五十六話:逆転の大天使
一人で二人を相手するのは無茶があった。徐々にだがベリドとテトが優勢になっていた。それは隠れて側から見守る風華の目からも明らかだった。
「すごい……ベリドくんとテトさん、押してるよ」
「当然だね。エンゼリング、結構便利みたいだし」
サラは足元にころがる、割れたエンゼリングを手に取った。使える分はもう落ちていない。サラがジェムとリックを復帰させるには、自分で魔力を回復させるしかなかった。
ふと飛んでくる流れ弾。風華はそれを魔法で防ぐ。
「大丈夫ですか? サラさん?」
「……ありがとう」
言い慣れていない礼を言う。
「大丈夫かーーー!? 江里さーーーん!!」
遅れて瑛士の声が届く。風華は大丈夫だよと大声で返す。サラはうんざりした表情で風華の肩を叩く。
「……ねえ、こっちに魔法弾飛んでくるたびに声かけんのやめてくれって言ってよ」
「え〜。いいじゃないですかあ」
「……」
メタトロンは杖を振り、テトの足を打った。彼は顔をしかめながらも踏ん張り、魔法弾を数発放つ。また全て弾かれた。
「ミカミエイジはかなり強くなったようですね。もう一人の私と戦って、まだ声をかける余裕があるようですよ」
「それが、どうした」
「よそ見するたびに攻撃は入っています。大切な人の心配をするのはよろしいのですが、あれではそのうち死ぬでしょうね」
「うるさいんや!」
ベリドは怒鳴った。
「お前の相手は俺らやろうが! 自分の心配をしたらどうや!」
『……るか……』
突然声が響いてきた。周りの環境音を押しのけ、頭の中にクリアに届く。だが、完全に聞き取ることはできない。
メタトロンの魔法を弾き、ベリドはテトに尋ねる。
「おい、なんか言うたか!?」
「おいじゃないだろ? 先にお前を片付けてやろうか?」
「あっ、いや、そうやないんや」
「何ですかごちゃごちゃと!」
魔法弾と、落ちていた石材の合わせ技だ。全て弾き飛ばせるが、手にダメージが蓄積してしまう。
ベリドはいちいち飛んでくる攻撃を叩く。テトはその体格に似合わず素早く動き、全てかわしている。
「……っ!」
「戦闘中だ。余計なことを考えると死ぬぞ──」
『黒魔族……テト……ベリド……聞こえるか』
「は!? おい、ほら! ほら!」
今度は一音一句、はっきりと聞こえた。誰かが自分たちを呼んでいる。幻聴かと勘違いして、あたりをきょろきょろ見回すベリド。テトに「お前も聞こえただろ」と言わんばかりに指をさす。
テトは落ち着いた様子で自分の胸をとんとんと叩き、これは精神系魔法であるとジェスチャーをした。
それを見て、ベリドは声に耳を傾ける。誰かが自分たちにメッセージを送っている。聞き流すわけにはいかない。攻撃することではなく、メガの攻撃を避けることに重きを置く。
『どうやら届いたみたいだね。せっかく助けてもらったところで悪いが、僕はもうすぐ死ぬ……。最後にミカミエイジにとっておきの魔法を使う』
ベリドは、ここでやっと声の主がレグナであることに気づいた。
──死ぬ、やと?
過去に殺しあった仲だ。当然言うことを聞く義理はない。だが白魔族界に来てからは、成り行きでだが、同じ陣営として動いた。それだけに、複雑な気持ちだ。
ベリドはそんな自分の心境に気づき、苛立ちついでに魔法弾を一発、敵に向かって投げつけた。それは、いとも簡単に潰された。
『頼みがある。時間を稼いでほしい。ついでに、メガ……メタトロンを連れて僕から離れてほしい』
『分かった。やってやる』
お前も混ざるんかい。ベリドはテトに合わせて、とりあえずこくんと頷いておいた。
精神系魔法の会話に、テトが入る。心の中では落ち着いた口調だが、現在彼がやっているのはメタトロンの杖を受けとめ、拳に込めた魔力をぶつける作業だった。
レグナは、本当に自分たちに頼み込んでいる。かつて見下していた、敵対していた黒魔族に。
「第八位ッ!」
「はっ!」
そう呼ばれ、ベリドは飛び上がった。そして走り出す。今のはメタトロンをうまく誘導するぞという意味が含まれている。
敵の攻撃を避けるようにして、二人はレグナから離れていく。ベリドも、今度は攻撃を弾くことはない。とにかく左右に避け、少しずつ退がっていく。それを追ってメタトロンも移動する。正に狙い通りだった。
「どうしたのです? 反撃はしないのですか? 先ほどの威勢ははったりですか?」
「……」
作戦はうまくいっている。杖が地面を叩きつける振動が遠くなっていく。レグナは、もう一人のメタトロンと戦う瑛士に手を向けた。
もう指をまっすぐ伸ばすこともできない。腕もそこまで上がらない。彼は目を閉じた。
「ヤオユーべ……ガ・ストラミスルヌ……レクェア・ゴー……」
レグナは魔法の詠唱を始めた。
過去に書庫で見つけた古い本に書かれていた、とある魔法。
誰かに覚えさせることで、いつか自分の役に立つと思い覚えた魔法。
他人に使われないように本は燃やした。だが、魔力の流れ・使い方・基礎魔法の構成まで、人に完全に説明できるまで練習した。
──まさか僕が使うことになるとはね。それも、非魔族に。
皮肉なものだ。
彼は詠唱を続けながら、口元を緩めた。
「……ガストロー・ザナザール・アロ……」
「させっか!」
それに気づき、ギュンと飛んでくるラファエル。
レグナをダンと踏みつける。
苦しみの声を上げ、口から血を吐き出すレグナ。肺が潰れ、骨が折れる。持ち上げた手は、力なく落下していった。
「あかん!」
ベリドが叫ぶ。
メタトロンは、何があったのかが理解できていない。ひとまず振り返り、状況を確認する。傷つき、うつ伏せに倒れたレグナの背を踏みつけるラファエル。
「ウリエルと同じ魔法だ。お前が使えるとは思わなかった!」
「くっ……またか……!!」
「おっと!」
ラファエルはテトに魔法をかけた。両手の自由が奪われ、腕が背中の方向に折り曲がる。転移系魔法を使わせないためのものだが、体のかたい彼にとってこれは大きなダメージとなった。
「ぐ、がああああああっ!!」
「同じ手は使わせねェぜ。メタトロン、やってやれ」
動きを封じられたテトは、メタトロンの攻撃の餌食となった。ぐいっと体を引っ張られ、そのまま体に杖を打たれる。痛みを堪えてよろめくところに、また二度三度と攻撃を受ける。
「気づかれてしもた」
ベリドは頭を抱える。転移系は彼が苦手な魔法だ。技術が足りず大きな物体を移動させることはもちろん、こう遠くまで離れてしまってはレグナの魔力も小さく感知しにくいため適切な発動場所を的確に絞ることができない。
「もう手は──ん?」
ベリドは唇を噛み締めた。
「……」
「もう手も使い物にならねェだろ? それでもまだ続けるってのか?」
レグナの口は動いている。詠唱は魔力の使い方を体に覚えさせるのに役に立つ程度のこと。声に出さなくてもイメージがはっきりしていれば魔法は繰り出せる。
それを見てラファエルは飛び上がり、足元に倒れているレグナに向かって手を向けた。
「しつこいんだよ!」
魔法弾ではない。放たれたのは極太の光線。巨大なエネルギーの塊となってレグナへとぶつかっていく。
ベリドは眼前のレーザーの威力に畏怖し、目を背けた。
彼の視線の先には瑛士が。超威力の魔法を目の当たりにして、レグナの安否が気になったのだろう。メタトロンの攻撃を受け止めたり避けたりを繰り返しながら、しきりにこちらを見ている。心配そうな表情がちらりちらりと垣間見える。
ラファエルの背に六つの翼が現れる。放たれる最大火力。反動で少し浮き上がる体。
刹那、地面とレーザーがぶつかる衝撃が広がる。
落ちていた建物の破片は飛び散り、辺りはまっさらになった。
レーザーの中心にあった地面からはしゅうと煙が上がっている。
レグナだったものはすでに真っ黒く焦げていた。そして、ぼろぼろと崩れて粉になっていった。
ラファエルは、高らかに笑う。
「これでお前たちの目論見も──」
ベリドの方を見ようとした瞬間、言葉に詰まるラファエル。
残骸の一部に、ふと青い残光が見えた。レグナの体だった灰が覆いかぶさり見えなくなったが、それはたしかに魔法の発動した証拠。
ベリドの表情はラファエルの期待していたものとは真逆。してやったりの顔だった。
「……まさか!」
ラファエルは瑛士の方を見る。
瑛士は変わらず戦っていた。自分の相手であるメタトロンの片割れの攻撃を防ぐことに力を割いていた。
戦況などどうでもいい。ラファエルはすでに全力で瑛士の方に向かっていた。
「今気づいても……ッ!」
レーザー接地の直前、ベリドが咄嗟に繰り出した転移系魔法。当然範囲は狭く位置はずれ、全く十分ではなかった。
だが、サラがそれを手助けした。
レグナの声を盗み聞きしていたサラは、ベリドに言ったのだ。
『おい、ボクがあいつの体をちょっとだけ動かしてやる! 転移系が使えるのはお前だけだ! ちゃんと狙いなよ!』
ベリドはその通りに魔法を使い、サラはレグナの手を操り、その小さな穴に手を突っ込ませた。
レグナの手首から先が瑛士の背後に転送される。
魔法はすでに発動していたのだ。レグナの中に残されていた魔力は全て手に集中していた。
「遅いんや!」
ベリドの声はラファエルに聞こえない。
どれだけ速かろうが、瞬間移動には勝てない。瑛士の背にぴったりとくっついた、千切れたレグナの掌。
「受け取れぇえええ!!!」
ベリドの叫びとともに、瑛士に叩き込まれる魔法。魔法発動の瞬間に、彼は時が止まった感覚を得た。
「!」
それは、潜在魔力を相手に与え、限界を超えさせる魔法。莫大な魔力を消費する割に、見合った進化をする魔族は少なかったため、過去に使われることはなかった。
エンゼリングを失ったレグナに、この魔法を放って無事なほどの魔力は残されていなかった。魔法を放った途端に彼の意識は消え、息絶えていた。
「非魔族がっ!!」
ラファエルはまた翼を広げた。そして鍛えられた右腕で瑛士の後頭部を捉えた。
はずだった。
瑛士はラファエルの後ろに回り、操作系魔法を使い、彼の体を前方一直線に吹き飛ばした。
「あああああああああああああ!!」
ラファエルの声が小さくなっていく。そして微かに見える地平線上のビルにぶつかり、ビルは崩れた。
あの日レグナに見せた姿から一つ進化した姿。もはや魔法を扱える非魔族ではなく、魔族に近い存在になっていた。
「はッ!!」
その隙をついて放たれるメタトロンの一撃。瑛士はなんの防御もとらずに受けたが、ものともしない。
彼はメタトロンをギロリと睨んだ。
「ひっ!」
「ひ、じゃねえだろ」
瑛士は彼女の眼前に現れる。ブンと右手振ると、メタトロンの杖は真っ二つに折れた。すかさず二撃目。今度は持ち手を除いて、杖全体がバラバラになる。
見えない手刀。素早さもそうだが、その正確さと切れ味が恐ろしい。
少し前に相手をしていた非魔族ではない。メタトロンはそう思った。杖を地面につく。それと同時にベリドの相手をしていた個体は消えた。
「分身を消した……。何かするのか?」
「ク、クロップ!」
辺りの時が止まる。地面に落ちて転がる杖の残骸も、ラファエルの突っ込んだ建物の倒壊も、風すらも停止する。黒魔族たちも、魔力の有り余っていたテトやベリドも、写真の風景のように動かない。
メタトロンは杖に寄りかかり、息を切らす。
この魔法はかなりの魔力を食う。非魔族界の時はそもそもの魔力残量が多かったために楽に発動できたが、今回は瑛士たちの相手をしていたところでの発動だった。
「これで……もう何もできませんね……」
「これが非魔族界を止めた魔法か」
「なっ!?」
瑛士の意識は生きていた。止まったはずの体も動き始める。
瑛士の魔法の力は桁違いになっていた。彼の強化系魔法は、止まった時間の中でさえも強引に動けるほどの力を瑛士に与えていた。
「うおおおおおおおおお!!!」
空間を引きちぎるような音がする。瑛士が固定された場所から抜け出そうとしている。
「なぜ動けるのですか!?」
彼女は驚きつつも、瑛士に向かって手を向ける。彼の行動は予想外のことだったが、いかんせんスピードが遅すぎた。
「い、今のあなたは動かない的同然です。どれだけ強くなってもこれを受ければひとたまりもありません。レグナと同じ場所に送ってあげましょう」
そう言って差し出した右手でくるりと円を描く。出来上がった円は魔法陣となり、巨大化した。
メタトロンは魔法陣を描く手を休めない。あっという間に五つの魔法陣が出来た。魔法陣は瑛士に向けて連なって並んだ。
「この魔法は威力を大きくすればするほど遅くなってしまうのが弱点なのですが……今のあなたに向けてはそれはなくなる! 死になさい!」
「『トロイ』」
メタトロンの特大の魔法弾が爆発し、あたりに散らばる。
「な……に?」
何が起こったか分からない。メタトロンはそんな目をしている。その場に膝から崩れ落ちる。
瑛士は次の攻撃がないことを確認すると、また魔法から抜け出すためにもがきはじめた。
瑛士の魔法がメタトロンの魔法を上回った。
それは彼女にとって信じがたいことだった。だが、実際にそれが起こってしまったのだから、認めざるを得ない。
「だァ!」
そんな雄叫びを最後に瑛士は落ち着いた。ついに時止めの魔法から抜け出したのだ。
息を切らしながら、瑛士は無抵抗なメタトロンに手を向けた。
「待て!」
何者かが瑛士の腕を掴んだ。
「お前……もう戻ってきたのか」
全身砂埃にまみれたラファエルが、瑛士の動きを封じていた。
瑛士は全身の魔力を掴まれた腕に込めたが、動かない。筋肉の差でラファエルが勝った。それだけでなく、彼もフルパワーに近い魔法を使っている。掴んだ腕に浮かぶ血管とにじむ汗、そして大きく開かれた翼型のオーラがそれを示していた。
「お前が黒魔族に協力する理由はなんだ?」
メタトロンを無視して瑛士に尋ねるラファエル。腕に力を入れているせいか、絞り出すような声。
「非魔族界を、元に戻すためだ」
瑛士は落ち着いた様子で答えた。ラファエルはふっと息を吐き、言った。
「ならば戻してやる。メタトロン、やれ」
「な!?」
瑛士は驚いてラファエルの顔を見た。メタトロンも彼の言っていることが信じられないのだろう、呆然としている。
手にかかる力が強くなる。そしてもう一度ラファエルは彼女の名前を呼んだ。それは脅しに近い。
「は、はい」
メタトロンは納得したように頷いた。
震えながらも手を前に突き出す。意識は次元を超えて非魔族界を探している。非魔族界にかかる時間停止の魔法を解除しようとしたその時。
彼女の腕は腕は消えた。
「ぎゃああああああああああっ!」
真っ赤な血が断面から吹き出す。
耳に刺さる金切り声をあげ、メタトロンはその場にのたうちまわる。
一度倒れると二度と起き上がれない。地面に赤い汚れを撒きながら、叫ぶ。
瑛士は彼女が苦しむ姿に釘付けとなった。次に顔を上げると、その場には瑛士、ラファエル、メタトロンの他にもう一人、魔族が増えていた。
一瞬だが、メタトロンの声が聞こえないようになった気がした。耳だけではない。視界も、ラファエルに握りしめられた腕の感覚も、なくなったような。
「勝手なことをしてもらっては困るな、ラファエル」
「!!!」
瑛士の腕を掴む力が急激に緩まる。瑛士はさっと腕を引き抜く。ラファエルの力は強く、指の形に痕になっていた。
その男は背を向けたまま手を空に向ける。
ばちゅんと潰れたグロテスクな音を残し、その場からメタトロンは消え去った。
「仲間を、消した……?」
「い、いいのか。メタトロンはお前の……」
瑛士だけでなく、ラファエルもその様子に驚きと戸惑いを隠せない。
「ああ。メタトロン──メガ・ミストゥラールは十分に役に立った。奴のおかげで、もうこの世界の奴らは必要ないと判断できたからな」
そう言ってこちらを振り返る。
冷たい瞳と目が合う。全身に凶器を突き立てられるような感覚。瑛士は以前のように臆したりはしない。ただ目の前の男の姿を見ていた。
白魔族界を支配する最強の魔族の降臨を、瑛士は感じたのだった。




