28:恋する令嬢
「……ねぇ、エドワード。恋をすると悩みが尽きないものなのね」
そう溜息交じりにレイラが呟いたのは、とある日の午後。
最近レイラは草木の手入れに興味があるようで、今日も仕事中のエドワードの横についてあれこれと学んでいた。
そんな矢先の事である。これにはエドワードも目を丸くさせ、剪定中だった手をぴたりと止めて彼女を見た。不意打ちの質問に対しての驚きを隠しきれていない。
「恋、ですか」
「えぇそうよ。恋って素敵なものだと思っていたけど、こんなに胸が痛くて苦しいなんて……」
瑞々しい薔薇の花びらを撫でながら、レイラが深く溜息を漏らす。伏せられた瞳は愁いを帯びており、溜息を吐くと形の良い唇をきゅっと閉じた。
今の彼女は恋煩いに胸を痛める少女そのものだ。麗しい令嬢が薔薇に囲まれ恋に悩む、なんて様になるのだろうか。恋物語のワンシーンのような甘酸っぱさがある。
……のだが、
「……なんて顔してるのよ」
と、レイラが恋煩いの顔から一転、厳しい顔つきで隣を睨みつけた。
エドワードが怪訝な顔をしているからだ。
普段の愛想のよい笑みも消え失せ、眉間に皺を作っている。半開きになった口は信じられないと言いたげで、レイラに「顔!」と叱咤されてようやく我に返った。
「これは失礼いたしました」と白々しく返し、いつも通りの笑みに戻る。この変わりようは見事としか言いようがなく、レイラは眼光鋭く睨みつけたものの、呆れと諦めを込めた溜息を一つ吐くだけに留めた。
「それで、レイラ様が恋とは。いったいどこのご子息でしょうか」
「……子息じゃないわ」
「おや、でしたら当主ですか。家名を背負う男の魅力というものですね」
「違うわ。そもそも貴族じゃない」
「貴族ではない……。でしたら著名な学者か、世界に名を馳せる作家。もしやロイド・オルソンのような有名デザイナーでしょうか」
さて誰が居たか……とエドワードが思い当たる人物の名前を挙げていく。
どれも貴族でこそないが著名な人物だ。知力と才能を持ち、そして並々ならぬ努力をもって名を成した者達。
だがレイラはどの人物の名にも反応せず、視線を手元の薔薇に落とした。
「学者でも作家でもないわ。デザイナーも違う。でも凄く素敵な人なの。優しくて誠実で、彼と一緒にいると穏やかな気持ちになれる。あんなに暖かな男の人は初めてだわ」
「そういう事でしたか……」
レイラの話に、エドワードが真剣な口調で返す。
次いで手元に咲いていた薔薇を一輪手折り、そっとレイラへと差し出した。眉尻を下げた彼の表情は切なげで、先程のレイラ同様に愁いを帯びている。
「レイラ様のお気持ちに気付けず申し訳ありませんでした。しかし、私には心に決めた人が」
「庭師でもないわ」
「おや、そうでしたか」
切なげだった表情を一瞬にして元の笑みに戻し、エドワードが「これは失礼」と手折った花を己の胸ポケットにしまった。
レイラが冷え切った目で彼を睨みつける。
「でしたら、レイラ様の心を射止めたのはどこのどなたでしょうか」
「……花屋よ。市街地の花屋で働いている」
「ははぁ、それで最近やたらと庭の手入れを手伝っていたわけですね」
レイラの行動の理由が読めたとエドワードがニヤと笑みを浮かべる。
普段の愛想のよい笑みとは違う、底意地の悪い笑みだ。これもまた見目が良く様になっている。
だが今のレイラには見目がよくとも腹立たしいものでしかなく、再び「顔」と指摘してやった。途端にエドワードの顔が元の笑みに戻るのだから咎める気にもならない。
なにより、今はエドワードの態度に文句を言っている余裕はない。
想い人のことばかり考えてしまい、そして考えれば考えるだけ胸が苦しくなるのだ。手元の薔薇に向き直り切なさから溜息を吐けば、さすがにこれ以上は茶化すまいと考えたのかエドワードが「レイラ様」と真剣な声色で呼んできた。
「いったい何を悩んでおられるんですか?」
「……彼に、私は隣町に住んでるって言ってあるの。花に興味がある一般市民だと思ってるわ」
「なるほど。アルドリッジの名前は伝えていないわけですね」
エドワードに問われ、レイラは小さく頷いて返した。
レイラと青年が出会ったのは、数ヵ月前、レイラが友人と市街地に遊びに行っていた時だ。
目新しい花屋を見つけ、ふらりと立ち寄ったのが事の始まり。
聞けばその花屋は開店したばかりで、本店での働きを認められて支店を任されることになったのだと店先にいた青年が教えてくれた。その表情は希望に満ちて輝いており、そしてどことなく誇らしげ。
そんな彼の姿に、レイラは胸を打たれた。
店先で咲き誇るどの花より、彼が眩く鮮やかに見えたのだ。
「何度も彼のところに行ったわ。彼も私のことを覚えて、気軽に接してくれるようになって。最初は『お客さん』って呼んでいたのに、最近は顔を覚えて『レイラ』って呼んでくれるの」
「それで最近出かけることが多かったんですね」
「この間は彼の休憩中に二人で喫茶店に行ったのよ。テラス席で、二人でゆっくりお茶をしたの」
その時のことを思い出しているのか、レイラの頬がほんのりと色付く。
だがすぐさま表情を暗くさせてしまったのは、彼とのことを思い出せば胸が高鳴るが、同時に悩みの種でもあるからだ。温まった胸もすぐさま締め付けられてしまう。
そんなレイラの態度に、エドワードが「事実を話せば良いのでは?」と尋ねた。
貴族を騙って一般庶民だったならまだしも、レイラの場合はその逆。一般庶民だと思って接していた女性が実は名家令嬢だった。いったい何の問題があるというのか。
エドワードは思わず「逆玉の輿じゃないですか」と言いかけ、出かけた言葉を飲み込んだ。これを言ったら睨まれるどころではない、ルーシーとロイドの庭園巡回が自分のエリアだけ強化されかねない。――美的感覚が人知を超えた二人の巡回は庭師にとって何より恐ろしいものである――
だがレイラの表情は相変わらず浮かないもので、理由を問うエドワードの視線に対して「そう上手くいかないのよ」と溜息交じりに返した。
「もしも彼と結婚できても、何一つアルドリッジ家の為にはならないわ」
「家のため?」
「フィルは家を継いで、私は良い家の子息と結婚してその家とアルドリッジ家を繁栄に繋げる。それが務めだと思っていたのよ」
レイラが俯き落ち込んだ声色で話す。
大半の令嬢にとって、結婚とは同等の家の子息とするものだ。時に例外もあるが、それは先程エドワードが挙げたような著名な人物達との結婚である。
露骨な政略結婚こそ前時代の古臭い習慣となったが、相応の身分同志が結婚し、そして『結婚し家の繁栄をもたらす』という考えは未だに根付いている。
「だから、私も家を繁栄させる相手と結婚するんだって考えていたの。そういう人と惹かれ合うんだって。でも、彼と出会って……」
貴族ではないとはいえ世界的なデザイナーのロイド・オルソンならばまだしも、レイラが恋している相手は市街地にある花屋の店主。まさに一般市民中の一般市民で、アルドリッジ家の繁栄には繋がらない。
だがそれが分かっても、惹かれる気持ちは抑えられないのだ。
レイラが項垂れ、それだけでは足らず胸元をぎゅっと押さえ、苦し気な声で「お母様には話せないわ」と呟いた。
「きっとお母様をがっかりさせる……」
「そんなことありませんよ」
項垂れるレイラを気遣うエドワードの声は、普段よりも少しばかり低く落ち着きを感じさせる。
レイラがゆっくりと顔を上げれば、宥めるためにエドワードは目を細めて微笑んだ。いつもの爽やかで作りものめいた笑みでもなければ、先程までの冗談交じりの態度とも違う、優しく包容力さえ感じさせる笑みだ。
「シャロン様は何よりレイラ様とフィル様を大事に思っています。きっと話せば理解してくださいます」
「……そうかしら」
「えぇ、きっと誰より喜んでくれますよ」
「それなら、お母様に話すことにするわ。その時にはここを借りるわね」
レイラの言う『ここ』とは、今いる場所、エドワードが管理する薔薇の生垣で囲われた一角だ。もちろんアルドリッジ家の庭園なのでレイラが許可を求める必要は無いのだが、それでも一応一言告げておく。
それを聞き、エドワードが「もちろんです」と頷いて返した。
レイラが安堵の表情を浮かべる。
エドワードに打ち明けたことで気が楽になり、シャロンに話す覚悟もできたのだろう。いまだ不安そうな色は少し残っているものの、元の彼女らしい晴れやかさが垣間見える。
次いでレイラは深く息を吐くと、自分の中で結論付けるためか「うん」と独り言ちて頷いた。
そうしてエドワードへと向き直れば、その表情はいつものレイラのものだ。それどころかニヤリと笑みを浮かべるではないか。
「ところでエドワード、貴方がさっき言った『心に決めた人』についてなんだけど」
「おっと、向こうの薔薇が傷んでいるようですね」
見てきます、とエドワードがそそくさと場を離れる。
なんと分かりやすい逃げだろうか。その背中を見届け、レイラは苦笑交じりに肩を竦めた。




