壁の花
眩いばかりの光が、頭上から降り注いでいた。
天井に吊るされた巨大なクリスタルシャンデリアは、何百本ものろうそくの火を反射し、舞踏会場全体を黄金色の煌めきで満たしている。オーケストラの奏でる軽快なワルツの旋律、絹やベルベットが擦れ合うかすかな音、そして高貴な男女たちの華やかな笑い声。
それらはすべて、私にとって苦痛以外の何物でもなかった。
「……ふう」
私は、会場の隅——燦々と輝く光の輪から遠く外れた、冷たい大理石の柱の陰に身を寄せていた。
手にした扇で口元を覆い、なるべく存在感を消す。だが、どれほど気配を殺そうとしても、通り過ぎる者たちの視線が私を掠めるたび、そこには露骨な嫌悪と蔑みが混ざり合う。
「見ろよ、あの隅にいる女。まるでヒキガエルがドレスを着て立っているみたいじゃないか」
「しっ、聞こえるぞ。……まあ、事実だがね。ヴァルデック伯爵家のブサイク娘だろう? よくもまあ、あの面下げて夜会に顔を出せたものだ」
「引きこもっていればいいものを。目の毒だよ」
「だが、婚約者のライラス卿よりマシだろう。あんなのと夜を共にするなんて、悪魔に魂を売ったほうがマシだよな。ハハハ」
ひそひそ話のつもりなのだろうが、私の耳には信じられないほど鮮明に届いていた。
男たちの低く浅薄な嘲笑。それに同調して、男の腕にすがりつく令嬢たちが「嫌だわ、聞こえてしまいますわ」などと扇の影でくすくす笑う。
私の今の名は、クロエ・フォン・ヴァルデック。田舎の貴族娘であり、この社交界において『見苦しい不細工令嬢』として絶賛売り出し中の「壁の花」の一人だ。
腫れぼったい瞼に、小さな目。そばかすだらけのくすんだ肌に、どこか歪んだ鼻筋。太く短い首と、洗練とは程遠い体型。身に纏っているのは、流行から何周も遅れた野暮ったい緑色のドレスだ。
どこからどう見ても、華やかな舞踏会にふさわしくない愚鈍な女。それが、今の私の外見だった。
けれど——彼らは何ひとつ分かっていない。
この『クロエ』という姿が、私の真の実力である高位の「擬態魔法」によって作り上げられた精巧な仮面に過ぎないということを。
そして何より、彼らがドブのように汚い言葉で蔑んでいる私の正体が、人間どころか——この大陸で絶滅したとさえ囁かれている「エルフ」であるということを。
────
私がこの世界で目を覚ましたのは、今から数年前のことだ。
前世の私は、日本のどこにでもいるしがない会社員だった。日々の生活に疲れ果て、休日に気晴らしとしてプレイしていたのが、一冊の乙女ゲーム『花園のレヴァリエ』である。
……もっとも、「気晴らし」になったかと言われれば、大いに疑問だが。
そのゲームは、ネット上で酷評されるゲームの類いとして有名だった。
登場する攻略対象の貴族や王子たちは、ビジュアルは神がかっているものの、内面がことごとく最悪だったのだ。ド酷いドS、偏屈な自己愛者、他人を見下す選民思想の塊、平気でヒロインを裏切る浮気男——。顔が良いことだけを免罪符に、横暴の限りを尽くす男たち。世間の評判は最悪で、私も「なんでこんな胸糞悪い男たちばかり攻略しなきゃいけないんだ」と辟易しながらプレイしていた。でも、俗に言う、ニッチな層向けのゲームだった。
だが、その不評の嵐の中に、ひとつだけ有名な話があった。
『隠しキャラ(シークレットキャラ)だけは、唯一の聖人。あまりにも心が優しく、最高の癒やし』
しかし、そのシークレットキャラの解放条件は異常に厳しく、専用のフラグを何十個も回収しなければならなかった。結局、私は、わざわざやる意味や、仕事の忙しさもあり、気になったものの、その隠しルートを解放できず、ビジュアルすら確認しないまま、ある日突然の事故で前世の記憶を持ったまま異世界へと転生してしまったのだ。
目覚めた場所は、あまりにも美しく、そしてあまりにも冷酷な「エルフの郷」だった。これはゲームではない設定だ。
私には、エルフの血が流れていた。しかし純血ではなく、過去の祖先の過ちによって混じり合った「異端の血」を持つハーフエルフ。
圧倒的な魔力を誇るエルフたちは、排外的で、民族純粋であり、混血の私をひどく忌み嫌われていた。彼らに言わせれば「不完全で穢れたもの」だった。過酷な蔑視と差別の末、私は幼い頃、故郷の森を完全に追放された。両親がどうなったかは分からないが、恐らく、一人は処刑されただろう。
首長の冷酷な宣告とともに打ち捨てられた私は、生き延びるために秘術である古代の「擬態魔法」を、独学で編み出した。
エルフの魔力——一度目に付けられれば、なにがなんでも欲しがる血脈。
私はみすぼらしく、醜い人間令嬢の皮を被ることにしたのだ。
今、人間の社交界では、まことしやかにひとつの噂が囁かれている。
『人間社会のどこかに、人知れず潜んでいるエルフの貴族令嬢がいるらしい』と。
滅多に出会うことのできないエルフの血脈、力を求め、好色な貴族たち、野心家な貴族達、などが必死に目を光らせているというのだから笑わせる。
その噂の本人が、いま目の前で嘲笑されている令嬢の一人なのだから、皮肉以外の何物でもない。
───
「おい、あっちのレティシア嬢を見たか? 今日もとびきり美しい」
「ああ、もうダンスカード(予約帳)は最後まで埋まっているらしい。僕も一曲申し込みたかったんだがな」
会場の中央では、数人の美貌の貴族令息たちが群がり、華やかなドレスを着た令嬢たちを取り囲んでいた。
男たちの胸元には、豪華な勲章や家紋の刺繍。立ち振る舞いこそ優雅に見えるが、私のエルフ特有の鋭い聴覚は、彼らの本音を余すところなく拾い上げる。
「カードを埋めてやったんだから、感謝してほしいものだな。あの女の父親の領地、最近鉱山が出たらしい。繋ぎ止めておいて損はない」
「ハハッ、さすがだな。まあ、見た目も悪くない。先月捨てた男爵令嬢よりはマシだろ」
「違いない。あんな貧乳の女、一緒に踊るだけで恥だったよ」
下品な嘲笑が、男たちの間で交わされる。
彼らは顔立ちこそ彫刻のように整っており、前世のゲームで見たメイン攻略対象、あるいはその取り巻きの男たちに間違いなかった。
素晴らしい容姿。しかし、口を開けば胸がむかむかするような、エルフ同様の、選民思想と、女性をモノとしてしか見ていない品評会。
(……相変わらず、腐りきっているわね)
私は扇の下で、そっと溜息をついた。
この世界は、私が前世で知っていたあの構造と酷似している。つまり、この華やかな社交界にいる高貴な男たちの九割九分は、性格が破綻している「クズ」なのだ。
けれど、私には目的があった。
この狂った世界で、私が平和で穏やかな生活を手に入れるための、たった一つの希望。
——シークレットキャラを探すこと。
唯一の「まともな性格の男」。
他人を傷つけず、地位や容姿で人を判断せず、深い慈悲と優しさを持っているという、あの隠しキャラクター。
容姿も名前も分からず、ただ「性格が良い」ということしか情報がない。けれど、このドブのような男たちで溢れた世界において、その人物だけが私の唯一の救いになるはずだった。
(探さなきゃ。私が本当に安心して隣にいられる人を。私の本当の姿——たとえエルフの混血であっても、あるいはこの姿であっても、心を見てくれる人を)
そのために、私はこの不快な舞踏会にわざわざ足を運び、壁の花に徹しながら、文字通り人間観察を続けているのだ。
壁際を見渡すと、私以外にもダンスの相手が見つからず、縮こまっている令嬢たちが数人いた。
彼女たちは、生まれつき容姿が恵まれていなかったり、家格が低かったりするだけで、周囲の男たちからあからさまな冷遇を受けている者もいる。




