第21話 彼がヒーローになるまで
プテラブレードの必殺技。
それは今度こそ、確実に悪女野風の命運を砕き切った。
「AAAAAA、AA…………ぁああぁ、ぁぁぁああぁ……」
砕け散った賢者の石は、空中でキラキラと四散しながら虚空へと消滅していく。
それに呼応するかのように、全身を切り刻まれた悪女野風もまた、グッタリとその場に倒れ伏した。
賢者の石という回復リソースを失い、致命傷を回復する手段も、何かを捕食できるだけの体力すら残っていない。
悪女野風は死ぬ。それは、逃れられない運命だった。
プテラブレードが双剣で虚空を斬る。刃を赤く塗る血液が振り払われ、クルクルと手の内で転がされた1対の剣は鞘へと納められる。
ふぅ、と溜め息を1つ。そこへ、黒マントがザックと靴音を立てて近付いてきた。
「終わったか」
「うん、彼女はもうすぐ死ぬ。……法の裁きを受けさせる事ができないのは無念だけどね」
ポリポリと頬を掻くプテラブレード。
ヴィランとはいえ犯罪者。無理にそうする必要は無いが、無力化しての逮捕が望ましいのは言うまでもない。
しかし今回のように、やむを得ない場合は殺害による事態の収拾も黙認されている。
今回の場合、賢者の石が暴走を起こした事で周辺に大規模な被害が出ていた為、悪女野風の持つ賢者の石を破壊する必要があった。
だが悪女野風の回復リソースである賢者の石を破壊するという事は、彼女を死に至らしめるという事に繋がる。
「気にする必要は無い」
黒マントはフルフルと首を振る。
ぶっきらぼうな口調でこそあるが、プテラブレードを気遣っているような声色だった。
「ああしなければ、もっと被害が出ていただろう。1つの手段のみに固執するのは、あまり良い事では無い」
「そっか……そうだよね、うん」
参ったな、と言う風にはにかむ。
そんなプテラブレードを見て、黒マントは更に声をかけようとしたが……
「あぁぁぁああぁぁあああ、あぁあぁ……」
「……!」
「この人、まだ動くつもり……!?」
モゾモゾと悪女野風が蠢く。
それを察知した2人は咄嗟に武器を構え、彼女の動向をじっと警戒した。
倒れ伏し、指1本動かせないとしてもなお、身体を震わせて動こうとする悪女野風。
見れば、既に身体の崩壊は始まっていた。身体の端から徐々に黒ずみ、灰となって砕け消えていく。
邪法によって賢者の石と一体化した悪女野風は、自らの存在を魔界の怪物にも等しいものへと変異させていた。故に彼女を待ち受けるのは、身体が灰となって崩壊・消滅する最期。
絶大なダメージを受けて感覚を失った悪女野風は、快楽はおろか痛みさえ感じていないだろう。
それでも悪女野風は口をパクパクと開閉しながら、うわ言のように何かを呟く。
「ま、だぁ……まだ、食べ足りない、のぉ……」
「…………」
「もっ……と、食べ、て……たぁく、さん、食べて……いっ、ぱぁい、食、べ…………」
じっと、虚ろな眼差しで黒マントを見つめる悪女野風。
恐らく目は見えていないだろう。焦点さえ合わない目は、しかし黒マントの姿を捉えているように錯覚できる。
そうしている間にも、彼女の胸より下は灰塵へと転じていた。
「食べて、食べ、て……たぁくさん、食べて……それで私も、私もぉ……──」
──ヒーローみたいに、強く。
黒マントとプテラブレードが目を見開いた。
思ってもみなかった言葉。それは狂い切った悪女野風の精神の奥深くに隠されていた、原初の欲求なのだろうか?
「もっと、たくさん……食べ足りない、わぁ…………」
その言葉を最期に、灰化の侵蝕はついに悪女野風の頭部まで到達する。
ボロリ。使い終わった炭を踏み潰したかのように、悪女野風だったモノは灰と化して崩れ落ちた。
ヒュウ、と風が吹く。灰の塊は風に乗って四散し、悪女野風というヴィランがこの世に存在していた事実を消し去っていく。
それをただただ見つめながら、黒マントとプテラブレードは顔を見合わせた。
「今の言葉、って……」
「……深く考えない方がいい」
それは、黒マントなりの気遣い。
悪女野風がうわ言のように呟いていたのは、食欲。
自らにまつわるあらゆるものを失い、それでも彼女はナニカを食み、他者の命を啜る事を望んでいた。
そもそも悪女野風が人を喰うようになった根元は、埋め込んだ賢者の石に魔力を吸い取られた事による深刻なカロリー不足。
それでも彼女は食事を望んでいた。原初の「目的」だっただろうものを忘れ去り、「手段」である筈のそれを「目的」へと反転させて。
「ヒーローみたいに強く、か」
黒マントは小さく呟いた。
悪女野風というヴィランが如何なる存在で、何故賢者の石を自らに埋め込んだのか。その全ては謎に包まれている。
しかし彼女が最期に漏らした願望だけは、狂気に染まり切った彼女の中で唯一「真実」の力を帯びていたように思えた。
──もし僕も、何かを掛け違えていたら彼女みたいになっていたのだろうか?
そんな思考さえ脳裏をよぎる。
江戸時代の伝記小説「天縁奇遇」に登場する野風という女性は、夫と共に悪事を働いていた報いを受け、全身に99個の口を持つ妖怪へと転じたという。
ならば、彼女が最初に犯した罪とは果たして……
「そんな事は無いよ」
ピシャリ、とプテラブレードが一言。
「君は彼女みたいにはならない。君の中に宿る意志は、欲望の為に力を振るうヴィランなんかじゃない」
まるで黒マント──翔の心を見透かしたかのような言葉に、黒マントは意味を理解する為の時間を要した。
その言葉を自分なりに噛み砕き、ようやく意図を理解する。
少し考えた後、黒マントは小さく頭を下げた。
「……すまない」
「アハハ、謝る事じゃないよ」
手をヒラヒラとさせて軽く微笑むプテラブレード。
と、そこへ。ザックザックと音を鳴らしながら近付いてくる複数の気配。
2人が振り向いてみれば、そこに立ってたのは切り捨てジャックとプロフェッサー・キャンディだ。
「どうやら終わったようだネ。こちらも、残った怪物どもはあらかた殲滅したヨ。後は警察の面々が何とかしてくれるだろうサ」
プロフェッサーは顎髭にこびりついた埃を払いながら「ゴホン」と咳払いを1つ。
「2人とも、よく頑張ってくれタ。特に黒マント君、君には心から感謝するヨ」
「僕からも感謝を。怪傑黒マントさん、あなたがいなければ勝利はあり得なかったでしょう」
そう言いつつお辞儀をする切り捨てジャック。
それに対して、やや慌てるように黒マントが「いやいや」と両手を振る。
「俺1人の力じゃない。ヒーローチーム『樫の杖の七番目』、そして警察の機動部隊。あなたたちの尽力があってこその勝利だ」
「フフ、まァそういう事にしておくヨ」
それにしても。
そう言って、プロフェッサーは先の戦いを思い返した。
「“アレ”は何だったのかネ? 君が作り出したナニカのようだガ……」
「ああ、俺が作った魔法の道具だ。……恥ずかしい話だが、まだ未完成でな。俺の未熟さ故に、まだまだ制御が甘い」
「あれで未完成かネ……いやはや、君はまったく面白いヨ」
ニヤリと笑うプロフェッサー。
しかし彼は直ぐに真剣な目つきへと切り替えると、モノクルの向こう側から黒マントをじっと見定めた。
黒マントもまた、様子の変わったプロフェッサーに対して、仮面越しに目線を交差させる。
「改めて聞くガ……決意は固まったのかネ?」
「ああ」
コクリ。深く、強く、確かに頷く。
それが示すものとは即ち肯定。プロフェッサーの投げかけた「問い」に対する、明確な「答え」だ。
「俺は、怪傑黒マントはヒーローとして在る。ヒーローと共に在る。それが俺の決意だ」
「そうカ」
それだけを呟くプロフェッサーの表情は、いかにも満足げな様子。
それから何度も「そうカ」と呟いては頷きを繰り返す。まるで息子の成長を祝う父親のように、黒マントの決意を慈しむように。
その隣では、切り捨てジャックもまた晴れやかな笑みを浮かべていた。
「初めて会った時の無礼な態度を謝罪します。あなたは紛れもなくヒーローだ。私たちの同胞として、あなたの存在を歓迎します」
「感謝する。……ありがとう」
「良かったねかけ……黒マント君。これからは、B市のヒーローたち皆が君の仲間なんだ!」
向日葵めいて生命力に満ちたプテラブレードの笑顔。
まるで自分の事のように嬉しさを振りまく彼女の様子に、黒マントも仮面の裏で微笑んだ。
そこへ、復活したらしいプロフェッサーが顔を出す。
「それで、怪傑黒マント君。どうだネ? 君さえよければ、君を我々『樫の杖』のメンバーに加えたいと思っているのだガ」
「……いいや、気持ちは嬉しいが」
首を横に振る。
しかし、そこに拒絶の意思は感じない。
「もう暫く、俺は自警ヒーローとして活動するつもりだ。いずれはヒーロー登録を行う事も視野に入れてはいる」
「成る程。では、私は君の意思を尊重するとしよウ。入りたくなったらいつでも言い給エ」
「無論だ。俺もいつか、あなたたちと肩を並べられる日を楽しみにしている」
そこで、黒マントは徐に振り向いた。
その先に何があるのだろうか? そう3人のヒーローも同じように振り向いてみれば……
「あっ、今こちらを見ました! 彼が先ほど、戦場と化した交差点に突如として現れた謎のヒーローです!」
「スタジオ見えますか? あちらにいる謎のヒーロー、彼が都市伝説として噂になっている“怪人黒マント”ではないかと……」
「ホラホラ! 今作業中なんだからマスコミ各社は下がってくださーい! ホラ、テープ貼るよテープ! まだ危険だっての!」
ワイのワイのと騒がしい向こう側。
どこかのテレビ局から来たらしいレポーターやカメラマンが群れを為して、黒マントの姿を映そうと躍起になっている。
警察の機動部隊がそれを必死になって押し留め、作業の邪魔にならないよう尽力しているようだ。
都市伝説としてB市で噂になっていた“怪人黒マント”が実在し、ヒーローと協力してヴィランを撃破。その上“怪傑黒マント”というヒーローを自称し出した。
成る程、これを特ダネと思わない方がどうかしているというもの。
それを理解して、ヒーローたちはやれやれと肩を竦める。
「ではな。俺はもう行く」
「あ、もう行っちゃうの?」
「俺にも俺のやるべき事がある」
やるべき事とは、つまり学校へ戻る事である。
昼休み中に事件を知った翔は一目散に現場へと向かった為、学校では今頃授業の真っ最中だろう。
いっそ、今日はサボってしまおうか。邪な考えがよぎり、掻き消すように首を振る。
「すまないが、後は頼むぞ」
「アア、任せ給エ。マスコミ程度をどうにもできないようでは、教授とヒーローの両立など成し得ないからネ」
「後は私たちに任せて、あなたは自分の戻るべき場所へ」
「ああ、感謝する」
そう言って、黒マントは左袖からアラクネーの糸を射出する。離れた場所のビルに引っ掛かった事を確かめ、跳躍の準備を整える。
「ねぇ」
そんな時だ。黒マントの背中へ、プテラブレードの声がかけられる。
「また、会えるよね?」
それは、2人が初めて会った夜。別れ際にプテラブレードがかけた言葉。
あの時は答えなかった。答える事ができなかった。しかし、今は違う。
黒マントは振り向かず、しかし背中越しに頷く。
「必ず」
黒マントの靴底が赤く光る。馬のルーン文字だ。
彼はクッと足に力を籠めると、ウィンチで糸を巻き取ると同時に空へ舞い上がった。
「また会える。また、会おう」
それだけを言い残して、黒マントは戦場の空を駆け抜ける。
マスコミが一斉にカメラを向けるが、彼はそんな事など気にした様子もなく。
やがて、怪傑黒マントの姿は交差点から完全にいなくなった。
「……行っちゃった」
余韻を楽しむように、プテラブレードが柔らかく笑う。
振り向けば、後ろで切り捨てジャックとプロフェッサー・キャンディもまた笑っていた。
「そうね。また、会える」
それを見て、彼女は力一杯に頷きを1つ。
「だから──こっちから会いに行ってあげるわ」
■
数日後。
「でさ、お前は怪傑黒マントについてどう思うよ?」
「んー、これまで何をしてきたかがちっと気になるところだけど……少なくとも悪性でない事は確かだな」
「あの後もちょくちょく現れてるんだろ? そっちはどんな塩梅だ?」
「夜の繁華街でゴロツキを制圧したり、出現してきた怪物を倒したりってトコだな。大体、パトロール活動を重点的にやってるらしい」
「そっち系かー。スタンスとしては自警ヒーローみたいだし、今後も精力的に活動していくのかねー」
朝。
私立馬宮高校の教室は、今日も今日とて騒がしい。
彼らの注目の的と言えば当然ヒーロー。ヒーローの活躍は常にホットな話題であり続ける。
そしてその中でも、一番ホットな話題こそ──怪傑黒マントについて。
「やっぱ、こないだの登場が一番インパクト強かったかんなー」
「そん時、『樫の杖』の面々と協力して戦ってたろ? それで、前から面識があったんじゃないかって説も出てるらしい」
「ちょっと前のプロフェッサーへのインタビュー。そう考えると、あれも意味深だな」
戦場と化した交差点に突如として現れた正体不明の人物。
颯爽と現れ、ヒーローたちと共闘し、颯爽と去っていく。
誰もが気になるその正体は、なんと今まで都市伝説とされてきた“怪人黒マント”!
これで話題にならないという方が嘘というものだ。しかし……
「……はぁ……」
黒井 翔という少年にとっては、何とも頭の痛い話題であるというもの。
ヒーローとして活動する事を決めた事に、一片の後悔もありはしない。翔はこれからもヒーローとして在りたいし、ヒーローと共に在り続けたいと思っている。
だが、それはそれとして。
正体を隠しているから彼らが知らないのは当然とはいえ、クラスメートたちが自分の話題で盛り上がっているのを見るのは、何とも名状し難いものがあった。
もしも彼らが自分に話題を振ってきたらどうしようか。その不安が翔を襲う。
肯定しても否定しても、両方が自分へとブーメランのように返ってくる為、どうにも難しい。
さて、どう誤魔化したものか。そう翔が思案を巡らせている最中、教室のドアが大きく音を立てて開けられる。
カッツカッツと力一杯に入ってくるのは池原だ。彼女は如何にも「とっておきの情報を持ってきた」と言わんばかりの表情でクラスメートたちを見つめてくる。
「おはよう池原。なんかあったか?」
「よー、自称情報通サマ。今日はどんな特ダネを我々庶民に恵んでくださるのかね?」
「フッフッフ……今日はヒーローについてじゃないけど、とっておきの情報を持ってきたぜい!」
バッと腕を大きく広げる池原。
普段とは違うその様子に、翔やクラスメートたちは何だ何だと彼女に注目する。
「さっき先生たちの会話を盗み聞きしたんだけどさー、なんと! このクラスに転校生が来るらしいよ!」
「えっ!?」
「マジか池原!?」
途端に騒がしさを増す教室。その中には当然、驚いた様子の翔も混じっている事は言うまでもなく。
「それで池原、どんな奴が来るんだ?」
「そこまでは詳しく聞いてないケド……なんか女の子みたいだよ」
「マジか! よっしゃ盛り上がってきたぜい!」
転校生は女子である。
その言葉を聞き、より一層ざわめき出す生徒たち。そんな折、学校中にチャイムが鳴り響いた。ホームルームの時間である。
それを告げるように、教師が教室の中へと入ってくる。
「ほら、ホームルームだぞ。座れ座れ」
教師に急かされて、生徒たちは仕方なくといった様子で自らの席につく。
元より席に座っていた翔は、転校生の存在に思いを馳せながら教師へ目線を集中させる。
それは他の生徒たちも同じらしく、誰もが教師の言葉を待っていた。
「えー、では。廊下の外からでもお前らの会話が聞こえてたが……察しの通り、転校生がこのクラスに来る事になった」
おおー! と声を上げる生徒たち。
互いに顔を見合わせて、期待に胸を膨らませる。
「ただ、今回入ってくる子はちょっと……いや、かなり特殊だからな。あんまり驚かないように」
教師の言葉に首を傾げる面々。
それを見つつ「あー……」とやや戸惑うような表情と共に、教師は教室の扉へ目線を向けた。
「じゃあ、入ってきていいぞ」
「はーい!」
その声に気付けた者はどれほどいただろうか。少なくとも、翔と池原は気付く事ができた。
しかし直ぐに「いや、まさか」「そんな訳が無い」と首を振って否定する。
だが、そんな2人の予感は的中する事となる。
ガラリと扉を開けて中へ入ってくる1人の少女。栗色の髪は窓の外から見える日光を浴びて可憐に艶めき、ポニーテールがフワリと揺れ動く。
彼女のトレードマークである迷彩柄のダウンベストこそ着ていないが、ヒーローオタクである翔やクラスメートたちがその相貌を見間違う訳も無し。
その豊かな胸部もまた、高校の制服の上からでもよく目立っているようで。
少女は黒板の前まで立つと、いつもテレビの向こうから見せていた元気一杯の笑顔を教室中へ振りまいた。
「毎度どーも! あたしは大鳳 翼。プテラブレード、って言った方が分かりやすいかな?」
ドン。音にすればそんな感じだろう。
現実を認識した生徒たちは、各々が驚愕の表情を浮かべ、爆発するように騒ぎ出す。
そんなクラスメートたちに囲まれながら、翔は呆然とした表情でプテラブレード──翼を見つめていた。
クラスメートたちからすれば、憧れの同年代ヒーロー。翔からすれば、言葉を交わし共闘すらした間柄。
そんな翼が今、自分たちの学校に、クラスに転校してきた。これで驚かない者こそ異常と言うべきだ。
予想していた通りにざわめき出した教室を一望して、教師が大声を荒げて生徒たちを静かにさせる。
「はい静かに! 大鳳君はお前らが知ってるように公認ヒーローだ。だがこのクラスにいる以上は、ヒーローである以前に1人の生徒。それは念頭に置けよ」
教師の言葉に、コクコクと頷く一同。
それを見て、翼もまた人差し指をピンと立てた。
「ヒーローに関する話をしてもいいケド、やっぱりあたしとしてもヒーロー云々を抜きにした友達付き合いを皆としていきたいと思っているわ。だから……」
キョロキョロと教室中を見回す。
指を唇に当てつつ「んー」と何かを思案し出した翼は、やがて1人の生徒をビシッと指差す。
「そこの君!」
翼が指差した先へと、クラスメートたちの視線が集中する。
そこに座っていたのは──翔だ。
翼は「うん!」と頷くと壇上を離れ、迷う事なく翔の方へと近付いてくる。
驚く教師や生徒たちの間をすり抜けて、やがて翼は翔の前に立つ。
「君、名前は?」
勿論、翼は翔の事を知っている。
その上でこの質問をした、という事実が意味するもの。それを翔は理解した。
彼女は決して、無作為に翔を選んで指差した訳ではない。
「黒井 翔……です」
「うん! じゃあ、翔君」
手が差し伸べられる。
まるで握手を求めるかのように、翼は翔に向けて手を差し伸べた。
その表情はニパッと明るく、ヒーローではない1人の少女としての心からの笑み。
「あたしと、友達になってくれないかな?」
翔が翼からそう言われたのは、これが2回目だった。
悪女野風との戦いで重傷を負った翔が、『樫の杖』の事務所で保護された時。言葉を交わし、仲良くなった翼からかけられた言葉。
それを、今この場で再び言う事。その意味を分からない翔である筈も無い。
これは、翼からのメッセージだ。
長年の悩みを振り払った翔へ向けた、彼女なりの想い。
翔の脳裏に想起されるのは、彼女からそう言われた際、返答を誤魔化して逃げるように去ってしまった事。
しかし今度は、今度こそは。
じっと目線が交差する。やがて翔は、翼に負けないほど明るい笑顔を浮かべながら翼の手を握った。
固い握手が交わされる。それが2人の親愛の証である事など、説明するまでもないだろう。
そうして翔は言葉を紡ぐ。
怪人からヒーローへ。新しく生まれ変わった自分の、新たな1歩を彼女へ伝えるように。
「こちらこそ、僕と友達になってほしいな」
それに対する翼の返事など、とうに分かり切っていた。
本作「黒マントさんが通る!」はこれにて一旦完結とさせて頂きます。
ここまで読んで頂き、まことにありがとうございました。
続きは今のところ未定ですが、皆様からの評価が良ければ、もしくは私の気分がノった時にでもまた書く機会を頂ければ幸いです。