四十一話:落ちた先は
中央街から貧民街に向かって隊列をなして歩く一団がいた。みすぼらしい格好は貧民街の住人さながらだが、本体の方は貧民街の民と違って全く覇気がない。
彼らはとある場所に閉じ込められていた者たち──囚人だ。腰に短剣、片手に槍、そして申し訳程度の薄っぺらい鎧と、周りが見にくいダサいヘルメット。魔法主体の戦いを行う魔族であるというのに、エンゼリング一つ支給されない。それらの吹けば飛ぶような装備を身につけた彼らの足取りは重かった。
牢から出るときに「お前たちは何も考えず、されるがままにしていればいい」と言われた。形だけは自由を手にしたように見えるが、そんなことは決してない。少なくとも囚人が急に外に出されるということはいいことではあるまい。
彼らの量側を取り囲むのは中央街護衛団。汚い装備の囚人とは対照的な白く清潔な衣装を身に纏っている。彼らは囚人たちが勝手な行動を起こさないように、監視の目を光らせていた。
中央街から一歩外に出れば、そこはたちまち敗者と弱者の街。急に建物の質が落ち、時折どこかから異臭がする。それでも彼らは進んでいく。
先頭にいる男はヘルメットから覗かせる髪を気にし、眼鏡をあげた。
さて、覚えているだろうか、僕のことを。元白魔族特別室第三席、レグナだ。かつて非魔族界で、ミカミエイジと戦った、あの白魔族だ。本当に大変だった、あの隔離室──牢獄に閉じ込められた日から。
囚人になったレグナはエンゼリングを奪われ、思うように魔法を使うことができなかった。自分の体に蓄積された魔力をありったけ使っても、牢を壊すことはできなかった。何度やってもヒビ一つ入る気配はなく、どれだけ頑丈なのかがありありと伝わった。どういう仕組みか、転移系で外に出ることもできなかった。
ろくに満足な食べ物も与えられず、外から送られてくる単純作業を延々とこなしていた。レグナは牢にいた日々を思い出すと、よく生きてこれたな、と脱力した。
「どうした? レグナ。さっきからぶつぶつと?」
「また愚痴か? なんなら聞いてやるぞ」
後ろから小声で声をかけてくる魔族がいる。
彼らはレグナが投獄された時にすでに囚人だった者たちだ。話を聞くと、全員がもともと中央街で暮らしていたただの人間だったらしい。否、ただの、ではない。彼らは中央議会にいたのだ。少しでも反抗的な態度・意見を持つとすぐに追い出されてしまう。上の意見は絶対であり、逆らうことはできないのだ。
「いや、なんでもないんだ」
レグナはそう返した。
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彼が初めて牢に入った時、彼らは冷たかった。それも仕方がない。当時のレグナは彼ら一般の議会の人間たちを虐げる上層の人間だったのだから。
レグナはメガの命令で、隔離室に落とされることになった。
「おい、俺、この人みたことがあるぞ」
突然の新顔だったが、彼らはあまり戸惑うことはなかった。むしろ、またかというリアクションが大多数だった。
「この人は上層部の方だ」
「それは……本当か!?」
「どうしてこんなところに」
口々に話す白魔族たちの中には、見たことのある顔もちらほらと確認できる。いつの間にか見なくなったと思っていたら、まさかこんな場所にいるとは。
レグナは隔離室がどういった場所なのかが分かった。上層部──詳しく言うとメガ、ひいては大天使の会の意にそぐわない者たちを処分する場所ということだ。
メガは頭を冷やすように、と言っていたがこの様子では二度と出られることはないだろう。わざわざ反乱分子を自由にさせる意味はないだろう。
「あんた……その様子だと上に逆らっちまったのかよ。せっかくいいとこにいたのに勿体ないな」
「……命令されたり使われるのが嫌なんだ、僕は」
「あんたは俺たちを使う立場にいたってのにか」
「……」
何も言えなかった。いつもならさらに言い返すところだが、レグナは隔離室に落とされたところから心が折れかけていた。もう頭も働かない。何をしても無駄なのだと思っていた。
「何も言わないのか」
「気に入らないなら、どうとでもするがいいさ」
だが、彼らの中でレグナに暴行をする者はいなかった。思っていることを投げかけただけだ。
一般白魔族から中央議会の役人までもが上層部に怯えながら過ごしていたこと。自分たちの好きなように世界を動かしていたこと。貧民街ができてもその対処をまるでしなかったこと。そして、ある日突然完全に自由を奪われたこと。全ての不満を、レグナにぶつけた。
「満足したか」
「全然だ。お前、何にも感じることはないみたいだからな」
「知っているんでね、これでも。白魔族界に格差が存在すること。だが、その実情はやっと今分かった。君たちと隔離室の存在、そして僕がここに閉じ込められたことで誰が白魔族界を支配しているのかも分かった」
「なんだと?」
「中央議会第一席、メガだ。そしてその取り巻き四人。そんなものが分かったところでここから出られるわけでもないがな。エンゼリングがない今、どうにもならない」
レグナは目を閉じた。
「そいつはどうかな? これを見ろよ」
「なに!? なぜそれがここに……!」
彼が取り出したものは、エンゼリングだった。なんでも、囚人の一人が外から転移系で取り寄せたものらしい。
「あんたなら使えるんじゃないかってな」
「じゃあ、ひとまず僕を解放してくれないか」
全身を拘束されたレグナは、囚人たちに手を伸ばした。
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結局レグナがエンゼリングを使っても隔離室の壁は頑丈でびくともしなかったわけだが。そのうちエンゼリングの魔力も尽き、ただのガラクタと化した。そこで完全に脱出の手段がなくなった。そこから数日、何も起きずに過ごすこととなった。
そして、先ほど急に牢から出ることを命じられたというわけだ。一体どういう風の吹き回しなのだろうか。隔離室の誰もが事態を飲み込めなかった。
久しぶりに感じる外の風と日の光は妙に気持ちが悪い。
逃げるには良い機会ではあるが、隔離室の囚人のなす隊列の横にはぴっちりと護衛団が並び、そう簡単には逃げられない。
「まだ着かないのか、その侵入者がいる場所とやらに」
レグナは隣の護衛団に話しかけた。だが、返答はない。あくまで監視のためだけにいる。囚人と話す口はない、といったところだろうか。レグナは小さく舌打ちをした。
「おい……なんか聞こえないか? 悲鳴みたいなのが」
一人の囚人がそう言った。その瞬間、彼らは立ち止まり、息をひそめた。その声の真偽と、もし事実だった場合の声がした方向を探すためだ。
だが、何も起きない。
変な嘘をつくな、というように護衛団の一人が先ほどつぶやいた囚人の足を蹴った。薄汚れた足は重厚なブーツによって赤く腫れあがった。彼はそれから足を引きずって歩くことになった。
更に貧民街の奥に進もうと足を出すと同時に、ガララッと音を立てて壊れた住居のがれきが崩れた。
全員の注意が一瞬そちらに向く。それを狙ったかのように一つの影が一団に向かって猛スピードで突っ込んでゆく。
「ぐあっ」
魂の抜けたような声を出して、護衛団の一人がその場に倒れる。体が完全に地面に接すると、その背がぱっくりと割れ、湧き水のように血があふれ出してきた。それを見た全員が凍り付く。目を背ける者、口を押さえる者、そしてほとんどの者はそれをじっと見ていた。
「なっ……!? これはお前たちか! この場で皆殺しにしても構わないのだぞ!」
「ち、違う。いくらお前たちが憎くとも──」
次は、話していた囚人が白目をむいて倒れる。先ほどと同じく、背の肉は裂かれていた。
どさりと倒れた彼の後ろに、囚人と似たようなぼろぼろの服を着た男が立っていた。短剣から真っ赤な血を滴らせながら、「はははは」と笑っている。
「現れたぞ! 黒魔族だ!」
護衛団たちは黒魔族の現れた方向に破壊系を撃ち込んでいく。至近距離での魔法の発動で、互いのトロイが接触し、無意味な大爆発が起こった。その場にいた囚人たちは付近の建物にたたきつけられる。そのすきに護衛団たちは転移系を使って逃げようとしている。
「く……!」
──黒魔族だと!?
レグナは驚いた。囚人たちは侵入者の情報どころか、白魔族界に何が起こっているのかすら聞いていなかったのだ。ただされるがままにしていただけに、何が起こるかを予想していなかった。
「逃げる……なァアア!!!」
「うぁぁぁあああ!!!」
発動までに時間がかかりすぎた。逃走に気付いた黒魔族はそこに刃を向けた。
「弱い! 弱い弱い弱い弱い!!!!」
物を考える暇すら与えられない。護衛団たちはなすすべなく、黒魔族の攻撃に一方的に血を流す。目の前に恐ろしい速さで黒魔族が現れる。攻撃を避けようと体を引いても、何か攻撃しようと腕を持ち上げても、動作をとろうとした時点ですでに後ろに回り込まれている。囚人であろうと護衛団であろうと関係ない。彼らは次々に背から血を吹き、命を落としていく。
恐怖に歪んだ表情がうかんでは消えていく。レグナも死への恐怖を感じ始めた。
「……! これだ!」
レグナは死体になった護衛団員のエンゼリングを拾い上げた。かぶっていたヘルメットを投げ捨て、自分の頭の上に掲げた。エンゼリングは彼の頭上に固定され、浮いた。その瞬間エンゼリングから魔力が体に入り込んでくる。魔力が全身を駆け巡り、疲労感がなくなってゆく。
魔力を取り戻した彼は、お得意の創造魔法のシールドを展開し、黒魔族の斬撃を受け止めた。そして間髪入れずにトロイを撃つ。黒魔族は全く効いていない様子だ。
「ふう。危ないじゃないか」
「白……魔族ゥ……」
「どうやら話が通じる状態じゃないらしいな」
レグナの心に余裕ができた。エンゼリングを手に入れ、本来の力を取り戻したレグナには謎の全能感が湧いていた。レグナにとって正体不明の黒魔族は取るに足りない存在だった。自分の脅威にはなり得ない。そんな認識だった。
「邪魔だ! 邪魔な奴は殺す!」
「吠えないでくれるか、うるさいからな……」
眼鏡をくいっと上げ、黒魔族に攻撃準備のしるしに手を向ける。
「!?」
レグナは己の目を疑った。黒魔族の姿が二重に見えたのだ。そんなはずはないと眼鏡を拭いてかけなおす。二人の黒魔族はむしろはっきりと見えた。二人に増えた黒魔族は短剣をこちらに向け、向かってきた。
「バカな! なぜ増えている!?」
目をこすって再度確認する。落ち着け、人が増えるはずがない。発動の速さと正確さは驚きだが、精神系で惑わそうとしているだけだ。落ち着けばミンドは解けるか、少なくとも幻覚はどちらか分かる。
黒魔族の服からはねた血を、レグナは見落とさなかった。地面に落ちてできる飛沫血痕。思わず口元を緩める。
──見破った。つまりこっちが本物って
「ことだろ──」
左腕に痛みが走る。横目で確認すると、短剣が刺さっている。なぜ、避けたはずなのに。本物は、どっちだ。
そんなことを考える暇はない。腕を持っていかれないように、空いた右手で腕を刺した方の黒魔族の顔面に破壊系を撃つ。顔面にまともに攻撃を受けたそれは、地面を転がった。
「もう捨てたのかい……、背中のこだわりは」
レグナの言葉に、黒魔族はニタニタと笑った。
──どっちだ。本物は。どっちなんだ。
彼の頭に一つの答えが思い浮かぶ。まさか、そんなこと、あるはずがない。
どっちも本物なんて。
レグナは遠くの中央街を見た。何やら見慣れた膜のようなものが張られている。いつも彼が使う、創造系のシールドだ。だが、中央街を包もうとすればそれなりの時間を要するはずだ。彼はすべてに気付いた。
周りが見にくいヘルメットは準備されたシールドを隠すため。されるがままにしろ、という指示はただ護衛団に従えという話ではなく、黒魔族に殺されろということ。
「ははは……そういうことだったのか……」
──ただの時間稼ぎであり、捨て駒だったというわけか……僕たちは!!
殺す、と絶叫する二人の黒魔族を前に、レグナは唇をかんだ。




