ロマンで歌え。
「朝日ー? ちょっと手伝ってくれない? 思ったよりお客さん多くて」
眠い目をこする。
母の声で起きた私は、階段を下りてふらふらしながら店へ向かった。
私の家は喫茶店だ。
喫茶店なのにライブハウスみたいな雰囲気を醸し出しながらコーヒーを出す。
それが私の家。喫茶店「可惜夜」だ。
「ああ朝日、お姉ちゃんと一緒に、オーダーを取ってくれ。ってなんだその顔は」
父のあきれた声、忙しそうな姉。L字のカウンター、キッチンに吹き抜けと並ぶ客席。角に五角形になって置かれるライブスペース。そして音響設備。大きな家と、喫茶店。ライブスペースの対角線にある螺旋階段。母の笑顔。姉の笑顔。客の向けるレンズ。窓から差し込む優しい夕日。濃い焦げ茶のギターは、夕日を反射して輝いている。
「はーい。がんばるー」
「……朝日。一応言っておくが、今日ライブあるからな」
「うんー」
「お前。ギター弾くんだぞ」
「朝日の番よ~」
私の番か……
「私の番?!」
その声は、店中に響いた。
少ししてその発言に気づき、顔を赤らめ、手に持っていたスマホで顔を隠す。
やめてえ~見ないでえ~もう殺してえええ~。
「朝日ぃ~早くぅ~お姉ちゃん死んじゃう~」
「あ、うん。着替えてくるね……」
弱弱しい声で答えて、黒とベージュを基調とした制服に着替える。
本当に、私でいいのかな。
そんな葛藤は、幼いころに見た、聞いたあの母と父の音色にかき消された。
『おとうさん! おかあさん! はやくひいてよ! はやくー!』
両手を後ろに、今と変わらないライブスペースで、二つのスポットライトに当たった二人が、鮮明に浮き上がる。
恥ずかしそうに笑う母と、娘たちにいい演奏を聞かせようと必死な父。二人は、本当に支えあっているように思えた。いや。支えあっていた。
ギターの父がミスれば、母がアカペラでカバーする。ボーカルの母がミスれば、突然のソロパートで父がカバーする。
カバーしたのち、心が一つになった二人は、アドリブで世界を作りだす。
ギターの音色がきれいに輝き、透き通った声が心を貫く。静止したスポットライトも、今は、今だけはカラフルに彩っていた。
ただでさえ打ち合わせのないライブなのに、まるで何度も何度も練習したかのように音を重ねた。
美しかった。ただただ美しかった。
あんな曲が、私に弾けるだろうか……
私。歌えるかな、弾けるかな……
私なんかが歌ってもいいのかな。
Aコード、Gコード、C、F……
少しづつ固くなった指先のように。この意思も固くなるはず。
震える弦のように、人の心も震えさせられる。
この指で。人々を震撼させられる。
時は過ぎ、気が付けばライブステージに一人。錆びたギターが一本。少し塗装のはがれた、ロゴがきらりと光るマイクが一本。いくつものスポットライトに照らされていた。
「朝日、挨拶」
「え、あ、えーっと」
冷たい指先、震える足。複数の客の視線。家族の暖かい視線。姉の向けるカメラ。
「えーっと、常連さんはよく知っていると思います。この店の娘、長谷川朝日です!」
徐々にカメラを向ける人、前のほうにやってくる人が増えてくる。
「初めてなので、下手でも許して下さい! それでは聞いてください!」
打ち込まれたドラムもベースも、大きなアンプから同時に流れ、一つの曲になる。
周りの音が聞こえないほど、曲に集中して歌う。
綺麗に連なる言葉が、やっと言葉になった。
入学前の春。また一つ、思い出が増えた。
アニメと父の背中見て目指したこの音楽界も白く濁って行く。
ストロークに合うように、ライトが点滅する。
鼓動もドラムに合うようリズムを刻む。
もしこれが夢ならば。永遠と覚めないでくれ。
祖父の代から使われるこのギター。
今でも変わらず、煌びやかな音を出している。
次のカッティングで、ソロパートだ。
ソロが終われば、アカペラでサビ、そして盛り上げてラスサビだ。
何度も何度もコードを変え、言葉を吐き、息を吸う。
喫茶店「可惜夜」の名に恥じぬような演奏ができているだろうか。
明けたくない。明けてほしくないような夜が、ここにあるだろうか。
ないなら。創ればいい。
無事に演奏が終わり、ラスサビへ。
死にそうなほど勉強と練習を重ねた日々。
今だけは信じてやる。「努力は報われる」その言葉を。
どのような人であれ、この声でこの音で、魅せてやる。
あこがれた音楽界よ。待ってろ、私が頂点だ。
スポットライトがより一層輝き、ステージが際立つ。
エフェクターの歪みが店内へ響いてこだまする。
観客の拍手によるリズム、打ち込まれたきらびやかなドラム、さりげなく背中を押すベース、彩りを与えるキーボード。
私の作った曲が、初めてこの世界で残響した日。
やがて来る未来の足音がする。
春のにおいがする。
今は、母と妹と姉と父と、そしてこの店の客からの視線なんてどうでもよくなった。
恥ずかしさなんてどこにもなかった。
ロマンで歌え、この魂の叫びが、君に届くまで。




