298・海哭蛸
「う、海哭蛸だ! 本当に出やがった!」
巨大な蛸の化け物を見て、漁師の一人がそう叫びます。
ゴゴゴ……っ!
再度、低い音が聞こえたかと思うと、海哭蛸が足を振るって、襲いかかります。
しかし。
「あら。随分と暴れん坊な蛸さんですね」
私は即座に結界魔法を張ります。
攻撃を防がれ、海哭蛸は怒るように雄叫びを上げます。
「マ、マジで出やがった!」
「や、やべえぞ! このままじゃ転覆しちまう!」
突然の海哭蛸の登場に、一緒にここまで来てくれた漁師の方々も慌てふためきました。
「大丈夫です! 結界があれば、転覆することはありません!」
動揺が走る彼らに、私はそう声を張り上げます。
海哭蛸が暴れているせいで、船が大きく揺れます。
そのせいで、水飛沫が船の中にも入ってきます。
「……っ! わっ!」
「おっと」
バランスを崩して、ミツハちゃんが転倒しそうになりますが、すかさず近くにいたドグラスが彼女を支えます。
「どこかに掴まっておれと言ったのに……お転婆な姫様だ」
「す、すまぬ。実際目の前にすると、恐ろしくて……」
ドグラスの胸の内で、ミツハちゃんがぶるぶると震えます。
その両目からは、今にも涙が零れそう。
「泣くな。泣いても、なにも解決はせぬ」
「……っ! 泣かぬ。余は母上が死んでから、もう二度と泣くまいと決めたのじゃ! 民は今の余以上に、毎日恐怖を感じているのじゃから!」
「いい子だ」
目元を拭うミツハちゃんの頭を、ドグラスは優しく撫でます。
……あの様子だと、ミツハちゃんはドグラスに任せておけばよさそうです。
「その間に、僕が海哭蛸を倒す。エリアーヌ! 僕に聖女の加護を!」
「はい!」
ナイジェルに聖女の加護を授け、海哭蛸との戦いが始まりました。
海哭蛸は足を器用に操りながら、船に攻撃を仕掛けてきます。
しかし、船に張った私の結界──そしてナイジェルの応戦もあって、なんとか攻撃を凌いでいました。
ですが、斬っても斬っても足は再生されていき、決定打を与えられません。
「これではキリがありませんね」
「だね。でも推測通り、海哭蛸は赤影の影響下にあるみたい」
とナイジェルが海哭蛸の本体を指差します。
すると、足が再生されていくと同時──本体から赤い線とも煙とも形容し難い影が立ち込めました。
赤影には、私の結界が通用しないはずですが……蛸の体を借りているためでしょう。赤影と直接接触しない限りは、一定の効果はありそうです。
「おそらく、足の再生能力も本体を斬りつければ、なんとかなると思うんだ。聖女の加護は、赤影には有効って分かってるしね。でも、そのためにはもう少し近付く必要がある」
「なるほどです。とはいえ、これ以上船を近付けさせるのはさすがに危険です。私たちだけならともかく、他の方もいらっしゃるのですから」
「だったら我がドラゴン化して、背中に乗せてやろうか?」
ミツハちゃんを大きな体で守りながら、ドグラスが提案します。
「いや……ドグラスには近くで、ミツハ姫を守ってほしい。エリアーヌの結界があるとはいえ、万が一がある」
「なら、どうする──」
「大丈夫。僕一人でも近付けるから」
力強く言って、ナイジェルは海哭蛸を見つめます。
なにか考えがあるようです。ここは、ナイジェルに任せておきましょうか。
海哭蛸が足を振るい、再び船を沈ませようとする──しかし刹那、ナイジェルは跳躍し、その足の上に着地します。
「じゃあ、行ってくる」
まるで、街に出かけるような気軽さで言い──ナイジェルがそれを足場として、本体へと疾駆していきます。
無論、海哭蛸も待っているだけではありません。侵入者の接近に危険を察知し、なんとか振り落とそうとします。
ですが、ナイジェルは足場が悪い中も、海哭蛸の攻撃を華麗に回避しながら、ぐんぐんと近付いていきます。
やがて──目と鼻の先くらいの距離になったかと思うと、ナイジェルは一際高く跳躍。
その手には、光り輝く剣が持たれていました。
「悪いね。君も、赤影の被害者なのかもしれないけど……僕は僕の大切な人を守るため、君を斬る」
ズシャアアアアアアアンッッ!
落下の勢いのまま、海哭蛸を両断します。
海哭蛸は断末魔を響かせ、海の底へと沈んでいきました。





