第1話 ナノマシンによる世界・世界の滅亡・世界の管理者達
── 今より少し先の未来 ──
地球の自然環境は悪化の一途を辿り、人類は滅亡の危機を迎えた。オゾン層の破壊による紫外線の増加。河川や海洋の汚染による水質汚染とそれによる海洋資源の激減。石油や鉱石などの地下資源の枯渇。
だが、その危機を打破したのはナノマシンによる環境の強制変化によってだった。オゾン層の修復から始まり、地熱を利用したエネルギーの獲得から、気候変化による砂漠の緑地化、海上の大地化など。
人類は地球環境をナノマシンによって生存圏を広げる事により、滅亡手前から一転、大繁栄の時代を迎える事になった。
当初は環境の再生の為に配布されたナノマシンだったが、生命活動を通じて体内にも存在するに至り、病気や怪我は体内のナノマシンにより修復され、果てには寿命すら、記憶をクローンされた肉体に移すことにより、手に入れるに至っていた。
天候や不老不死すら与えられる世界。
そして、全てのナノマシンにより構成される集合体としての情報収集と演算能力。ただ、その域に至ってもナノマシンには制限があった。
それは、【何のために存在するのか】
地球上のあらゆる場所に存在し、全て事象をコントロール出来るが、ナノマシン自体は欲を持たない。そして、機械の限界として自発的な行動指針を持つ事は無い。
永遠の繁栄が人類にもたらされたに思えたが、次第に新たな問題が生まれて来た。それが表面化したのは、ナノマシンを私的利用する者達が出てきた為である。
当初は私的利用に反対する声も一部で起こるが、環境は元より、人類の知性や身体能力すらコントロール可能にしてしまうナノマシンの能力の結果、競い合う、奪い合いをせずとも、ナノマシンは人類の欲望を叶えてしまったのだ。
生産意欲が失われ、刺激を求めてナノマシンから与えられる仮想現実で満たされてしまった人類からは、結果として努力をする事の意味自体が失われ、倦怠期にも似た状況が生まれてしまっていた。
その為、世界各国の政府は、選挙による主導者の選定、外交による意見のすり合わせから始まり、貧富の差、身体能力や知性の差など、不平等の世界に立ち戻る結果となった。
そして、不合理の世界の決定を元にナノマシンに指示を出す為、世界各地に配置された128のナノマシン研究所に全てのナノマシンの指示、操作を集約し、それぞれの研究所が相互監視を行う事となった。
そんな神とも言える力を持つナノマシンへの指示権限を持つ管理者達は、悪用を防ぐ為に完全に世界から隔離されていた。
ナノマシンは不合理を選択出来ない。自発的な意思を持てない。ただそれを補う部品として、複数のクローンとナノマシンによる記憶共有によって管理者が実現されていた。
だが、隔離された世界で未来永劫に指示をするだけの作業に従事する事など、肉体がクローン技術によりもたらされても、精神的に出来るわけが無い。
その為、彼(もしくは彼女)らには、一般世界で生きるクローンも存在していた。
但し、一般世界で生きるクローンの記憶は娯楽として管理者の記憶としてフィードバックされるが、管理者の知識や記憶は、一般世界のクローンにはフィードバックされる事は無い。
その為、管理者達は、普通の人生を何度も繰り返して送っていた。
彼らのクローンは、人類の範囲であれば、容姿から知性、身体能力や産まれる親までコントロールが可能であった。
管理者達は最初こそ、トップアスリートから富豪など様々な人生を送り、人として得られるあらゆる幸福を謳歌したが、どれほど幸福と言われても先がわかる人生は繰り返すうちに慣れてしまう。
数え切れない程の人生を繰り返してからは、前のクローンが寿命を迎えた後で自然受胎に失敗した受精卵と入れ替わると言う運に任せる人生を送るようになっていた。
それでも繰り返される人生に耐え切れなくなった管理者は、管理者本体にフィードバックされる記憶を制限して、永遠の時の流れから自分達の心を保っていた。
何しろ、自殺をしても保存された遺伝子情報から作られたクローンに記憶を移され存在させられるのだから…。
彼らは世界の全てを手に入れたが……その代わりに死と言う生物に等しく与えられた生命の終わりと言う権利を失う結果になったのである。
それは、彼等にとってある種の呪いであった。
だが……数世紀の後、永遠に続くかに思えた管理者達の時間は突如として終わりを迎えることになった。
◇
ナノマシンによる活動と管理が切り離されて長い年月が過ぎた地球上の生物は……ある日、滅亡の危機に直面していた。巨大隕石が大西洋に落ち、地殻津波を発生させた為である。
直径数百キロにも及ぶ巨大な隕石の衝突は、厚さ10万キロもある地殻ごと地球の表面を捲り上げた。
その衝突の前には、深さ数千キロの海も、大陸も意味をなさない。
それらは、まるで卵の薄皮の如く地殻と共に捲り上がり、粉々に粉砕されてしまう。
巨大なクレーターの規模は、直径が数千キロにも及んだ。
巻き上げられた大量の地殻は成層圏を超えて宇宙空間にまで達した後に、再び地球の重量に引かれて幾万もの隕石となり地表に降り注いだ。
だが巨大隕石による悲劇は、それだけでは終わらない。
隕石が衝突した中央には、膨大な隕石の衝突によるエネルギーにより気化した岩石が発生した。
4000度にまで達した灼熱の岩石蒸気は周囲に恐ろしい速度で広がり、僅か数日で地球を全て覆い尽くしてしまう。
隕石の衝突地域から見て地球の裏側も、岩すら蒸発する高温に覆われてしまい、海は干上がり木々は燃え尽き、地球は一切の生物が存在しない星への変貌を遂げてしまった。
だが、そんな環境の中でも……128のナノマシン研究所と、そこに生きる管理者達は存在していた。
神にも等しい環境維持能力を持つに至ったナノマシンは研究所周囲に集中する事で、僅かな範囲ではあるが、天体規模の災害の中でも人類の生存域を確保していたのだ。
勿論、巨大隕石の衝突に際して、管理者達は何もしなかった訳ではない。
だが、管理者達が対策を打とうとしても、複雑に絡み合った相互監視システムにより行動は制限されてしまい、隕石の到達を許すことになってしまったのである。
世界各国の政府機関も当然動き出すが、ナノマシンの管理権限と言う最大の権利発動を手放した政府機関に打てる手段は限られており、私的利用を防ぐ目的で隔離された相互監視の仕組みが強権の発動を阻んだ。
結果として、迫り来る隕石に対して有効な手段を講じる前に、隕石の衝突のときを迎えたのだ。
管理者達も、地下空間などの形成などによる人類への避難を試みるが、一定範囲で相互バランスを維持する事項による制限、公的な思想誘導を防ぐ為の外部への発信禁止事項等の様々な制限により実行が出来無かった。
地球規模の災害を前に、人類は逃げる術は無かったのである。
結果として管理者達に出来た事は……現在の地球上の生物の存続を諦めて、生物の遺伝子情報と、生物再生の為に余剰ナノマシンを確保し、それらを地中深くに隔離、退避する事だけであった。
◇
「隔離状況はどう?」
日本の筑波にあるナノマシン研究所で白衣の男が画面に映った金髪の男にたずねる。
「こっちは、隔離作業は完了したよ……もう少ししたらこの研究所の生命維持機能を停止するつもりだ……」
金髪の男は、虚ろな目で答える。
世界各地の128箇所ある研究所を結んでいた壁の画面は、既にその殆どが真っ暗になり何も映していない。
何しろ、研究所の外は数千度の高熱に晒され海は干上がり、一切の生物活動が無い死の星となっていたのだから。
自分だけが生き続けても……という思いから、全ての管理者が遺伝子情報と共にナノマシンを地中深くに隔離した後に、研究所を守っていた機能を停止させていた。
残った人類は、筑波ナノマシン研究所の管理者とUS経済圏の管理者の二人だけであった。
正面のモニターには地中深くに進む直径50キロの塊………ナノマシンの集合体と、その中核にある生物遺伝子情報と空気や水などの環境再生の為のサンプルの現在地が示されていた。
「こっちは、あと数時間くらいだな……」
白衣の黒髪の男は答える。
「そうか……そっちは、中核機能を再構築するナノマシンを担当しているから、どうしても最後になるな」
モニターの金髪の男がつぶやく。
万能に近いナノマシンだが、活動には目的が必要になる。
その為、黒髪の男は世界各地の研究所の隔離措置が終わると、各管理者から権限を受け取り最後の命令入力の準備が整うのを待っていたのである。
「気にするな……誰かが最後になるしかないし、全ての管理者権限が無ければ地球規模の再生指示は出せないんだから」
黒髪の男は、軽い口調で金髪の男に言った。
「そうだな。やっと……死ねるのか。悪いな先に行かせてもらうよ」
どこか遠くを見る目をして金髪の男が言った。地球の滅亡に直面して、管理者達はやっと死ぬ事を許されたのだ。
「ああ……」
黒髪の男が答える。
数瞬の沈黙のあと……金髪の男が映っていた画面は真っ黒になった。
《US経済圏の管理者が不在となり、管理者権限が移譲されました。》
管理者はその必要性から、自らの意志で管理者権限を放棄出来ず、仮に管理者が死んだとしても保存された遺伝子情報からクローンが自動的に再生される。
その為、管理者権限の移譲には遺伝子情報やクローン設備を含めての破棄が必要であったが、それらの破壊行為は完全に禁止されていた。
通常では、設備の破棄をしようとしても他の管理者権限からの相互監視システムで制限及び維持対応が掛かるが、地球上の全てが高熱のガスで覆われている状態になった為、研究所周辺を通常環境に戻すだけで破棄が可能になっていた。
「地球が滅びる状況になって、ようやく俺たちも死ねるのか……皮肉なものだな。この星を再生させる意味があるのか甚だ疑問だが……まぁ、いい。それは、新たに蘇った人類が判断するだろう」
死を奪われていた管理者達がどう感じていたのかを想いを馳せつつも、それに意味が無いと割り切った男は未来を作るべく作業を開始した。




