29:愛に生きる令嬢
アルドリッジ家の庭園は今日も美しく、柔らかな風がサァと軽やかに吹いて花々を揺らす。
そんな庭園の、薔薇の生垣で囲まれた一角。
「……あのねお母様。私、お付き合いしている人がいるの」
そうレイラがおずおずと話し出したのは、彼女がエドワードに打ち明けてから三日後の事だ。
これにはシャロンはもちろん、フィルまでも驚いて目を丸くさせた。
ついでに給仕として傍らに立っていたエドワードまでもが意外だと言いたげな表情をしたのだが、彼に関してのみ「あれから三日でお付き合いの仲に!?」という驚きである。
「まぁ、いつの間に……。だから最近出かけることが多かったのね。フィル、貴方は知っていたの?」
「僕も初耳だよ」
驚きを隠せず、シャロンとフィルが顔を見合わせる。
確かにここ最近、レイラは市街地に遊びに行くことが多かった。あのロイド・オルソンと会えるという時でさえ、彼女は市街地に行くことを優先したぐらいなのだ。――結果的に、ロイドは二日に一度はアルドリッジ家に顔を見せるようになったが――
その変化にはシャロンも気付いていたが、さすがに恋をしているとは思わなかった。相当気に入った店があるのだろう、家族と行動するより友達と遊ぶ方が楽しい年頃なのね……と、そんなことをのんびりと考えていた。
「良い人がいるならもっと早く言ってくれればいいのに。それで、どこの家の方なの?」
娘に春が訪れたと考えれば、自然とシャロンの気分が高まる。
だが当のレイラはむぐと口ごもってしまい、果てには視線をよそに向けてしまうではないか。とうてい己の恋路を――それも順調であるはずの恋路を――語ろうとする表情ではない。
フィルも彼女の異変に気付き、窺うように顔を覗き込んだ。だがそれすらも今のレイラには辛いのか逃げるように視線をそらす。
「……花屋なの」
「花屋?」
「……市街地の花屋。そこで働いている人。貴族じゃないわ」
視線をそらしたままレイラが相手について話す。
男の名前はカミーユ。今年で二十歳になる、市街地にある花屋の支店長だ。もちろん爵位も何もなく、学者や作家のように名を馳せているわけでもない。平凡な一般家庭で育った、極平凡な青年。
それだけを手短に話し、最後にレイラは「でも素敵な人なのよ」と呟いて話を終いにした。チラと横目でシャロン達のことを窺ってくる。
対してシャロンはと言えば、
「そうなの……」
と返すだけで精一杯だ。唖然としてしまう。
なにせレイラは以前までは「素敵な殿方と結婚して、愛も幸せも繁栄も手に入れるの!」と意気込んでいた。彼女のやる気はかなりのもので、そのたびにフィルと顔を見合わせ肩を竦めていたぐらいだ。エドワードの事を逆玉狙いの庭師と呼んでいるが、志や度合いで言えばレイラも同じだ。
そして彼女のやる気に肩を竦めると同時に、シャロンはレイラの幸せを願い、いざという時には自らのツテを駆使して彼女の願いを叶えようと考えていた。
だというのに、レイラが付き合っているという男性は貴族ですらない。しがない花屋の支店長。
まさに予想外と言える相手にシャロンが何も言えずにいると、顔を背けていたレイラが意を決したと言わんばかりに「お母様!」と呼んで向き直った。
「お母様、ごめんなさい……! でも私、カミーユのことを愛しているの!」
「そ、そうなの」
「ガッカリされるのも当然だわ。ここまで育ててもらった恩を返すべきだとも分かってる。……でも、ごめんなさい!」
「落ち着いて、レイラ。お母様はね」
「私、彼と一緒に生きていきたいの! 勘当される覚悟はできてるわ!!」
「だから……か、勘当!?」
レイラの口から発せられた言葉に、シャロンが驚いて声をあげる。静観していたエドワードもこれには虚を衝かれたのか、普段の取り繕った表情から一転したようにレイラを見た。
そんな中「レイラ!」と彼女の名前を呼んだのはフィルだ。慌てて立ち上がり、震える彼女に寄り添う。
「フィル、ごめんなさい。でも私もう決めたの……。アルドリッジ家は貴方に託すわ!」
「そんな、レイラ……。どうして……!」
「カミーユと生きていくわ。たとえ二度とアルドリッジ家を名乗れなくても、この家に帰ってこられなくても。私、後悔しない……!」
目尻に涙をためたレイラがフィルの手を握り、切なげな声色で「アルドリッジ家をお願いね」と託す。告げられるフィルもまた心苦しそうで、眉尻を下げて手を握り返した。
寄り添う二人の姿はなんとも悲劇的だ。双子として名家に生まれ、共に育ち、そして名家に生まれたからこそ愛の代償に決別を強いられている。
家を捨て愛に生きるレイラと、家を背負い生きるフィル。双子として生まれたのに、二人の道はここで分かれてしまう……。
感動の物語でも書けそうなシチュエーションではないか。
……そんな二人を前に、シャロンはと言えば、
「いやね、勘当なんてしないわよ」
と取り残された気持ちでポツリと呟いた。若干拗ねた色さえ感じさせる声である。
だがこの言葉は生憎とレイラとフィルには届かない。それどころかレイラは「今まで育ててくれてありがとうございました」と別れの言葉を告げてくるではないか。
シャロンの眉間に皺が寄り「だから勘当なんてしないわよ」と不満を訴える。
もっとも、残念ながらこれも愛に生きる悲劇の令嬢の耳には届かないのだが。




