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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第一章 〜呼び覚まされた異分子〜
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王女の韜晦

 それから間もなく、王都へと向かう馬車に乗り込んだ三人は、少々気まずい雰囲気の中、やることもないので軽い会話を行っていた。内容は世間話程度のものである。


「……なるほど。ではシエルさんは魔法学院へ入学するため、レインはその護衛として、アイオリアまで向かっているというわけなんですね」


「そうなんですよ。あ、アイシャさんは王都に住んでるんですよね? 良かったら魔法学院までの詳しい道のりを教えてくれませんか?」


「いいですよ。魔法学院でしたら何度か行ったことがあります。任せてください」


 レインハイトがアトレイシアに魔法学院の場所を教わっている間、シエルはその様子を面白くなさそうに見ていた。気まずさの原因はこのシエルの視線である。


「……何だよシエル。言いたいことがあるならはっきり言えよ」


「……レインさ、そのアイシャさんって呼び方、何?」


「ん? アイシャさんにそう呼んでほしいって言われたからだけど……それがどうかしたのか?」


 何と言われても、ただの呼び名じゃないか。という当然の返しをするレインハイト。この男に女心を察しろという方が無理な話である。


「シエルさんとレインは恋人同士なんですか?」


 その一方、アトレイシアはシエルの嫉妬を敏感に感じ取ったようで、それなら悪いことをしたな、というように控えめに聞いてきた。

 レインハイトは当然の如く話に付いてこれておらず、その質問には自動的にシエルが答えることとなる。


「いや、それは……違いますけど」


「そうそう、シエルとは兄妹みたいな感じで……痛っ! 何すんだ!」


 嬉々として話しだしたレインハイトの口を閉じさせるために、シエルが彼の膝を軽く蹴ったのだ。

 アトレイシアはその様子を微笑ましそうに眺めている。

 だんまりを決め込んだシエルを睨みつけつつ、レインハイトは話題を変えた。


「ったく。……それにしても、何であいつらアイシャさんを狙っていたんでしょうね? 盗賊ではなさそうでしたし……あ、そう言えば殺し屋って言ってましたね」


 やはりその話になってしまったか、とアトレイシアは歯噛みした。ここまで来てしまった手前、今更王女ですとは名乗りづらいものがある。


「わかりません……ですが、殺し屋には見逃してもらえたようですし、ザミエル卿が主な標的で、私はおまけ程度の存在だったのかもしれません」


「軍の大佐って言ってましたっけ? 何でまたそんなに偉い人と一緒に居たんです? あ、もしかしてアイシャさんも偉い人なんですか?」


 話を濁すつもりが、自分から墓穴をほってしまった。焦ったアトレイシアは少し俯き、どう切り抜けようかとしばし逡巡した。

 しばらくの沈黙の後、もうこれまでか、と白状しようとしたその時、思わぬところから助け舟が出された。


「アトレイシアさん綺麗だし、その大佐って人に気に入られたんじゃないの?」


「えっ? その人見たけどハゲたおっさんだったぞ? 五十くらいの。まあ死体だったからそんなにまじまじとは見なかったけど……」


 これに乗らない手はない、とアトレイシアはシエルの助け舟をありがたく利用させてもらうことにした。


「いえ、その……実はそうだったんです」


 しかし、アトレイシアのその一言で、レインハイトとシエルは凍りついた。殺されてしまった婚約者を目の前で侮辱し、軽はずみな発言をしてしまったのだ。当然の反応である。

 場は凍りついているというのに、レインハイトとシエルの背筋には、嫌な汗が怒涛の勢いで溢れ出していた。


「え……ご、ごめんなさい!」


「レイン……婚約者を失ったアトレイシアさんになんてことを……」


 嘘は言っていないのだが、罪悪感が芽生えたアトレイシアは、首を左右に振り、否定の意を示した。


「いいんです。元々私は望んでいませんでしたし……不謹慎かも知れませんが、あまり悲しくはないんです」


 これは嘘偽りのない本心である。身を挺して庇ってくれたザミエルには感謝しているが、それとこれとは別問題だ。

 もしもあの時に殺し屋達の襲撃がなかったら……と考えると、アトレイシアは死の恐怖とは別の理由で背筋がぞっとするのを感じた。

 返す言葉が思いつかなかったレインハイトは、凍った空気をなんとか濁そうと口を開いた。


「そうですか……しかし、一体誰に雇われた殺し屋だったんでしょうね。アイシャさんは心当たりとか無いんですか?」


「……わかりません」


 心当たりは、あった。十中八九、兄であるクリストフ率いる王子派の差し金だろう。

 今までこうした実力行使はなかったのだが、あれほどの使い手を二人も派遣するとは……。

 どうやら、今回は本気で自分を殺しに来ていたらしい。アトレイシアは遅れてそのことを理解し、その恐怖に震えた。

 確かに、ザミエル卿との婚約という形で先に動いたのは王女派だが、それに対してのお返しとしては過激すぎる仕打ちだ。今までに小競り合いは何度もあったのだが、こうして一線を越えるような事件は初めてである。


 更に、アトレイシアは、王女派の情報が漏れるのが早過ぎることが気になっていた。ザミエル卿との婚約は表沙汰にしてはいなかったし、今回の小規模な婚儀のための外出も、一切情報は漏らしていなかったはずである。こちらの情報が筒抜けになっているということは、王女派内部に間諜が潜んでいる可能性が高い。王都に戻ったら、まずはそこから洗い出していくべきだろうか。

 アトレイシアが襲撃者について深く考えている様子を不安に思っていると勘違いしたのか、レインハイトは再び話題を変更した。


「そろそろアイオリア到着か……魔法学院、楽しみだな、シエル」


 現在馬車の走っている地域は既に王都郊外と言っても差し支えなく、周囲には田園地帯が広がっている。民家や人影も多くなってきており、僅かにだが、王都の周囲をぐるりと囲う防壁も見えてきた。ここまで来てしまえば、もう王都アイオリアは目と鼻の先である。


「え? ……うん、そうだね」


 レインハイトはワクワクしながら尋ねたのだが、何故かシエルはそれを聞くと元気がなくなってしまった。アトレイシアといいシエルといい、二人共いったどうしたというのだ、とレインハイトは首を傾げる。

 しかし、レインハイトがいくら考えたところで答えは出るはずもなく、結局は「女の考えることはわからん」という結論に至った。


 そんな雰囲気に流石に疲れたレインハイトは、馬車内の空気の改善を諦め、そこから逃避するかのように窓から外を眺めた。元々彼は話が得意というわけではないのだ。

 ゆっくりと流れる景色の中、徐々に前方へと視線を移していくと、王都アイオリアへの出入口がある巨大で重厚な防壁の元に、鎧を来た騎士達が集まり、慌ただしくしているのが見て取れた。何か事件でもあったのだろうか。もしかしたら、アトレイシアが襲撃された件と関係しているのかもしれない。


「アイシャさん、あれ、何ですかね……?」


 そう考えたレインハイトは、俯いたまま難しい顔をしていたアトレイシアに尋ねた。

 レインハイトの予想は見事的中していた。アトレイシアはその様子を視界に収め一瞬硬直した後、神妙な顔つきになった。

 きっと先刻の襲撃から運良く逃げおおせた騎士が王都に帰還し、事のあらましを告げたのだろう。総勢三十名近くの騎士達が、今にも現場に向かいそうな雰囲気で固まっている。


「……私、ちょっと様子を見てきます」


 返事を待たず、アトレイシアは馬車から降り、駆けて行った。まだ馬車は動いていたのだが、停車するのを待てないほど急いでいるのだろうか。

 レインハイトは心配になったが、恐らく自分が付いて行ったところで何の手助けにもならないということは理解していたため、静かにその様子を見守ることにした。

 アトレイシアが集団にたどり着くと、騎士達全員がぎょっとたじろぐのが見えた。あの様子だと、やはりアトレイシアは偉い人物だったのではないだろうか。


「アトレイシアさんって、あの人達と知り合いなのかな?」


 と、シエルが口を開いたところで、騎士の集団が地面に跪き始めた。その異様な光景は周囲の注目の的となり、アトレイシアが慌てて全員立たせた。こうして遠目に見ている分には、結構面白いものだ。

 しかし、騎士達が跪くクラスとは、相当な権力を持っているに違いない。彼女が何故身分を韜晦(とうかい)しているのかは分からないが、「アイシャ」などとあの騎士の集団の前で呼ぼうものなら、瞬時に拘束されるかもしれない。

 くれぐれも呼び方には気をつけよう、と心に刻んだレインハイトだった。


 レインハイトとシエルが馬車から見守る中、アトレイシアは先の事件の顛末を騎士達へと告げていた。己を殺し屋と称する二人組に襲われ、ザミエル卿と護衛の騎士がほぼ全員殺害されたのだが、自分は運良く助けられ、ここまで逃げおおせてきたと。


「……というわけですので、あなた達は即刻遺体の回収に向かってください」


 アトレイシアは事態の収束を再優先とし、騎士達に命令を下した。その表情は既に十五の少女のそれではなく、一刻の王女としての威厳と風格を兼ね備えた静謐な面持ちへと変化していた。


「は! 了解致しました! 王女様はどうなされるのですか?」


 集まった騎士の代表のであろう壮年の男がそれに応対した。胸には剣と盾の象嵌(ぞうがん)があてがわれた緑色のバッジが輝いており、その緑に輝くエンブレムは、この壮年の騎士がアスガルド王国王立騎士団の少佐であることを示していた。


「私は一度この件を父に報告しに城へ戻ります。王はどこにいらっしゃるのですか?」


 アトレイシアの透き通るような声を、他の騎士達は静かに聞いていた。軍というだけあり、しっかりと統率がとれているようだ。


「は! 王様は現在城で執務を行っております。護衛はいかがなされますか?」


「……では、二名ほど貸していただけますか? 後の者は現場に向かってください」


「は!」


 若い騎士が二名残り、他の騎士はレインハイト達が来た道をまっすぐに走って行った。

 事が済んだと判断したレインハイトは、御者にお礼と別れを述べ、シエルと共に馬車から降り立った。まっすぐにアトレイシアの元へ向かう。

 アトレイシアは後ろを向き、若い騎士二人に何か耳元で何事か囁いたあと、レインハイトとシエルに向き直った。その際騎士達の頬が赤くなっていたが、アトレイシアの顔があんなに近くにあればああなってしまうのは仕方ないだろう。きっと告げられた内容はろくに聞こえなかったに違いない。


「レイン、シエルさん。この度は本当にありがとうございました。何とお礼を言ったらいいか……」


「いえいえ、当然のことをしたまでです。アイシャさんはこれからどちらに?」


(あ、やべ、アイシャさんって言っちゃった)


 焦るレインハイトだったが、護衛の騎士に軽く睨まれたのみで何とかなった。


「私はこれから家に帰ります。お二人共、ここまで本当にありがとうございました」


 アトレイシアはレインハイトとシエルに向かい、深々と頭を垂れた。

 若い騎士が「庶民に頭を下げるなど……」などと小声で言い出したが、アトレイシアは黙殺する。


「……この御礼はまた後日必ずいたします。シエルさんはアイオリア魔法学院に入学するのですよね? レインはどうされるのですか?」


 お礼ということは、レインハイトの今後の居場所のことを聞いているのだろう。


「あ、俺もシエルと一緒に魔法学院に居ると思います。入学は無理ですけど、護衛としてなら付いていけると思いますので」


 レインハイトはさして悩む素振りもなく、そう言い放った。これもエリドに頼まれたことでもあったからだ。王都に着いてすぐにやることがあるわけでないのなら、シエルに付いて行ってやってほしいと。ミレイナも相当だが、エリドもかなりの過保護である。

 もっとも、レインハイト自身もシエルのことは心配であり、情が移っていないといえば嘘になる。いきなり「はいさようなら」とすぐに縁を切ることができないほどには、彼女に(ほだ)されていた。


「え? レイン、付いて来てくれるの……?」


 当のシエルは、呆けた顔をレインハイトに向けていた。実はレインハイトは、その件についてシエルに伝えるのをすっかり忘れていたのだ。


「あ、うん……ごめん、言うの忘れてた」


 そのことを思い出したレインハイトは、浮気のバレた男の如く、急に歯切れが悪くなった。


「ううん……いいの。そっか、付いて来てくれるんだ……」


 唐突に嬉しそうにするシエルの態度に疑問を覚えたが、怒られないことに安心したレインハイトは、一旦そのことは頭の隅に押しやり、置いてけぼりを食らっているアトレイシアに向き直った。

 シエルはずっとそのことが気がかりで途中から元気がなかったのだが、レインハイトの口から付いて行くという言葉を聞いて、すっかり安心したようだ。

 もちろん、レインハイトがそれを知るはずはない。


「ということで、僕も魔法学院に居ると思います。……でも、別にお礼が欲しくて助けたわけではないので、そういうのは結構です」


「そんな訳にはまいりません。絶対にまたお伺いしますので、待っててくださいね」


 満面の笑みを浮かべるアトレイシアに苦笑いを返し、それ以上拒んでも仕方ないだろうと諦め、レインハイトは頷いた。


「分かりました。それでは、僕達はこれで失礼致します。アイシャさんもご達者で」


「はい。また会う時がありましたら、その時はまた、アイシャと呼んでくださいね」


 レインハイトは笑顔を返事とし、シエルの背中を押した。


「アトレイシアさん、さ、さようなら」


 何じゃそりゃ、とからかおうとしたが、きっとシエルはこういった経験がまだまだ浅いのだろう。レインハイトは無言で重い荷物を担ぎ、アトレイシアに一礼した。


「それでは、またどこかで」


 そうして、レインハイトとシエルは彼女の本当の身分を知らぬまま、アスガルド王国王女、アトレイシアと別れたのだった。



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