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71話 婚約者

 陽光を受けて煌めく水しぶきの中から、黒い龍の頭が現れた。


 龍は蛇のような長い体をくねらせながら、空を貫くように昇っていく。


「あれは……」


 黒い靄に覆われてもなお神々しさを感じさせる龍に、俺たちは思わず息を呑んだ。


「──邪龍です!」


 ラーンの言葉に、俺は我に返る。


 邪龍は思っていたよりもずっと大きかった。象よりも太い胴体が、数十台の馬車の車列よりも長く伸びている。


「まずいっ! あいつら、危ないぞ!」


 セレーナが思わず声を上げた。


 邪龍が突如顔を空中にいるペガサスたちに向けたのだ。


 そのまま邪龍は大きく口を開けて、黒く淀んだ瘴気を撃ち出す。


 ──と同時に、ペガサスたちは三方へと散開した。まるで攻撃を待っていたかのように。


「避けたか。だが一体誰なんだ……」


 そう呟くと、俺の前に望遠鏡が差し出される。


 横を振り向くと、そこには自信満々な顔で望遠鏡を差し出すセレーナが。


「こんなこともあろうかと思いまして!」

「いや、作ったの私だからね……というか海なら必須だし」


 ユーリが望遠鏡を作ってくれていたみたいだ。失念していたが、確かに船旅には必要だ。


「ありがとう、ユーリ」


 俺は望遠鏡を受取ると、邪龍から距離を取るペガサスを覗き見る。


 三体のペガサスに騎乗していたのは、一人はローブに身を包んだ女性の魔導士、もう一人は重厚な鎧に身を包んだ女騎士、そして最後は銀色の短い髪の少女──煌びやかな鎧に身を包んだ、俺と背丈の変わらぬ少女が騎乗していた。


「ユリ……ス?」


 思わず声を上げた。


 ペガサスに乗っていたのは、俺の婚約者ユリスとその従者たちだったのだ。


 ユーリも気づいたのか声を上げる。


「あ! あの子たち、前ローブリオンの店に来た」

「邪竜の角を持ち込んできてましたね」


 エリシアも思い出すように呟いた。


 以前、ユリスたちは俺のローブリオンの拠点を訪れていた。青髪族たちの腕の良さを聞きつけて、邪竜の角を剣と杖にするよう依頼してきたのだ。


 たまたま通りかかっただけか?


 いや、ユリスたちは邪龍が現れるのを待っていたようだった。


 邪竜や邪龍がいる場所が分かっていて、先回りしているのか? 


 しかし、どうやって? そもそも何故、ユリスはこんなことを……


 俺が困惑していると、ユリスはペガサスの馬首を返し、邪龍に光を放った。


「おお!!」


 セレーナが声を上げる。


 邪龍は光を顔に受けると、大きく体を揺らし、海を波立たせるほどの慟哭を上げたのだ。


 思わず耳を塞ぎたくなるほどの鳴き声が響く中、女騎士を乗せたペガサスが邪龍に迫る。女騎士は光を宿させた剣で、邪龍の首部分に勢いよく斬撃を喰わらせた。


 再び悲鳴を上げる邪龍。


 しかし追い打ちとばかりに、女性の魔導士が斬撃で傷ついた箇所に極大の火炎を放った。


 ユリスは手を休めることなく、邪龍の体を次々と光で照らしていった。そこに再び女騎士が斬撃を加え、魔導士が炎魔法で攻撃する。


 セレーナが感心したような顔で言う。


「おお! 見事な連携だ! 炎魔法の腕も私ほどではないがなかなかだ!」

「あの杖も剣も、前私たちが角から作ったやつだ!」


 ユーリもそう呟いた。


 邪龍は口から黒い瘴気を放ち応戦するが、素早く動くユリスたちに一方的に攻撃されていた。


 勝てる……! 俺ですら、そう思わせるような戦いぶりだった。


 しかし、ラーンは絶望したような顔で呟く。


「確かに、強い方たちなのでしょう……ですが、勝てない」


 エリシアはすかさず尋ねた。


「何故です?」

「龍の鱗は傷を受けてもすぐに癒えます。もちろん程度は龍それぞれですが、あの大きさの龍となると……かつてあの邪龍は一度に数万の矢を受けても、数千の魔導士から魔法を浴びせられても、倒れませんでした」

「では、どうすればいいと?」

「首の下、ちょうど喉元にあたる部分に一際輝く鱗があります。私の喉元にもあります、他の鱗と反対方向に生えているこの鱗です」


 ラーンはそう言って顔を上げた。


 確かに一枚、水晶のような鱗が他の鱗とは逆方向に生えている。


「逆鱗、と私たちは呼んでいます。ここは他の鱗よりも柔らかく、また、他の鱗の回復を司る場所なのです」

「そこを攻撃すれば、龍を倒せる……ということですね」


 エリシアの問いにラーンは少し間を置いて答える。


「……かつてあの邪龍を封印した際は、どうにか一度だけあの逆鱗を攻撃して、大きな隙を作ることができました。逆鱗に触れられた龍は激怒し、痛みも忘れ暴れます。その隙に邪龍の体へ神剣を突き刺し、封印の壺へと閉じ込めた」

「封印するのがやっとだったということだな」


 俺の言葉にラーンは頷く。


「はい。そして今は神剣は奪われ、壺も破壊されてしまった。ですが……今はまだ昔の力を取り戻せていない。倒せる可能性はあるはずです」

「ああ、そのはずだ……ともかく、俺たちも援護に向かおう」


 俺はユーリとセレーナに告げる。


「セレーナは、ティカとネイト、そしてアルスから武装した鎧人と、龍人を何名か連れてきてくれ。空中で援護してほしい。ユーリは船を少し邪龍のほうへ近づけておいてくれ」


 俺の声にユーリとセレーナは了解と答え、早速行動に移る。


「俺とエリシアは、ラーンに乗せてもらい、ユリスたちと合流するぞ」

「はっ。しかし……いえ、行きましょう」


 エリシアは何かを言いかけてすぐに頷いた。


 ユリスに見られて大丈夫か、ということだろう。以前、ローブリオンの店をユリスが訪れた際は、俺は姿を隠していた。


「大丈夫だ。前、セレーナが営業再開祝いの時に買わされた仮面が《パンドラボックス》に残っている」


 《隠形》が使えない場合などに備え、変装用に取っておいたのだ。


 俺はラーンの上に乗りながら、その仮面を取り出そうとする。


 だがその時──光を受けていた邪龍が、突如耳をつんざくような悲鳴を上げた。


 そのまま邪龍は、紫色の光を周囲に拡散させるのだった。

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