六話:水到渠成・中 為すと成らない時もある
「なんで畑、作ったんです?」
触れられたくない話題。そうと知ったら、突かずにはいられない。織実はニコニコしながら、問いかけた。
しかも庭のど真ん中。何故そこなのか、という純粋な疑問もある。
「人の世に出す。相応で無ければならぬのだ。過ぎれば紛い物となろう」
なんとも遠回りな回答を頂いた。つまり、仙境の植物では駄目らしい。何しろ自動再生する不思議生態だ。それを食料にしている織実には、聞き捨てならない内容でもある。
よいしょ、と石の座面に座ってみると、冷えが背中を駆け抜けた。前には湯気の上がる湯呑がひとつ。甘い香りを漂わす。味も甘そうだ。
「うげ…………」
思わず呻くと、茶盤を勧められる。それは所謂捨て湯受けで、飲まなくていい、と言う事だ。つい自嘲がこぼれた。
好かれる事は、やってない。
仙人だって人間だ。嫌がらせくらいはするだろう。もちろんそれは、知っていた。けれど少しだけ、ほんの少しだけ、落胆したのに気づいてしまう。
敵を作りやすい性格なのだ。
だからといって改めるつもりは、欠片も無いが。それを自業自得とヒトは言う。
青い視線は織実を過ぎて、また景色の中を彷徨っている。
もしもこれが嫌がらせなら、こちらが茶を捨てるまでは見るだろう。何となく、良い方向に考えた。
家主とケンカ。これは避けたい、本当に。そもそも味の好みを知るほど、仲良くもないのだ。偶然だろう。
――――璃君が?
地獄耳で、いつ寝ているか、それさえ不明な仙人サマが、無駄な事をするのだろうか。
こんなお茶をわざわざ出して、庭に出る事。結論を先延ばしにしているのは、まるで彼の方である。
織実は渋い顔になった。
「もしかして逃げる機会、作ってくれました?」
反応が見たくなかったので、気合で湯呑を傾ける。やはり甘くて仄かに苦い。璃君の視線は動かなかった。
「さてな」
「だから、ダメなんですよ」
ぼそっと本音が零れ出る。そんなんだから、朱鬼が手つかずになっているのだ。
教師が逃げ道を作っていたら、やらない、というのが普通の生徒。こうして庭に来たのも、苦手なお茶を出したのも、まるで逃げる口実を作っているようではないか。
「無理にする事でもあるまい」
「拳法教えるの、本当は面倒でした?」
「いや…………そうは言わぬが、先に嫌がったのは其方であろう」
――――ああ、やっぱり面倒なんだ。
織実はそう断じた。するかしないか、二択だったら好きな方を選ぶだろう。けれど彼は、選択した後の本心を見る。
これは良くない先生だ。
「あのですね、人には、本音と建前ってのが、あるんですよ」
「本音に添えばよかろう」
「怒りますよ」
「もう怒っておろうが」
誰のせいだと。織実はイライラ璃君を睨んだ。回りくどいのだ、この男。
「其方は、拳法がしたいのか」
「絶対に嫌」
「ならば、さっさと帰るがいい」
「…………あたしまだ、畑の理由、聞いてませんけど?」
タダで帰ってなるものか。やられた分は、正当報酬として払わせる。そうでなければ、モヤモヤした気分が晴れそうにない。
浅く嘆息する璃君に、織実は身を乗り出した。
「庭の真ん中に畑ですよ? 作った理由が気になるんです」
「…………」
「…………まさか、無い? 景観損ねるのに、わざわざ、ど真ん中にした理由が、無い?」
「…………そういう事だ」
「無いの!?」
「そう言っている」
とうとう睨まれた。無計画に畑を作ったのだ、彼は。そこだけは止めておけば良かった、と何処かで後悔したに違いない。
ともかく溜飲も下がったし、織実は昼食作りに帰る頃合いだ。
「樒、明日の早朝、裏山へ来なさい」
「なんで?」
璃君は眉間を厳しくした。
「しかと、鍛錬付けてやろう」
「は?」
「其方の本音は今、建前に負けたのだ」
「んな馬鹿な!」
「どうせ衣を作る。作業着が一着あっても困るまい」
盛大にやり返された。彼の建前は、本音に負けたに違いない。
「無計画ですね? 今、思い付きで、あたしに拳法させようって、思いましたね!?」
「だったらなんだ」
開き直られた。返す言葉が出て来ない。織実の日課に、早朝ラジオなし体操が決定した瞬間である。
「どうせなら、朱鬼とミカンにも教えて下さいよ!」
「朱鬼には身がない。琥琥は、其方次第だな」
「どういう事です?」
「そのままの意味だ。身体のない朱鬼は、首を背に回しても、苦にせぬぞ」
「…………それは聞きたくなかったです」
「琥琥は、以前に大きく妖力を削った。そのままだ。今の姿は其方の力によるもので、四足の獣に拳法など無用であろう」
その日の昼食は、やたらと微塵切りが多かったとか。朱鬼とミカンは、揃って首を傾ける。こちらの二人は、ずいぶん仲良くなったらしい。
「午後はどうする?」
織実が聞くと、ミカンは巻物を咥えて飛んできた。とことん武術が好きらしい。朱鬼はと見ると、改まって背筋を伸ばしていた。
「樒に、聞きたい事があるの」
どことなく思い詰めた表情に、織実は鷹揚に頷いておく。重い空気は好きじゃない。
「私、過去を思い出したかもしれないわ」
「良かったじゃん」
「…………良くないの」
「なんで」
朱鬼はますます、暗い空気を纏わせた。怨霊だった過去である。忘れていた方が幸せだろう。今更だが。
「ひとまず、お茶でも飲む?」
無理に話す事じゃない。織実は視線を逸らした。
「知っていたのね? 樒は私の事、知ってて教えてくれなかったの?」
「知っていたのは璃君だよ。あたしは聞いただけ。でも思い出せたんでしょ?」
「知らないわ。全部じゃないの…………気付いて欲しかった。手を伸ばしただけなのに」
ミカンが織実の肩に乗ってくる。曰く、急に思い出したらしい。それも今日の午前に。織実が書庫で格闘している時である。
「じゃあ、ひとまずその話、聞かせてよ。思い出したかったんでしょ? おめでとうだね」
「樒の馬鹿! いい思い出なんて、無かったわ!!」
「だったら、また忘れればいいじゃんか」
朱鬼は唇を噛み締めた。持て余しているのだろう。流石の織実も放置は出来ない。後味の悪い事である。
「どんな所だったの? 故郷とか親とか、そういうのは?」
お茶を入れて手渡してやる。朱鬼は、真紅の袖で受け取った。極端に指先を見せたがらない。朱鬼はいつも、そうなのだ。
「暗いところよ。上には屋根があって、空も見えないの。私はね、そこから出たくて、手を伸ばすだけ」
「…………それだけ?」
不幸中の幸いだ。織実は安堵の息を吐く。血みどろだったらお手上げだった。渋いお茶が程よくて、不味い話には丁度良い。
「明るい時は、光を遮る腕が見えるわ。でもそれは、私じゃなくて、鶴瓶ばかりに伸ばされる…………だからね、その手を目指して引っ張ると、人は簡単に落ちて来たのよ」
「うぐっ」
危うくお茶を吐きかけた。ミカンは衿元に潜り込む。魂が好物と豪語した割には、怖いらしい。織実は半眼になった。雲行きが怪しい。やはり血みどろか。
「町の井戸はね、遠い川からの引水なのよ。掘っても海水になるからって、お役人様がそうしたの。川から離れればそれだけ、井戸は深くなる。水は深い方に流れるもの。だから、深い井戸は枯れやすい」
「もういいよ、朱鬼」
「何よ、聞きたがった癖に」
「そうだけどさ。朱鬼の為になりそうな事が、無い気がします」
つい敬語になる。どこぞの井戸事情など、聞いても仕方のない事だ。問題は朱鬼が、殺意を思い出したのか、という事である。接し方の危険度が違う。怨霊の友達なんて、持ちたくないのだ、本当は。
「私の為ってなに?」
「朱鬼は水を枯らさなかったって、璃君から聞いたんだよね、そこん所どうなの?」
「知らないわ」
「なんてこったい」
肝心な部分を思い出していないとは。頭を抱えた織実に、朱鬼は暗く赤い瞳を瞬いた。とても、とても不思議な気持ちになったのだ。ガッカリしたから。心が動くような思い出が、何も無かったから。
――――風情が分からぬというのは、心の乱れが多い証だ。
璃君に言われた事がある。桃花咲き乱れる庭の全ては、風情と言うものが支配する、らしい。朱鬼はそれが知りたくて、花を散らせ、枝を折ったり、挙句、油を撒いて火までつけた。
燃やしてしまったあの庭は、今も立ち入り禁止になっていて――――樒が言うには、畑になっているらしかった。
「私、駄目なのかしら」
「そんな事ないって、思い詰めたら、出るものも出ないよ」
「ほんとう?」
「本当になって欲しいって、思ってる。医者じゃないからね、あたし。そんなに期待しないでよ?」
「…………なによぅ」
朱鬼の肩から力が抜けた。気長にやろう、と織実は思う。悪霊に戻したい訳じゃない。思い出せないから、穏やかに生きているのだ。今を捨てる事は、ないだろう。
やっぱり藪は突きたくない。
「どうしたもんかなぁ。ひとまず、朱鬼とミカンは自主練ね! しっかり勉強したまえ」
織実は衿からキツネを抓み出し、卓に向かって投げ捨てた。食後の昼寝は肥満のもとだ。太らせたら、本当に非常食だと思われる。主に璃君に。
「あたし、もうちょい本探してくるから、仲良くね!」
エロ本込みの書庫だと分かっていれば、別に動じる事もありはしない。生ぬるい目で見てやろう。
問題は、書庫の何かが朱鬼の記憶を呼び覚ました、という方だ。それとも、ミカンと二人にした方か。確かめる必要がある。
多分だが、朱鬼は全てを思い出すべきではないのだ。
殺意と希望は、希望の方のが清ければ清い程に対局となる。その均衡が、朱鬼の仙たる才能なのだろう。崩す訳にはいかない。
「何が手つかずなの!」
織実は頭をぐしゃぐしゃ掻いた。二代に渡り、彼女の資質は磨かれていたのだ。そうでなければ、怨霊に戻っていてもおかしくはない。
最後の一手。
その一手を残して、朱鬼は居た。それは本人の意志であり、仙を目指す心の筈だ。
「何が功績だっ、舐めやがってー!」
喜んで受け取れる筈もない。織実は正房の扉を蹴り開けた。




