

仮面の襲撃者

「まさか、護衛兵の中に裏切り者がいたとは……これではジョーカー殿に示しがつきませんね」


 眼前に並ぶ敵兵たちを眺めたフロードは、むざむざと裏切り者を内部に招き込んでしまった己の迂闊さに辟易した。

 その素顔こそ白い仮面によって隠されているものの、身に纏っているのは紛れも無くアスガルド魔道師団の団服である。襲撃者が密かに護衛の魔道師達を暗殺し、その衣服を奪い取るというようなことをしていれば話は変わってくるが、町民に紛れている彼らを騒ぎも起こさずに殺害するのは現実的に考えて不可能だろう。


 ジョーカーによって発案された今時の作戦に関わる人員の選定は、その殆どをフロード一人が行っている。事前に入念な下調べなどは行っていないものの、ある程度の情報、実力などを鑑みて選んでいたのは確かだ。加えて、候補は全て王女派と関わりがある兵士に絞ってもいた。


 しかしその結果、金属製の杖を取り出し、フロードを威嚇するように見据える敵兵の数は、三名。そのどれもが、フロードには見覚えのある団服を着た人物であった。フロードがほぼ無作為に選んだ十二人の護衛兵の内に、実に総数の四分の一である三人もの内通者が潜んでいたというわけである。


 更に、裏切り者の魔道師達の後ろには、彼らが招き入れたと思われる傭兵らしき人物が同じく三名控えており、フロードはたった一人で六名もの敵兵と睨み合うような形で膠着していた。


「アトレイシア様、ご無事ですか?」


 自身の背後で座り込んでいるアトレイシアへ気遣わしげに声をかけたフロードは、彼女がこくりと小さく頷いたのを確認すると、ごうごうと燃える馬車へと目をやった。


 今しがた火属性の魔法を受け、勢い良く炎を上げている馬車は、先程までアトレイシアを護送していたものである。あと少し逃げるのが遅れていれば、フロードとアトレイシアも同じ運命をたどっていただろう。


 燃え盛る炎と煙が人を呼び、遠巻きにだが野次馬も少しづつ集まってきている状況だ。アトレイシアの印象を悪くしないためにも、これ以上騒ぎを大きくするのは得策ではない。


「こちらに残ったのはフロード卿か。……ということは、あのふざけた殺し屋の方にはジョーカーが向かったということか。……チッ、これは厄介な方を引いてしまったな」


 苦々しく呟いたのは、フロードが対峙する六人の内の中心に立つ、リーダー格とみられる魔道師の男だ。何を隠そう、彼こそがアトレイシアが乗る馬車へ魔法を放った犯人である。


「私の実力を高く評価していただけるのは嬉しいのですが、むしろあなた達は幸運だと思いますよ? まだ手合わせをしたことはありませんが、恐らく私ではジョーカー殿には敵わないでしょうから」


「……謙遜は確かに美徳だろうが、王都随一の魔道師たるフロード卿が口にしては嫌味にしかならないな」


 自己を低く評価するフロードが気に食わなかったのか、リーダー格の魔道師はそう毒づいた。


「私はただ事実を述べただけなのですが。……まあ、ジョーカー殿の実力を正しく理解できるのは、実際にそれを目の当たりにしたものだけなのでしょう。私も先程この目で確認するまで、彼があのオーレリア殿を下すほどの魔道師だと信じることは出来なかったですから」


 オーレリア、と言う名にぴくりとアトレイシアの肩が反応するが、それに気付いたのはフロードだけであった。


「……今日はよく喋るな、フロード卿。時間稼ぎのつもりだろうが、どれほど待ってもジョーカーは駆けつけないぞ。何しろ、奴が追っていったのはあんたを排除するために用意した腕利きの殺し屋なんだからな。先程は運良く狙撃を防げたようだが、近距離戦闘で奴に敵うはずがない」


 弓兵を追ったジョーカーの帰還を待とうというフロードの目論見は、どうやらリーダー格の魔道師に筒抜けだったらしい。


「おや、バレていましたか。ですが、いくら私でもあなた方六人を全員相手にするのは少々厳しいのでね……望み薄のようですが、援軍を期待させてもらいますよ」


 ただ一対六というだけであればフロードにもやりようはある。相手の実力にもよるが、防御にだけ徹すれば、例え六人が一斉に攻め込んできてもある程度は耐えることができるだろう。


 しかし、フロードにはそうする訳にはいかない理由がある。先程ジョーカーに任された、王女の護衛を完遂せねばならないのだ。


 回避の際に足を傷めたのか、立ち上がることすら難しそうなアトレイシアを守りつつ六人の集団を相手取るのはフロードの力を持ってしても至難の技だ。不可能というほど確率の低いものではないが、確実な勝算がない以上、王女の身を危険に晒すのはリスクが大きすぎる。


 無論、それでも相手が仕掛けてくれば応じる他はない。出来る限り時間を稼ぎ、ジョーカーを待つと言う選択肢が最も確実な勝利をもたらすと判断したフロードは、左右の手に魔力を集め、戦闘に備え準備を始めた。


「好きにすればいい……と言いたいところだが、万が一が無いとも言い切れんからな。こちらも早々にケリを付けさせてもらうぞ」


 右手を振り、散開の指示を出したリーダー格の魔道師は、己も攻撃に参加すべく手に持つ杖に魔力を込めた。発光する魔力は緑、対応する元素は風。


「『風槍(ウィンド・ランス)』!」


 発声とともに、無詠唱魔法(サイレント・スペル)によって瞬く間に緑に輝く魔法陣が形成され、空気で作られた見えざる槍がフロードを襲う。


「ッ――『防陣(ウォール)』!」


 直後、フロードは用意してあった魔力を使用し、同じく無詠唱魔法(サイレント・スペル)によって防御魔法を発動することでそれを防いだ。フロードが杖の代わりに触媒として使用する左右の指輪のうち、左手の中指につけている方が淡く光を放つ。


 無詠唱魔法(サイレント・スペル)を修めた魔道師同士の戦いは、そうでない者達のそれに比べて圧倒的な速度を誇る。その展開の速さは、己の肉体を極限まで強化して戦う纏魔術師(てんまじゅつし)に勝るとも劣らないと言えるだろう。


 それ故に、武器の間合い外の距離を保たれてしまえば、纏魔術師は魔道師に封殺されてしまうのだ。

 無詠唱魔法(サイレント・スペル)を掻い潜り肉薄するのは、たとえ一流の纏魔術師であっても容易にこなせる作業ではない。そのため、戦力を測る際に魔道師を上に、纏魔術師を下に見るという風潮が人大陸全土に根強く浸透してしまっているのである。


 射程範囲が広く、攻撃手段も多彩な魔道師の厄介さに比べれば、基本近接攻撃一辺倒の纏魔術師は恐れるに足らない。


 しかし、それはあくまで一対一という状況を想定しての話であり、今回のような一対多という場面では、その評価は見なおさなければならないだろう。


「――ラァッ!」


 右側に回りこんだ纏魔術師が、正面の魔道師に気を取られていたフロードへ斬りかかる。


「……ッ!」


 フロードは、すんでのところで振り下ろされた両刃の直剣にまだ生きている防陣(ウォール)の魔法陣を合わせた。魔力が乗った剣撃はその見た目よりも遥かに重いため、正面から受けることはせず、斜めに往なすようにして受け流す。


「――『空槌(エア・ハンマー)』!」


 フロードは、間髪を入れず無詠唱魔法(サイレント・スペル)を使用した。攻撃の対象は、フロードをすり抜けアトレイシアを直接狙いに行った纏魔術師である。


「がぁッ!?」


 見えない衝撃を側面に受けた傭兵は、為す術もなく地面を転がって行き、やがて意識を手放した。

 そうして、何とかうまく三度の攻撃を躱したフロードだが、その内心は焦燥で埋めつくされていた。


 敵の数は六人。その内の一人は戦闘不能にできたが、それでもなお五人が残っており、今も虎視眈々と襲撃の機会を伺っている。いくらフロードといえど、この数に囲まれてしまえばアトレイシアを守り切ることは難しいだろう。


「チッ……使えん傭兵め」


 戦線離脱した纏魔術師に吐き捨て、リーダー格の魔道師は一人欠けたことにより生じた隙間を埋めるようにして包囲網を調整する。その動きに淀みはなく、リーダー格の魔道師の実力の高さを如実に表していた。


 身振りや視線による牽制を行うことで決定的な位置取りはさせていないものの、フロードは着実に囲まれつつあった。側に身動きの取れないアトレイシアが居るため、完全に包囲されてしまうのも時間の問題だろう。


 最低でもあと一人……いや、あと二人を処理できれば、状況はフロードの有利に傾くだろう。三対一程度であれば、アトレイシアを守りつつ戦うことも可能だ。


 そして、それは相手側も十二分に理解していることでもあった。故に、戦況は先程とは打って変わって様子見が主となり、肌を刺すような鋭い空気の中、静かな牽制の掛け合いに終止していた。


 しかし、それももう長くは続かないだろう。フロードとしてはこのまま戦闘が長引く展開のほうが望ましいのだが、相手がそれを許すまい。


「このままでは埒が明かない。一気に畳み掛けるぞ!」


 冗長な展開に焦れたのか、リーダー格の魔道師はフロードを中心に散開する四人の仲間へと声をかけた。

 リーダー格の魔道師が行おうとしているのは、残る五人による同時攻撃だ。フロードが最も恐れていた状況である。無論、向こうもそれが一番勝率が高いということを理解しているのだろう。


「……アトレイシア様、いざとなったらお一人だけでもお逃げください」


 これが最後の攻防になる。フロードは背後のアトレイシアに告げると、全身から魔力を滾らせ、両腕にそれぞれ異なる術式の準備を始めた。


 片腕に攻撃魔法、もう片方の腕に防御魔法を形作る。敵からの攻撃を防ぎ、その隙を突いて鋭く無詠唱魔法(サイレント・スペル)を打ち込むというのが、フロードが得意とする攻防一体の戦術である。


「シッ……!」


 練纏による肉体強化で一気に踏み込み懐に入り込んできた傭兵の一人が、フロードの胴体を切り裂かんと横薙ぎに剣を振るう。


「『防陣(ウォール)』!」


 すかさず防御魔法を起動し、フロードは纏魔術師の剣を受け止めにかかった。しかし、予想外に相手の動きが早かったため、剣撃を受け流すために必要な距離と時間が足りないという危機に陥ってしまう。


 だが、左腕の防陣(ウォール)に剣が触れる瞬間、フロードは咄嗟の判断で己の体を捻るようにしてそれを受け止めることにより、剣と魔法陣の僅かな間隙で相手の攻撃を受け流すことに成功した。


 自身の渾身の一撃が完全に往なされるとは思いもよらなかった傭兵は、フロードの予想外の対応により僅かではあるが体勢を崩した。極小さいものではあるが、それは確かな隙である。


 次の瞬間。フロードは、そこであえて攻撃魔法を放つことはせず、自ら距離を詰めて隙を見せる纏魔術師に肉薄した。


 ここで魔法を使用し確実に一人仕留めるのが理想だが、今足を止めてしまえば側で狙いをつけている三人の魔道師たちの格好の的である。故に、フロードは魔法を使わずに敵に近づき、相手にとって攻撃魔法を撃ちづらい位置を取ったのだ。


 案の定、隙を窺う魔道師たちは、仲間を誤爆してしまう危険性を恐れてフロードに魔法を放つことはしなかった。綱渡りではあるが、戦況はここまでフロードの思惑通りにうまく進んでいる。


 次の瞬間、フロードは更に仕掛けた。ほぼ密着に近い状態の纏魔術師に両手を向け、無詠唱魔法(サイレント・スペル)を紡ぐ。


「『爆風(ブラスト)』!」


 ゴアッ! という激しい音とともに、爆発的な突風がフロードの手の先で発生した。ゼロ距離で直撃を受けた纏魔術師は声を上げる暇もなく衝撃に吹き飛ばされていく。恐らく戦線復帰はできないだろう。


 爆風(ブラスト)は、熱操作により空気を爆発的に膨張させ対象に衝撃を与える中級魔法である。本来は遠距離から使用し、発動範囲一帯を蹂躙する非常に強力な魔法なのだが、フロードはそれを近距離魔法として威力を落とした状態で使用したのだった。


 下級魔法とは段違いの難易度を誇る中級魔法の無詠唱発動だが、恐ろしいことにフロードはそれを複数使いこなすことができるのだ。


 左右の中指に嵌めた灰輝鉱(ミスリル)製の指輪を触媒とし、それぞれ違う魔法を構成する『双手魔法(デュアル・スペル)』の存在もあり、魔法の回転率ではフロードの右に並ぶものはいないと言われているほどである。


「くっ……『空槌(エア・ハンマー)』!」


 また一人傭兵が倒されたことで焦ったのか、フロードの背後に位置している魔道師が風魔法を放った。圧縮された空気の塊が、唸りを上げてフロードを打ちぬかんと迫り来る。


 しかし、そのような破れかぶれの魔法ではフロードを捉えることはできない。発動した風魔法自体は洗練されたものであり、日頃の鍛錬のほどが窺い知れる完成度の高いものではあるのだが、それを使用するタイミングが悪かったのである。


 フロードは、背後から放たれた魔法を一瞥もすることなく、自身の脚部に内側から魔力を流し込み、練纏による強化を行った。


 魔道師には、魔法こそが至高と謳い、魔大陸発祥とされる纏魔術を毛嫌いし使おうとしない者と、そうでないものが居る。アスガルド王国に所属する大半の魔道師は前者であるが、フロードは後者であった。


 纏魔術は優れた技術であり、それは疑いようのない事実である。魔法か纏魔術か、そのどちらかしか選べないと言われれば魔法のほうを取るだろうが、両方の技術も収めることができるのならその方がずっといい。かつての敵が編み出した技術だからといって、自ら試しもせず可能性を捨ててしまうのは己が愚者だと公言しているのと同義だ、というのがフロードの考えであった。


「フ……」


 纏魔術によって情報が強化された自身の両足を動かし、不敵な笑みを浮かべたフロードは右側に一歩踏み出し空槌(エア・ハンマー)を回避すると、即座に反転し今しがた魔法を放った背後の魔道師に向かって駈け出した。その速度は、熟練の纏魔術師のそれと何ら遜色ないものだ。


 僅か数歩で十数メイルを駆けたフロードは、瞬く間に敵魔道師に接近すると先程と同じように爆風(ブラスト)を発動するため両手を前へ伸ばそうとした。


「『風槍(ウィンド・ランス)』!」


 しかし、そう何度もフロードの思い通りには事は進まない。無詠唱魔法(サイレント・スペル)を構築する際の精神集中によって生じる僅かな隙を突き、リーダー格の魔道師が風魔法を放ったのだ。


「くっ……!」


 絶妙のタイミングで放たれた風の槍は、味方を巻き込まぬようフロードの脇腹を抉るような角度で発生していた。両手に魔力を集中させている状態のフロードには今から防御魔法を構築する時間は残されておらず、回避のしようがない。


 だが、それはあくまでもフロードに通常の身体能力しか備わっていなければの話だ。

 フロードは、纏魔術によって大幅に強化されている脚部に怪我を覚悟で強引に力を加え、無理やり後方へ飛び退いた。避けきれなかった風に刻まれ、着ている服の腹部や袖の一部が削られる。


 いくつかは服の下の肌にまで達し切り傷を負ってしまったようだが、何とか回避は成功したようだ。

 もし直撃を受けていれば、脇腹から風槍に侵入され内臓を嫌というほどかき回されていただろう。それに比べてみれば多少の切り傷など安いものである。


 かなりの負荷をかけた両足も今のところは動作に不良はない。継戦は可能だ。己の肉体を見下ろし、フロードは次の一手を考える。


 しかし、


「チッ、纏魔術か……だが、隙は十分に作れた。……やれ」


 リーダー格の魔道師は、勝ち誇った声音でそう告げた。その指示が何を示しているのかわからぬほどフロードは鈍い人間ではなかったが、気付いたところで相手は既に魔法の構築を始めている。


 そう、彼らの目的はフロードを倒すことではなく、あくまでアトレイシアの殺害である。敵の数を減らすことに集中していたフロードは、まんまとアトレイシアから離れた位置へと誘導されてしまったのだ。


「我が契約に従い、猛炎の精霊よ、燃え盛る紅蓮の槍を放て――」


 攻撃の指示を受けた魔道師が選んだのは、殺傷能力の高い火属性魔法だった。正しい詠唱による魔法の構築は、速さを代償とする代わりに無詠唱魔法(サイレント・スペル)よりも強い威力を発揮する事ができるのだ。


 しかし、この場においてはその選択は誤りであり、フロードにとっては願ってもないチャンスであった。無詠唱魔法(サイレント・スペル)を使われては間に合わない可能性が濃厚だが、通常の詠唱魔法であれば今から防御魔法を割りこませることもできよう。


 だが、それは敵も把握している事実であった。


(ウォー)――ッ!?」


「シッ……!」


 フロードが防陣(ウォール)を発動しようとした直後、魔法名を告げる隙すら与えぬ速度で距離を詰めた纏魔術師がフロードへと斬りかかった。


 回避を余儀なくされたことにより防陣(ウォール)の術式は乱れ不発に終わり、そして、それが決定的な間隙となった。


「――『炎槍(フレイム・ランス)』!」


 詠唱を終えた魔道師が、無慈悲に魔法名を告げる。直後、膨大な熱量を持つ炎の槍が空間に現れた。

 ごう、と空気を熱しながら螺旋状に回転する炎が、真っ直ぐにアトレイシアへ向かって伸びていく。


 纏魔術師の対応に追われているフロードは、それを横目にしながら何も手を打つことができない。これではまるで先程の襲撃の再現である。


 ならば、またも自分はアトレイシア王女が殺されるのを黙って見ていることしかできないというのか。己の不甲斐なさからフロードの心中に憤りの感情が芽生えようとした、次の瞬間。


 青白い光が、唐突にアトレイシアの前に現れた。一つ、二つと光の糸は増え、それぞれが別々の軌跡を描き、やがてひとつの魔法陣を成す。


 既に世界に”現象”として顕現した炎の槍は、魔道師の常識から見れば無詠唱魔法(サイレント・スペル)を持ってしても追いつけないほどアトレイシアに接近してしまっている。だが、その光はいとも容易くそれを追い越し、瞬く間に世界の改変を行い、そこにあるはずのない空間を呼び出した。


 捻じれ狂う火炎の槍は、まるで青白い魔法陣に導かれるようにしてその場から消え去り、周囲は直前の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 それは、まさしく先程フロードが見た神秘の再現であった。


「……一体何が起こったと言うんだ……?」


 数秒間の沈黙の後、リーダー格の魔道師は呆然とした呟きを漏らした。今しがた何かしらの魔法の介入があったのは明らかなのだが、それが一体どういった魔法によるものなのかが全くわからないのである。


「ふぅ……ギリギリの登場ですが、どうやら間に合ったようですね……」


 ため息をつきながら額にかいた汗を拭ったフロードは、すさまじい跳躍力により豪快に建物を飛び越えるようにして側に着地した黒尽くめの男に目を向けた。その足元には未だ活動を続ける加速(アクセル)の多重魔法陣が静かに等速回転している。


「フロード……何余裕かましてんだお前、アトレイシアが怪我してるじゃねえか。一体どう言い訳するつもりだ?」


「到着していきなり掛ける言葉がそれですか!? ……少し落ち着いてください。たしかに私が至らぬばかりに王女様にお怪我をさせてしまったのは認めますが、これでも私、六対一の状況で結構頑張ってたんですよ?」


 肩を落とすフロードに仮面の奥から訝しげな目を向けながら、ジョーカーは周囲を見渡した。

 アトレイシアを取り囲む敵は四名。その内三人が仮面を被り、素顔が見えないようにしている。その他に恐らくフロードが倒したのであろう人物が二名気絶しているのが確認でき、合計で六名の襲撃者の存在が明らかとなった。


 念のため『観測方陣(オブザーバー)』を広く展開し辺りを捜索したが、建物の上や物陰に魔力反応は見受けられない。遠巻きに様子をうかがう町民達に伏兵が紛れている可能性はあるが、そちらは相手が動き出した後からでも余裕を持って対処できるため問題はないだろう。


「それで、何なんだこいつらは? どいつもこいつもバカの一つ覚えみたいに仮面をつけやがって、全員俺のパクリか?」


「どうしてそこで私の方を見るんですか? 時期的には私のほうがあなたより仮面をつけ始めたのが先だと思うのですが……」


 げんなりと嘆息するフロードを無視し、即座に現状を理解したジョーカーは数歩その場から前進した。そして、急激な状況の変化について来れていない襲撃者四名に一つの問いを浴びせかける。


「さて、一つ聞かせてもらうが……アトレイシアに怪我をさせたのはどいつだ?」


 ジョーカーの小さく細い体躯から発せられた声は成人男性ほどに低く、強烈な威圧感を伴っていた。

 まるで巨大な魔物にでも睥睨されているかのような圧迫感は受けた者の冷静な思考を奪い、判断を狂わせる。


「……やったのは俺だが、それがどうかしたのか?」


「ほう、素直に名乗り出たことは褒めてやろう、カル・レナート。嘘も……ついていないようだな」


「――――」


「動揺したな。わかりやすい性格で助かる」


 仮面で素顔を隠しているのにもかかわらず平然と名前を当てられたリーダー格の魔道師、カル・レナートは必死に動揺を取り繕いながら口を開いた。


「貴様……何故俺の名を……?」


「何故って……作戦前に自分で自己紹介していたじゃないか。……なあ、ダリル、グレイ。お前らもそう思うだろう?」


 そうだろう、と同意を求めるようにジョーカーが目を向けたのは、カル以外の仮面を被った二人の魔道師だった。


「なっ……!?」


「馬鹿な……!」


 ジョーカーの登場後も油断なく杖を構えていたダリルとグレイだったが、流石に動揺を隠せず声を上げてしまう。どうやらこの二人はカルよりも感情の制御が苦手らしい。


 作戦に関わる人員の配置を『観測方陣(オブザーバー)』によって詳細に把握していたジョーカーは、作戦開始前の自己紹介の際に彼ら一人一人の魔力を《魔法の門(マジック・ゲート)》に記憶させていた。


 そのため、素顔を仮面で隠したところで魔力を読めば一瞬で判別ができるのである。


「やはりヴィンセントが言っていた通り、護衛の内部に王子派の刺客が紛れ込んでいたわけか。……そっちのあんたは初顔だな。前のパターンと同じだとすると、雇われの傭兵ってところか」


 アトレイシアの護衛として王女派の作戦に参加し、隙を突いて王女を護衛もろとも殺害。異常を察知した周囲の護衛が駆けつけてきたところで傭兵を逃し、仮面を取っていけしゃあしゃあと自分達も今来たところだと説明する腹づもりだったのであろう。


「全部お見通しってか? 気味悪いな。……オイ大将、何だコイツは?」


 残る一人の纏魔術師がカルに問うが、今の彼に返答を返す余裕はなかった。今回の暗殺で一番の障害になるのはフロード卿だとばかり考えていたカルは、ジョーカーという思わぬ伏兵の存在に完全にリズムを崩されてしまっている。


「こ、こいつが例の魔道師、ジョーカーだ。実力の程は不明だが、噂によるとあの『光輝の女騎士(レディアント・ヴァルキリー)』に勝ったらしい。十分に注意しろ」


 返答に窮するカルに代わり、ダリルが纏魔術師の問いに答えた。王子派にとって、今時作戦で最も未知数な存在、それがジョーカーである。


 何しろ王女の騎士に就任してまだ間もないため情報が少なく、調べたところで騎士になる以前の経歴も不明。常に仮面を着用しているため素顔すら誰も見たことがないというすべてが謎に包まれた男なのだ。いや、そもそも男なのかどうかすら不明だった。


 ただ一つ手に入った情報は、王都最強の纏魔術師と名高いオーレリア・フォン・エデルディアを一対一の決闘で下したというものである。実際に目にした者の数が少なく真偽の程は不明だが、全く根も葉もない噂ということはないだろう。


「へえ……あんたがジョーカーだったのか。噂に聞いた実力、どれほどのものか確かめさせてもらう」


 ジョーカーと言う名に目の色を変えた傭兵の男は、舌なめずりをしながら右手の得物を軽く回転させた。しかし、


「悪いが傭兵に用はない」


 次の瞬間、ジョーカーの姿が揺らぎ、その場から跡形もなく消え去った。まだ生きていた自己加速魔法を起動させたのだ。


「『吸魔(ドレイン)』」


「な……に……?」


 傭兵が背後からの気配に気付いた時には、既にジョーカーの右手が背に触れたあとであった。


「速……すぎる……」


 最後にそれだけを言い残し、激しい脱力感に襲われた傭兵の男は意識を手放した。

 加速(アクセル)と纏魔術の組み合わせにより、人間の動体視力では捉えきれないほどの速さを生み出すジョーカーの戦闘スタイルは一見単純なようにも見られるが、実際は驚くべきほどに繊細な魔力と魔法のコントロールによって実現されていた。


 冷静に考えてみれば簡単な話だが、人間の動体視力では追いつけないほどの速さで動いているということは、裏を返せば動いている本人も自身の速さに視力が付いていけていないということになる。普通、そんな状態で行きたい場所に正確に移動することなど不可能だ。


 いくら常人よりも優れた動体視力を持つジョーカーと言えど、加速(アクセル)のトップスピードには流石に目がついていかない。そこで、それを補助する役割を担うのが、内部に無数の魔法を内包する常駐起動型多重魔法陣――《魔法の門(マジック・ゲート)》である。


 本来、自身の速度を上げる纏魔術や魔法の最高速度は、術者の処理能力の範囲の内に収まるものであるが、《魔法の門(マジック・ゲート)》の存在があるジョーカーにはその常識は当てはまらない。


 ジョーカーが実際にする動作は、到達目標地点とその軌跡を定め、踏み出すだけである。残りの処理は《魔法の門(マジック・ゲート)》内部の『魔法を制御する魔法陣』達による集合システム――制御演(Control・)算処理(Processing)法陣(・Unit)、略してCPUが全て請け負ってくれるため、気付いた時には事前に思い描いた位置へと移動が完了しているのだ。


 自身の意識外で加速、移動、減速、停止というプロセスが着々と行われ、一瞬後には思い描いた場所に立っている。本人の感覚としては、高速移動というよりも瞬間移動という表現のほうがしっくり来るのかもしれない。


「さてと、傭兵には眠ってもらったことだし、そろそろお前達から事情を聞くことにしようか」


 ジョーカーは、揃って無言のまま呆然と立ち尽くす三人の魔道師、カル、ダリル、グレイに告げた。


「か、カル。どうする……?」


「今の動き、全く目で追えなかったぞ……もしかしたら、『光輝の女騎士(レディアント・ヴァルキリー)』の速度を超えていたんじゃないか……? だとしたら、俺達だけであんなのに勝てるのか……?」


「狼狽えるな! 纏魔術だけであんな速度を出せるものか。今のは何かしらのトリックがあったに違いない!」


 あまりに圧倒的なジョーカーの戦闘力を目の当たりにしたせいか、及び腰になってしまったダリルとグレイをリーダーであるカルが叱咤した。


「そ、そうか! そうだよな! 馬鹿正直にあんな速度を出したら姿勢を制御できるはずがない!」


「恐らくは幻惑系の魔法を使ったか、宝具(レガリア)級の魔道具による何らかの補助があったかだろう。後者ならかなり厄介だな」


 戦意を取り戻した様子のグレイに頷きを返し、カルは自身の考えた状況分析をグレイとダリルの二人に小さく告げた。


 カルはジョーカーの高速移動のカラクリが自己加速魔法であることなど考えもしていない様子だが、しかし、彼がそう思い込んでしまうのも仕方がないことであった。何故なら、『生体干渉抵抗力』の存在がある以上、己の肉体を加速させるなどという魔法など使えるはずがないからである。


 ジョーカーは”ある方法”を取ることにより自身の生体干渉抵抗力を無視して自己加速魔法の使用を実現させているのだが、それを知る者はジョーカーを除いてこの場に存在しない。


「……とにかく、種がわからない以上また動かれたら厄介だ、その前に三人で囲んで仕留めるぞ」


 手がかりが少ない現状であまり考えすぎても泥沼になると判断したのか、カルは素早く二人に指示を出した。


 しかし、その横からまだ納得がいかない様子のダリルがおずおずと声を上げる。


「で、でも、囲むって言ったって、あんなに素早く動き回られたら魔法を当てようがないんじゃ……」


「大丈夫だ。この状況なら奴は王女のそばを離れられない。当然、俺達が王女を狙えば、奴はその対応に回らねばならないだろう。後はこちらの数的有利を利用し、手数で押せば押し切れるはずだ」


「……! 確かにそうだ……すごいよカル! その作戦ならきっと勝てる!」


 カルが考案した理にかなった作戦内容を聞き、ダリルはグレイと同様に打って変わって希望に満ちた声を上げる。

 ダリルとグレイは実に単純な性格をしているようだ、と三人のやり取りを横から見ていたジョーカーは心中でそんな感想を抱きつつ、緊張感のない会話を続ける彼らへ割りこむようにして告げた。


「作戦会議は終わったか? あまり悠長にしていると騒ぎを聞きつけた護衛たちに囲まれるぞ」


「た、確かに……さっさとケリをつけて逃げないと、王女を殺せたとしても捕まっちまうぞ」


「焦るなグレイ。俺達の集中を乱す作戦だ」


 三人がかりだろうがなんだろうが、全くもって彼らを脅威と感じていないジョーカーにはそんな気は一切なかったのだが、リーダーであるカルの慎重さが招いた勘違いを訂正することはなく、むしろそれに乗ってしまうことにした。


「まだ未遂とはいえ、一国の王女を暗殺しようとしたんだ。捕まれば極刑は免れないだろう。だが、今すぐ自首してお前達に暗殺を指示した黒幕を吐くって言うなら、今回は特別に刑を軽くしてやってもいい。俺からアトレイシアに頼んでやる」


 彼ら三人を無力化することはさほど難しくないだろうが、戦闘を避けて成果を得られるのであればその方がずっと良い。ジョーカーは出来る限り柔らかい声音を発し、カルら三人に自首を勧めた。


「か、カル……や、やっぱり今から俺たちだけで王女の暗殺を成功させて逃げるのは難しいんじゃないかな? ジョーカーさんもああ言ってくれてるし、おとなしく自首した方がいいんじゃ……」


「馬鹿野郎! そんな奴の口車に乗るんじゃねえ! 仮にそいつを信じて自首したとして、俺達が死刑にならない理由がどこにある? 奴が王女に頼んだところで、そんなのは王女や王女派の奴等に突っぱねられるに決まってるだろうが!」


「グレイの言う通りだ、ダリル。こうして既に行動を起こしてしまった以上、俺たちは今更引き返す訳にはいかない。そうだろう?」


「そうか……そうだったね。……カル、僕も覚悟を決めたよ。次はどうすればいい?」


 グレイとカルの両名による説得が効いたのか、ダリルは先程までの弱々しい態度を引っ込め、覚悟のこもった声でカルに指示を求めた。


 どうやら不戦勝は望み薄らしいと悟ったジョーカーは小さく嘆息し、念のため《魔法の門(マジック・ゲート)》の術式に不備がないか軽くチェックを行う。


「ジョーカー殿、私も助力いたしましょうか?」


 と、その時。半ば傍観者と化していたフロードがジョーカーに近づき、問いかけた。少しは手伝う気があるらしい。


「戦闘には参加しなくていい。俺の魔法は対多数戦に向いているからな、奴等に遅れを取ることはないだろう。あんたはアトレイシアの足を治療してやってくれ」


「戦闘に関しては了解しました。しかし申し訳ないのですが、私は治癒魔法が使えないのです」


「そこは問題ない。アトレイシア自身が治癒魔法を使えるはずだ。あんたはその間の護衛を頼む」


 以前ヴィンセントによって腹に風穴を空けられた際、アトレイシアが懸命に治癒魔法をかけてくれていたことを思い出したジョーカーは、フロードにそのサポートを指示した。

 フロードはジョーカーに頷きを返し、


「彼らの名には聞き覚えがあります。三人とも貴族の家系ではないようですが、高い実力を持つ若手の魔道師だそうです。彼らの連携には注意してください」


 最後にそう言い残すと、ジョーカーの指示に従いアトレイシアの方へと向かって行った。

 そのフロードの背に向かって、ジョーカーは声を返す。


「ああ。あいつらを脅威だとは思ってないが、だからと言って油断するつもりはない。忠告はありがたく受け取っておこう」


 言い終えると同時、《魔法の門(マジック・ゲート)》のチェックを終えたジョーカーは再び襲撃者三人組の方へと仮面の眼窩を向ける。


 敵側の陣営もちょうど話がついたのか、カル、グレイ、ダリルの三名は闘志をみなぎらせ、静かに魔力を練り上げているところであった。


「降伏の意思はなし……か。後で後悔するなよ?」


 闘気を感じさせる三人の魔力の脈動を感じ、もう説得は無駄だろうと見切りをつけたジョーカーは、彼らと同じように魔力を滾らせ戦闘準備を行った。


 膨れ上がったジョーカーの魔力は、カル達三名の魔力を足し合わせたものよりも遥かに膨大な量であった。その事実は、単純な魔法の打ち合いになったとしても、先に息切れを起こすのはジョーカーではなくカル達の方であることを暗に示している。


「……行くぞ、お前ら」


「おう」


「うん」


 それを察せられないほど彼らは未熟な魔道師ではないはずだが、しかし、それでも降伏を選ぶことはなく、三人は揃って金属製の杖の先を標的であるジョーカーに向け、戦闘開始の合図とした。


「どんな方法でも良い、とにかく奴から隙を作り出せ! ――『炎槍(フレイム・ランス)』!」


「吹き飛べ! ――『風槌(エア・ハンマー)』」


「恨むなよ――『氷針(アイス・ニードル)』!」


 カル達の取った作戦は、やはり数の有利を活かした物量戦であった。螺旋状に捻れる炎の槍が、空気で出来た見えざる槌が、鋭く凍った氷の針が、寸分の狂いなくジョーカーへと向かって行く。


 しかしながら、それらの魔法がジョーカーに到達することはない。三者の魔法はどれも練度が高く、精度も申し分ないものであったが、ジョーカーの持つ『異次元空間(ディメンション・ゲート)』の前では無力である。


「またあの魔法陣か……!」


 忌々しげなカルの声を断末魔とし、真正面からジョーカーを射抜く軌道で放たれたカル達三人の魔法は、唐突に現れた青白い魔法陣にあっけなく飲み込まれ、跡形もなく姿を消した。

 魔法の完成度の高さなど無意味だと言わんばかりに、広大な空間へと対象を誘う門はそれらを等しく飲み込み、現実世界から排除する。


 例えそれが目に見えぬ風属性の魔法であろうと、魔力を感知する『観測方陣(オブザーバー)』の補助により正確に位置を特定され、『異次元空間(ディメンション・ゲート)』へと吸い込まれていくのだ。


「――ッ! ……手を休めるな! ――『火球(ファイヤー・ボール)』!」


「クソッ! ――『風槍(ウィンド・ランス)』!」


「これならどうだ! ――『氷雨(アイシクル・レイン)』!」


 先程と趣向を変え、カルは火球を半円を描くような軌道で回りこませアトレイシアへの直接攻撃を狙い、グレイは風の槍を横方向からジョーカーの脇腹を抉る軌道で放ち、ダリルは鋭い氷を逃げ場なく全方位から降らせた。


「無駄だ」


 しかし、常人であれば死を覚悟してもおかしくないほどの集中砲火を浴びるジョーカーは、冷淡な声でそう吐き捨て、その場から一歩も動こうとはしなかった。


 当然ながら、ジョーカーのそれは死を悟っての停滞ではない。この程度の魔法など、わざわざ自ら動いて避ける必要など無いという判断の末の行動である。


 直後、音もなく数十の魔法陣がジョーカーの周囲に出現した。

 現れた魔法陣の数は飛来する魔法の数と全く同じであり、それぞれが『観測方陣(オブザーバー)』によって定められた対象を正確にマークしている。


 そして、『異次元空間(ディメンション・ゲート)』による自動防御態勢が整ったその時、まるでそれを見計らったようなタイミングでカル達の放った魔法がジョーカーへと降り注いだ。


 恐るべき熱量を誇る炎の球も、唸りを上げる風の槍も、大量の鋭い氷の雨も、そのことごとくが青白い魔法陣の中に消えていく。


 そこに例外は存在しない。機械的に展開された『異次元空間(ディメンション・ゲート)』は、たったひとつの取りこぼしもなく、迫り来る魔法の全てを広大な胃袋へと飲み込んだ。


「一体何なんだ……あの魔法は……!」


「……ありゃあ反則だろ」


「こんなの……敵いっこないよ……」


 あまりに圧倒的な実力差を目の当たりにしたカル、グレイ、ダリルの三人は、自分たちの魔法ではジョーカーに傷一つ負わせることができないと悟ったのか、一斉に手を止めてしまう。


「もうお終いか? ……なら、次はこちらから攻めさせてもらおう」


 攻撃の手が止んだことを確認したジョーカーは、感情の窺い知れない平坦な声音でそう告げた。

 今回の襲撃を指示した黒幕の存在を吐かせなければならないため彼ら命を奪うことはできないが、こちら側の通告を無視して攻撃を始めた以上、一応の決着はつける必要があるだろう。


「抵抗しなければ楽に済ませてやる」


 その声をダリルが認識した直後、自己加速魔法により驚異的な速度で背後に移動したジョーカーの右手がダリルの背の中心に触れた。


 結局、また”コレ”に頼ることになるのか、と先程のヴィンセントとの邂逅を思い出し僅かに逡巡するジョーカーだったが、今はそれを考える時間ではないと即座に迷いを断ち切り、右手に意識を集中させる。


「『吸魔(ドレイン)』」


「カル……グレイ……ごめん……」


 ジョーカーの右手に現れた紫色の魔法陣は、敗北を悟り謝罪を口にするダリルから急速に魔力を吸い上げていった。

 吸血鬼が他者から魔力を奪う際に使用するという吸魔(ドレイン)は、《血の十字架(ブラッド・クロス)》を奪われた後のジョーカーにとっては希望そのものであったが、その本来の使用目的を知ってしまった現在では、多少複雑な思いを抱かずにはいられなかった。


 しかし、そのような事実があったところで吸魔(ドレイン)がジョーカーにとって強力な武器であることは変わりはしない。《魔法の門(マジック・ゲート)》が完成した今では、自身で生成することのできない自然魔法の適性を持った魔力を定期的に供給しなければならないため、もはや必要不可欠の存在であると言えるだろう。


 そういった事情が背景にあるため、ジョーカーは精神面での些末な問題で吸魔(ドレイン)の使用を控えるなどという暴挙に出るわけには行かないのだ。


 余計な思考を切り捨て、ジョーカーが次の標的に迫ろうとした直後、宿主の怒りを表すように揺れる魔力の余波を感知し、そちらへと目を向ける。


「ダリル! ……クソッ! ――『風槍(エア・ランス)』!」


 ダリルが倒されたことで激昂したグレイが、乱暴に無詠唱魔法(サイレント・スペル)を放った。先程とは違い精密な制御がなされていないため、渦を巻く風の範囲が広がり槍ではなく竜巻のような形状に変わってしまっている。


 結果として、本来の風槍より殺傷能力は落ちてしまったものの、その代わりに広い攻撃範囲を得ることとなった。ジョーカーには自己加速魔法があるため避けるのは容易いが、その選択をした場合、肥大化した風の渦は進行とともにその範囲を広げ、アトレイシアやフロードを巻き込むだけでなく、周囲の建造物にまで被害をもたらすだろう。


 だからといって、大きく変化した風槍を受け止めるというのも至難の業だ。本来のコンセプトから外れた風の渦は、まるで意思を持っているかのように数秒毎に不規則に形を変えている。これでは、『異次元空間(ディメンション・ゲート)』を使ったとしても一部の風を取り逃し、何かしらの被害を受ける確率も低くはない。


 しかし、そのような危機的状況に置かれているにもかかわらず、ジョーカーは冷静な態度を崩すことはなく、回避や防御という行動すら取ろうとはしなかった。


「ハハハハ! そのまま全部飲み込め!」


 そんなジョーカーの姿を視界に映したグレイは、期せずして逆転の可能性を作り出したことに静かに高揚を覚えた。先程までの小規模な魔法とは違い、今度の風槍は中規模魔法とも言えるほどの大きさまで進化しつつある。これほど範囲の広くなった魔法ならば、先ほどまでジョーカーが使用していたあの得体の知れない『魔法を吸収する魔法陣』でも対処することは不可能だろう。


 しかし、その数瞬後、グレイに生じた小さな希望は一瞬の内に消え去ることとなる。


 目に見えぬ『空気』を操るという風魔法の性質上、肥大化した風槍の体積は肉眼だけでは判断し切れないのだが、ジョーカーはそれを理解していて尚、仮面の奥に笑みを浮かべる。彼は知っているのだ。この場に僅かな魔力の機微すら見逃さない”目”が存在することを。


 次の瞬間、ジョーカーの周囲に展開されていた『観測方陣(オブザーバー)』の正確な情報共有により、対象の規模に見合うよう直径10メイル程の大きさに調整された『異次元空間(ディメンション・ゲート)』が展開され、荒れ狂う風の渦は巨大な魔法陣とともに瞬く間に世界から消失した。


 無論、ジョーカーには愚か、アトレイシアとフロード、その周囲の建物に至るまでかすり傷のひとつすら存在しない。


「そん、な……」


 掠れた声を上げたグレイは、力なく地面に膝をつき、その場に倒れ伏した。自身の放った魔法の行く末を注視するあまり、接近するジョーカーに気付くことができなかったのである。


「さて……後はお前だけだぞ、カル・レナート。まだ抵抗を続ける気か?」


 吸魔(ドレイン)によってダリルの意識を刈り取ったジョーカーは、六人いた襲撃者の最後の一人、敵側の指揮を担っていたカル・レナートへと問いかけた。


「……まさか、新しい王女の騎士がお前のような化け物だったとは……大誤算だったよ」


 ため息をつき、自嘲するような苦い笑みを浮かべたカルは、右手に持っていた金属製の杖を地面に落とし、両手を上げ投降の意思表示をした。


 こうして、何度か危うい状況もあったものの、ジョーカー発案の『おびき出し作戦』は一応の成功を収めたのだった。

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