292・アマツの朝
…………。
「ふわぁ……よく寝ました」
目を開けて、ゆっくりと上半身を起こします。
昨日は城内の部屋をあてがわれて、その場で一晩過ごしたのでした。
ナイジェルとドグラスも、今頃別室で目覚めているでしょう。いえ、ドグラスはまだでしょうか? 意外と早起きが苦手ですからね。まだ夢の中かもしれません。
「それにしても……赤影」
昨日、ミツハちゃんたちから聞いた話。
アマツには今、赤影と呼ばれる謎の異物が存在しています。
それらは一ヶ月前、ミツハちゃんのお母さんが亡くなったタイミングで、神勾玉の機能が徐々に失われたことが原因だと考えられます。
私が結界を張ろうとしても、まずは神勾玉の機能を完全に停止させなければなりません。
ですが現状、神勾玉がなんなのかは誰にも分からず……私たちはひとまず、赤影を対処することになったのでした。
「赤影は一体、なんなのでしょう? あんなものは今まで見たことがありません。それに神勾玉だって……」
朝の寝ぼけきった頭で考えていると、
トントン。
「は、はーい!」
部屋のドアがノックされ慌てて返事をすると、廊下からシキさんが入ってきました。
「エリアーヌ様、寝覚めはいかがでしょうか?」
「とても気持ちいいです。昨日はぐっすり眠れました」
「それはよかったです」
私がそう言葉を返すと、シキさんは淡々と言います。
「昨日、エリアーヌ様が就寝してから決まったことなのですが、私がしばらくあなた様の身の回りの世話を担当することになりました。早速ですが、着替えの手伝いをさせてもらいます」
問答無用でシキさんは近付いてきて、手伝いの準備を始めます。
「ありがとうございます。でも、シキさんもお忙しいはず。こうして手伝ってもらうのは悪い気がしますね」
「なにをおっしゃいますか。エリアーヌ様は王妃です。他国とはいえ、敬うのは当然のことかと」
そんな会話をしていると、シキさんが「はい、終わりました」と言って、私を鏡の前に立たせます。
「いかがですか?」
「完璧です。ありがとうございました」
そうお礼を伝えますが、シキさんは安心するようなこともなく、表情一つ変えません。
なんだかアビーさんに似ていますね。
そういえば……今頃、リンチギハムにいる人たちはなにをしているでしょうか?
セシリーちゃんはラルフちゃんの餌やり? ヴィンセント様とフィリップも気になります。
「それはよかったです。他にも、私はエリアーヌ様の護衛も兼ねています。少しでも異変を感じれば、すぐにお知らせいただけたらと」
「分かりました。護衛も兼ねて……といったら、シキさんは記憶喪失なんですよね」
「はい」
「自分がどうして、これだけ強いのかも分かっていない……と。なにか覚えていることはないのですか?」
「残念ながら」
とシキさんは軽く肩をすくめます。
「自分のことを、なにも覚えていません。名前も分からなかったんですよ。だから名前も、入城試験を受ける際に目にしたパンフレットから適当に付けました」
「よくそれで、雇っていただけましたね?」
「フタバ様──ミツハ姫の母上殿が、便宜を図ってくれましたので」
シキさんはそう口にします。
「フタバ様……話を聞く限り、とてもお優しい方なんですね。記憶喪失のシキさんを、雇ってくれるなんて」
「はい、とてもお優しい方です。ですが、優しさの中に厳しさも持ち合わせている女性でした。そのせいでミツハ様は……」
「ミツハちゃんが?」
「いえ──なんでもありません。過ぎた言葉でした。私の口から言うべきことではありません」
気になったけれど、シキさんは口を閉ざし、それ以上フタバさんのことは語りませんでした。
本当に、自分の職務に忠実な方ですね。
感情表現には乏しいですが、真面目な方……そういった印象を受けました。
「そうです。一応、治癒魔法をかけてみてもいいでしょうか? 望みは薄いと思いますが、もしかしたら記憶が戻るかもしれませんので」
「聖女様の治癒魔法ですか……それは効果がありそうですね。ぜひ、お願いします」
シキさんがそう言ったのち、私は彼女を椅子に座らせ、治癒魔法をかけます。
「ん……?」
その時、私はシキさんの中に眠る違和感に気が付きます。
「終わりました。どうですか?」
「……いえ。残念ながら、記憶は戻っていないようです。治癒魔法をかけられる前から、なに一つ変わりません」
「そうですか……」
残念。
「ですが、シキさんについて、一つ分かったことがあります」
「と、いいますと?」
「シキさんの中には、魔力が眠っているということです」
その魔力がなんなのか、まだ分かりません。
ですが、少量でも魔力が宿っているのは珍しいこと。
魔力持ちは魔法師や治癒士として重宝される傾向がありますからね。
「とはいえ、今はまだ眠っているような状態。どうやって引き出せばいいか、私にも分からないのですが」
「…………」
私がそう説明すると、シキさんはなにか思うところがあったのか、顎に手を当てて考え込みます。
「まあ、これで諦めるわけにはいきません。効果があるか分かりませんが、私がアマツに滞在している間、何度か治癒魔法をかけてみますね。少しでも好転すれば──」
──ピピピピピ。
そう言葉を続けようとすると、バッグの中から甲高い音が聞こえてきました。
異常事態が発生したのかと思ったのか、シキさんが鋭い顔つきをして、腰の刀に手を伸ばしそうになります。
「安心してください」
私はシキさんに微笑みかけてから、バッグからそれを取り出します。
「これから音が発せられているだけなのですから」
そう言って、私は耳飾りのような機械をシキさんに見せます。
「それは?」
「念話機というものです」
シキさんに説明します。
私の念話は遠く人と会話をすることも出来ますが──反面、話す人が限られています。
リンチギハムではドラゴンのドグラス、精霊王のフィリップくらいでしょうか。
それに距離が遠すぎては、念話が届きません。その効果範囲は大体、国内。
なので、アマツのように離れた土地からでは、リンチギハムやベルカイムにいる者たちと念話が出来ないのです。
ですが、それでは色々と不便。
そこで私たちは魔王を倒して、この一年間で──念話機を開発しました。
念話機を使うことによって、今まで以上の遠くの人とも会話をすることが出来ます。
しかも、ただの念話では話をすることが出来ない人も。
とはいえ、相手も同じ念話機を持っていなければ会話することも出来ず、試作品ということでまだ色々と安定していないのですが。
「ほお……内陸では便利なものがあるんですね。随分と進んでおられます」
「まあ、念話中にもすぐ途切れたりするんですけどね。まだまだ完成と言えるには程遠いです」
「それでも、すごいものかと──では、私はそろそろ邪魔ですね。私がいてはお話ししにくいと思いますので」
シキさんは椅子から立ち上がり、ドアの前で一礼してから部屋を出ていきます。
わざわざ、いなくならなくてもよかったのに……。
そう思いますが、彼女にも別の仕事があるんでしょう。引き留めて、彼女の邪魔をするわけにもいきません。
「では……そろそろ始めましょうか」
私は念話機を耳に付けます。
『あっ、エリアーヌ? 聞こえる? わたしよ、レティシア』





