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272・小さな聖女様

 オオオオオ────ン!



 獣の遠吠えが、ドグラスの鼓膜を震わせた。


 なんだ──と思ったのも束の間、ドグラスの前を黄金が通過する。

 それはナイトメアの頭上に着地し、強靭な顎で肉を食いちぎった。


「ラルフ──?」


 ドグラスは突如現れた、その獣の正体を把握する。


 いつものふわふわとした、セシリーやエリアーヌが大好きだった白い毛並みはなりを潜め、今は全身が黄金の輝きを放っている。


 ナイトメアが苦痛で叫び、ラルフに敵意を向ける。


 だが、ラルフは光の速さで器用にナイトメアの攻撃を躱し、四方八方から攻撃を繰り出していった。


 あれほど絶対的な強さを誇っていたナイトメアが、ラルフによって血まみれになっていく。

 ラルフの速度に翻弄されているようだ。


「そうか……! フェンリルとしての本能を思い出したか!」


 ラルフと初めて対面した時のことを思い出す。


 言葉にはしなかったものの、ラルフを見て、ドグラスは当初驚いた。自分が知っている、フェンリルの獰猛なイメージとは、あまりにもかけ離れていたからだ。


(なのに、今は人間に傅いている。よほど大切に育てられていたと思っていたが……まだ奥底に、フェンリルとしての本能が眠っていたということか)

「しかし……風穴が空いた! これなら!」


 ドグラスはラルフと共に、空を舞う。


 先ほどまで『敗北』の二文字も頭によぎっていたが、今はそのような無力感はない。

 こやつとならなんでも出来る──代わりに芽生えたのがそんな全能感だ。


「これで……トドメだ!」


 ドグラスが槍の矛先をナイトメアに向け、突撃していく。

 それは閃光の煌めきを伴って、ナイトメアの心臓部分に直撃した。

 貫通し、ナイトメアの反対側へと駆け抜ける──っ。



 ……ッ■■■■──ァ、オオォン■……■■■■■■。



 ナイトメアが悲痛な叫びを上げ、その巨大な体が輝きで包まれる。

 そのままゆっくりと地面に倒れ、地上では小さな馬が横たわっていた。


「はあっ、はあっ……魔力を使い果たして、あのような姿になったのか。どちらにせよ、我らの勝利だ」


 最後は呆気ないものである。


 ナイトメアの討伐により、地上では喝采が上がっている。魔族の数も少なくなっているし、後は騎士団に任せれば十全であろう。


「とはいえ、我一人ではナイトメアには勝てなかった。助かったぞ、ラルフ。さすがはフェンリル、完全に牙を抜かれたわけではなかったか──」


 とドグラスはラルフを労おうと、視線を向ける。


「……っ!」


 しかしすぐに気付く。



 ラルフの瞳からは、まだ殺戮の炎は消えていなかったからだ。



 ナイトメアがやられ、ラルフは次なる獲物を見つけたと言わんばかりに、ドグラスに襲いかかる。

 食いちぎられる寸前、ドグラスは槍でその攻撃をかろうじて受け止めた。


「ふ、巫山戯ているのか……!? 全てが終わったら、汝とはゆっくり遊んでやるものの──」


 押し込んでくる力を堰き止めながら、ドグラスはラルフがフェンリルとしての本能に目覚める前──告げられたことを思い出した。



『ナイトメアを倒したのち、ラルフがまだ生きているようなら──ラルフをそなたの手で殺せ』



 その時はいきなり、なにを言い出すのだと思った。


 だが、今のラルフの姿を見て、ドグラスは全てを察する。


「一度、フェンリルとしての本能を思い出してしまったら、元には戻れぬのか……?」


 ドグラスは強い力でラルフを弾き飛ばし、一旦距離を取る。


 ラルフに怯んだ様子はない。

 ぐるる……と低い唸り声を上げて、口元には笑みすら浮かべている。


 おそらくきっと、ラルフは目の前の男がなんなのかも分かっていないのだろう。

 血肉を喰らえるならなんでもいい──そう思っているかのようだった。


(……それが汝の覚悟というわけか)


 一度こうなってしまえば、自分の大切な者も殺してしまうと思ったから──ラルフはすぐにフェンリルとしての本能を思い出そうとしなかったのだろう。


 そしてナイトメアすらも打倒した黄金の獣を、止められるのはたった一人しかいない。


「……よかろう。我が介錯してやる。汝も訳が分からぬ者に殺されるより、我に殺される方がいいだろう?」


 問いかけるが、最早理性を失ったラルフからは、なんの返事もなかった。


 ドグラスはラルフの覚悟に応え、槍を強く握る。

 空中で第二戦が行われた。


(分かっていたが──強いな。手加減も出来ぬ。気を失わせるだけで済んだらよかったのだが)


 ここでドグラスが殺されれば、ラルフは殺戮本能のまま敵味方関係なく、地上にいる者を皆殺しにするだろう。


「それだけは避けなければならぬ。汝にセシリーを殺させるわけにいかないのだ」


 今までおままごとのような戦いを、ラルフとはたくさんしてきた。

 鰹節──黄金の木片で交わされる戦いであったが、誰も傷つかない平和なもの。ドグラスはいつしか、それを楽しんでやっていた。


「汝が次に、どう動くかは分かる。何度、汝のために黄金の木片を投げてきたと思っているのだ。汝の動きは我の手の平の上だ」


 しいて言うなら──それが勝因だったのだろう。


 やがてドグラスは千載一遇のチャンスを得る。

 ラルフが体勢を崩した。後はドグラスが槍を突き出せば、この悲しい戦いの幕は下りる。


「汝は強き者だった。それも特上のな。文句なら、死んだ後に聞いてやる──」


 ドグラスがそう言って、槍でラルフを貫こうと──



 しかし出来なかった。



 槍はラルフに当たる寸前で、止まっていた。


「……すまん。やっぱ、我には出来ぬわ」


 槍を下ろすドグラス。

 ラルフはその隙を見逃さず、距離を取って体勢を整えた。


(ああ……殺せなかったか。まあ、戦っているうちになんとなく分かっていたことだ)


 エリアーヌに出会う前のドグラスなら、迷わずラルフを殺していただろう。

 今でも、ここでラルフを殺すのが最善だと気付いている。


 それでも手が止まったのは。


「汝は我の友だった。友を殺せるわけがなかろう」


 そう呟くと、『竜の騎士』形態が解かれ、ドグラスは元の姿に戻った。


「時間切れだ。魔法が解けた」


 そしてドグラスは両腕を広げ、こう告げる。


「殺れ。文句なら、死んだ後に言ってやる」


 ラルフは未だ殺戮に順応だ。

 友の想いに応えるという奇跡も期待していたが──起こらないから奇跡は人々に崇められる。

 ラルフだって、少しでも可能性があったなら、ドグラスに『殺せ』などとは言ってなかっただろう。


 ラルフが空を駆け、ドグラスにトドメの一撃を与えようと──。




「ラルフ! めっなのーーーーー!」




 ──神聖な戦場に、響き渡るは聖女の声。


 王都の空に広がる神々しい光。

 真っ白な光が降り注ぎ、ドグラスとラルフを祝福しているかのようだった。


「この光は──っ」


 反射的にドグラスは地上に目を向ける。


「セシリー……だと?」


 セシリーが騎士達に止められながらも、手を伸ばし、必死に聖なる力を発動していた。


(……そうか)


 ドグラスはこの光景を見て、確信に至る。


(この土壇場で、聖女の力が完全に目覚めたか。温かく、神々しい光だ。エリアーヌにも劣らぬ……いや、それ以上の──)


 聖女の輝きは、獣の輝きよりも強かった。

 光はラルフを中心に収束していき、殺戮の獣を優しく包んだ。


 黄金の毛色が元に戻っていく。血走っていた目が穏やかな色へと変わっていく。殺気が収まり、やがて完全に消滅した。



『こ、ここは……?』



 ラルフも理性を取り戻したのだろう。

 不思議そうに声を上げる。


「天国だ──と言ったら、どうする?」

『最悪だ。地獄の門番は、ラルフの好敵手の顔によく似ているのだからな』

「ガハハ! いつもの調子に戻ったではないか。しかし残念ながら、ここは天国でも地獄でもない。聖女だ──セシリーが汝を正気に戻してくれた」


 豪快に笑うドグラスの一方、ラルフは戸惑った表情のまま地上に視線を向ける。


『……なるほどな。またラルフは聖女に命を救われたか』

「そういうことだ。全く……子どもだからと侮っていたが、なかなかどうして、この中で誰よりも大人ではないか」

『だな。それと──緊急でそなたに伝えなければならないことがある』

「なんだ?」


 並々ならぬラルフの雰囲気に、ドグラスは一瞬身構えた。


『元の姿になったラルフは、そなたのように長時間宙に留まっていられぬ。タイムリミットだ』

「そ、そんなことは──」


 早く言え!


 ……と言う暇もなく、ラルフの体が落下に転じた。ドグラスは慌ててラルフを背負い、地上に降り立った。


「ラルフ!」


 ドグラスとラルフに、すぐさま駆け寄ってきたのはセシリーだ。


「大丈夫!?」

『うむ……おかげさまでな。セシリー、助かったぞ。それに……ドグラスもな』


 とラルフがドグラスにも礼を送ったが、それは必要ないと感じていた。

 今回の戦いで、一番の主役はセシリーだと思ったからだ。

 小さき聖女はドラゴンとフェンリルを救った。


「ラルフ、お礼なんていらないの。いつもの可愛くて優しいラルフに戻ってほしいって考えたら、ぶわーって力が湧いてきて……気付いたら、こうなってたの」

『……!? セシリー、ラルフの声が聞こえるのか?』

「あれ? そういえばそうだね。だけど、そんなのはどうでもいいの。だって、今までもずっと──ラルフとセシリーは心と心で通じ合っていたんだから!」


 そうだ、どうでもいいことだ。


 心と心で通じ合っている者達に、言葉など必要ない。


「安心したら眠くなってきちゃった……」


 とセシリーは地面に座り、そのままラルフに寄りかかる。

 すぐに安らかな寝息が聞こえてきた。


「よく眠っておる」

『よほど疲れたのだろう。眠らせてやろう』


 ドグラスとラルフはお互いに顔を見合う。

 小さき聖女を讃え、二人とも笑った。




「お疲れ様。助かったわ」


 周辺の魔族もあらかた片付け終わり。

 マリアがドグラス達に駆け寄ってきた。


「我らの方は問題ない。それよりも、そちらは大丈夫だったか? 雑魚相手とはいえ、数が多かっただろうに」

「お気遣い、ありがと。でも、これくらい平気よ。人間同士の戦争だったら、もっと数が多いのもざらだったしね」


 冗談っぽくマリアは言い、肩をすくめる。


「セシリーとラルフは……あら、よく眠ってるじゃない」


 ドグラスの傍には、セシリーとラルフが寄り添い合い、寝息を立てている。

 こんな戦地ど真ん中で寝るとは……と驚く者がいるかもしれないが、セシリーとラルフはそれほど疲弊していたのである。

 今のこの状況が、ナイトメアとの激戦を物語っていた。


「地上から見てたけど、あの黄金の獣ってやっぱりラルフなのよね?」

「うむ」

「驚いたわ。フェンリルがどういう種族かは知ってたつもりだけど、あの姿を見るのは初めてだったから」

「だが、最後には我らが勝った」

「その通り。やっぱ、最後は正義が勝つって相場が決まっているのかしら」


 最後は正義が勝つ。


 今まで青臭い台詞だと思っていたが、エリアーヌと出会ってから、いつしかドグラスもその言葉が好きになっていた。


(正しき者が勝つ。戦いにどちらが正しいとは決まっておらぬが、ヤツらには正義がない。そんなヤツらに、我らが負けるわけがない)


 上級魔族のシアドがこちらに駆けつけてこないことを思うと、ヴィンセントが勝ったのだろう。


 他にもフードを被った上級魔族がいたと思うが、今のところ気配がない。呪術士の女──レティシアあたりが倒してくれたのかもしれない、ドグラスはそんな気がしていた。


 このままいけば、人間側の勝利に終わる。


 そう思いかけるが──一転、ドグラスは真剣な表情になって。


「しかし戦いはまだ終わっておらぬ」

「魔王……ね」


 マリアの一言に、ドグラスは首肯する。


「魔王がこのままで終わるとは思えない。魔族界の状況は分からぬが──今頃、エリアーヌ達が戦っているはずだ」


 どれだけこちらが圧していたとしても、魔王一人で一気に戦況が覆る。

 魔王とはそれほどの存在。ゆえに太古から人々は魔王を恐れていたのだ。


「なにも心配はいらぬ」


 ドグラスは戦っているであろうエリアーヌとナイジェルを思いながら──こう口にする。


「今まで、最後には必ずエリアーヌ達が勝ってきた。今は信じよう。二人の勝利を──」

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「第二の聖女になってくれ」と言われましたが、お断りです
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