少女の依頼3
「透子、そんなものを学んで役に立つのか?」
私が大学で史学を専攻した時、父は呆れたように言ったものだ。史学……つまり、歴史に関することで、私は「史学部西洋史学科」で、主に中世ヨーロッパの歴史についてのゼミを取っていた。
確かに就職に役立つとはいえないだろう。博物館や美術館の学芸員は狭き門だし、歴史研究家では食べていけるかどうか。
ただ純粋に人々の足跡に目を向ける、それがなぜか私を惹き付けたのだ。歴史を学ぶことが面白くて仕方なかった。ある意味マニアックかもしれない。
だが「過去を知ることは、未来を知ることでもある」と言うように、過去の悲惨な過ちを知っていれば、未来では防ぐことができるし、先人達の功績は、言わずもがな未来では人々に豊かな生活をもたらした。
何だかんだ言って、それでも反対せずに学費を払って行かせてくれた両親には感謝するばかりだ。
好きなことを学んで、バイトをして、遊んで……私は途中だった。今までで一番楽しい時の途中だったのに。
「…………恋愛だってしたかったのに……なんで?」
石畳をとぼとぼ歩く。
街の風景は、パッと見は、学んだ中世のヨーロッパのような感じ。だが、上下水道は完備され、ゴミも少ない。馬車や馬を使うのに、道に彼らの落とし物も少ない。気付いた人や馬の持ち主が、ちゃんと処理しているらしい。
食事だって、きちんと加熱処理され、スプーンとフォークを使っている。味は、少し濃いものもあるが、美味しいと感じる食べ物が豊富だ。
まさに理想的な世界。
それでも、それを喜ぶ余裕はない。
理由は簡単。一人で、どうやって生きていくのかわからない。
アンムートに召喚された時から今まで、人形のような扱いを受けた。召喚した神殿の片隅に幽閉され、体を傷付けられたりはしないが、こちらの意思は無視された。帰りたいと言っても、聞こえていないかのような態度を取られた。
言葉を覚えさせたのは、周りの者が不便だからだ。
入浴からトイレ、食事の作法や挨拶は、単に皇帝に目通りする時に失礼がないようにするためだった。世話をする限られた者としか会うこともなく、限られた言葉しか掛られず、奇異の視線を受け続けた。
質問は許されていなかった。
だから、召喚された理由は知らなかった。知ったのは、戦場に連れて来られる直前だった。
いつも幽閉されていた部屋の前に立っていた男が告げたのだ。
私が逃げ出さないように見張っていた彼は、最初に会った時から、ねっとりと舐めるような視線で私の姿を見ていた。短い金髪に碧眼で整った顔に似合わない鋭く粗野な目つき。
名は、ガイルと言ったか。
部屋を連れ出され馬車に私を乗せる時、いつもは無言で視線だけを向けるガイルが私の耳元でそっと囁いた。
「可哀想にな、お前は、これから実験の為に連れて行かれるんだ」
「え?んっ?!」
どういうことかと彼を見上げると、いきなり抱きすくめられて唇を奪われた。
驚いて押し退けようとする手を掴まれて、強引に舌を入れられる。
「ん!んん!」
「……は、本当残念。出来るなら俺のモノにしたかった」
名残惜しそうに自らの唇を舐め、ガイルは酷薄な笑みを浮かべて呆然とする私を眺めていた。
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手元の5枚の銀貨を見つめる。これが五万円ぐらいの価値があるのは知っているが、これだけでは宿代や食費で一週間ほどしかもたないだろう。
「どいつもこいつも薄情なんだから」
勝手に召喚したアンムートの奴らに、気があるクセに助けてもくれなかったガイル然り(ファーストキスを返せ!)命を助けたのに置いてきぼりにしたレギウスにしろ………
「………ううん、薄情なのは私も一緒だ」
つい保身ばかり考える自分に嫌気が差してきた。
道を曲がった先に、小さな公園を見つけてベンチで膝を抱える。
「……ごめんなさい」
とても恐ろしいことをしてしまった。それが自分の意思でなくても、自分のせいである事実に打ちのめされて………怖い。
考えるほどに、思い出すほどに、今すぐ消えてしまいたい。
辛くて戦場をさ迷っていた時、唯一息をしていたレギウス。
すがる者を探していた自分は、どんな人間であれ自分を助けてくれるなら誰でも良かった。
「………レギウス、戻って来てよお。髭剃って戻って来てよ」
薄情でも良い人だった。裸の自分にも挑発した自分にも理性を持って対応して、恩も返すことを知っていた。
たった一人で、知らない世界で生き抜いてやる!という気概が、今は湧かなかった。
それは、自分の召喚された本当の理由を知ったから。
自分の存在が、この世界に恐怖しか与えないのに、どうして生きようと思えるだろうか?




