後編
「ふぅ……やっといなくなった」
一気に疲れがでて、玲は椅子に座り直した。鞄からお茶を取り、喉をうるおす。その時、優が非難の眼差しで見つめてくるのに気づき、玲は怪訝な顔をした。
「玲ちゃん、その言い方はひどいよ」
「いいんだよ」
「でもさ、玲ちゃんも悪いと思うよ」
「どこが!?」
「玲ちゃんがかわいいから、斎藤君は玲ちゃんが女だと思ってるんだよ」
「だから?」
「玲ちゃんがかわいくなければ、斎藤君は玲ちゃんを女だと思わなかったし、恋だってしなかったはず。つまり玲ちゃんは、斎藤君の思いをふみにじってるんだよほんと、かわいさって罪だよねぇ。人を惑わすんだもん」
「俺は悪くねえよ」
「とにかくね、玲ちゃんは自分に好意を持ってくれた斎藤君に対して、冷たすぎるんだよ」
「じゃあ、どうしろと? 俺は男なんだ。気持ちに答えることはできないし、そもそもお前がいる」
玲はふと扉に目をやった。と、誰もいないはずなのに扉が動き出した。完全に開いた入り口から見えたのは、最後に見た元気のない彼ではなく、ふっきれたのか妙に元気な涼介だった。
「げっ、帰ってきた……」
玲は顔をこわばらせた。涼介は一歩ずつ確実に、しっかりとした足取りで玲の元に寄る。
「何度ふられても、僕は諦めません。一目見た時から、ずっとあなたが好きなんです!」
「そんなこと言われても……」
「先輩が女性を好きなら、僕、女の格好だってします!」
「やめてくれ」
スカートを身につけた涼介の格好を想像してしまい、全力で拒絶した。
「……どうしたら僕は先輩の恋愛対象になれますか?」
「何をされようと、無理なもんは無理だ!」
「……どうしても、だめですか?」
「だから俺は男だって――」
いい加減に気づいてほしい、と玲は何度も感じていた。しかし男だと言っても信じない彼に、自分が男だと信じさせる術はあるのか……。いざという時には服を脱ぐしかないのだろうか、とも思うが、見ず知らずの男の前で脱ぐ気はさらさらなかった。
「僕はただの一目惚れなんかじゃありません!」
「そうなの?」
「……じゃあ、なんだ? 俺とお前は、今日話したばかりなのに」
てっきり見た目だけで好きだと思われていたのに、と玲は思う。
涼介は視線を遠くにやり、何かを懐かしむような口ぶりで語り始めた。その声は今までの勢いのいいものではなく、穏やかだった。
「先輩、文化祭の時にいってましたよね。『趣味は読書、小説執筆です』って。僕も好きなんですよ。文芸部には入ってませんが、よく作品も書いてて……しかも、先輩が好きだって言ってた作家のーー」
涼介が次に口にした二人の名前は、いずれも玲が好んで読む作家だった。そして彼は、自分もその作家が大好きなのだと明らかにした。
「ね? 僕と先輩、好みが似ているでしょう? 先輩となら、趣味を通した健全なおつきあいができると思ったんです」
「趣味が同じ人がいいの?」
優が話に割り込む。
「昔つきあってた彼女と、趣味の違いが原因で別れたんです……」
涼介は苦笑した。優は気まずそうに「そっか……」とだけ答え、曖昧に笑う。
「ちょっとまて。なんで俺の趣味を知ってるんだ?」
自分と涼介は今日初めて話したのだから、自分の趣味など知っているはずはない、玲は奇妙に思った。
「好きな人のことだからでしょ」
それに対し優は、ごく当たり前のように意見を口にした。涼介の反応を見ると、それは当たりらしい。
「俺が知りたいのはそういうのじゃなくて、どうやって知ったのかってことだ」
「先輩が言っているのを、聞いたんです」
「それ、いつの話だ?」
「文化祭の時です」
「……お前、俺が客寄せの為にあのくそ恥ずかしい格好をして大学内を歩いてる時に、俺を見かけたんだよな?」
正直思い出したくもない記憶だが、涼介の言葉の意味が分からない以上、記憶をたどるしかなかった。しかし宣伝中に趣味を口にした覚えは一切ない。思い出せるのは、男だとばれた時に非常に驚かれたことと、自分の宣伝を見て文芸部に訪れた客が多いらしいということぐらいだ。
「いえ、その時じゃありません」
「え? じゃあ、いつ?」
「舞台の上にいるときです」
「舞台って……俺、演劇部じゃないんだけど」
「知ってますよ。先輩は文芸部です。だからここに来たんじゃないですか。そうだ、部誌、読みましたよ!」
「読んだんだ! どうだった?」
優が興味津々と言った様子で聞くと、涼介は大きく拳を握った。
「素敵でした。特に柳田先輩の作品、表現が豊かで言葉遣いが奇麗で、特に情景描写に感動しましたよ」
「私も玲ちゃんの情景描写、尊敬してるんだよね」
「そうなんですか! あ、先輩も読書するんですか?」
「うん、するよ」
「好きな作家は?」
(そういや優の好きな作家って……俺と同じなんだよな)
玲は何となくそんなことを考えていた。再び盛り上がった二人の会話に入るのは正直面倒だったというのもある。そして自分の女装について語られているわけではなかったので、嫌悪感はなかった。
「うわ! 三人とも大好きな作家さんです」
「そうなの!? 好きな作家さんが同じ人、玲ちゃん以外だと君が初めてだよ。しかも桜木さんについては、玲ちゃんも好きという程でもないみたいだし。桜木さん好きって言ってくれて、嬉しい」
優は満面の笑みを浮かべ、涼介の言葉に相づちを打っている。その表情を見ていると、なぜだかつまらなく思え、玲はむっとしていた。
「そういえば斎藤君も小説書くんだっけ?」
「はい。書きますよ」
「じゃあさ、文芸部、入らない?」
「考えておきます」
「お前等、盛り上がるなよ……」
いい加減にうるさくなり、玲は冷たい視線を二人に向けた。
「すみません。でも安心してください。僕は柳沢先輩、一筋ですから」
「で? 俺をいつ見たんだ?」
「ですから舞台……ステージと言った方がいいですかね?」
「何のステージだよ」
意味が分からず頭を抑えていると、涼介は堂々と胸を張って答えた。
「女装コンテストです」
「……は?」
玲は我が耳を疑った。自分の耳がおかしくなったのかと本気で自問した。そこで優の顔を見て見る。彼女が目をぱちくりとさせていたことから、聞き間違いではないと玲は確信する。
とすると、おかしいのは相手の発言である。
「そう。あのコンテストを僕はたまたま見ていたのですが、本当に美しかったです」
「おい、ちょっとまて。おかしいだろ」
何事もなかったかのように語り続ける涼介を玲が止めるが、彼は止まらない。
「他の人なんかよりずっと輝いていて……ワンピースもよく似合っていて……どうして先輩はあのコンテストに出場することになったんですか?」
ふと疑問に思ったのか、涼介はそこで言葉を止めた。玲は何も答えず、異質なものを見る時の目で涼介をがん見している。
「最初はあの格好をしてただ大学内を歩き回って宣伝するだけだったの。でもお客さんの入りが悪くて、その時に女装コンテストの存在を思い出して、参加させることに。参加して、文芸部も宣伝しちゃえって話になったんだ」
玲の代わりに、優が答える。そうなんですか、と涼介は感心しているらしい。
「ちょっと待て。お前、俺が男だと気づいてるだろ」
玲は涼介を睨みつけた。
「何を言ってるんです? 先輩は女性でしょう? 冗談はやめてくださいよ。僕は先輩が大好きです。この思いは誰にも、神にだって負けません!」
涼介はひるむことなく答える。それは嘘をついているようにも、冗談を口にしているようにも見えない。彼は本気で自分が女だと信じ込んでいるのだ、と玲は面食らった。
「え? お前、マジ?」
心の底から疑問に思い、玲は呆然と涼介の顔を見つめる。
「僕の先輩への思いは本気です」
「じゃなくて、マジで俺が女だと思ってんの?」
「先輩は自分の女性らしい部分が嫌いなんですね。だけど僕、先輩がボーイッシュな格好を望むなら、それでも構いませんよ。欲を言えばたまには女性らしい格好もしてほしいですが……」
「……お前、俺をどこで見たといった?」
「ですから女装コンテストですよ」
涼介はやはりごく当たり前のように答えている。女装コンテストで玲を見たという認識はあるようだが、肝心なことには気づいていないらしい。
「なぜ気づかないんだ!? おい、お前。どうして俺を女装コンテストで見たんだ?」
「ですから先輩がでているのをたまたま見て――」
「……なんで俺、女装コンテストにでれたんだろうな?」
「かわいかったから!」
涼介の答えを聞く前に、優が口を挟んだ。それも、自信満々に。
「お前には聞いてない。そもそもきもい奴もいただろ」
優の言葉に適当に返事をしつつ、涼介に意識を戻す。
「女装コンテストの参加資格は? まさか知らないとか言わないよな?」
「この大学の男子学生もしくは一般の男性来場者」
何当たり前のことを言っているんです、と涼介の目は訴えている。
「……じゃあ、俺はなんで参加できたんだ? 男じゃないと参加できないんだぞ」
「え? そりゃぁ先輩が参加できたのは……あれ? あのコンテストは男の人じゃないと参加できなくて、でも参加してて……優勝して……え? え? えぇ?」
最初は平然としていた涼介だが、徐々に言葉が小さくなり、途切れ途切れになっていった。そして最後には何も言えなくなり、俯いてしまった。
「いくらなんでも、もう気づいたよな? そういうことだ。……てか、初めから気づけよ!」
言葉を失った涼介を気遣いもせず、玲は乱暴に言い放つ。また優は涼介を横目で見ながら、苦笑していた。
「やっと気づいたみたいだね」
「ああ。こいつ、どんだけ馬鹿なんだ? 女装コンテストに参加したのを見たくせに女だと勘違いするなんて……」
「うーん……コンテストに参加する姿を見て勘違いしたとは、予想外だった」
「……新島先輩、あなたは女性なんですよね?」
黙り込んでいた涼介は顔をあげると、祈るような瞳を優に向けた。
「うん」
「男じゃないんですよね?」
「男じゃないよ」
優の言葉が終わるや否や涼介の顔が瞬く間に明るくなり、そして突然優の手を両手で包み込んだ。
「僕と付き合ってください!」
「おい、何ふざけたこと言ってんだ!」
二人の間に玲が割って入り、涼介の身体を思い切り突き飛ばす。彼はバランスを崩して倒れたが、すぐに立ち上がり、玲を睨みつけた。
「あなたに用はありません! 僕はだまされてたんです! やっと目が覚めました。新島先輩、あなたとも気はあいそうですし、どうですか? 僕と趣味を通した健全なお付き合いを――」
「ごめんなさい。私、かわいい玲ちゃんが好きだから……」
優は本当に申し訳なさそうに断る。
優の返事に少なからずショックを受けているようだが、涼介は不適な笑みを浮かべた。そしてテーブルの上に置かれていたポーチを抱きしめる。
「……なら、僕もかわいくなります!」
「え?」
「目標は……あれです! 柳沢先輩が着てた、あのピンクのフリルのワンピースを着こなす! もちろんうさ耳つき」
「え?」
優が目を見開いた。涼介は彼女の反応を無視して話を続ける。
「そうと決まったらこうはしていられない。ピンクのフリルワンピースとうさ耳はどこですか?」
涼介が優にせがむ。玲はもちろん彼を彼女に近づけないように二人の間に立っている。
「もし僕の方がかわいくなれたら、僕と付き合ってください!」
涼介は真面目な顔で交際を申し込む。
「ダメに決まってんだろ!」
玲は声を荒らげると、きっとにらみをきかせた。
優はしばらく考えていたようだが、一度ちらりと玲を見てニヤリと笑った。そして涼介に目を向け、大きく頷いた。
「うん。かわいくなれたら、ね」
「は? 優?」
優の答えに玲は唖然とする。嘘だよな、と問いたいが、優の様子を見るに嘘ではなさそうだ。
「本当ですか! じゃあ、とりあえずワンピースとうさ耳を貸してください!」
「ワンピースは手芸部に返したよ。うさ耳はここ」
それどころか優は棚の一番下に置かれていた段ボール箱からうさ耳を取り出し、涼介に差し出していた。
「おい、何渡そうとしてんだよ」
玲の反論も空しく、うさ耳は涼介の手に渡る。
涼介は得意げに笑うと、うさ耳を装着した。坊主頭に白い耳。
「……どちらがよりかわいくなれるか、競争ですよ、柳沢先輩」
「勝手に決めるな!」
玲は彼を殴ろうとしたが、涼介はひらりとかわした。そしてそのまま、部室を去っていく。
二人が最後に目にした涼介の姿は、装着したうさ耳を揺らしながら走り去るというものだった。
「もう二度と来んな」
玲は思い切り舌打ちすると、扉を乱暴に閉めた。
「部員以外立ち入り禁止にしよう! でもあいつ、このままじゃ入部しかねないな」
「頑張ってね、玲ちゃん」
優は甘い声で応援すると、玲の肩を軽く叩いた。
「え? 勝手に決めるなよ」
「かわいい彼女が、他の子にとられてもいいのー? 恋は時に奇跡を起こすんだよ? だから玲ちゃんも、かわいい格好で対抗しなきゃ!」
優はにやにやしている。その時初めて玲は、優が涼介にワンピースの所在を教え、うさ耳を渡した理由が分かった気がし、頭を抱えた。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
ファンタジー以外を書くのって不思議な感じ。