妊婦連続殺害事件 3
四件目の被害者の家を出てユイとレナートは歩いた。どこに行くのかは分からない。当てがあるのかもしれないが、彼女にそれを聞くにはユイの雰囲気が少し張り詰めていた。
ユイの高い靴音と、レナートの一定間隔の靴音だけが、静かな街道の数少ない音として響く。
もう一度いいのか、と聞いてみることにした。あの会話で何がつかめたのか分からない。
——既に決めてしまったことを蒸し返すようなことを、好みそうな性格ではないから、慎重に聞かないと不機嫌になりそうだ。
「くどいッ!」と怒鳴る姿が実際の出来事のように目に浮かぶ。はっきり見えすぎて、聞こうとした心が少し萎んだ。
いや、ここで躊躇う訳には行かない。
口に溜まった唾を飲んで、先を行くユイに声をかける。
「……本当によろしかったのですか?」
「ああ。何故彼女の手があんなにボロボロなのか理解した。恐らく、エディさんは旧世界文化に興味を持っていた」
「……あの仕切りの意匠と関係あるんですか?」
ユイの足が止まる。一歩遅れて止まれば、ユイの顔がこちらを見上げていた。自分が言った内容がそこまで衝撃的だったのだろうか。
「ホンッと……侮れないよな、きみ」
「ありがとうございます」
「褒めては……まあそういうことにしておこう」
ポケットから煙草を取り出したが、歩き煙草はよくないと気付いたのか、すぐにズボンにねじ込んだ。
「あの模様はある神の神殿で使われていたものだ。蛇が絡まったように見えるだろ? 蛇が化身の神がいるから、きっとその神の意匠を使ったんだろう」
「仕切りに使うなんて不敬じゃないですか?」
「そんなことはない。どんな生き物も、語る口があって存在するものだ。それが相手を純粋に思うものならなおさらその存在は強くなる。限度はあれど、思われて悪い気をする者はいない。
悪口だって、存在証明になるのだからな」
——随分と、神の在り方に対して詳しいな。
「旧世界文化に興味がおありで?」
「小説参考のために、何回か取材したよ。発掘現場に行って実際に作業したこともある。担当編集のヴィットくんも一緒に参加していた。義手と発掘の相性が想像以上によくて、めちゃくちゃ使われていたよ」
めっちゃ指が細かく動いていたんだもの、そりゃ重宝するよね、と笑うユイにはぁ、と気のない返事しかできない。
「それだけじゃない。私の取材に間違いがなければ、あの写真に写っていた彼女の腕輪。あれも旧世界で人気だったアクセサリーだ。遺跡で発見されているのを見たことがある。恐らく職人に作らせたのだろう。そこまで旧世界文化に興味を……いや、あれはのめり込んでいたな。ラマンさん、よくあの状態を許したな」
「そこまで言うんですか?」
「そこまで言っちゃうレベルだよ」
「れべ?」
「あー……程度とか、度合いを測る言葉です。旧世界文化に対して興味を持つ、という範疇を越えているんです。
旧世界の物を再現させるなんて、簡単にできないでしょう?」
——確かに、すでに終わったものを復元させるなど、相当の熱量がないとできない。
なるほど。のめり込んでいた、と表現してもおかしくないものだ。
「……さ、他の遺族さん達にも話を聞かなきゃね。犯人も、動機も、何もかもつかめていないから」
手を大きく上空に上げて体を精一杯伸ばす。体を縦横に大きく伸ばして筋肉をほぐす仕草。
「いつもよりやる気ですね」
「当たり前だ。警察より早く見つけなくてはいけないからね」
そこまでやる気を出すとは本当に珍しい。これまで全くやる気がない、というわけではなかったが、ここまでの熱はなかった。
レナートの質問に、ユイは歩きながら答えた。
「殺さないといけないから」
先を行っているせいで彼女の表情が見えない。
「惨たらしく。惨めったらしく。死んでもらわなければいけないから」
足を止めそうになった。それでも護衛としての意識を働かせ、左足を前に動かす。
——先生は、今、殺す、て言ったのか。
「意外か? 私の口からそんな言葉が出るなんて」
「まぁ。そうですね」
正直、なんて言えばいいのか分からない。
「私の行動理由は単純だ。奴らには報いを受けなくてはいけないからね。だからどんな手段をとることになったとしても、犯人を絶対殺す」
「それは看過できません」
ユイの足が、初めて止まる。一緒に自分も止まる。
ゆっくりと、首が上に傾く。大きく仰け反るようにして、こちらを見上げる。
「お前、私を、止めるのか?」
首が上に伸び切っているような状態なのに、彼女の声は、はっきりと聞こえた。
「はい」
レナートははっきりと答えた。
「個人の自由・尊厳を奪う行為は社会的・倫理的・道徳的に禁じられています。
それを貴女が行うというのなら、見逃せません」
「見逃せよ。私の護衛なら」
「護衛ですから、見逃せないんです」
続けて理由を口にする。
「私は貴女を、人間的に守らねばなりませんから」
「にんげんてき、ねぇ……」
鼻で笑う彼女に自分の眉間にしわが寄るのが分かる。
何でこの事件に限ってそこまで殺意が高いのか。妖精信仰のあの村でも殺意に近い熱は見せたが、殺すなんて意思は見せなかった。
——なんで、そんなこと言うんだろう。
殺す、ということはどういう意味を持つのか、分かって言っているのだろうか。
『黒い悪魔』と呼ばれた自分に対して、それを言う意味を、分かっているのか。
「先生を人殺しにさせたくありません」
湿り気を帯びた風が頬を撫で、ユイとレナートの髪を揺らす。目の前に黒い線が走る。
黄色い口紅にオリーブ色の髪が貼りつく。
黒い眼鏡を、どれだけ長く見ていただろう。ユイの頬に、白いものが落ちて、透明になるのを、五回くらい見るくらいの時間が過ぎた。
遠くで烏の鳴き声がした。
「……命を殺した、きみがそういうのなら、それを尊重する他あるまいな」
最初に口を開いたのは、ユイだった。
貼りついた髪を黒い爪で剥がし、首の位置を正しく戻す。それでも、黒眼鏡の奥にあるはずの目は見えなかった。
「……私の負け、とは言いたくないが、被害者の命に報いるためにも、犯人探しには尽力を尽くすよ」
「お願いします」
「まずは最初の被害者遺族に話を聞くぞ」
「場所は?」
「犬共が調べてある」
「しごでき~……」
「きみって奴はホンッと……言葉を使いこなすのがはやいな。学習能力高すぎだろ」
会話を続けながら歩くユイとレナート。
それを遠くから見つめる烏が一匹。どこにでもいる、普通の烏だ。
喉元にある人間みたいな耳の形があることを除けば。
烏はそのまま数秒見つめた後飛び立った。黒い羽根をはばたかせながら飛ぶ。曇り空を切り裂くように飛んでいる速度は、鳥が出せる最高速度を遥かに超えていた。
烏はそのまま急降下し、一人の人間の目の前で止まった。
人間——エリック=K・マラカイトは烏に視線を向けることないまま、ご苦労、と一言落とす。烏の喉元にあった耳が砂のようにほどけて消えて、烏はすぐに飛び去った。ゆっくりと上昇するその姿は先程の速度を出していた烏には全く見えない。
灰色の空に混ざって消えていく。
青い目は烏を追うことなく、ただただ地面を見下ろす。
「やはり、か……」
思考を整理するため、深く息を吐き出す。先程火を着けた煙草の煙も一緒に出て、目の前が白く濁る。
服の下に手を入れ、あるものを手繰り寄せて握り締める。握り締めた拳ごと、そっと口付ける。
「ユイ……」
青い瞳を閉じる。
「仇は、俺が必ず取ります」
しわができるほどきつく瞑るその姿は、自身の思いを固く誓う騎士そのものだった。




