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五話:水滴石穿・後 仙人への道


 まさに衣食住。


 手も出せずに、与えられるだけ。これを喜べるほど、織実は素直ではなかった。


 しかし不要とは言えない。口が裂けても。なんてイヤな状態なのか。


 物に当たる訳にもいかず、朱鬼にさっさと着物を返す。そして、誂えられてしまった一式を着た。下衣は滑らかな紺のスカート。上衣は短い丈のほうである。薄い黄色に朱の紐飾りという、可憐な仕様はいったい誰の趣味なのか。


 どうせ靴は赤なのだし、佩玉はいぎょくを下げれば、くよくよなんてらしくない、と立ち直るしかなさそうだ。


 文句を言っても始まらない。


 分かっているのに、抑えられない。織実は頭を振って、脳内から淡く微笑む璃君を追い出した。あんな顔して甘やかすから、油断も隙も作れない。


「頼らないようにしなきゃ。しっかりしなさいよ!」


 敗北感に、反抗心が湧き上がる。どうせこうなるなら、敬ってヨイショして、へつらう方が上手い女だ。分かっていたのに、あのやろう…………どうにも、頼りたくない気分にさせてくる。顔と態度は素っ気なくても、気の回し方が丁寧過ぎるのだ。


「ああもう、どうして上手くいかないの!」


 早く忘れなければ。断固自活してやると、決意を固めて竹籠を掴む。


 借りた書物によると、仙人には食事制限があるらしい。辟穀へきこくといって穀物を絶つ、それだけだ。


 確かに言われてみれば、米や麦、あわといった主食が仙境にはない。


 しかし手抜きである。


 環境だけ整えたって、本人にその気が無ければ仕方ないのに。


 気付くと織実の足は大門に向かっていて、扉の隙間から屋敷の外に忍び出る。


 相変わらず強い風が吹きつけた。地平線まで続く、果ての見えない雲の海。鳥の一羽すら見当たらない。


「ばっかやろーっ!」


 叫んだ声は、何処にも響かず消えていく。


 それが何より心地良い。


 思いつく限りの罵詈雑言ばりぞうごんを尽くしていると、遠くで朱鬼の声がした。どうやら探されているらしい。朝食の習慣を付けてしまったのだ、仕方ない。


 敷地内に戻りながら、織実は今朝の献立を考える。


 頭に、薄紫の花咲く庭が横切った。春のラベンダーともいうべき、花大根の群生地。香りはないが、藤色の花を咲かせる鑑賞目的の植物だ。


 昨今では雑草に分類される不憫な花で、大根と言うよりも菜の花の色違い、という姿をしている。ちなみに、菜の花の方が数倍美味だ。


 そこにはすみれもあったので、セットで根こそぎ摘んでおく。ここの植物は、たちまち元に戻ってしまう。美しくも不気味な生態は、見るたびに「あなたとは違うんですよ」と囁いてくるようだ。


 もしも仙境から出れたって、織実は元に戻れない。


 埃をはらって立ち上がり、壁から離れて日向へ向かう。少し離れたところに、クローバー似の葉を従える、ピンクの花が咲いていた。カタバミだ。


 際限なく生えるしぶとい植物なのに、細い茎を伸ばし、一輪の可憐な花を付ける。こんもり群生して次々花を咲かせるから、血迷った園芸初心者を惑わせるのだ。


 一度、庭に入れたが最後。根絶など出来ない恐ろしい植物である。目の仇にして抜きたくなったが、一応これも食べられる。


 美味しいかと言えば、とても頷く事は出来ないが…………調味料としては優秀だ。花の中心が、白く澄んでいる株を選んでむしり取る。花芯が赤いものは不味い。織実の中のルールである。


 お酢が無くても酢の物になるという、生態も味も酸っぱいカタバミ。それでも、美味しくいただきたい。


 籠の野草は三種類。


 アク抜きしたら、目減りは間違い無いだろう。


うりか欲しい…………」


 思わず呟いた口を、ぐっと噛み締める。頼らないと決めたのだ。青々しいメニューに、心折れては始まらない。菜の花畑に向かっていると、パタパタと軽い足音が近付いて来た。


「樒!」


 赤い深衣をひるがえし、朱鬼が走って来る。今の服装について追及されたくない織実は、摘みたての野草を見せて先手を打った。


「朱鬼、おはよう! 今朝もどっさり採れたよ」

「これって、食べられるの?」

「刺激的な味だけど」

「嫌よぅ、そんなの!」

「毒はない!」


 胸を張って答えると、朱鬼はむすっと顔をしかめた。


「樒のばか! 食中りして、のたうち回ればいいのよ! ずっとかわやに住めば良いわ。何処に行ってたのよ、探したんだから!!」

「門の外だよ。朱鬼は誘っても来ないじゃない」

「行くかもしれないでしょ! 誘いなさいよ!」

「へいへい…………でも、楽しい事はないけどね」

「なのに行ったの?」

「叫びに行った」


 素直に言うと、首を傾げられる。叫ぶだけなら部屋でもいい、なんて思ったのだろう。織実はニヤリと笑みを浮かべた。


「恨みごとを叫んでた」


 主に親と、自分の馬鹿さ加減についてだが。怨霊疑惑のある朱鬼は、どんな反応をするのだろう。横顔を観察していると、彼女は驚いたふうに赤い瞳をまたたいている。


「樒でも、誰かを恨むのね」

「決まってんでしょ?」

「そうなの?」


 聖人君子にでも見えるのだろうか。つり目のキツイ顔立ちなのに。織実は、どうもいたたまれなくなり、そっぽを向いて頬を掻く。


「発散するに限るのよ、広い場所で」

「…………それって、怨みを晴らすって事?」


 冷たい声がした。急にスイッチが入ったようだ。織実は慌てて「違う違う」と声を出す。


「晴らしたら相手に溜まるじゃん。そういう気持ちは、ともかく溜めると、ろくな事が無い訳よ。肌にも胃にも、人間関係だって悪くなる。だからさ、どんな気持ちであれ、くれたところに返さなきゃいけない、って決まりは無いでしょ!?」

「だから、叫ぶの?」

「そ!」

「叫んだって、ここから出られないし、樒を昇仙させた仙には届かないわよ? 相手に伝わらないなら、言葉にする必要、無いじゃない」

「分かってないなぁ、朱鬼は。あたしは、この気持ちを、与えた相手に返す気が無いんだよ。出たいには出たいんだけど、叫んでれば出られるなんて思ってないし、あたしを、こうした奴に聞かせる気も、無いの」


 朱鬼は訳が分からない、と眉を寄せた。それでも可愛く見えるのだから、美少女とはなかなかに凄いものである。


「いい? 美と健康の為に、あたしは叫んでる。それだけよ」

「…………私には、分からないわ」

「分からなくって良いけどね? 押し売りはしない」

「樒は、殺しても殺しても癒えない苦しみを知らない…………幸せすぎるわ」

「そりゃそうだ。殺したら何も言わないじゃん。あたしが一人で叫んでるのと、どう違うワケ?」


 ピタリと朱鬼が立ち止まる。殺人と愚痴のリサイタルを同列にするのは、やはり駄目だったか。織実は土で汚れた指先を服で拭って、綺麗になった手を差し出した。


 お手て繋ごう、の合図である。


「朱鬼は一人で、発散出来ないんじゃない?」

「…………じゃあ私は、どうしたらいいの?」

「おいでよ、明日は一緒に叫んでみよう? ホントは、口汚く罵るとこなんて、誰かに見せたくないんだけどさ。悪いお手本になったげる」


 朱鬼は長い衣に隠れた指を、そっと繋いできた。細くて白く、氷のように冷たい手だ。井戸に落ちて死に、更には仙境に落ちるなんて、余程、落下と縁がある。


 飛べるようになったら、喜ぶだろう。やれやれと前を向くと、今度は白慈が走って来るではないか。


「樒、貴女は何処を彷徨っているのです!」


 よくもさっきは、璃君に売ったな! 主人命のツンデレめ。織実がジトッと睨んでも、彼は堪える様子もなく近寄って来た。


「貴女に野菜が届きましたよ。氷室ひむろに入っていますから」

「なんだって?」

「だから氷室に」


 危うく発狂しそうになった。そういえば言った。食べ物が欲しいって、前に。


「それって他の仙境の?」

「ええ」


 白い髪に透けるような黄色の目。水色の衣と爽やかを絵に描いたような白慈の胸元が、もそもそ動く。思わず凝視すると、オレンジ色の小さな狐が顔を出した。ミカンだ、そういえば忘れていた。


 案の定ケンケン文句を言い出したが、朱鬼が怖いらしく白慈の胸元からは出て来ない。


「ねぇ白慈、朝ごはん一緒に食べる?」


 軽い気持ちで言った瞬間、彼は空気を凍らせた。


「人間など、吹けば消える綿毛と同じ。少し見ぬ間に世代を替えて恩を忘れる。僕は貴女を信用しない」

「食事に誘っただけじゃんか…………」


 何故に、ここまで言われなければならない。


 織実はヒラヒラ手を振った。そうまで言われると、意地というモノが湧いてくる。


「言い方が違ったね、白慈のくれた材料なんだから、味見に来たら? ミカンも出て来ないし」

「貴女のせいです」


 一体、何をしたというのか。見ると朱鬼は、ニコリと織実に微笑みかけた。ろくな事はしてない。まったくもって、どいつもこいつも。


「…………僕は仕事がありますので」


 白慈はミカンを摘み出すと、織実に押し付けて背中を向けた。歩み寄れそうにないヤツである。仕方ない。


 織実は綺麗に忘れる事にして、厨房に向かった。




 さて、食事の後は、勉強だ。


 漢字の読み書きを朱鬼に教える横で、ミカンは自習に勤しんでいる。意外にもこの狐、文字が読めるのだ。時々(ページ)をめくってやりつつ、小さな身体を見守っておく。


 読んでいるのは柔術(じゅうじゅつ)の書で、太極拳とか多分そんな雰囲気だ。文字より丁寧な絵が多い。


 狐の武術は大変可愛らしかった。


 しかし、役に立つのだろうか。


「こう、拳を握って…………前に出す時に捻りを加えると、威力が増すっ!」


 ニコニコして見ていたせいか、ミカンは説明してくれた。書によると、脇を閉める方が大事らしが。


「なんだよ、疑うのか?」

「仙人になるのに、威力いる?」

「…………要らない?」

「聞くな!」


 璃君が武術はいいって言うからだ。じゃなくても、ちょっと残念な頭なのに。織実としても、その内武術はかじろうと思っている。


 運動しておいて、損はない。


 うっかり飛べても損はない。


 ミカンを鍛えて達人になったら、お手軽な先生の誕生である。となると、実戦が最短ルートだろうか。


 織実はポンと手を打った。


「ミカンはさ、いっその事、毎日璃君に挑んできたら?」

「ヤだ」

「何で?」


 狐は赤い瞳に非難を込めて、見上げてくる。


「また札に閉じ込められたら、どうすんだ! ボロボロにされて、蹴られたら!!」

「ヤワには見えない」

「心はガラス! 繊細!!」

「キモい!」

「エモい?」

「…………意味分かってる?」

「かもい?」

「あんたの耳、掃除したげる」


 ミカンに教えを乞うなんて、短か過ぎる夢だった。しかし、本を見て実際の動きを理解出来るのは、素直に凄いと思う。


「どれも似たような形に見えるわ!」


 朱鬼が音を上げた。同じ事を思っていた織実は、こめかみを揉む。こちらはゼロからのスタートだ。仕方ない。ミカンは頁をめくり損ねて、紙の下で暴れていた。


 武術の前に、ハンデも論外なその姿。


「…………やる気あんの?」


 この調子では、何年どころか、何十年もかかってしまう。てっと早い方法は無いのだろうか。


「やる気は、あるわ!」


 朱鬼は書を開いて筆を持つ。慣れない手付きはぷるぷる震え、ミミズの方のまだ真っ直ぐ、と言うような漢字が書き出された。こちらは休ませたって、良いのだけれど…………


「俺だって! 何時は、あのヤロウを殴るんだ!」


 動機は不順だけれど、熱量は認めよう。織実は頁をめくってやった。


 こんな挑発に乗るくらい、まいって来ている、という可能性…………あるだろうか。少なくとも、今まで自由を謳歌していた二人だ。根を詰めさせるのは良くない。


 本当はもっと、為になる本を持って来られたら良いのだけれど。


 そう思ってしまうと、やる気なった二人に、応えねばならない。やってられない、ちんたらなんて。


 織実が席を立つと、二人は揃って見上げて来た。そんな、捨て猫みたいな目をしないで欲しい。


「もっと良い本、探して来るから。()()()してね!」


 あの本棚、ひっくり返してやる!




 

 

 

水滴石穿すいてきせきせん


一滴の水が石に穴をあけること。

小さい力でも積み重なれば強大な力になることのたとえ

 

 

 

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