70話 龍
「こ、ここは!?」
龍人たちは突如周囲の景色が変わったことに、声を上げていた。
驚くのも無理はない。目の前の光景が瞬く間に、洞窟からどこかの街に変わったのだから。
彼らは今、ルクス湾西岸の洞窟ではなく、そこからはるか南東にあるアルス島の政庁前広場にいる。皆俺が《転移》させたのだ。
「これで全員だな……ゴーレム、ありがとうな」
俺は隣に立つゴーレムにそう告げた。
ゴーレムはこくりと岩の頭を下げる。
全員を《転移》させるのに時間がかかると思い、ゴーレムに入り口を塞がせたのだ。
とはいえ数回一緒に《転移》するだけで、龍人たちを皆連れてくることができたが。
やがて俺の前にセレーナがすっと《転移》してくる。
「アレク様、マーレアス号のユーリには経緯を伝えてきました! 砂浜ではちょうど今、帝国軍の騎兵が洞窟近くに差し掛かったところで……少し遅れていたら危なかったですね」
「そうか。とりあえずはバレずに済んだな……」
ふうと息が漏れる。
俺は一安心だが、周囲は騒然としていた。
初めての《転移》と、周囲を囲む巨大な鼠──鼠人たちに、龍人は驚いている。
一方の鼠人たちも、突然現れた龍人が恐ろしいのか、チューチューと騒いでなんともやかましい。
俺の目の前にいる巫女は、困惑する龍人たちに声を上げる。
「皆、落ち着きなさい!! ここにいる御方が、我らの命を救ってくださったのです!」
その声に、龍人たちは静まり返り、こちらに視線を向けてきた。
それから巫女は俺の前で片膝を突く。
「……申し遅れました。私はラーンと申します。一族を導く巫女です」
「ラーンか。俺はアレクだ」
「アレク様……これより、私たちはアレク様の配下となります」
「ありがとう。だがどこか外国へ行ける目途が立つまで、ここにいるだけということもできる」
だから嫌な者は名乗り出てほしい──そう伝えようとしたが、皆巫女であるラーンと同じく、俺に向かって跪く。
一瞬で洞窟から別の場所に移動させたというだけでも、俺の力を認めてくれたのだろうか。あるいはラーンの人望か。
ともかく皆、ラーンの言葉に従うようだ。
ラーンは俺に続ける。
「皆、アレク様の配下になります。命を救ってくださった恩を返させてください。そして邪龍を」
「ああ、そうしよう。すぐにルクス湾に戻る必要がある……だが、先ほども伝えたが」
俺はここに《転移》する前、ラーンに眷属になってもらうことを伝えた。眷属になれば俺に命を預けることになるのと、姿が変わるかもしれないことを伝えてある。
ラーンが振り返ると、他の龍人たちも神妙な顔で頭を垂れる。
再びラーンはこちらに顔を向けて言った。
「皆、覚悟はできております」
「分かった──」
俺はラーンら龍人を眷属にしたいと念じた。
するとラーンたちは光を帯び……
セレーナが声を上げた。
「これは……」
光が収まり現れたのは、翼を持ったドラゴンたちだった。
胴体の大きさは馬より少し大きいぐらいか。金属のような光沢を持つ鱗と長い鉤爪が強そうな印象を与える。
「つ、翼が……」
目の前にいる紫色のドラゴンが自分の体を見て言った。
「ラーン、か?」
「はい。姿が変わるというのは、こういうことでしたか」
紫色のドラゴン──ラーンはぱたぱたと翼を動かす。
「ああ。だけど、今まで俺の眷属になってもらった者たちはスライム以外、皆、俺に近い姿になっていた……」
エリシアのように人の姿になったり、鼠人や鎧族のように人語を喋るようになったり。
しかし龍人たちは、人が持たない翼を授かった。当然のことながら、俺に翼は生えていない。
エリシアがラーンに訊ねる。
「とても飾りの翼とは思えませんが……飛べますか?」
「どうでしょう? あっ」
ラーンがばさばさと大きく翼を動かすと、その体がゆっくりと浮かんだ。
「飛んでいる……」
ラーンは信じられないといった顔で呟くと、すぐに地上へ降りた。
「まるで最初から飛べたかのような……私たちの祖先は、生まれながらにして飛べたと聞きますが」
先祖が飛べたから、翼を得ることができたのだろうか。
「ほうほう。海を泳げるだけでなく、空も飛べる……私たちとしても心強いな!」
セレーナは嬉しそうに言った。
龍人たちも空への憧れがあったのか、皆自分たちの翼を見て喜々としている。
もしかしたら、龍人たちは空を飛びたいと望んでいたのかもしれないな……だから翼が生えてきたのかも。
そんな中、エリシアが呟く。
「眷属になったのなら、私たちも安心です。龍人たちへのアルスの説明は、ティアに任せましょう」
「そうだな……ラーン早速で悪いが」
「ルクス湾に戻るのですね。お供いたします」
ラーンは首を縦に振った。
「ティア、龍人たちにアルスのことを説明しておいてくれるか?」
「りょりょ、了解っす!」
ティアは震え声で答えた。先程よりも龍人たちは大きくなった。食べられてしまうかもと恐れているようだ。
ラーンは龍人たちにこう告げる。
「皆、そこのティア様の言うことをよく聞くように」
龍人たちは皆、こくりと首を縦に振ると、ティアに顔を向けた。
「……よ、よろしくっす! アレク様、あとは任せるっす!」
「ああ、頼んだぞ」
そうして俺は、エリシア、セレーナ、そしてラーンと一緒に、マーレアス号に《転移》した。
「お、アレク様、おかえりなさい──って、ド、ドラゴン!?」
ユーリを始め青髪族たちは、ラーンを見て驚く。
ドラゴンは人里離れた場所に住むとされるし数も少ないから、そうそう見る機会はない。
まあ、ラーンたちは東方の龍の末裔だから、ドラゴンと言えるかは分からないが……
「眷属になってくれたラーンだ。こっちはユーリ」
「よろしくお願いします。ラーンと申します」
お辞儀するラーンに、ユーリは少し安心したような顔で答える。
「驚いちゃってごめん。これからよろしくねー。ところで、アレク様……なんか、おっきな龍が海にいて大変だとかなんとか聞きましたけど、セレーナの話が大雑把すぎていまいち」
「今は俺からも同じことしか言えない。だからラーンに邪龍について教えてもらわないと」
俺が顔を向けるとラーンは頷いて答える。
「いつ海から姿を現すか分かりません……ですから、邪龍の業についてまず話しましょう。海を泳げることはもうお分かりかと思いますが、邪龍は空も飛ぶことができます。鳥のようには素早くは飛べませんが」
海と空を行き来できる──それだけでも厄介な話だ。
ラーンは引き続き邪龍について語る。
「長く巨大な体は、鉄よりも硬い鱗で覆われてます。加えて今は、黒い瘴気を全身に覆っています。口からはその瘴気と、火炎と水を吐き出すこともできます」
「闇の魔力を放出できるということか。魔法は使えるのか?」
俺が訊ねると、ラーンは首を横に振る。
「それはできないかと。しかし、自身の周囲に雷を降らせることはできます」
「そうか……」
今まで戦ったこともないような相手だ。
俺の戦ってきた悪魔は、今まで闇魔法しか使ってこなかった。皆の協力がなければ倒せない。
「ティカとネイトも呼んで、作戦を立てよう……おっと」
俺は思わず目を細めた。
東の空から眩い陽が顔を出したのだ。
「もう、朝か──うん、あれは?」
空に目を凝らすと、旭日を背に空を飛ぶ者たちがいた。
天使のような白く美しい翼を持ったペガサスが三体……遠くて詳しくは分からないが、それぞれのペガサスに人が乗っている。
彼らは海を渡るのではなく、その場で滞空し何かを待っているようだった。
「あいつら、どこかで……うおっ!?」
首を傾げるセレーナが急に姿勢を崩した。
突如、船が大きく揺れ始めたのだ。
見ると、ペガサスたちの下の海面がせり上がっている。刹那、そこから高い水柱が上がった。
「──あれは!?」
豪雨のような水しぶきの中からは、巨大な黒き龍が姿を覗かせるのだった。