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22.最後のひと押し

待たせて大変申し訳ありません。

 ズュースは車椅子の上で小さく息を吐いた。

 その姿だけ見れば、本当に脆弱な少女だ。細い首、折れそうな肩、呼吸をするだけで苦しそうで、とても戦場に居座るような人ではない。

 だが。

「ホルン」

 その一言で、彼女が戦場にいる意味が見出される。

 輪郭線が曖昧な黒い影が、ズュースの背後から滲み出る。姿形は竜に近い。竜という名前を押し込んだ何かと言われた方がしっくりくる。

 ここは森林。光がまともに入ってこないほどに鬱蒼とした暗い森林。少しでも気を抜いたら見失ってしまうほどに、ホルンの視認性は悪かった。

 シオリは反射的に地を蹴った。轟速でズュースに近付く。否、厳密に言えばズュースの近くにある剣に狙いを定めている。

 距離が縮まる。あと数歩、剣に指先が届くその瞬間──

「──ッ!」

 シオリの指先が、冷徹な鋼の柄に触れる──その刹那、網膜に映る景色が歪んだ。

 届くはずだった。いや、感覚的には既に掴んでいなければおかしい。だが、シオリの指が触れたのは、冷たい金属ではなく、おぞましいほどに粘度の高い冷気だった。

 剣の影が波打ちのように歪む。

 ホルンは、先程までズュースの後ろにいた。神出鬼没、百鬼夜行。この戦場に溶け込むのはホルンにとって赤子の手をひねるより簡単なものだった。

 手首をへし折らんと迫る黒い顎。シオリは踏み込んだ右足の軸を狂わせ、強引に己の体を横に捻り投げた。

「もぅ……変に避けないでよ……」

 不満じみた声が聞こえた。今すぐにでもぶん殴りたいところだが、あの竜がそれを拒むようにズュースの上で浮かんでいる。

 低く身を構えたシオリから一筋の血が伝い落ちる。

 あと一瞬、瞬きを一回する程の時間、判断が遅れていたら今頃シオリは怨嗟と慟哭が絶えぬ闇の海に飲まれていただろう。見たことないので憶測だが。

「ゼロ! しっかりしろ!」

 シオリが横目でバディを強く叱咤する。ただ、ゼロはやはりどこか精彩が欠けていた。心ここに在らず、といった感じだ。ホルンの本尊、車椅子の背後から滲み出る竜の影に完全に気圧されているように見える。

「クソが……まともに使えやしない……」

 シオリは愚痴を零した。拳を、ズュースに、ホルンに向けた。


 ◇◇◇


 ダメだ。動けない。動かない。

 ホルンが揺れる、その度にゼロの肩が跳ねる。

 いるのは分かっている。戦わなければいけないのも分かっている。なのに、動くことができない。目の前の、一メートルにも満たないであろう竜を殺せばいい。それだけなのに、それだけのことが、できない。

 あの車椅子の少女は、もうコチラを向いていない。シオリに集中しているのだろう。もうコチラの存在を、背景の一部として捉えているのだろう。

 格好の的、絶好のチャンス。ただ、喰われるのでは、噛みちぎられるのでは、という思いが足枷となってゼロを縛る。

 無情な事にも、戦場で憐憫の目を向けられることは無い。全員がはいはい可哀想ですねと話を聞いてくれるわけではない。師匠、エリュシオンが骸になったあとも、刻一刻と時間は流動している。

 トンッ。

「……?」

 誰かに、後ろから押された。ゼロは、力なく前に倒れた。その刹那、後頭部の一ミリ上を掠った。

「え……?」

 ズュースと思わしき声がする。鋭い痛みが頭を焼く。

 後ろを振り返った。何もいなかった。

 ゼロの背後、ズュースのいる方では戦闘が再開されているようだった。最初の方は聞こえた。ただ、間もなくしてゼロの耳には何も入ってこなくなった。

 なんだったんだ、今のは。自分を助けた……?

 ただ、シオリはホルンと戦闘中で、ゼロに構っている余裕なんてない。ピリカは、もう静寂の(ブラインド・)箱庭(リバインド)で全回復しているはずだが、未だに煙幕からでてきていない。

「おい」

 懐かしい声だった。はるか昔、ゼロを指導していた師匠の声だった。

「何故、お前は動かない?」

 視界の中央にぼんやりと人の形が浮かび上がってくる。それはゼロを見下ろしていて、軽蔑の目を向けているようにも見えた。

「な、何故と言われても……」

「私の最期の言葉を()()()()()()

「──!!」

「お前は私の名に恥じぬ立派な弟子なはずだ。それを訂正させるな。私の知ってるお前は、戦から逃げるような目をしていなかった」

 ゼロは、声にならない声を漏らし、彼女の方に手を伸ばした。今すぐに抱きついてやりたい。今すぐに泣きつきたい──

「待て。動くな。私に近寄るな」

 ただ、彼女が発した言葉は、決して良いものではなかった。

「……え……」

「私に縋るのを辞めろ。成長しろ。我が弟子、いや、いち統括者として」

 彼女は輪郭を保てなくなっており、徐々に歪み始めていた。

「い、嫌だ……」

 待って、まだ、まだもっと話していたい。もっと近くにいたい。気がつけば、ゼロは彼女の下に向かって歩いていた。彼女の輪郭はまた形を保ち始める。が──

「私に近寄るな! 背を向けろ!」

 ゼロの思いとは裏腹に、帰ってきた言葉は残酷で無情なものだった。

「私から離れろ。お前が向くべき場所は後ろだ」

 ゼロは息を呑んだ。後ろを振り向いた。

「お前は、もう誰にも憧れる必要はない」

 彼女のその言葉を皮切りに、ゼロは世界に耳を許した。

 なんでなんだろう。さっきまであれほど竦んでいた足が、今ではしっかり力が入っている。さっきまで見えないほどに速かったホルンが、今ではあんなに遅く感じる。思い出してきた。師匠(エリュシオン)の攻撃は、あんなのよりも何百倍も速かった。

「そうか。ようやくお前の眼から澱みが消えたか」

 彼女が陽炎のように不明瞭になっていくのを背中でゼロは感じた。

 体の内側から熱い何かがせり上がってくる。それは、恐怖でも、戸惑いでも、悲観でもない。彼女にかつて教えられた戦場を支配するためのモノだった。

 ゼロは、迷いなくシオリ達を捉えた。

 シオリはホルンの猛攻を間一髪で交わし続けていた。

「シオリ──!!」

 ゼロが短く叫ぶ。興奮状態のシオリの耳にもしっかり届いたようだった。シオリは即座にサイドステップでゼロの隣に着く。

「なに、気合い入ってんじゃん」

「ああ。今まですまなかった」

「別に、気にしてないよ。居ないものとして見てたから」

 普通にキツイ言葉をかけられたが、今のゼロにとってはそれすらも鼓舞の対象だった。

「もうぅ……なにぃ? あと少しだったのに……」

「勝手に喋れ。もう時期無くなる命だ」

 かつての師匠、そしてシオリに闘志を焚き付けられ、強気に踏み出す。

 ゼロは尻尾の一本を使い、ズュースの近くに落ちているマチェットを取ろうとした。

「流石にさせないよ」

 ズュースはホルンを使い、ゼロの尻尾を阻もうとしたけ。が──

「舐めるなよ」

「っな……!」

 ホルンが尻尾を噛み砕こうと力を入れた。ただ、金属音がするだけに留まった。

 ゼロの個性能力(ユニークスキル)、硬質化。自身の肉体を一時的に鋼ほどに硬くさせることができる。動きは鈍くなるが、ダメージを軽減させたりすることができる代物だ。

 ゼロは怯むことなくマチェットをすくい上げ、()()()()()

「今だ! シオリ──!」

「もう動いてるっての!!」

 既に左手側に移動していたシオリは、思いっきり飛び上がり、マチェットを掴む。ゼロはそれを確認し、右手側から尻尾を向かわす。

「さあ。死んでもらうよ」

「ッ────!!!!!」

 ズュースの顔に汗が浮かんだ。気だるそうな瞳は見開き、明らかに動揺していた。



 一方その頃、一人の少女は虎視眈々とタイミングを狙っていた──

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