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「……キミが楠原晴司くんかね」
親父さんは、俺を睨みつけながら威嚇するように聞いてきた。
「あ、はい。初めまして」
「さっそくで悪いが……諦めてくれないか?」
(ホント、さっそくだな……)
「ちょ、ちょっと父さん!! 話が違うじゃない!!」
親父さんの言葉に月乃は驚き声を荒げる。……何の話になってたのやら。
「月乃は黙っていなさい! ……これは、私と楠原くんの話なのだよ」
それについては同意したい。月乃が如何に話をまとめようが、俺には俺の聞きたいことがあるわけだし。話を通していたにしても、どのみち聞くつもりだったからちょうどいい。
「……それなら俺も、さっそく本題に入らせてもらいます。
――月乃の結婚、どこまで話を進めてるんですか?」
「………」
親父さんは黙り込んだ。それまで通りの刺すような視線だったが、さっきまでとはどこか違うように思う。
「え? 晴司、どういうこと?」
月乃には俺の質問の意味が分からないようだ。てっきり分かってると思っていたんだが……だとしたら、コイツはいったい何だと思ってたんだ?
それはいいとして、一気に畳み掛ける。
「月乃の様子から、コイツは何も知らないように見えました。かと言って今の反応を見る限り、結婚の準備については本当のようですし……
――これは俺の予想なんですが、親父さん、月乃に結婚の話を断わられて、それでも勝手に“月乃が承諾したということにして”話を進めているんじゃないですか? 全ての準備が整って、月乃が断れないような形を作ったうえで月乃に明かすつもりだった。月乃の会社の重役に招待状でも配った日には、月乃が無下に断れば会社での信用を失う。だから月乃はあなたが用意した結婚を飲むしかない。そう、するつもりだった。
……違いますか?」
「………」
「と、父さん? 本当なの?」
黙る親父さんと顔を青くする月乃。親父さんはただ俺の顔を睨んでいた。“よくもバラしたな”。そう言わんばかりの顔だった。だからこそ、俺は確信する。
「……“沈黙は肯定”。こういう場合、その言葉がよく合いますね。それで月乃が喜ぶとでも思ったんですか? アンタは月乃の父親でしょ?」
俺のそこまで言わせた後、親父さんはようやく口を開く。
「……そうだよ。私は月乃の父親だ。誰よりもこの子のことを思っている。この子の幸せを願ってるんだよ」
「―――ッ!?」
月乃は表情を歪めた。今の親父さんの言葉は、全てを認めたとも言える言葉だったからだ。
「それじゃ……」
「そこまで分かってるなら、今更隠しても仕方あるまい。……しかし、キミは一つだけ勘違いをしている。月乃が、今の会社で立場を悪くすることはない。――絶対に」
親父さんはキッパリと断言する。あまりに自信を持つその言い方は、俺に新たな“予測”を思い浮かばせた。
「……親父さん、アンタ、そこまで手を回してたのか?」
「せ、晴司?」
「フッ。……キミは、思ったよりも感がいいんだな」
親父さんは少しだけ頬を緩めた。しかしそれは皮肉のようにも見える。決して俺を本気で褒めてるはずがなかった。
「父さん、どういうこと?」
普段感がいいはずの月乃は全く気付かない。相当混乱しているのだろう。
「簡単な話だよ月乃。……お前が今勤務している会社はな、私の会社が買収したんだよ。お前みたいな若い者が、部長級になれるとでも思ったのか?」
「そ、それじゃ……」
月乃は顔を青くした。今まで自分の力で上り詰めたと思っていたことが、実は親父さんが手を回していた。……良過ぎる頭は、それを理解したのだろう。月乃は、魂が抜けたかのように俯いてしまった。
(……月乃)
心が締め付けられた。これまで、自分の実力で上がってきたと思っていたのが幻想だった。そのショックは、相当なものだろう。
「……私は、月乃の幸せを願ってるんだよ。本当の意味での幸せをね。そこに楠原くん――キミの居場所はないんだよ。今まで月乃はキミを追いすぎていた。なんの取り柄のないキミなんかを追いかけてね。
――そして、人生を無駄にしてきたんだよ」
「――――ッ!!」
月乃が顔を勢いよく上げた。よく見れば、その目には涙が浮かぶ。言葉をぶつけたいが声が出ない。あまりのショックが自分の脳を支配し、声を忘れたかのようだった。
……その涙を見た時に、久々に俺の中で何かが切れた。
「――無駄なんかにしちゃいねえ!!」
「―――ッ」
「……晴司」
親父さんに詰め寄っていく。そして睨み付ける親父さんを睨み返す。
「いいか!? 月乃はな、これまで必死で頑張ってきたんだよ!! 本当は弱っちいくせに! 本当は泣き虫なくせに! 自分の人生を、必死に前に進ませようとしてたんだよ!!
――あんたは、月乃のことを本当に分かってんのか!? コイツが職場の部下たちを、どれだけ思ってるかわかってるのか!?
俺のことはいい! 実際俺はしょうもない男だよ! ……でも、コイツは違うんだよ!! 俺とは違うんだよ!! それを無駄にしてきただって!? たとえ親父さんでも、それは言っちゃいけねえんだよ!! コイツの人生を否定することなんて、絶対出来ねえんだよ!!」
「――貴様のような若造に何が分かる!!」
親父さんも顔を真っ赤にし席を立った。
「この世の中は貴様が思う以上に厳しいものだ!! 娘の将来を心配して、その人生の手助けをするのは当然だろ!!」
「アンタがやってるのは、“手助け”なんかじゃねえんだよ!! アンタがしてんのは“支配”なんだよ!! 月乃の人生は、月乃のものだ!! コイツの人生は、コイツが舵取ってんだよ!!」
「……貴様が何を言おうが、これからも月乃は私の下で働き続ける! お前程度に、何が出来る――!!」
その言葉で、俺の中で再び何かが弾けた。
「――だったら!! 俺が月乃を預かる!!」
「せ、晴司!?」
「……それは、どういうことだ?」
「決まってるだろ!! 月乃は、今日から俺の店の従業員だよ!! アンタみたいな奴のとこで働くよりよっぽどマシだ!! 月乃が月乃らしいままで働かせる!!
――月乃、行くぞ!!」
そして話半分に月乃の腕を引っ張る。当然月乃は戸惑いの声を上げる。
「で、でも……」
今の自分を考えれば、当然の迷いだと思う。今の職場を去るということは、今までの自分を捨てるということ。
しかし俺の勢いは、一切とどまる事を知らなかった。
「グダグダ考えるな! ガタガタ喋るな!
――いいから黙って働け!!」
その言葉を受けた月乃は、涙を一粒だけ流した。そしてすぐに表情を解し、はっきりと答える。
「……うん!!」
そして俺たちは部屋の扉を勢いよく開ける。
「お、おい!!」
親父さんは声をかけてくる。それに一度振り返る月乃は、一言だけ声をかける。
「……父さん、じゃあね。私は、晴司と“生きます”」
「……月乃……」
親父さんは静かに月乃の名前を呟くだけだった。そして俺たちは、家を後にした。