1 誰も選ばない白狼を、私は放っておけなかった
誤字や不自然な表現などがありましたら、教えていただけると助かります。
エマはずっと、召喚狼獣は生まれつき冷たい種族だと思っていた。
だから、彼女のパートナーであるルーカスの青い獣の瞳は、いつだって溶けきらない氷のように冷たかった。
彼女がどんなに近づこうと、その冷たさを崩せなかった。
「ルーカス、今日の肉は新鮮なのよ。わざわざ市場で買ってきたんだから、ビーフシチューにしようかなぁ」
エマは彼専用の、月光石が散りばめられた豪華なクッションの横にしゃがみ、そっと手を伸ばした。
ルーカスの初雪のような真っ白の尻尾を撫でようとした。
しかし指先が触れる前に、その美しい尻尾はかすかに彼女の手の届かないところに下がった。
彼は頭を窓の外へ向け、冷たい横顔だけを彼女に晒した。
伸ばした手はやがて気まずそうに、彼女自身の膝の上へと引き下ろした。
また……避けられてしまった……
もう十年も経つのに。
七歳のあの日、瀕死のルーカスを死の淵から連れ戻してから、もう十年が過ぎていた。
エマは全力で頑張り、すべての優しさを捧げてきた。
怪我の手当ての日々、訓練の時の根気強い導き、彼の力が暴走し、無関係の者を傷つけそうになった時でさえ、精神力を使い果たして彼を鎮めた。
彼女は時が彼の心の氷を溶かすと信じていた。
あの冷たさは、重傷の後遺症か、あるいは狼獣の気質なのだと。
ずっと自分に言い聞かせてきた――彼が生きている、彼がそばにいる、それで十分だと。触れられるのが嫌なら、遠くから見守っていればいいのだと。
後になって、彼女の思い違いがどれほど酷いものだったかを知ることになる。
ルーカスは冷めていたのではなく、彼女を怨んでいた。
彼女が彼を選んだから。
***
記憶は運命を変えたあの午後へと引き戻される――七歳の召喚儀式。
召喚士一族の子どもたちは、七歳になると、古の召喚秘境へと足を踏み入れ、一生の契約を結ぶ召喚獣のパートナーを選ぶ。
空気は埃と召喚獣の気配、そして子どもたちの興奮した熱気で満ちていた。
エマの腹違いの妹エミリーは、誇り高きお姫さまのように彼女の前に立っていた。新しいドレスをまとい、金色の巻き髪が日差しにきらめいていた。
彼女たちはほとんど同時に狼獣の群れに目を奪われた。
「わあ! すごくかっこいい!」
エミリーが跳ねるように指さしたのは、群れの中で最もたくましい灰色の狼獣だった。
その灰狼は堂々と立ち、鋭い眼差しは力に満ちていた。エミリーの明るく奔放な気質と、見事に釣り合っていた。
エミリーは迷わず駆け寄り、疑いようのない明るさで宣言した。
「あなたにする! これから私のパートナーよ! 今日から、あなたの名はダニエル!」
灰狼は頭を下げ、彼女の差し出した手に鼻先をすり寄せ、喉の奥で低く、満足げな唸り声をあげた。
「ダニエル、これからよろしくね!」
エミリーは嬉しそうに灰狼の首元へ抱きつき、その柔らかな毛並みに頬を埋めた。
その時だった。
ふいに何か気配でも感じたのか、彼女の動きがぴたりと止まる。
「……え?」
ゆっくりと顔を上げたエミリーは視線を横へ向けた。
少し離れた群れの端、光の届かない影の中に、一匹の白狼が横たわっていた。
あまりにも細い身体、雪のような白毛は血と泥で汚れ、氷を思わせる青い瞳も半ば閉じかけている。
今にも消えてしまいそうなくらい、弱々しかった。
エミリーは思わず目を見開いた。
「あの子……怪我してるの?」
無意識のまま、一歩前へ出る。
だがその瞬間、後ろから仲間の声が飛んだ。
「エミリーさん、あれはもう駄目でしょう」
「死にかけの召喚獣だもんね。 契約する価値なんてないでしょう」
エミリーは足を止め、もう一度だけ白狼を見る。
白狼の氷のような青い瞳が静かにこちらを見返していた。
エミリーの胸の奥がちくりとした。
「うーん……でも私にはダニエルがいるし。
ちょっと可哀想だなって思っただけ!」
すぐにいつもの明るい声に戻って、エミリーはしゃがみ込む。
そしてダニエルの頭を優しく撫でた。
「行こう、ダニエル!」
金色の髪が陽の光を受けてきらきらと揺れる。
エミリーは笑顔のまま振り返り、そのまま走り去っていった。
そして影の中、白狼は、去っていくその背中を、ただじっと見つめていた。
もう意識はぼやけている。
身体の感覚だって、ほとんど残っていない。
それでも――
――……見てくれた。
ぼんやりと霞む視界の中、陽光を浴びた金色の髪だけが、やけに眩しく映った。
本当に一瞬だけだったのに、白狼はなぜだか目を閉じたくなかった。
――こんなに綺麗な人がいるんだ。
……もっと、見ていたかった。
しかし、エマは視線を白狼から離すことができなかった。
活気に満ちた召喚獣の群れの中で、あの白狼は今にも散りそうな一枚の雪の華のようだ。
「かわいそうに…」
エマは思わず呟いた。
――だめだ。 放っておいたら、彼は死んでしまうだろう。
エマは思わず白狼の方へと歩み寄っていた。
「でも…あれ、死にそうじゃん」
近くで子どもがささやいた。
「死にかけのやつなんて選んで何になるんだ? マジでバカじゃね?」
「ほっときなよ。 『赤い瞳の読み手』と『息も絶え絶えの狼獣』——不運を纏いし者たちの邂逅、最高じゃないか」
「ほら、エマ様。 俺が今、何を考えてるか読めるか」
「あー、それは『赤い瞳の読み手』様の力なんか借りなくていいぞ。 そんなの俺にも読める!
負け犬カップル誕生! サイコー! ……だろ? ははは!」
エマは周囲の雑音などもう聞こえていなかった。
彼女の視線は、相変わらずあの白狼の姿に釘付けになっていた。
彼を死なせてはいけない、どうしても助けてあげなきゃ――
彼女はゆっくりと近づき、息を殺して彼の前にしゃがみ込んだ。
白狼はほとんど反応を示さず、ただ瞳をわずかに彼女の方へ向けただ。
その瞳には生き延びようとする意志が感じられなかった。
「長老……」
エマは立ち上がり、自分でも気づかなかった震えと決意を込めて言った。
「私…私は彼にします」
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