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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第三章 〜仮面を被りし者〜
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おびき出し作戦

「おびき出し作戦……ですか?」


 きょとんとした表情を浮かべながら、眩い白金の髪を持った絶世の美女、アトレイシアはそう首を傾げた。


「はい。『王女』という餌を使ってアイシャさんを付け狙う王子派の刺客をおびき寄せ、逆に釣り上げてしまおうというわけです」


 アトレイシアにそう返答を返したのは、彼女の二人目の騎士に叙任された謎の男、ジョーカー……もとい、レインハイトであった。


 場所は以前と同じく王城内部のアトレイシアの私室であるため、一応はいつもの黒ずくめの格好をしているのだが、ふたりきりという状況もあってか、トレードマークである白黒の仮面は外されている。そのため、当然だが、レインハイトの声音は普段通りである。


「随分と簡単そうに言ってますが、具体的にはどうやっておびき出すというのですか?」


「そんなの単純ですよ。今までのパターンからすれば、王子派の刺客はオーレリアさんが護衛につくことができない状況を狙って襲撃を仕掛けてきています。なので、今回もそのような情報を王女派内部にそれとなく流しておけば、後は勝手にアイシャさんが外出したタイミングを見計らって手を出してくるはずです」


「それはそうかもしれませんが……しかし、絶対に襲撃されるという保証はありませんよ? 今までだってオーレリアが側にいない状況はままありましたが、毎回襲われていたというわけではないのですし」


 レインハイトがしたり顔で説明する一方、アトレイシアの表情には未だ困惑の色が強かった。


「仕掛けてこないならそれでいいんです。ただ僕たちはその後も何度か同じように情報を流して、ぶら下げた餌に得物が食いつくのを気長に待っていればいいんですから」


 しかし、レインハイトはアトレイシアがそういった反応をするということも織り込み済みだったらしく、言葉巧みに作戦を決行させる方向に誘導していった。


「確かに、聞いた限りでは特に非の打ち所のない作戦に思えますが……でも、本当に問題はないのですか?」


「アイシャさんが不安に思うのもわかりますが、例えどれほど優れた作戦であっても、やはりそれなりの危険はつきものです。ですから、最終的には僕を信用してもらうしかありません」


 そんな言い方をされれば断ることができなくなるとわかっていたにも関わらず、レインハイトはアトレイシアにそう言葉を告げた。


「……わかりました。そこまで言うのでしたら、今回の作戦についてはあなたに一任することにいたしましょう」


 やはりレインハイトが予想した通り、アトレイシアはしぶしぶといった風に諾意を返した。

 だがしかし、それではとレインハイトが具体的な作戦の内容について語りだそうとしたその時、


「――ただし、これだけは約束してください。……その作戦を実行するにあたって、何よりも第一に人命を優先し、その場に居る者全てを守り切ると」


 足早に話を進めようとするレインハイトへ釘を刺すかのように、アトレイシアは強い意思をその瞳に込めながらそう告げた。


「全て、ですか?」


「ええ。あなた自身も含め、作戦に協力するすべての人員をです」


「いくらなんでもそれは無茶ですよ。もちろん最大限の努力はするつもりですが、絶対に安全という保証はできません」


 確かに、レインハイトが持つ《魔法の門(マジック・ゲート)》は、防衛能力が高く、護衛を務めるにはうってつけの魔法である。しかし、レインハイトが言う通り、物事に絶対というものはあり得ないのだ。どれほどに可能性が低かろうと、レインハイトが襲撃者に敗北し、アトレイシアが殺されてしまうという結末も起こり得るのである。


「絶対というものはない……確かにそうなのかもしれません。しかし、それならば私は、レインになら必ず全員無事で作戦を終わらせることができると信じることにいたします。自分を信じろと私に言ったのはあなたなのですから、その発言にはきちんと責任をもってくださるのでしょう?」


「そ、それは……ええと……困ったな」


 うまく丸め込めたと気を抜いたのもつかの間、アトレイシアに切り返され、狼狽えてしまうレインハイト。


「もし、この場でそう誓ってもらえないのであれば、今の話は無しということにさせて頂きます。どちらにせよ何かしらの対策は取らなければなりませんが、それは他に別案を考えれば済む話なのですから」


 やはり一国の王女であるというべきか、瞬く間に形成を逆転させたアトレイシアは、畳み掛けるようにしてレインハイトにそう投げかけた。


「う……わ、分かりました。絶対の保証はできませんが、僕が持てるだけのすべての力を使って、作戦の協力者全員を全力で守り抜くと約束します」


「フフ……それを聞いて安心いたしました。レインが守ってくれるのなら、例え飛竜の群れが襲いかかってきたとしても問題ないでしょうから」


 レインハイトから言質をとったアトレイシアは、朗らかな笑みとともに緊張を解いた。


「……いや、冷静に考えてみたら俺が条件飲まされるのはおかしくないか? これはアイシャさんを守るための作戦なんだし」


「なにか言いましたか? レイン」


「……いいえ、なんでもないです」


 ぼそりと正論をこぼしたレインハイトだったが、一度言い出したら聞き分けがないアトレイシアの性格を思い出し、今回は自分が妥協することにした。


 脳内で考察した結果、条件が発生したことにより多少やりづらくなったのは事実だが、アトレイシアと言い争ってまで抵抗する必要はないと判断したためだ。


 そもそも、先程は作戦の協力者全員だなどと大仰な言い方をしていたが、要は護衛対象であるアトレイシアと、レインハイトの他にアトレイシアを守護する他の護衛を敵の襲撃から守ればいいだけのことである。


 作戦によって釣り出された襲撃者にアトレイシアをいかにも“襲いやすそう”に見せかけるためにも、あまり大多数の護衛をつけるわけにもいかないだろう。


 よって、護衛は少なくともレインハイトの他に一人、多くても五人以下程度の人員しか派遣されないはずだ。そのくらいの人数であれば、誰かが『観測方陣(オブザーバー)』の範囲から外れでもしない限り守り切ることは可能である。


「さて……ではアイシャさんの了解も得たことですし、そろそろ詳しい作戦の内容と、決行する日時を決めていきましょうか」


「はい。では、そちらに関してはレインに主導してもらうとして……代わりと言ってはなんですが、レインの他に同行する護衛の人選は私に任せて頂けますか?」


 またも流れるように発生した交換条件に一瞬目を白黒させたレインハイトだったが、要求を飲むことで生じるリスクよりも、それを突っぱねることでアトレイシアの機嫌が悪くなってしまうことを恐れ、仕方なく首を縦に振ることにした。


「わかりました……ですが、条件をつけるのはこれで最後にしてくださいね」


 もっとも、レインハイトが護衛の人選を任されたところで王女派に所属して間もない現在の状況ではまともに選抜などできないだろうが、しかし、作戦を主導する立場としてはあまりアトレイシアにペースを握ってもらいたくはないというのが心情である。


「ええ、最初からそのつもりでしたので安心してください」


 人差し指を唇に添えながらいたずらっぽく笑い、アトレイシアはそう答えた。


「最初から」とは、恐らくレインハイトがこの作戦を持ちかけた時点からという意味だろう。まさか護衛対象が自ら条件を提示してくるなどとは思っても見なかったレインハイトは、いとも簡単に二つもの条件を飲まされてしまったというわけだ。


「……全く……とんでもないお姫様だ」


「先程から独り言が多いですよ、レイン。なにか気になることでもあるのですか?」


 小首を傾げ、可愛らしく問うアトレイシア。あえて聞こえないふりをしているのか、それとも本当に素で言っているのか判断しがたい。


「すみません、アイシャさんがどんな人を護衛に選ぶのか気になっただけです。……ああ、当然ですがオーレリアさんは作戦に関わらせないでくださいね」


「それはもちろんです。オーレリアほどの戦力が使用できないのはかなりの痛手ではありますが、彼女が護衛に付けば『おびき出し作戦』の根本が崩れてしまいますからね。そこに頭がまわらないほど愚かではありませんよ」


「一応念の為に確認しただけです。気を悪くしたなら謝ります」


 むう、とわざとらしくむくれ面で抗議してくるアトレイシアに、あくまで冷静に対処するレインハイト。先ほどの言い分からすればもうアトレイシアからの要求は終わりということだが、それでも未だ油断はできないという気持ちの現われである。


 こう見えて、レインハイトは非常に用心深い性格なのだ。


「冗談ですよ。本気になさらないでください」


 そんなレインハイトの様子を観察したアトレイシアは、調子に乗って少しいじめすぎてしまったかしら、と胸中で少々反省しつつそう言うと、続けて、


「……さて、ではそろそろ例の作戦についてお聞かせ頂けますか? レインのことですから、既にある程度内容は固め終わっているのでしょう?」


 と、レインハイトに合わせるように真面目な顔つきで尋ねた。


「ええ、まあ。……あまり買いかぶられるのは困りますが、作戦の立案者として最低限のことはしてきたつもりです」


 その碧眼に何もかもを見ぬかれているような気がしたレインハイトは、自分がひた隠しにしている特殊な魔力についての秘密もいずれ見透かされてしまうやも知れない、と若干背筋を凍らせつつ、しかしそれをアトレイシアには気取られぬように必死に平静を保ちながら作戦内容を事細かく伝えていった。


「……なるほど、レインの能力に頼り過ぎなような気もしますが、確かにその作戦ならばほとんどリスクを負わずに王子派の刺客を釣り上げることができるかもしれません。しかし、本当にその……おぶなんとかという術に死角はないのですか?」


「はい、『観測方陣(オブザーバー)』に死角はありません。範囲外からの遠距離攻撃はもちろん、範囲内に突如として攻撃魔法が発生しても即座に無力化することができます」


「そうですか……確か、以前私を火炎魔法から救ってくれたのもその術なのですよね?」


「ええ、まあ……」


 自分が殺されかけたというあまり思い出したくない記憶であるはずなのに、何故かうっとりとした表情で訪ねてくるアトレイシアになんとも歯切れの悪い返事をするレインハイト。


(その解釈でも別に間違ってはいないけど、正解ってわけでもないんだよな……)


 確かにアトレイシアを魔法から守ったのは『観測方陣(オブザーバー)』の力ではあるのだが、しかし、厳密に言えばその魔法単体の功績というわけではないからだ。


 術者の周囲に張り巡らされていた『観測方陣(オブザーバー)』が敵からの攻撃を察知し、それに応じて様々な魔法を管理・制御する《魔法の門(マジック・ゲート)》が『異次元空間(ディメンション・ゲート)』を適切な形で自動展開し、魔法を飲み込む。少なくとも、あの現象にはその三つの魔法が関わっていたのである。


 だが、アトレイシアにそれを馬鹿正直に説明するわけにもいかないため、レインハイトはああいった微妙な反応をしたというわけだ。


 確か以前その辺りの事情を少し説明した気がするのだが、恐らくアトレイシアには《魔法の門(マジック・ゲート)》や『異次元空間(ディメンション・ゲート)』、『観測方陣(オブザーバー)』の違いがわかっていないのだろう。


「あの魔法が守ってくれるのでしたら、万が一が起きることはなさそうですね。通常の魔法と違って、レインの魔法には“危うさ”が全く感じられませんから」


「褒めてもらえるのは素直に嬉しいんですが……何度も言っているように、過信は禁物です」


 そう返しながら、レインハイトはアトレイシアの勘の良さに心中で舌を巻いていた。

 先ほどの少々的外れな発言で少し気を抜いていたものだから、危うくボロを出すところであった。これだからアトレイシアには油断ができないのだ。


 レインハイトの使用する《魔法の門(マジック・ゲート)》に格納されている魔法の数々は、そのほとんどが術者であるレインハイトではなく“魔法を制御する魔法”によって管理されている。


 そのため、通常の魔法とは違い、一切の無駄なく機械的に効力を発揮するのである。


 一言で言い表すならば『自動制御魔法』とでも表現するべきだろう。


 故に、直接魔法の制御をせずに済む術者本人の負担は通常時よりも驚異的なまでに軽減され、更に、いかなる精神状態であろうとそれに関係なく安定して魔法を作動させることができるのだ。


 因みに、これは速記魔法(ショート・スペル)にも使われている技術である。


 アトレイシアの言う“危うさ”とは、恐らくそのことを指しているのだろう。目の前では数度しか自動制御魔法を見せていないというのに恐るべき洞察力である。


 魔法の鍛錬はたしなむ程度しかしていないとのことだが、ともすれば、アトレイシアの魔法における天性の才は『観測方陣(オブザーバー)』を察知したフロード以上なのかもしれない。


「わかっています。……レインは意外と警戒心が強いんですね」


「ただ臆病なだけですよ」


「あなたが臆病者なら、どうして私を二度も助けたりしたんですか?」


「あれは体が勝手に動いただけです」


 素っ気ない返答をするレインハイトにアトレイシアはくすりと笑みをこぼすと、


「では、そういうことにしておきましょう。今度の作戦の時も、もしまた私が襲われたら助けて下さいね?」


 と、いたずらっぽく問いかけた。一見ふざけているようにも見えるが、しかし、その瞳の奥には確かな信頼の熱が篭っている。


 そんなアトレイシアに対し、レインハイトは、


「まあ、少なくとも給料分の働きはするつもりです」

 真剣に返答することはなく、最後までそうはぐらかしたのだった。



    ◇



 それから約一週間後。集合場所にて行われた短時間の最終確認を終えたジョーカーは、


「……で、なんであんたがここに居るんだよ」


 と、うんざりとした調子で呟いた。


「おや、アトレイシア様から直々のご用命に従いこうして護衛に馳せ参じただけなのですが、ジョーカー殿は何が気に食わないのですか?」


 わずかに口角を上げ、余裕のある笑みでジョーカーにそう問うのは、目元を仮面によって隠した長身の男である。


 その正体は、アトレイシアを支持する王女派に所属する魔道師、フロード卿だった。


 今回の作戦の協力者だという十数名の騎士たちは、先ほどの最終確認が終了した後にそれぞれの担当区域へと散っていったため、現在この場所に立っているのはジョーカーとフロードだけである。


 お前の存在が気に喰わないんだよ、などと高名な貴族に向かって正直に言うわけにもいかず、ジョーカーはフンと鼻を鳴らし、上から覗き込むフロードから視線を逸らした。


「……アトレイシアはどこだ?」


「あそこの馬車の中で休んでおられます。まだ作戦の決行時間には少しありますので」


 そう言って、フロードは自分達に背を向けるようにして停車している馬車を指差した。


 基本的には木材によって作られているが、いたるところに金属によって装飾があしらわれており、見るからに高級そうな馬車である。


「具合でも悪いのか?」


 馬車の窓から覗く白金の後ろ髪を一瞥し、ジョーカーはフロードに問うた。


「アトレイシア様も一人の女性ですから、そういった日もあるでしょう」


「……? よくわからないが、放っておいていいのか?」


「ええ。むしろ下手に刺激しないほうがよろしいかと」


 アトレイシアの状況はよくわからないが、ジョーカーはやけに手慣れた様子のフロードを仕方なく信じることにした。


 心配していないわけではないが、今は作戦の状況確認を進めるほうが優先なためだ。


「そうか。……あんた以外の護衛はどうなっている?」


「周囲の町民に紛れさせています。先ほど簡単に紹介させていただきましたが、武装した纏魔術師では警戒されてしまう可能性がありますので、今回は魔道師のみの編成です。……詳細な配置は――」


「三時と八時の方向にいる者の気配消しが甘いな。これでは敵に警戒される、下がらせろ」


 周囲の護衛について詳しい状況を伝えようとしたフロードを遮り、ジョーカーは端的にそう告げた。


「……驚きましたね。この距離でわかるのですか?」


「ああ、先ほど顔を合わせた時に全員の魔力を“記憶”したからな。他の奴らの位置も把握できるが、まあ及第点だ。撤収させるのは今指摘した奴等だけでいい」


 平然と言い切ったジョーカーは、話はそれで終わりだとばかりに腕を組んで黙り込んだ。


 そんな愛想のない黒ずくめの男を眺めながら、フロードは仮面から覗く目を見開き、ジョーカーのすさまじい魔力感知に静かに震えていた。


 実を言うと、先ほどジョーカーが指摘した八時の方向にいる魔道師は、ジョーカーの実力を試そうとフロードがあえて配置した魔道師団の新人であったのだ。


 まだ魔法学院を卒業して間もない実戦経験ゼロの魔道師なため、完璧に気配を消せないのは当然である。

 ジョーカーが指摘しなかったところで、作戦に参加させるつもりもなかった。


 その人物の気配に気づいた点に関しては、別段驚くべき要素はない。距離も現在の地点からそう遠くないため、フロード程の実力があれば容易に感知できるからだ。


 そう、真に驚愕すべきは、ジョーカーが三時の方向にいる魔道師の気配を察知した点についてである。

 その魔道師は、確かに他にいる護衛の魔道師よりも気配の消し方が下手であった。


 故に、フロード自身がその存在を全く感知できないほどまでに距離を離した位置に配置していたのだ。


 加えて、ジョーカーは先ほど「他の奴等の位置も把握できる」と発言している。


 事前に何のやり取りもなくその言葉を聞かされていれば、いくらオーレリアを下した魔道師の発言とは言え鵜呑みにはできなかっただろう。


 しかし、フロード本人にさえ現在の地点からは感知することのできない魔道師の位置をジョーカーが把握できているという事実がある以上、その言葉の信憑性は非常に高い。


 実際、今ジョーカーに感知した護衛の位置を尋ねてみれば、すぐさま正確無比な配置情報がもたらされるだろうという確信がフロードにはあった。


「……わかりました。すぐに指示を出して参りましょう」


 全身に駆け巡る戦慄を必死に抑え隠しながら、フロードはそう一言だけを告げ、近くに控えさせている伝令係の魔道師の元へと指示を伝えに歩き出した。


「意外と素直だな……」


 返答を返すまでの間にフロードが必死に熟考していたとはつゆ知らず、多少ゴネられると覚悟していたジョーカーは拍子抜けして一人そう漏らした。


 話し相手であったフロードが伝令を伝えに席を外してしまったため、少々手持ち無沙汰になってしまった。個人的にはいけ好かない男ではあるが、もう少し作戦に向けて情報を共有しておきたかったというのは事実である。


 というわけで、現時点では作戦の開始時間までにはあと僅かに余裕があった。


 さて、これからどうしたものかと軽く周囲に視線を巡らせたジョーカーだったが、アトレイシアの乗っている馬車を視界に収めると、フロードから放っておけと助言されたにも関わらず、特に迷いなく馬車に向かって歩み出した。


 無論、アトレイシアの体調不良を気にしていないわけではないが、挨拶ぐらいはしても構わないだろうと考えたのだ。


 程なくして豪奢な馬車へと到着したジョーカーは、客室の扉に軽く二度拳を打ち付け、


「ジョーカーだ。フロードから体調がすぐれないと聞いたが、具合はどうだ?」


 と、室内で腰掛けるアトレイシアへ声をかけた。馬車を操る兵士や周囲の市民の視線があるため、今回はジョーカーとしての口調である。


「……ご、ご苦労様。作戦までにはなんとかす……いたしますので、少し一人にしておいて頂けませんか?」


 若干の間を空けて返ってきた声は、いつも聞いているアトレイシアのものとは少し違う気がした。


 締め切られた室内で音が反響しているせいか、もしくは本格的に具合が良くないのかもしれない。


「本当に大丈夫なのか? あまりに辛いというなら観測()てやることもできるが」


 アトレイシアの体調不良の原因がどういったものかは分からないが、以前襲撃者の嘘を見ぬくために使用した魔法を発動すればすぐに判明するはずだ。


 当然のことだが、あの魔法は対象の嘘を見抜くためだけの機能しか備えていないわけではない。


「い、いえ……大丈夫です。お気になさらず」


「ならいいが……あまり無理はするなよ」


 しかし、残念ながら王女からの許可は出なかったため、ジョーカーはひとまずは引き下がることにした。


 体調不良で作戦に支障をきたすような事態になっては目も当てられないのだが、かといって頑固な性格のアトレイシアを強引に治療してへそを曲げられても困るのだ。


「……そろそろ時間だ。俺は配置に戻るが、何かあったら遠慮なく呼んでくれ」


「ありがとうございます。ジョーカーもお気をつけて」


黄金の円環(ドラウプニル)》から表示された時計を確認し、ジョーカーはアトレイシアの説得を断念した。


 このまま作戦を実行するのには不安が残るが、しかし、かといって万全の状態を待っていられるほどの余裕はないのだ。


 指令を伝達しに行ったフロードが戻り次第目的地に出発することにしよう、とジョーカーが考えていたその時、タイミングよく背後から気配が近づいてきた。


「ジョーカー殿、お待たせしました。伝令を飛ばしてきましたので、先程指示された者達は既に作戦区域から離脱しているはずです」


 フロードの報告を受け、ジョーカーは確認のため今一度周囲の兵士たちの気配を探った。

 どうやらフロードの指令はうまく伝わったようだ。先刻目立っていた二つの気配が現在地から徐々に遠ざかっていくのが感じられる。


「よし、では予定通り作戦を始める。馬車を出せ」


 御者を務める兵士にそう命じると、ジョーカーは指示通り動き出した馬車に追従するように歩き出した。無論、フロードもそれに習い歩行速度程度でゆったりと進行する馬車に続く。


「目的地までは二、三十分程度か……うまくかかってくれると良いが」


「おや、意外と弱気なのですね。今回の作戦はジョーカー殿が考案したものだと聞いていますが、何か心配事でも?」


「ただ単に空振るのが面倒なだけだ。あんただってそう何度も“護衛ごっこ”はしたくはないだろう?」


 意外そうに首を傾げるフロードだったが、ジョーカーの返答を聞いて得心がいったのか、頷きを返した。


「確かに、獲物がかかるまで何度も釣り糸を垂らすというのは心身ともに堪えるかもしれませんね。弱気という発言は撤回致します。もっとも、私は美しい王女様の護衛でしたら何度でも請け負いたいところですが」


「そりゃご苦労なこった。お陰で俺にもアトレイシアがあんたを騎士に任命したがらなかった理由がわかってきたよ」


「アトレイシア様がそんなことを……? 私、何か失礼なことでもしましたかね……?」


「さあな」


 おろおろと狼狽え始めたフロードにすげなく返答したジョーカーは、しばし無言を貫き、この会話はこれで終了だと態度で現した。


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