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とある喫茶店の平穏とは言えない日常  作者: 井平カイ
想い出と後悔の境界線
43/46

 そこは音楽室だった。その高校の音楽室は、学校の一番奥にある。この時間は部活動も粗方終わったこともあり、音楽室周辺には誰もいなかった。誰もいない音楽室から、それは聞こえてきていた。

 その声は歌だった。流行りの歌でもない。誰もが知ってる歌でもない。歌詞もない。ただ音楽を口ずさむ。でも、何だか落ち着く声だった。上手さで言えば月乃達の方が圧倒的に上だろう。でも、それとは違う魅力があった。いつまでも聞いていたいような、そんな歌だった。


(誰だろう……)


 音楽室の中の様子を覗いてみた。そこには、一人の少女が立っていた。少女の長い髪は開いた窓からの風に揺られ靡いていた。その中で歌う彼女は、とても幻想的だった。


 しばらく入り口の傍に立って、その歌を聞いていた。そして歌が終わった時、俺は思わず拍手をしてしまった。自然と出てしまった。たぶん、心が無意識にそうさせたのかもしれない。そう思えるほど、心は満ち足りていた。


「――え? え??」


 少女は俺に気付いた瞬間怯え始めた。顔を背け、背中を見せた。そして怯えているかのように震えていた。


「ああ……悪い、びっくりさせたかな」


「い、いえ……」


「あんまりいい歌だったもんだから、つい聞き入ってしまってな。盗み聞ぎみたいな真似をして悪かった」


「………」


 少女は何も言わず、ただ背を向けていた。何だろうな。スンゴイ恥ずかしがり屋なのだろうか。


「いつもここで歌ってるのか?」


「………」


「さっきの歌、なんていう歌なんだ? いい歌だったな……」


「………」


(まいったな……)


 どうやら勝手に聞いたことが相当マズかったみたい。一言声をかけて聞くべきだったか……


「あ、あの……私そろそろ帰ります……」


 少女は急いで荷物を持ち、顔を伏せたまま音楽室を出ようとした。俺の横を通り過ぎる時、少女の顔が少しだけ見えた。


「―――ッ! ちょっと待って――!」


「―――ッ!?」


 思わず、少女の手を掴んでしまった。少女は慌てて俺の顔を見る。……やっぱり、見覚えのある顔だった。


「……キミだったのか……“花恋ちゃん”……」


「………」


 少女――杉下花恋は、ただ黙って目を伏せた。




 ==========




「ごめんな。手なんか掴んじまって」


「い、いえ……」


 音楽室に戻った俺と花恋は、広い室内に椅子を並べ座っていた。それにしても、おさげ髪を解いただけなのに、ずいぶんと印象が変わるものだな。

 

「……いつも、歌ってるのか?」


「……はい」


 どうもまだ怯えているようだった。何だか自分が不審者にでもなった気分だな。


「まあ別に話したくないならそれでいいけど……何かあるなら話してみなよ。気は楽になると思うよ?」


「………」


 花恋は、少し悩んでいるようだった。それでも、唇は微かに動いている。言いたいけど言えない、といったところなんだろう。もう少し、背中を押すことにした。


「――それに、ここには俺とキミしかいない。そして俺も絶対他の奴には言わない。……だから、安心していいよ」


 俺の言葉を受けた花恋は、もう一度黙り込み、ゆっくりと口を開いた。


「……実は、私、歌うことが本当に好きなんです。歌ってると楽しいし、色んなことを忘れられるんです。……でも、人前なんて恥ずかしくて……だから、カラオケにも行ったことがありません」


「ん? でも、キミは生徒会長なんだろ? 生徒会選挙もあっただろうし、既に人前に出てるじゃないか」


「は、はい。そうなんですけど……実は、私が立候補したのは他薦なんです。クラスで一人は立候補しないといけなくて、誰も立候補しなくて……真面目だからという理由で、私を立候補にすることになったんです。どうせ生徒会選挙で落選するって思ってたんですけど、最上級生で真面目そうという理由で、やっぱり当選してしまって……」


(うわー、ツイてないなぁ……)


 花恋の話を聞いていると、その昔、黎に無理矢理生徒会に入れられた時のことを思い出した。

 俺は自然と、花恋の肩を叩いていた。


「ええと……楠原さん?」


「分かるぞ、キミの気持ちは! よぉく分かるぞ!! 理不尽に、不本意に生徒会委員として働かなくてはいけなくなってしまって実に辛かっただろう! うんうん!!」


「いや……あの……」


 困り顔の花恋。そんな彼女を見てようやく我に返った。


「……いやスマン。少し暴走してしまった」


「い、いえ……」


 苦笑いをしながらも、花恋は続けた。


「……生徒会長の仕事は楽しいですよ。思ったよりも人前に出ることも少ないですし。でも、やっぱり歌はちょっと……」


「まあ、確かに人前でも仕事するのと歌うのじゃ全然違うからなぁ。――でも、本当はもっと堂々と歌いたいんじゃないのか? だからいつも放課後に歌ってたんだろ?」


「……本音を言えば……」


 それ以降、花恋は黙ってしまった。なるほど、確かに多いパターンだと思う。本当はやりたいことがあるのに、恥や周囲からの目を気にして結局出来ないパターンだな。こういう場合、得てして大人になってから後悔する方が多い。もっとこうしておけばよかった。もっと頑張ればよかった。もちろん、後からそんなことを思ってもどうしようもない。そうやって、一つ一つ人生の選択肢が減っていくのかもしれない。

 もちろんそれがその人の人生とも言える。だけど、少し応援したくなった。


「――なあ花恋ちゃん、ちょっと頑張ってみないか?」


「え?」


「一言でいい。頑張ってみたいって言えば、きっといいことが起こる。……どうする?」


「それってどういう……」


「いいから。素直に言って欲しい。もちろん、どうするかはキミに任せる。嫌なら帰ってくれてもいい」


「………」


 花恋は俺の顔を見たまま黙り込んだ。そっから先は俺も答えを無駄に急がせたりしない。この答えは、花恋自身が決めること。この沈黙の意味も分かってるつもりだ。たぶん彼女の中では色んな葛藤があるんだと思う。ホントは踏み出したいけど勇気が出せない。そんな状態だろう。俺が無理矢理答えを押し付けても、たぶん花恋は一生懸命になれないだろう。だから俺は待っていた。彼女自身がスタートボタンを押すことを。

 しばらく考え込んだ彼女は、重い口を開いた。


「……私……が、頑張って…みたい、かも……」


「―――よし来た!」


 俺はさっそく花恋の手を掴む。そしてそのまま外へ連れ出した。


「ちょ、ちょっと楠原さん!」


「いいからいいから。付いて来いよ」


 ズルズルと引っ張りながら、俺と花恋は校庭を通り抜ける。周りの生徒は変な目で見ていた。まあいい歳した大人が高校生の手を取って歩いているんだし。花恋も顔を伏せて周りと目を合わせないようにしていた。

 ふと職員室に目をやった。窓際には先生達が集まっていた。たぶん、不審者とか思われてるんだろうなぁ。でも、よく見れば陽子先輩が手を振ってる。陽子先輩がいるなら大丈夫だろう。何とか説明してくれるはず。

 俺は俄然早足になり、その場所を目指した。




 ==========




 俺と花恋が辿り着いたのは、とあるライブハウス。――そう、月乃達が練習をしている場所だった。

 勢いよく扉を開けると、ちょうど休憩時間だったようだ。みんなペットボトルを片手に座っていて、一斉に俺に視線を送った。


「よう。練習は順調か?」


「まあね。……ところで、その子は?」


 月乃が疑うような視線を向けてきた。何だよ。お前まで俺を不審者扱いか?


「晴司さん、その人は?」


「ああ、月乃と黎は知ってるけど……」


 そして花恋を前に押し出す。


「今度お前らが参加する高校の生徒会長だよ」


「はあ……初めまして……」


 星美と小雪は、とりあえず会釈する。月乃と黎も最初は分からなかったようだが、俺が説明するとようやく相手が花恋だということに気付いたようだ。 


「……で? どうしてその子が? 様子見にでも来たの?」


「違う違う。別の用件だ」


「別の用件?」


 黎の言葉に、ニヤリと笑う俺。そしてあっさりと言う。


「――この子、ボーカルやるから」


「……は?」×4

「……え?」


 全員動かなくなった。聞こえなかったのか? もう一回言ってみるか。


「だから、この子をボーカルにするから」


 もう一度言ったところで、ようやく全員金縛りから逃れられたようだ。


「はあああああ!!??」×4


 勢いよく立ち上がったバンドの面々は、一気に俺に詰め寄って来る。


「何で急に!?」


「思いついたから」


「でも、なんでその子なんですか!?」


「歌が好きだって言うから」


「晴司さん!? 私達がボーカルやるっていう話は!?」


「ここはなかったことに」


「晴司!! アタシという妻がいながら、この女と二人で歩いてきたのか!!??」


「お前だけ論点違うじゃねえかあああ!!」


 ワーワー叫ぶ月乃達とは裏腹に、花恋は絶句し固まっていた。そしてようやく自分の状況を理解したのか、大慌てで俺に詰め寄って来た。


「せ、楠原さん!? ボーカルってまさか……バンドで私が歌うんですか!?」


「そうそう」


「そんなの……!! ――無理です!! 絶対無理です!!」


 慌てふためく花恋。まあそうだよな。いきなり文化祭で歌えって言ってるようなもんだからな。でもまあ、そこはゴリ押しで。


「無理かどうかなんてやってみないと分からないだろ? だから、とりあえず頑張ってみろよ」


「だから無理です!! そんなの、考えただけでも恥ずかし過ぎて……!! とにかく! 絶対無理です!!」


「………」


「私歌いません!! そんなの……私、歌なんて……!!」


「――花恋!!!」


「―――ッ!!」


 少し、強めに声を出した。花恋どころか、月乃達までビックリしていた。でも、おかげで話を聞いてくれそうな状況になった。 


「……いいか花恋。確かに恥ずかしいかもしれない。今までやったこともないことをいきなりするのは、かなりの勇気がいることだってのも分かる。だけど、お前は歌いたんだろ? それは今までやったことがないことなんだろ? だったら、今踏み出すべきだろ。

 人生ってのは、思ったよりも短いもんだよ。俺だって、気が付けばもう24歳だ。ここまであっという間だったから、たぶんこんな感じで一生が終わるんだと思う。そんな中で、高校生活なんてほんの一瞬の出来事だ。だからこそ、やりたいことがあるならするべきだ。じゃないといつか後悔する時が来る。その時に、苦しむのはお前なんだよ。

 ――俺は、そんな後悔なんてしてほしくない。後悔するくらいなら、バカになってバカやった方が数倍マシだぞ」


「で、でも……私やっぱり恥ずかしいです……」


「青春ってのはな、大人になって思い出した時に、悶絶するくらいがちょうどいいんだよ。

 ……だから、やりたいようにやれよ。黒歴史を全力で作れよ。時間は待っちゃくれないんだからな」


「……もし私が出ても、たぶん緊張して失敗してしまうと思います。そしたら、こんなに練習してる皆さんに申し訳がありません。だから……」


「結果なんて考えるなよ。本当の意味で結果が必要になるのは、大人になってのことだ。今はそんなに重要じゃない。今重要なのは、自分で足を踏み出したかどうかなんだよ。前に進もうとしたかどうかなんだよ。失敗したら大人になって酒の肴にすればいい。逆に成功すれば、それは花恋の中にいつまでも残り続ける宝になるはずだ。どちらに転んでも、花恋の中で大きなものになるさ。

 ――だから、踏み出せよ。前に進めよ。その先には、きっとスゲエ景色広がってるはずだ」


「………」


 花恋は、再び黙り込んだ。その沈黙は、たぶん答えを迷ってるんじゃないと思う。自分の中に既にある答えを見直して、それを口にする勇気が溜まるのを待ってるんだと思う。

 ……そして、その時は来た。俺の方を向いていた花恋は、月乃達の方を向き直す。真剣な表情で見つめていた月乃達の顔を見渡してから、勢いよく頭を下げた。


「――よ、よろしくお願いします!!」


「………」


 思わず、俺は笑顔になっていた。

 こうして俺達のバンドに、5人目のメンバーが加わった。



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