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「――かんぱーい!」
その日の夜、喫茶店では打ち上げ会が盛大に開催された。テーブルには我が喫茶店の鉄人、黎が腕によりをかけた料理が並ぶ。悔しいが、やはりどれも絶品だ。おかげで箸が止まらない。
「こら晴司! そんなにがっつかない!」
月乃は俺に怒鳴り声を上げた。そういうあいつの皿には、ちゃっかり大量のスイーツが。抜け目なし、月乃。
「それにしても、本当にありがとうね。おかげで文化祭は大盛り上がりだったわ」
陽子先輩は、嬉しそうに語る。
「大盛り上がりなのは良かったけど、帰りが大変だったけどな」
「そうそう。なんか色んな人に囲まれたし」
黎と星美は苦笑いしながら当時を語る。
2人の言うとおり、あの後が大変だった。舞台袖から帰ろうとすると、月乃達を生徒が取り囲んだ。
プロの方ですか? どこでライブをしてるんですか?
そんな質問がそこら中から飛び交う。その中をかき分けながら外に出たのだが、その先頭を歩く俺はさしずめ人気歌手のマネージャーといったところか。これまたそこら中から、何この冴えない男みたいな視線を浴びまくってた。といっても、慣れたもんではあったから、全然気にしない。子供相手に怒ることなど、大人な俺は断じてしない。ただし最後に俺の足を軽く蹴ったあのガキの顔は忘れねえ。絶対だ。
それはそうと、もう一つ大変なことがあった。
「花恋、大丈夫かしら……」
心配そうに小雪が呟く。実は、あれからもう一人の歌い手、花恋の正体がバレてしまっていた。
俺らと一緒に出て行こうとした花恋だったが、彼女と仲がいい女子生徒が、いとも容易く彼女だと見破り、声をかけた。そして花恋は返事をしてしまい、完全にバレてしまったというわけだ。
花恋は顔を真っ赤にして、そのまま体育館を走り去ったのだが……。
「ああ、その辺は大丈夫そうだよ」
心配する俺らに対して、陽子先輩はあっけらかんと話した。
「え?」
「あれからね、花恋、凄く人気者になったんだよ。歌も上手かったし、堂々と歌ってたし。何よりあの変わりようが凄くてね。月乃ちゃん達の中でも違和感なくて、学校中の話題になってるんだよ」
「へえ……花恋が……」
それはさぞかし照れてるだろう。でも、学校の奴らが花恋を認めたということだろう。花恋は見事に歌いきった。本当の自分を出し切った。その本気さを、皆が認めたのだろう。
何だか誇らしくなった。これで、花恋自身も前に進めたのかもしれない。
「……それはそうと……」
ふと、陽子先輩は呟く。
「あれからさ、学校にずっと電話があってるんだけどさ」
「電話? 何のですか?」
「いやね、学園祭に、どうやらその業界の人が来てたみたいでね。月乃ちゃん達のスカウトの電話が鳴りっぱなしなんだけど」
「スカウト?」
「そうそう。レコード会社から」
「……まじかい」
そりゃ、業界の方が知れば放置は出来ないだろうな。何しろ超絶美人バンドと来たもんだ。メディアに流れれば、たちまち話題を呼ぶだろう。
しかしながら、月乃達は実に涼しい顔をしていた。
「まあ、店まで押し掛けないからまだマシね。学校側には悪いけど、しばらくすると沈静化するでしょ」
「プロかぁ。それもいいんだけど、今で十分楽しいからなぁ」
月乃と黎は、それぞれ感想を語る。
てか、プロからのスカウトがそんくらいの感想ってどうよ。全国にいる歌手になりたいドリーマー達がブチギレるぞ。
「……陽子先輩、ということなので……」
「分かってるわよ。丁重にお断りしとくわ」
陽子先輩は朗らかに笑う。出来た人で良かったよ。うん。
「……ところで、結局誰の歌が一番好評だったのかしら」
ふいに小雪がぶっこんで来た。
「そんなの、決まってるじゃない」
「ああ。一人しかいないよな」
「そうですよね」
月乃、黎、星美は各々頷きながら語る。……ここまで来ると、もはやお約束というか何と言うか……。
そして、四人は同時に口を開いた。
「私しかいないわね」
「アタシだな」
「私ですね」
「私でしょうね」
それは見事なハモりだった。自信満々に、誇らしげに話す4人。
(おいおい……)
その直後、4人はさっそく臨戦態勢となった。
「……おかしいわね。あなたたち、酔っているんじゃない?」
「そういう月乃こそ、寝ぼけてるんじゃないのか?」
「それは黎先輩も同じですよ。何言ってるんですか」
「あら、あなた達全員そうでしょ。どう考えても私じゃない」
火花散る4人。溜め息を吐く俺。腹を抱えて笑いを我慢する陽子先輩。
「……晴司くん。相変わらずあなたも大変ね。私がいなくなったと思ったら、小雪ちゃんですもんね」
「笑いごとじゃないっす。陽子先輩……」
そして黎は袖を捲りながら声高らかに言い放つ。
「そうまで言うなら、今日こそ決めようじゃないか。誰が一番、歌が上手いかをさ」
「上等よ。前のカラオケ店で決着付けるわよ」
「私も、明日はバイト休みなんで徹底的に付き合いますよ」
「まだ勝てるつもりでいるの? 往生際が悪いわね」
月乃達は激しく睨み合いながら店を出ていった。一方残った俺は改めて大きく息を吐いた。
「……ってことで陽子先輩。今日はお開きみたいです」
「そうみたいね。……でも晴司くん、少しは安心してるんじゃない?」
「え?」
「月乃ちゃんと黎ちゃん、すっかり昔に戻ったみたいだし。まるで高校の時を見てるようだわ」
懐かしそうな表情をする陽子先輩。
「……それは、確かにそうですけどね。ただ、結局俺、巻き添えですけど」
「それは今に始まったわけじゃないでしょ。……でも、少なくとも私は安心したわよ? 月乃ちゃん達もそうだけど、晴司くんにも」
「俺に、ですか?」
「ええ。だって晴司くん、今からついて行くんでしょ? 小言言いながらも、結局ほっとけないんでしょ?」
「それは、そうですけど……」
「そういうところ、本当に変わってないよね。だからこそ月乃ちゃんも黎ちゃんも星美ちゃんも、安心してるんだと思うんだ。暖かくて、懐かしくて、いつまでも傍にいたいんだと思思う。だって、私だってそうだから」
「……ですから、ご主人に怒られますよ?」
「それは大丈夫だって。あの人も理解してくれてるし。そんなのを全部含めて、私といてくれてるの。あの人にはあの人なりの愛情表現があるし、例えそれが少しずれていたとしても、私を思ってくれていることは分かってる。だから、私はそれでいいの」
「……」
どこか、先輩の言葉が引っかかった。具体的には何とも言えないけど、喉に刺さった魚の骨のように、何かが頭に引っ掛かっていた。
それ、どういう意味ですか?
そう聞こうとした瞬間だった。
「――ほら晴司! 早くしろって!」
黎が勢いよく店のドアを開け、俺を呼ぶ。
「あ、ああ! すぐ行く!」
そう返事を返すと、黎は相変わらず鼻息を荒くしながら出ていった。
「……呼んでるわよ晴司くん。行ってあげて」
「で、でも……」
「ちょうど家に帰らなきゃいけないの。私なら大丈夫だから」
先輩は、いつものように笑顔を向ける。太陽のような、暖かい微笑みを。
「……分かりました。また、今度遊びに来てくださいね」
「うん。分かった」
そして俺は店を閉めた。最後に陽子先輩は手を振っていた。それがどこか儚く見えたのは、俺の気のせいだろうか。いや、きっとそうだろう。そうに決まってる。
いつの間にか、自分にそう言い聞かせていた。