仮面の男 後編
次の瞬間、オーレリアが目では追い切れないような圧倒的なスピードでレインハイトに向けて駈け出し、懐に入り込んだ。彼女の持つ金髪がその後を追い、桃色の光線を描く。
「ふッ……!」
正面、上段から振り下ろされる小手調べの一撃。しかし、慣性の乗ったその斬撃は重く、纏魔術によって強化された肉体から放たれるそれは、女性だからといって油断していると一発で試合が終了してしまいかねない威力を持っていた。
だが、レインハイトは回避行動を取ることはせず、練纏によって自身の肉体と剣を強化し、正面からオーレリアの剣撃を受け止める。そして、自身の武器である人間離れした腕力を発揮し、10センチメイルほど体格の勝るオーレリアを強引に押し返した。
「むっ……!?」
全力ではないとはいえ、まさか自分が押し負けるとは思っていなかったのだろう。オーレリアは怪訝そうに首を傾げ、レインハイトの仮面を睨みつけた。
「……もう終わりか?」
「ッ! 舐めるなッ!」
今度こそ、オーレリアは全力を持って仮面の男を排除することを決定した。手に握る《ラディウス》に魔力を流し込み、その“真の力”を開放する。
魔力を受けた黄金の剣、《光剣ラディウス》の刀身に描かれた模様が光を放ち、持ち主の身体能力を増強する特殊な力、『強化』が発動した。既にかけられていた練纏による肉体の情報強化に加え、オーレリアのパワーとスピードが更に一段階上昇し、ついに周囲で観戦する兵士たちはその姿を捉えられなくなった。
「ハァッ!」
レインハイトの右脇を狙い、急速に接近したオーレリアが横薙ぎの一閃を放つ。一応剣の腹を向けているようだが、それでも当たればただでは済まないだろう。
(……これで終わりだ)
『強化』を使用した自分に対応できる人間などそうそう居るものではないが、所詮はこの程度か、とオーレリアは胸中で落胆する。
しかし、次の瞬間。振りぬかれる《ラディウス》を遮るように銀色の剣が視界に現れたことにより、オーレリアは水色の双眸を大きく見開いた。金属がぶつかり合う甲高い音が練兵場に響いたかと思えば、突進の勢いを受け流された自身の体が黒ずくめの横を通り過ぎて行く。
驚くべきことに、仮面の男は限界まで肉体を強化した自分の一撃を凌いだのだ。そう理解するとともに、オーレリアは崩れた体勢を即座に修正し、レインハイトから距離を取った。
(受け流しとはいえ、棒立ちな上に片腕で私の剣撃を凌ぐとは……何という腕力……!)
口だけではなかったということか、と仮面の男の実力に少々驚嘆しつつも、オーレリアは足を止めることはなく次なる攻撃へと移行した。
「セイッ! ハッ! やァッ!」
正面から、左右側面から、背後から、レインハイトに向けて圧倒的な速さかつ縦横無尽な剣撃が迫る。しかし、人間の反応速度などとうに超過した速度を誇るオーレリアの攻撃を、まるで見なくともそこに剣が振り下ろされることがわかっているかのように、レインハイトは的確な位置に直剣を滑りこませ、ことごとく斬撃を受け流し続けた。
「くッ……!」
それに苛立ったオーレリアの攻撃は更に激化していくが、あと僅かで黒ずくめの体に刃が届くかという瞬間、そのタイミングを見計らっているかのように、レインハイトは黄金の剣閃をギリギリで防御していく。
次第に速度が増していくオーレリアに対し、防戦一方のレインハイトは少しづつ余裕がなくなっているように見えるが、頭に血が上ったオーレリアはそのことに気付かない。仮面によって焦燥した表情を隠せているというのもそれを手伝っているだろう。
(流石オーレリアさん、とんでもない速さだ……こりゃ『観測法陣』の補助なしじゃ一太刀も防げそうにないな……)
直撃の寸前で斬撃を受け流す度に冷や汗を垂らしつつ、レインハイトは自身の周囲に展開されている術式に意識を集中する。
ここ一年半、レインハイトは魔法学院の生徒会長であるエリナの付き人、ユリウスと手合わせすることで魔法の研究と平行して纏魔術の鍛錬も行ってきたつもりだったが、今の数度の打ち合いで、目の前の麗人がその遥か上を行く実力を持った纏魔術師であることを嫌というほど理解できた。恐らく、最初から纏魔術のみでオーレリアに挑んでいた場合、今こうして地に立っていることはできなかっただろう。
(……っと、次は右斜め後ろからの斬り上げか)
術式から送られてきた感覚にほぼ反射的に従い、レインハイトは振り返りざまに自身の剣を踊らせ、情報と寸分たがわぬ位置に現れたオーレリアの斬り上げを受け流した。
『うおぉぉぉおおおおお!』
まるで手品のようなその剣さばきに、周囲の兵士たちが沸き立ち、もう何度目になるかわからない感嘆の声を上げる。既に充分すぎるほどの試行回数が稼がれているため、いっそ芸術的とも言えるその受け流しにまぐれだ何だと文句を付ける者はいなくなっていた。
(今度は左側面からの横薙ぎ、その次は正面からの斬り下ろし。……それにしても全く隙がないな……これじゃあいつまでたっても反撃ができない)
明らかに死角であるはずの位置からの攻撃に対し、レインハイトは流れるように剣を振り、そのことごとくを見事に弾いていく。
「すっげぇ! あの黒ずくめ、後ろに目でも付いてんのかよ!」
「本気を出したオーレリアさんの猛攻を……なんてやつだ……!」
「こりゃ本当に、ひょっとしたらひょっとするかも知れねえぞ……」
生意気な仮面の男が気に食わず、最初こそオーレリアに味方していた兵士たちだったが、今となってはそんな些細な事に囚われる者はなく、ただ純粋に試合を楽しむだけであった。
「クソ……いったいどうなっているのだ……ッ!」
「フッ……女がそんな汚い言葉を使うのは良くないぞ」
「ッ! そうやっていつまでも馬鹿にしてッ!」
一旦足を止めたオーレリアだったが、レインハイトの挑発を受け再び攻撃を再開した。完全に頭が沸騰しており、先程から直線的な攻撃ばかりになっているのに気付いていないようだ。
(よしよし、やっぱりオーレリアさんは怒ると単調な攻撃が多くなるみたいだ。……いくら術式の補助があるとはいえ、流石にあの速さでフェイントなんてされたら剣で防ぐのは無理だからな……)
そう、レインハイトは、ただ単にオーレリアに対して挑発を繰り返してきたわけではなかったのだ。あえて相手を怒らせるような言動をすることにより、オーレリアに冷静な判断をさせる時間を与えないという立派な作戦なのである。
もっとも、作戦とは関係のない試合前の会話でも流れるように相手を挑発する言葉が口から出ていたわけだが、本人はその事実を都合よく忘れているらしい。
(……今度は後ろか)
術式から流れ込む感覚的な情報を頼りに、レインハイトは素早く振り返り、
「はああッ!」
咆哮とともに力任せに放たれたオーレリアの突きの先端に直剣を合わせ、数歩後ろに下りつつ軌道をずらした。その左腕に装着された《黄金の円環》が淡く微弱な光を放っていることに、いったいどれほどの者達が気づいているのだろうか。
レインハイトの周囲をぐるりと囲み、その範囲を常に監視する常駐起動型魔法、『観測法陣』。他者に悟られぬよう展開されたその魔法陣は、“他の術式”によって隠蔽されているため視認することはできない。
この見えざる魔法こそが、術式の範囲内に入り込んだオーレリアの情報を観測し、レインハイトへと即座に伝えていたのである。
(次は左……その次は右斜め前)
半径5メイルという、通常時の倍である戦闘時用の観測範囲によって、目で追えないほどの高速移動を行うオーレリアの捕捉を術者に変わって行い、『観測法陣』は誰にも悟られることなく敵の位置をレインハイトに示し続けた。
それはまさしく、術者の死角を見通す第二の目とも言える魔法だろう。
「いつまでも防御ばかり……遊んでいるつもりかッ!」
「その言い分だと、遊ばれているのはあんたということになるが」
「口の減らないガキが!」
そう言葉を交わし合う最中も試合は進行しており、両者の間では、幾度と無く黄金の剣と銀色の剣が舞い踊っていた。
(そうは言われても、こっちはこっちで必死なんでね……)
胸中でぼやき、レインハイトは必死にオーレリアの剣撃を弾く。本人には遊んでいるつもりなど全くなく、オーレリアの予想以上の猛攻のせいでなかなか攻撃に移れないことに歯噛みしていた。
(……これだけ見物人が居る中で速記魔法は使いたくないし……でも、いつまでもこのままだと勝ち目がないな)
一時も休まずに剣を振り続けているというのに、オーレリアには疲労の色が全く見られない。女性の身でありながら恐ろしい体力である。これではスタミナ切れは望めないだろう。
(少し魔力がもったいないが……この際仕方ない、“アレ”を使って隙を作らせてもらおう)
と、レインハイトが何やら決心したその時、
「ハァアアアッ!」
裂帛の気合と同時に、正面に現れたオーレリアから横薙ぎが放たれた。
『観測法陣』の情報を頼りに剣を合わせようとしたレインハイトだったが、黄金の剣を弾くのに充分な勢いを持つよりも僅かに早く、オーレリアの持つ光剣が銀色の剣に到達した。
ついに、レインハイトがオーレリアの速度に追いつけなくなった瞬間である。
「チッ……」
慣性も乗らず、衝突の角度も不十分なレインハイトの《ロイ・ソード》は、今までとは違う鈍い音を立てたかと思うと、振り抜かれる《ラディウス》に逆らわずに弾き飛ばされ、離れた位置で祈るように手を組み合わせていたアトレイシアの近くの地面に突き刺さった。
「貰ったッ!」
防御技術だけは一流だったと認めるが、それもその手に得物がなければ意味のないことだ。丸腰となった仮面の男に勝ち気な笑みを向け、前方へ突進するオーレリアは両手に握る《ラディウス》へと意識を集中した。
己と剣に魔力を送り込み、その双方の情報を内側から強化する纏魔術、錬纏。黄金の剣――《ラディウス》に流れ込んだ高圧の魔力が外へと溢れ出し、その姿を変質させ、眩い光を放つ。まるでオーレリアが『光』そのものを操っているかのようだ。
大量の魔力を一箇所に凝縮していくと、術者が何の操作も加えなくとも魔力自身が勝手に変化をする。その現象を、纏魔術使いの間では『変異』と呼ぶ。ただの錬纏だなどと侮ること無かれ、『変異』を経た纏魔術は、その時点で全く別次元の威力を宿すこととなる。
オーレリアが『光輝の女騎士』と呼ばれる所以となったその技の名は――錬纏式変異剣術、『光刃閃』。彼女の手に握られた《ラディウス》は絶えず輝き続け、周囲の空気を焼き焦がす。
――その姿、まさに光剣。
「セァアアアアッ!」
毛ほども乱れのない構えから斜めに振り下ろされる黄金の剣を捉え、レインハイトはそれをしっかりと自身の目に焼き付けた。
もはやオーレリアに峰打ちをする気は無いらしく、《ラディウス》の刃を正面にいるレインハイトに向け、その身を断ち切ることに僅かな呵責すら抱いていないようだ。
あんなものをまともに受ければ、いくら丈夫なレインハイトと言えど真っ二つになるのは必至である。当然、オーレリアもそれをわかっているだろう。つまり、彼女はレインハイトを殺す気なのだ。
「フ……」
仮面の男としては今日が初対面だというのに、ひどい嫌われようだ。そんなことを頭の片隅で考えながら、小さく笑ったレインハイトは起死回生の一手を打った。
自身の目前に迫る黄金の剣を見据え、直視し続ければ目が焼かれかねない光を“自動展開”された遮光魔法で減衰しつつ、己の周囲に常時展開してあるもう一つの魔法を起動する。
瞬間、仮面の男――レインハイトから莫大な魔力が放出され、剣を振り下ろすオーレリアは息を呑んだ。隙が見えたため安易に飛び込んでしまったが、もしや罠だったのではないかという疑念が芽生える。しかし、すでに壮絶な勢いのついた自身の両腕を止めることはもうかなわず、オーレリアにはただその嫌な予感が杞憂であることを祈る他なかった。
正面から《ラディウス》の放つ光を浴びているはずなのに、その奥に潜んでいるはずの眼を晒すことのない仮面の眼窩を睨むオーレリアは、その時、ある異変に気づく。
(……何だ? 赤い魔法陣……?)
仮面の男の足元、そこに赤く光る魔法陣が突如として現れたのだ。だが、それがいったいどういった効果を持つ魔法なのか、あまり魔法に詳しくないオーレリアには一切理解できない。見たところ目立った変化がないというのも不気味である。
回避行動を取る気配なくその場に直立する黒ずくめの男、詠唱も無しに展開された謎の赤い魔法陣、何ら変化のない自身の前の景色、にもかかわらず襲い掛かってくる強烈な圧力、男の左手首で強い光を放つ《黄金の円環》、先程から警鐘を鳴らし続けている自分の直感、
「ァアアアアッ!」
それら全ての雑念を振り払うように、オーレリアは自身に託された光り輝く黄金の剣、《ラディウス》を振り抜いた。その直後、
ガキン! と、金属が石壁に叩きつけられたかのような音が鳴り響くと、まるで堅牢な城壁に直接剣をぶつけたかのような衝撃が両腕に伝わり、何故か振り下ろしたはずの《ラディウス》が、時を巻き戻したのかのごとく自分の頭上へと振りかぶられていた。
(……まさか、弾かれた……のか……?)
両腕の痺れに無様に仰け反った自身の体、破壊すべき対象に辿りつけず光が弱まった《ラディウス》。そして、五体満足でその場に立ち尽くす仮面の男。これらの状況から鑑みれば、そう考えるのが最も自然だろう。
しかしオーレリアは、自分の持つ最高威力の技である『光刃閃』が、こうも容易く防御されたなどとは信じられない……いや、信じたくはなかった。
それに、よく考えてみればおかしいのだ。《ラディウス》を振り下ろした瞬間も、先程の不可思議な衝撃の際も、オーレリアは水色の双眸を見開き、仮面の男を睨み続けていた。無論、一度も瞬きをせずにだ。その際、目の前に壁のようなものなど一瞬たりとて現れなかったし、仮面の男の両手は素手のままだ。にもかかわらず、現に自分は剣閃を弾かれ、大きく体勢を崩している。
ならば、詠唱も無しに目に映ることのない壁でも現れたというのか。
馬鹿な。いくらオーレリアが魔法に疎いとはいえ、そんな都合の良い魔法が存在しないことくらいは知っていた。当然、通常の防御魔法や目に見えない風魔法であっても、『光刃閃』ほどの斬撃を防ぎ弾くのは不可能だろう。
だが、仮面の男の足元に赤い魔法陣が見えた以上、何らかの魔法が発動したのは確かである。それが一体何だったのか、その答えを知るのは、きっとあの仮面の男だけに違いない。
「『開門』――《アサシン・ナイフ》」
未だ剣を振りかぶるようにして仰け反ったままのオーレリアは、疑問を解消するために躍起になる思考の中、仮面の男が何やら呪文のような言葉を呟いたのを耳にした。
すると、それに応えるように男の右手に青白い魔法陣が現れ、一秒と経たぬ内に消滅した。聞いたこともないおかしな詠唱法だったため、もしや魔法の発動に失敗したのかと眉間にしわを寄せようとして、そこでようやくオーレリアは気づいた。
魔法陣が消えた男の右手に、いつのまにやら金属製のナイフが握られている。
(虚空から武器を召喚した……?)
一瞬の内に理解不能な出来事が立て続けに起こり、オーレリアはそろそろ頭がパンクしそうだったが、流石に次に起こるだろう事態は予測できた。
ナイフを持った仮面の男が、前方にいる隙だらけの自分に向かって駆けてくる。先程から何故こんなにも時間の流れが遅く、自身の思考だけが加速しているのかが気になっていたが、その理由もいい加減想像がつくというものだ。
きっと、自分はこのいけ好かない仮面の男に殺されるのだろう。
直前まで自分も彼を殺そうとしていたのだから、そうなるのは当然の帰結である。死の直前であるためにこうも世界の流れが遅く、唯一自分の頭だけが目まぐるしく回っているというわけだ。
仮面の男から喉元に向けて突き出される鋭利なナイフの切っ先を見つめ、オーレリアは己の愚かさを自嘲した。強さがどうの、王女の騎士がどうのと散々偉そうに講釈をたれたが、本当にアトレイシアの騎士に相応しくないのは、他でもない自分だったのかもしれない。
そう考えてみれば、アイオリア最強の纏魔術師などと思い上がっていたツケが回り、王女の騎士として任務を行っている最中に何か取り返しのつかない過ちを犯すよりも、こうしてこの場で無様に散ってしまったほうがこの国の、アトレイシアのためにもなる。後顧の憂いを断つためにも、自分はここで死ぬべきなのだ。
その瞬間。『光輝の女騎士』、オーレリア・フォン・エデルディアという剣は、仮面の男の手によって真っ二つにへし折られた。
剣士でもなく、騎士でもなくなった少女は、両の眼を閉じ、一人の人間として人生の終わりを待ち続ける。しかし、
「おい……いい加減に目を開けたらどうだ」
待てども待てども訪れない終焉に疑念を抱き始めた頃、オーレリアの耳に、黒ずくめの男の声が届いた。まぶたを閉じているためさっぱり状況が理解できず、声に促されるまま反射的に目を開ける。
そこには、こちらの喉元にナイフを突きつけた状態で静止する、仮面の男が立っていた。
「さて、では聞くが、この戦いの勝者はどっちだ?」
呆然としたオーレリアは、緩慢な動作で周囲を見渡した。いつの間にか先程までの熱狂は鳴りを潜め、唖然とした表情で両者を見つめる騎士たちや、祈るように手を組みながら心配そうにこちらを窺うアトレイシアの姿が見て取れる。
ようやっと、それらを確認したところで、オーレリアは自分が未だ生きているのだということを把握した。
「……負けを認めよう。貴様の勝ちだ」
「よし、それじゃあ勝負はこれで終了だ。……『閉門』」
悔しげに顔を歪めるオーレリアの口から勝敗を聞き出したレインハイトは、『開門』で取り出した物を『異次元空間』へと再度戻す術式を起動し、手にしていたナイフを現れた魔法陣の中に放り込んだ。
(ふう……やっぱりかなりの魔力を持って行かれたな。……それにしても、あの時のナイフを保管しておいてよかったぜ)
一月ほど前に起こった王女襲撃事件。その際、レインハイトは傭兵の襲撃者から投擲されたナイフを『異次元空間』内に飲み込んだ。それこそが、先程オーレリアの首元に突きつけたものの正体である。
何かに使えるかもしれないと思い、緊急時に取り出すことも考え『名前をつけて保存』しておいて正解だった、とレインハイトは過去の自分を褒め称えた。
「……なぜ、とどめを刺さなかった?」
「馬鹿か。たかが手合わせ程度の戦いなんだから、わざわざ殺し合うことないだろ。それに、あんたを殺したらアトレイシアに怒られるだろうしな……まあ、考え方は人それぞれだ。あんたが俺を殺そうとしたことなら許してやるよ」
自身がオーレリアに殺されようとしていたことを踏まえた上で、レインハイトは淡々とそう答えた。
それが暗に器の小ささを指摘されているように感じられて、オーレリアは静かに唇を噛む。実力も器量も、全て目の前の黒ずくめに負けているような気がしてならない。
「そうですよ、オーレリア。どちらも無事だったからよかったものの、あれはやりすぎです」
ずるずると仮面の男の剣を引きずりながら合流したアトレイシアが、子供を叱りつけるように頬をふくらませて声をかけてきた。そのまま、「よいしょ」と小さく呟き、運んできた銀色の剣を仮面の男に手渡す。
「さて、ではオーレリア。彼が私の騎士になることも、《黄金の円環》を所持することも認めてもらえますね?」
「……はい、二言はありません」
アトレイシアの問いかけに力なく答えつつ、銀色の剣をまたしても不可思議な魔法陣の中にしまい込むレインハイトを見つめるオーレリア。その時、顔を上げた仮面の男の、闇に包まれた眼窩の奥の瞳と目が合った気がした。
「不服はあるけど仕方ないってか? ……ったく、往生際の悪い女だな」
「……っ! わ、私は別にそのようなこと……」
鋭く図星を突かれ、オーレリアは返答が尻すぼみになってしまう。
悔しげに俯いたまま黙ってしまった女騎士を眺め、レインハイトは仮面の奥で嘆息した。
「こら。いつまでもオーレリアをいじめるようでしたら、私が怒りますよ。……あなた達は私の騎士なのですから、仲良くしてもらわねば困ります」
と、そこで見かねたアトレイシアのフォローが入った。敗北で傷心中のオーレリアに対し、容赦の無い言葉を浴びせたレインハイトにむくれ面で迫る。
「はいはい、俺が悪うございました」
「では、仲直りの握手をしましょう。……ほら、オーレリアもガントレットを外して」
「はあ? なんで握手なんて……わかった、わかりました」
レインハイトは反射的に断ろうとしたが、アトレイシアの目がスッと細められたのを確認すると、即座に手のひらを返した。微妙に演技のメッキも剥がれている。
「二人とも右手を出して……はい握手」
オーレリアとレインハイトの右手を強引につなげ、アトレイシアによる強制握手が行われた。アームカバー越しとは言え、先程まで剣をぶつけ合っていた女性と長い時間触れ合うというのは非常に微妙な気分になるのだが、アトレイシアは、お構いなしにたっぷりと十秒近く二人に握手をさせ続ける。
すると、それを見計らったかのように、先程まで静寂を保っていた外野からパチパチという乾いた音が鳴り始めた。それが拍手の音だとレインハイトとオーレリアが気づいた時には、その音は三人の周囲三百六十度から鳴り響くまでに大きくなっている。そして、
「二人ともすごかったぞ! いいものを見せてもらった!」
「最後どうなったのかよくわからなかったが、とにかくとんでもない戦いだった! 感動したよ!」
「本当に勝っちまうなんて……こりゃあ、新たな最強騎士の誕生だ! オーレリアさんもよくやったよ!」
「や、やったぜ……! 大儲けだ! 仮面のあんちゃん、愛してるぜ!」
次々とかけられるねぎらいの言葉の数々に、嫌々握手を続けていたレインハイトとオーレリアは目を回した。まさか、このような扱いをされるとは思っていなかったのだろう。中には健闘を称える言葉以外のものが若干数存在するようだが、それはご愛嬌といったところか。
「オーレリア。あなたの戦いぶりは、そのように下を向かねばならないようなものではありませんでした。この兵士たちの賞賛が何よりの証拠です。顔を上げなさい」
「アトレイシア様……」
呆然と周囲を眺め、オーレリアは兵士たちからかけられる言葉に耳を傾ける。その中には、敗北を喫したオーレリアを罵倒するような発言は一つたりとて存在しなかった。
「へえ……国民だけじゃなくて騎士団の人たちにも人気あるんだな、『ヴァルキュリア』の隊長さんは」
「ふふ、当然です。オーレリアは私の自慢の騎士なんですから」
レインハイトとアトレイシアがそんな言葉を交わしている際も、オーレリアは自分達に拍手を送ってくる面々に目を向けていた。てっきり、わけの分からない仮面の男に敗北したことで、王立騎士団の面汚しとして散々にこき下ろされると思っていたのだ。
あのような壮絶な戦いを目の前で見せ付けられて、誰がいちゃもんなど付けられようかというものだが、傍観者ではなかったオーレリアにその自覚はないのだろう。
「ほら、オーレリア。ボケっとしてないで胸を張りなさい」
右手でオーレリアの背中を叩き、アトレイシアは顔を上げた女騎士に笑みを向ける。
負けておいて胸を張るというのもおかしな話だが、しかし、このまま湿気た面をし続けるというのもなんだか拗ねているようで格好がつかないのも事実だ。気を取り直したオーレリアは自身の頬を両手で叩き、普段通りの凛とした表情を取り戻した。
「そうそう、オーレリアはそうやって美しくかっこいい顔をしているのが一番です」
「アトレイシア様……お心遣い、感謝いたします」
演技ではないアトレイシアの笑顔を受け、オーレリアは深く頭を下げた。そして、隣に立つレインハイトの方へ顔を向けると、
「その、なんだ……これから二人でアトレイシア様の騎士としてやっていくことになるのだ、仲良くしようなどと言うつもりはないが、無駄な争いは避けるべきなのだろう。……だから、その……いろいろと悪かった」
「謝り方下手だな……まあ、それはともかく、あんたの言うことには概ね賛成だ。この件はこれで終わりってことで、お互いに恨みっこはなしにしようぜ」
オーレリアの不器用な謝罪を受けたレインハイトは、伝わったのかは微妙だが、仮面の裏の素顔に微笑を浮かべてそう答えた。
「了解した。これからよろしく頼む」
まだ完全に納得したわけではないし、素顔すら晒すことのないこの男を信用したわけでもないが、ひとまずは彼を騎士と認めることを決め、オーレリアは小さく頷いた。
「ああ。アトレイシアの護衛なら任せておけ」
「貴様……アトレイシア様は王女なのだぞ? 様をつけて呼ばないか」
王女を呼び捨てする仮面の男を睨みつけ、オーレリアは小さくため息をついた。
最初から思っていたことだが、この男は妙にアトレイシアと馴れ馴れしすぎるきらいがある。その辺りの常識に疎い人物なのかもしれないが、王女に仕える騎士という立場上、せめて呼び方ぐらいはそれなりにしてほしいと先輩騎士なりに指導をしようとしたオーレリアだったが、しかし、
「この呼び方はアトレイシアの要望だ。俺に言われても困る」
「……アトレイシア様……」
王女自らの指定というまさかの情報に、オーレリアは頭痛を抑えるように頭を手で抑えた。
「いいじゃない、それくらい」
「本人がこう言っているんだ、それでいいだろう。……第一、俺にはこの国の王女様の騎士になるという意識はないからな」
「なに? それはいったいどういう意味だ」
アトレイシアへの呼び方云々以上に気になる発言がレインハイトから飛び出し、オーレリアは目を細め、仮面を睨んだ。
「どういうって、そのままの意味さ。俺は王国や王女に忠誠を誓ったりはしない。ただ、アトレイシアっていう一人の人間の身を守る護衛になるだけだ」
「貴様、ふざけているのか? 王国にも仕える主人にも忠誠を誓わぬなど、そんな馬鹿げた騎士がいてたまるか」
「あーはいはい、オーレリア、落ち着きなさい。あなたも、あまりオーレリアを刺激することばかり言うんじゃありません」
正面から睨み合うレインハイトとオーレリアの二人に割り込み、アトレイシアは強引に両者を諭した。
もともと相性が悪いのではと多少は危惧していたのだが、まさに水と油といった散々な有り様に、アトレイシアはこの騎士コンビに早くも不安を感じずにはいられなかった。
「し、しかし……アトレイシア様はそれで良いのですか? 主に忠誠を捧げぬ騎士を、本当に信用することができるのですか?」
「もちろん。……というか、ここだけの話、最初からそういう契約なのですよ。王女派の貴族たちの目や王国の王女としての立場があるので一応騎士叙勲はさせるつもりですが、それはあくまで体裁で、私には彼に対しての命令権はないんです」
「な……!?」
騎士イコール何かに忠誠を誓う存在、という認識を強く持っているオーレリアは、アトレイシアの口から飛び出したわけの分からない説明に目を白黒させる。あまりに驚愕したためか、お得意の怒鳴り声さえ出てこない様子だ。
レインハイトがアトレイシアの騎士になるにあたり、自分の持つ力の強大さと“異常性”を加味した運用方法や、騎士になった後の己のスタンスなどを明確に考える必要があったため、契約というほど厳格な取り決めではないが、レインハイトはある程度の要求を提示し、それをアトレイシアに呑ませたのだ。その内の一つが、『何者にも忠誠を誓わず、何人にも命令されることを許さない』という、ある意味騎士とは最もかけ離れた立ち位置に自身を置くための条件である。これでは、騎士というより傭兵という方が近いかもしれない。
「まあ、そういうことだ。……国だろうが王族だろうが、俺はこの力を顔も知らない他人のために使う気も、利用される気もない」
レインハイトは左腕の《黄金の円環》に視線を向け、力強くそう告げた。それは、この黄金の腕輪に宿る《魔法の門》が完成した時から、そうすると心に決めていたことである。まさかこんな形で早々に国の上層部に目をつけられるとは予想してはいなかったが、結局は遅いか早いかの違いでしかない。
レインハイトが開発した常駐起動型多重魔法、《魔法の門》には、それほどまでに圧倒的な力が秘められているのだ。
「言っておきますが、これはオーレリアにだから話したことです。当然、他言は無用ですよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい……私はまだ……」
自分に勝って騎士になるのを認めさせたかと思えば、今度はそれが中身の伴わない形だけの叙勲だなどと聞かされ、オーレリアは怒りを感じるどころか混乱してしまっていた。
仮面の男にそんな気はないのだろうが、オーレリアとしてはいいように弄ばれていたような気分である。
「……さて、そろそろ三時になることだし、俺はこの辺りでお暇させてもらおうか」
《黄金の円環》から放出される魔力光で作られたディスプレイを確認し、レインハイトは空気を読まずにそう告げた。
短針、長針、秒針からなるその時計が示す現在時刻は午後二時五十分。オーレリアに騎士叙勲を認めさせるという任務は完了したため、もう帰っても問題はないだろうという判断だ。
レインハイトの言を受けたアトレイシアは、「それはかまいませんが」と一言告げた後、
「時刻も表示できるなんて、すごく便利な魔法なんですね。……そう言えば、《黄金の円環》は役に立っていますか?」
「ああ。以前使用していた触媒は術式の系統ごとに分けて装備しなければ容量不足ですぐに壊れてしまっていたんだが、「どれほどの魔力を込めても決して壊れない」という謳い文句の通り、この《黄金の円環》ならば全ての術式を格納して管理するだけでなく、実戦で思うままに使用しても一切不備なく性能を発揮することが可能だ。流石は王国の『宝具』といったところか。アトレイシアには感謝している」
やはり『金剛鉱』などというとんでもない素材で制作されているためか、《魔法の門》の通常機能はもちろん、オーレリアの最後の攻撃を弾いた特殊な魔法の高速展開さえ可能であった。以前まで使用していた銀の触媒ではこうはいくまい。
「それなら良かったです。これで安心して護衛を任せられますね」
「そうだな。《黄金の円環》がこの手にある限り、俺はきっと誰にも負けないだろう」
仮面で表情が隠れているため冗談かどうか判断しがたいが、恐らくは王都一の纏魔術師であるオーレリアを直前に倒してしまっているため、アトレイシアはレインハイトのその発言を大言壮語だなどと笑うことはできなかった。
協力者であるオルス以外には語ることはないのだろうが、レインハイトは自身が生み出した《魔法の門》に大きな自信を持っており、その性能を充分に発揮することができる優れた触媒も手に入れることができた今、絶対に無敵とまでは言わないまでも、恐らく何者にも敗北することはないだろうと本気で思っているのだ。そのため、本人には知る由もないが、アトレイシアのその反応は正しいものであった。
「私を置いて勝手に話を進めないでください。……はあ、ようやく頭が落ち着いてきました」
「何も進めてはいない、これはすでに決定された話だからな。何か聞きたいことがあるのなら、詳しい話はアトレイシアに聞いてくれ。……じゃあな、俺は帰る」
眉間をつまみながら抗議するオーレリアに適当に対応し、レインハイトはアトレイシアに顔を向けた。
周囲から熱い視線を送ってくる騎士達がいい加減鬱陶しく、これ以上ここに居続けたら、居心地が悪すぎて演技にボロが出る可能性があると考えたのだ。
「わかりました。引き止めてしまってごめんなさい」
「構わないさ。では、次は叙任式の日に顔を出そう」
「はい、お待ちしています」
アトレイシアの笑顔に頷き、颯爽と練兵場の出口に向かって歩いていく仮面の男を呆然と見送ったオーレリアは、ふと湧いた疑問をアトレイシアに問うた。
「そう言えば、奴の名を聞いていませんでした」
「名前ですか? えーと、確か――」
何故か自信なさげなアトレイシアの口から伝えられた名を耳に刻みつけたオーレリアは、黒髪の人間にはつくづくいい思い出がないな、と以前出会ったいけ好かない少年のことを思い出していた。




