14:火遊びは火力を増して
うっとりとした口調で話す今のシャロンはハミルトンを見上げてはいるものの、瞳はどことなく虚ろ気だ。
彼を見ているというより、彼を通して自分達の未来を思い描いているというべきか。
これには寒気すら覚えたか、よりハミルトンが青ざめ、距離を取ろうと体を僅かにのけ反らせた。もっとも、シャロンがそんな逃げを許すわけがなく、掴んだ腕にぎゅっと力を入れて更に距離を詰める。
もはや絡めとるに近く、さながら獲物に巻き付きゆっくりと締め上げていく大蛇だ。寄りかかり体重をかけていくのも、きっとハミルトンには実際の重さ以上のものを感じさせるだろう。
「必ず私達家族のもとに帰ってきてくださるのなら、多少のやんちゃだって見てみぬふりをするわ。だって男だもの、少し外で遊びたくなるのはしょうがないものね」
まるで悪戯っ子を愛でるように、それでいてどことなく妖艶な色を混ぜてシャロンが笑う。
赤い口紅を塗った唇で弧を描き、わざとゆっくりと、弄ぶように「ねぇハミルトン様」と同意を求めた。
対して今のハミルトンの顔は、シャロンの赤い唇とは真逆、哀れなほどに真っ青である。
「えっと、シャロン様、この話はまた別の機会に」
「まぁ、連れないことを仰らないで。私のすべてを求めてくれたじゃない。……だから私も、貴方にすべてを捧げるつもりで今夜を迎えたのよ」
熱っぽい声色で大胆に告げ、ほんのりと頬を赤く染めてシャロンが微笑む。それでいて腕を掴む力は緩めない。
恥じらいつつも想いを伝える夫人。普段であればハミルトンもその場任せの言葉を紡いでシャロンに応えただろう。甘い空気を漂わせ、心の中ではうまくいったと笑みながら寝室に連れ込み一夜を共にしたに違いない。
だが今夜は違う。
今夜だけは違う。
一夜に賭ける代償が大きすぎる。
現にハミルトンは青ざめ言葉を失い、寝室に連れ込むどころではない。
それを見てもシャロンは彼を解放する気にはならず、気を引くように腕をクイと引っ張り「ねぇ」と甘い声を出した。
サァと風が吹き抜け、草花と共にシャロンの髪を揺らす。
赤い髪が揺れる様はまるで炎。きっと今のハミルトンには、シャロンが燃え盛る炎を纏い絡みつく蛇のように見えていることだろう。
一度絡みついた蛇は容易には離れてはくれない。そうシャロンは心の中で笑みを浮かべ、「ハミルトン様」と猫なで声で彼を呼んだ。
分かりやすく――むしろ露骨すぎるほどに――甘えるシャロンとは対照的に、ハミルトンは青ざめる一方だ。
助けを求めるように周囲を見回すが誰もいない。そもそも人気のない庭園に連れ込んだのはハミルトン本人である。
「実を言うと、レイラとフィルにも既に話をしてあるの。ハミルトン様が密に手紙をくださるのを『熱意的な方』と話していたわ」
「二人にも話しているんですか!?」
「えぇ、もちろん。私達は家族だもの。二人とも、新しいお父様が来てくれるなら喜んで受け入れると言っていたわ」
「そ、そんな……!」
ハミルトンがいよいよをもって情けない声をあげた。取り繕う余裕も残されていないのだろう。
だが青ざめ情けない声をあげるのも仕方ない。彼にとってシャロンとの事はちょっとした遊び、一度や二度逢瀬を重ねて後腐れなく終わるはずだった。――年上の女性や既婚の夫人を狙うのも、年若い令嬢より彼女達の方がそういった一時の関係に理解を示しやすいからだろう――
そうやって若い盛りを遊び歩き、飽きたらクラリスの元へと戻る。それが彼が描いていた未来図だ。
シャロンと結婚してアルドリッジ家に入るなど、ましてや二人の子供の――それも自分とそう年の差のない二人の――父親になる気などさらさらない。
ついにそれを自白する気になったのか、ハミルトンが覚悟を決めた顔で「シャロン様!」と呼んできた。
だが自白して終了なんて生ぬるいことは許さない。
すかさずシャロンは「もしかして」と言葉を被せることで彼の発言を遮った。
「もしかして、私とのことは遊びで終わらすつもりだったのかしら。私が社交界の事を知らないからひっかけるのも楽だと思い、軽く遊んで捨てるつもりだったと?」
「ま、まさか、そんな……そんな、ことは……」
「それなら、夫を亡くしたから殿方の温もりに飢えているとでも思っていたのかしら。男の肌恋しさに、声を掛ければ直ぐに付いてきて抱かせると? 私の体を弄び誑かし、アルドリッジ家の金を出させるつもりだったのかしら」
「そんな、さすがにそこまでは! ……あ」
ハミルトンが言いかけ、己の失言に気付いて言葉を止めた。だが遅い。
「そこまでは考えていない」という事は、裏を返せば、程度の差はあれど似たような思惑があったということだ。自白したも同然。むしろ自白の際に誤魔化そうと考えていたのならより最悪な状況である。
ハミルトンの顔色がより青くなり、額にはうっすらと汗まで掻いている。
「いくら若いとはいえ、やって良いことと悪いことがあるわ。それに、夫亡き身とはいえ私はアルドリッジ家の女。私への侮辱はアルドリッジ家への侮辱」
「も、申し訳ありません、シャロン様……! 大変なご無礼を……」
静かな庭園に、ハミルトンの情けない謝罪の声が響く。
だがそれに対して、シャロンは怒るでもなく詰め寄るでもなく、この場に似合わぬ優しい笑みを浮かべた。
次いで「構わないわ」と穏やかな声色で告げ、彼の胸元にそっと手を添えた。