15:火遊びの代償
「そんなに謝らないで。夫がやんちゃをしたら咎めるのも妻の役割だもの」
「……つ、妻? いえ、だってこの話は」
「ハミルトン様、どちらが良いか考えて。アルドリッジ家の未亡人を弄ぼうとしたと世間に知られるか、もしくは、私と結婚するか。もしも前者を選ぶなら、私はひどく傷つき、二度と同じ哀れな女を出さないようこの事を世間に知らしめる必要があるわ」
ただでさえ社交界はシャロンに注目している。夫を亡くし、ようやく心の傷が癒え前向きになりはじめた哀れな未亡人。
そこを突いて弄び捨てようとしていたとなれば、これは若気の至りでは済まされない。社交界中がハミルトンを責めるだろう。なにせ誰が見ても明らかなほど非はハミルトンに有り、彼を庇うメリットは欠片も無い。
むしろ周囲が彼を責めずとも、レイラとフィルが「母を弄ぼうとした」とハミルトンに怒りの矛先を向ければ終わりだ。彼の家よりアルドリッジ家の方が比べるまでもなく高位にあるのだから、大義名分のもと叩き潰すのは容易。
それを煽るように「あの子達はまだ子供だから、きっと加減が分からないわ」とシャロンが笑う。有事の際には完璧に叩き潰すという事だ。
となれば、ハミルトンに残された道はただ一つ。
シャロンとの関係を正式なものにする。つまり、シャロンのすべてを受け入れ、二児の父になるということだ。
クラリスとの縁談を破棄することになるが、社交界中から後ろ指を指され、アルドリッジ家の怒りを買って叩き潰されるよりマシである。
そのうえシャロンがうっとりと目を細めて微笑みながら「クラリスさんが気がかりなら、適した縁談を見つけてあげる」とまで言うのだ。
これですべてうまくいく。
皆が幸せになれる……。
ねぇ、とシャロンが同意を求めた。幸せな未来を思い描き酔いしれる甘い声だ。だが今のハミルトンにはその声すらも己に絡み締め付ける音に聞こえるだろう。
火遊び計画の崩壊どころか、自分の人生設計が崩壊しているのだ。ろくな返事も出来やしない。
それを見て、シャロンは僅かに彼の腕を掴む力を緩めた。逃げる隙と見たのか、一瞬にしてハミルトンの腕が引き抜かれる。
「も、申し訳ありませんシャロン様! 本当に、あの……こんな事になるなんて……ご、ごめんなさい!!」
貴族の子息らしい謝罪をしたかと思えば、それでは足りないと親に叱られた子供のような謝罪をする。先日のクラリスとまったく同じではないか。
これにはシャロンも肩を竦めて深く息を吐いた。「まったく」と呟いた声には、既に先程の甘さや大蛇の気配は無い。
「これに懲りたら、他所の女性に手を出すなんて馬鹿な真似はするんじゃないわよ」
「は、はい……」
「ばれなきゃ良いと思って隠れて遊んだところで、アルドリッジ家に掛かればお見通しなんだから。いい加減、一人の男として誠意と落ち着きを持ちなさい」
「……はい」
「返事が小さい!」
「はい! 分かりました!! これからはクラリス一筋で生きていきます!!」
シャロンの叱咤に、ハミルトンが声を張り上げて宣言する。
名家の一人息子として甘やかされ自由に生きてきた彼にとって、これほど叱られ追い詰められたことはないはずだ。必死で謝罪をしており、これ以上追い詰めれば泣き出しかねない。
「分かったなら、明日朝一でクラリスさんに謝りに行きなさい。今までの薄情な行動をきちんと謝るのよ」
「は、はい! 必ず朝一にいきます!」
許しを得られるとハミルトンが顔を上げる。その表情は一筋の光を見たとでも言いたげだ。
少しばかり怖がらせすぎたかしら、とシャロンが心の中で呟いた。彼が女性恐怖症にでもなったらどうしようか。
◆◆◆
「それじゃ、今日はもう帰らせてもらうわ。帰りの馬車は用意してくれるのよね」
「も、もちろんです! 今すぐに用意いたします!」
ハミルトンが大慌てで去っていく。
その速さといったらなく、これにはシャロンも呆れるしかない。気分はすっかり息子を――それも些か出来の悪い息子を――叱る母親だ。
「まったく。他でもないこの私が、浮ついた男を子供達の父親にするわけないじゃない」
そう誰にともなく呟き、サァと吹き抜ける風に赤髪を揺らした。
『浮ついた男』で思い出されるのは、言わずもがなデリックの顔……ではなく、背中だ。あの男の顔を正面から見た事など数えるほどしかなく、早々に記憶から消し去ってしまった。記憶に残っているのはこちらを一度として振り返ることのなかった背中だけ。
思い出すだけでも忌々しい。薄情な男。
シャロンはデリックに対して愛など抱いていなかった。形式上は夫であり必要な時はそう呼びもしたが、夫婦という意識をもったことなど一度もない。
だがレイラとフィルは別だ。二人にとってはどれほど不誠実な男であろうとデリックは父親であり、幼い頃はいつか父が自分達を見てくれるはずと期待を抱いていた。
誕生日のたびに「今年はお父様に『おめでとう』って言ってもらえるかな」と期待し、裏切られ、傷ついていた。それを繰り返し、期待すら抱かなくなったのはいつだったろうか。思い出すだけで胸が痛む。
そんな二人に、再び不埒な男を父親に……。考えられない話だ。
今回の件でハミルトンが改心してもお断りだ。というか、どれだけ改心しても彼は出来の悪い息子にしか思えない。
「レイラとフィルを大事にする人、これは最優先すべき条件よね。それと、私が本当は儚い未亡人じゃない事も受け入れてくれると良いんだけど」
子供達を大事にし、なおかつシャロンの本音を受け入れてくれる夫……。
はたしてそんな男性はどこかにいるのだろうか。
そうシャロンが考えを巡らせ、浮かびかけた人物の名前を口にしようとし……、
御者を連れておずおずと現れるハミルトンの姿を見つけ、言いかけた言葉を飲み込んで夜の庭園を歩き出した。




