271・楽しい一生だった!
ドグラスが空を舞い、魔獣ナイトメアと壮絶な戦いを展開している。
それは神話で語り継がれるような神々の戦いを彷彿とさせた。
周囲の敵をあらかた片付け終わり、ラルフはセシリーの隣に立つ。
「ドグラス、勝てるかな?」
両者の戦いを見て、セシリーが不安そうに声を零した。
ラルフはセシリーにこう微笑みかける。
『心配するな。ヤツはラルフの好敵手だ。あんな馬もどきに負けたりなんかはしない』
「うん……ラルフ、ありがと! セシリーを安心させようとしてくれてるんだよね?」
それに対し、セシリーは笑顔で応える。
しかしラルフがなにを言っているかまでは聞こえていないようだ。まだセシリーの耳には、神獣であるラルフの声が届かないのだ。
(セシリーにはそう言ったものの──戦況は厳しい。『竜の騎士』……とエリアーヌは言っていたか。ドグラスがあの姿になっても遅れを取らないナイトメア。敵ながら天晴れよ)
ドグラスは悠然と戦っている──だが、ナイトメアに対して決定打を与えられないようであった。
『竜の騎士』を維持するのは、僅かな時間だけとも聞く。五分程度が限界だったか。
既に三分は経過しただろう。
『竜の騎士』が解かれてなお、ナイトメアが地上に君臨していた時──それが我らの敗北の時だ。
ラルフは冷徹にそう分析をする。
(──思えば、ここまで色々なことがあった)
現国王陛下がまだ若かりし時。
ラルフはある人間との戦いによって、死の淵まで追い詰められていた。
そこを王城に保護され、リンチギハムで短くない時を過ごした。
(ナイジェルが生まれた時も、あのお人好しの陛下は泣きながら喜んでいたな。今となっては懐かしい)
そして──ナイジェルやセシリーが生まれた。
皆の成長を見守っていたが、まだラルフには人への警戒心が残っていた。
しかしそんな日々が様変わりする。
聖女が王城にやってきたのだ。
(まさか聖女をこの目に出来るとは思っていなかったな)
さらにエリアーヌを追いかけて、ドラゴンのドグラスもやってきた。
ドグラスとは『黄金の木片』を交わして、たくさんの言葉を交わしてきた。
色々と喧嘩腰になってしまったこともあるが、ラルフはドグラスに好敵手としての絆を感じていた。
そしていつしか獰猛な獣であるフェンリルは、闘争を忘れた。
エリアーヌやナイジェル、ドグラス。
セシリーと過ごす日々が楽しく、満足していた。
こいつらともっと未来が見たい──。
そう思うほどに。
ラルフは覚悟を決める。
『セシリー、すまぬ。少しそなたから離れる。その前に──セシリーに言っておきたいことがある』
セシリーの瞳をじっと見つめる。
『そなたは立派な王女様となるだろう。ラルフが保証する。ナイジェルをエリアーヌと共に支えてやってくれ』
「ラルフ……? どうしたの?」
やはり声は聞こえぬか──。
最後の言葉を伝えられないのを残念に思ったが、ラルフは構わず歩を進める。
「ラルフ! どこに行くの! 行っちゃダメなの!」
さすがに異常に気付いたのか。
セシリーが手を伸ばして、ラルフを止めようとする。
しかし周りの騎士に止められる。これ以上前に進めば、戦場ど真ん中。セシリーを守りきれないと判断したためだろう。
『心配するな。全部上手くいく』
ラルフは一度セシリーに視線を送ってから──跳躍した。
周囲で一番空に近い建物の屋根に着地し、ドグラスに声を張り上げる。
『ドグラスよ! 苦戦しているようではないか! 最強種であるドラゴンの力は、こんなものか!』
「くっ……うるさい。汝はセシリーを守っているのではなかったか!? こんなところまで、なにをしにきている!」
『このままではナイトメアにそなたが負け、今以上の最悪が訪れるではないか』
「……おとなしくしておられぬフェンリルだ」
ドグラスは槍でナイトメアの炎弾を受け止めつつ、そう返事をする。
だが、いつものドグラスではない。いつもなら「ガハハ! 苦戦? 勘違いするな。遊んでいるだけだ」とでも返ってくるだろう。
(やはり……ドグラスもこのままではまずいと感じているのか)
ラルフは胸に秘める覚悟を、さらに強いものとして──ドグラスにこう言った。
『ドグラス、そなたに願いがある』
「それは終わってから言え! 汝の話に耳を傾けているほど、今は暇ではない!」
『なに、すぐに伝え終わる──今からラルフは獣に戻る。ナイトメアを倒したのち、ラルフがまだ生きているようなら──ラルフをそなたの手で殺せ』
これにはドグラスもナイトメアから視線を切り、ラルフに意識を向ける。
「汝、一体なにを──」
──するつもりだ。
ドグラスはそう言葉を続けようとしたのだろうか。言い終わるよりも早く、ラルフは青空よりも爽快な声でさらにこう告げた。
『楽しい一生だった! 心残りは、あの小さな王女様の未来を見てみたかったが──それは叶わぬ。ドグラス! セシリーを任せたぞ!』
次の瞬間──。
体が黄金に煌めき、ラルフは獰猛な獣の本能を思い出した。