39:二つ並ぶイヤリング(1)
アスタル家でのパーティーから数日後、
「……考えたわね」
そう溜息交じりに呟いたのはイザベラ。眉根を寄せ、それだけでは足りないと片手で眉根を押さえ、全身で不快感を醸し出している。五十歳半ばでも彼女の美しさは衰えず、そして麗しいからこそ険しい表情をすると言い知れぬ圧がある。
向かいに座るレイラとフィルもまた深刻な表情を浮かべており、纏う空気は重い。ルーシーだけは話の流れが掴めていないのか不思議そうな表情をしているが、さすがにこの空気の異質さは感じているのか沈黙を保っていた。
美しい庭園の、とりわけ美しく整えられた薔薇の一角。
今日に限っては重く張り詰めた空気を漂わせており、主であるエドワードさえも薔薇に一瞥もくれずにいた。
「まさか私と結婚させるために養子を取っていたなんて……。本当、呆れてしまう人達だわ」
侮蔑をこれでもかと含めた声で言い捨てたのはシャロンだ。
シンプルな赤いワンピース。両耳には、先日ルーシーから貰ったイヤリングが飾られている。
……そう、両耳に。いつものイヤリングではなく別の物を。
普段ならば右耳を華やかに飾る薔薇のイヤリングは、今日はテーブルの上にあるアクセサリートレイに置かれている。その隣には、そっくり同じ薔薇のイヤリングが一つ。
通常イヤリングは左右でセットだ。ゆえに二つのイヤリングが並ぶこの光景も、事情を知らぬ者には当然のように映るだろう。むしろ片耳だけ着け続けていたシャロンに疑問を抱くはずだ。
だが今だけは、イヤリングが左右揃っている光景は異質でしかない。
「どうしてマルクがこのイヤリングを持っていたのかしら……。なんで私のことを……」
アクセサリートレイに置かれたイヤリングを見つめ、シャロンは誰にというわけでもなく呟いた。
脳裏に蘇るのは、あのパーティーでの事。
アスタル家の三男を名乗るマルク・アスタルはイヤリングを取り出し、シャロンに返してきた。そのうえ「愛している」と……。
あの後のシャロンはらしくなく困惑を露わに言葉を失い、ろくな返事もできずにいた。
異変を感じ取ったレイラが割って入り、フィルに連れ出され、ようやく青ざめた顔で事態を理解し始めたほどだ。
その時のことを思い出せば、シャロンの脳裏に大事そうにイヤリングを手にするマルクの顔が浮かぶ。
自分が託したイヤリングを。
15年前のパーティーでの事を忘れずに……?
あの時の少年の姿はいまだに覚えている。
ふんわりとした金の髪に翡翠色の瞳。確かにマルク・アスタルの髪と瞳の色はあの少年と同じだ。穏やかな笑みも、纏う雰囲気も、声も、朧げだった記憶の中の少年と重なる。
彼は本当にあの時の少年なのだろうか。
だけどどうして、今更現れたのか……。
「……お母様」
レイラに呼ばれ、シャロンははたと我に返って顔を上げた。
皆が自分を案じるように見つめている。どうやら彼等の話を聞かずに考え込んでいたようだ。
代表するようにレイラに「大丈夫?」と案じられ、誤魔化すように少し冷めた紅茶を一口飲んだ。動揺しているのか、味がよく分からない。
「ごめんなさいね、考え事をしていたの。どうせ何かしてくるだろうと思っていたけど、まさか養子を取って求婚してくるなんてね。面食らってしまったわ」
「これ、お母様がいつも着けているイヤリングのもう片方よね。お母様はずっと無くしてしまったと言っていたけど……」
レイラがテーブルに置かれたイヤリングに視線を向ける。
それに対し、シャロンは落ち着き払った声で「そうね」とだけ返した。
きっとレイラはなぜマルクがイヤリングの片方を持っていたのか聞きたいのだろう。元々シャロンはこのイヤリングに関し片方は無くしてしまったと話していたのだから、そもそもなぜ片方が存在しているのかを聞きたいのかもしれない。
このアルドリッジ家において、イヤリングの真相を知っているのはエドワードだけだ。
出来るならば隠し通しておきたかった。
だけどそれももう無理がある。
そうシャロンは覚悟を決めて、「これはね」とゆっくりと話し出した。
◆◆◆
15年前の幼い頃、とあるパーティーに出た。
そこで片方のイヤリングを落として破損させてしまい、嘆いていたところを一人の少年が声を掛けてくれた。
直せるという彼の言葉を信じ、再会を約束してイヤリングの片方を彼に託した……。
なんてことはない、ただ幼い子供のやりとりだ。
恋とも言えない淡く儚い思い出。
誰しも似たような思い出の一つや二つあるだろう。
だがそれを子供達に話すのは妙に躊躇われ、シャロンは出来るだけ感情が出ないよう、ただの思い出でしかないと自分に言い聞かせて話した。
全てはもう終わったこと。
イヤリングをいまだ身に着けていたのは……ただ、デザインが気に入ってるだけ。それだけだ。
「アルドリッジ家に嫁いでからは、イヤリングのことはエドワード以外には話していないわ。でも嫁ぐ前は両親や友達に話していたの。イリオにも、何度か話をしていたはず」
「お母様がいまだにイヤリングの片方を付けているのを見て、使えると思ったのかしら。それにしても、よく15年前の話を覚えていたわね」
「……日記」
ポツリとシャロンが呟いた。
アスタル家にいたころは毎夜日記をつけており、15年前のパーティーの日も書き記した。どんな少年だったか、どんな会話を交わしたのか、きっと今のシャロンが忘れてしまったことも日記には残っているだろう。
あの日記はアスタル家に残したままだ。そうシャロンが告げれば、話を聞いていたイザベラが溜息で返した。
「娘の日記を漁って、思い出をぶち壊しにするなんて……」
「あの男には娘の思い出なんてどうでも良いんです。家の為なら何でもする、娘の幸せなんて考えもしない」
「イリオ・アスタルの浅ましさには感服するわ」
もちろんイザベラの感服という言葉は皮肉であり、それほどまでに呆れたということだ。
イリオ・アスタルはアルドリッジ家の恩恵を求めている。
財政難に陥りかけているというのだから、もはや悠長なことを言っている余裕もないのだろう。
だがシャロンはそれを拒否した。
これでもかと他人行儀に振る舞う姿は、イリオの目にはアルドリッジ家とアスタル家の繋がりを断ち切ろうとしているように映ったはずだ。母に倣いフィルやレイラもまた他人行儀に接し、出した手紙の返事すらよこさない。
そもそも二人はシャロンの実子ではなく、アスタル家とは直接的な繋がりはないのだ。
シャロン達の徹底した他人行儀を前に、さすがのイリオも縁故関係で擦り寄るのは諦めたのだろう。
そして次に目を付けたのが、シャロンの右耳で揺れる薔薇のイヤリングと、それにまつわる思い出……というわけだ。




