270・たった一つの敗因
レティシアは毒蛾のような上級魔族と戦いながら、苦悶で顔を歪めていた。
「あらあ? 余裕がなくなってきたじゃない。不細工な顔がちょっとはマシになったわ」
一方、魔族の表情は余裕に満ちている。
「あら、光栄ね。あんたにとったら、わたしの顔がさぞ羨ましいでしょ」
しかし負けじとレティシアも反撃する。
両者の呪いがぶつかる。
魔族の呪いはレティシアの呪いを呑み込み、彼女に伸びていった。レティシアは間一髪のところで回避する。
(くそ……っ! 劣勢すぎて、悪態の一つでも吐きたくなるわ)
目の前の魔族の力はレティシアを凌駕していた。なにをしても、レティシアは彼女に勝てる気がしない。
「はあっ、はあっ……」
肩で息をし、諦めずにレティシアは呪いを練ろうとした。
しかし──それは叶わなかった。
「力が切れたようね」
魔族がニヤリと口角を吊り上げる。
レティシアが放とうとした呪いが、寸前で消失したのだ。
「この時を待った! ようやく、あんたへの復讐を果たせる! 死になさい──!」
手を高らかにかかげる魔族。
それと同時、天空から呪いの弾丸が発射され、レティシアに襲いかかる。
(ごめんね、クロード。結婚したばっかだっていうのに、寂しい思いをさせることになるわ……)
レティシアは死を覚悟した。
そして──最後の瞬間、浮かんだのは好きな男の顔だった。
彼女は次にくる痛みに備えるため、咄嗟に目を瞑り──。
「レティシア!」
──そんな男の声と同時、横から包み込むような感覚。
それによってレティシアは横転しながら、上級魔族の攻撃を回避することが出来た。
レティシアは突如彼女を助けた男の顔を見る。
「ク、クロード!?」
夢だと思った。
神様が最後にご褒美をくれたんだ──って。
しかしレティシアの上に覆い被さり、心配そうな表情を浮かべるのは、まさしく現実のクロードだ。
「なんで、こんなところにいるのよ! 追いかけてきてほしくなかったから、場所を教えなかったのに──」
「なにを言うんだ。君のいる場所は分かるよ。ボクと君は絆で結ばれているんだからね」
ふんわりと優しい顔になるクロード。
君のいる場所は分かる──。
レティシアは現実主義者だ。そんなロマンティックなことは信じない。
(だから差し詰め……わたしの呪いの香りを辿ってきたってところかしら? しくったわ)
とはいえ──これも、レティシアの呪いの力に適合しているクロードにしか出来ない芸当だろう。
「ちっ……つまんねえ真似、してんじゃないわよ!」
こうしている間にも、魔族が追撃を放つが──。
「二人の時間の邪魔はさせない」
すかさず二人の前に男──カーティスが割り込み、剣で呪いの軌道を逸らした。
「……カーティス、あんたも来てたのね。わたし、クロードをよろしくって言ったはずだけど?」
「はい。だからレティシア様の命に従い、殿下をここまでお連れしました」
「はあ? 一体どう解釈すれば──」
「追ってこい──って意味だったのでしょう? あれを追ってくるなと解釈するのは無理がありますよ」
とカーティスは苦笑する。
レティシアは溜め息を吐き、自分の気持ちに気付いた。
(わたし……面倒臭い女みたいなことをしちゃったわね。そう──心の底で、わたしはクロードと一緒にいたかっただけかも)
クロードと一緒にいれば、自分はもっと強くなるから。
彼がいれば、寂しくないから。
ゆえにレティシアはクロード達が追ってこられるように、わざと呪いの香りは残した。
消そうと思えば、消せたのに──だ。
「そこにいるのは、ベルカイムのボンクラ王子ね」
クロード達が現れたとはいえ──勝利を確信しているのか。
蛾のような上級魔族は一旦攻撃の手を止め、せせら笑っていた。
「あんたが来たところで、状況は変わらないわ。私の勝利は揺るがない。ボンクラ王子のあんたは毒虫をわざわざベルカイムに招きいれた無能。救いようのないバカで──」
「ねえ」
魔族の口から次から次へと、クロードの罵倒が出てきたのち。
レティシアは冷めた口調でこう告げる。
「誰の許可があって、わたしの大好きな人をバカにしてるのかしら?」
空気が一変する。
レティシアは良くも悪くも、感情表現が豊かな女性だった。
それは仮面を被っていてもいなくても、不変の事実である。
だが、今の彼女の顔からは一切の感情が消え失せていた。
怒りも焦りもなく──無感情に魔族を睨んでいる。
「あら、雰囲気が一変したじゃない?」
並々ならぬ空気を纏うレティシアを前にしても、魔族は嘲笑を浮かべていた。
「でも、イメチェンしたところでなにも変わらないわ。どちらにせよ、あんたにもう呪いの力は残っていないはず──」
「言ったでしょ? 呪いの力であんたを倒すんじゃない。愛の力で倒してあげる──って」
レティシアはまるで舞踏会でダンスに誘うかのように、右手を差し出した。
「二人とも見てなさい。わたしのダンスを」
「なにを──」
クロードが手を伸ばすよりも早く、レティシアは跳躍し、蛾の魔族と同じ位置まで飛んだ。
(まるで自分の背中に羽が生えてるみたい)
驚くほど体が軽い。
レティシアは冷静に魔族を見据える。
「戦いながら、思ってたことがある」
レティシアは指を鳴らす。
「あんた、根っからの負け犬なのよ」
すると──上空から小さく、黒い粒のようなものが降った。
それら一つ一つが必殺の呪いである。
魔族の呪いの鱗粉によく似ているが──そんなに禍々しいものではない。
それどころか、寒い夜に恋人達に降り注ぐ祝福のような……そう。それはまるで雪のようであった。
「な、なによ、これ……なんでこんな力を残してたのよ」
魔族の声が震えている。
黒い雪に魔族は抗う手段を持たない。
何故なら、この力の本質は怨念ではなく愛だからだ。
この感情が分からない魔族が対抗手段を持ち得ないのは、当然の結果である。
「あんたの敗因はただ一つ──愛を知らなかった」
「ち、ちくしょおおおおお! 私が、こんな訳の分からないもので──」
断末魔のような叫びを上げながら、魔族は黒い雪に包まれた。
体が少しずつ消えていき、救いを求めるかのように手を伸ばしながら──最後は声もなく、完全に消滅した。
「ふう……」
レティシアは息を吐いて、地面に着地する。
「レ、レティシア! すごいじゃないか! やっぱり、君の力は美しいよ! こんなことも出来たなんて──」
クロードがすぐに駆け寄ってくる。
しかしレティシアの体は糸が切れた人形のように、ゆっくりと倒れていく。
「だ、大丈夫か!?」
クロードに支えられるレティシア。
「大丈夫よ。だけどこんなの、何回も出せるもんじゃないわよ。あんたが来てくれたから──あんたを守りたいと思ったから、使えた」
とクロードを見上げるレティシアは、いつもの可憐な少女である。
(正直……記憶もあんまないしね)
だが、魔族にクロードをバカにされて、とてつもない怒りが沸き上がったことを覚えている。
それが臨界点を超え、ぷっつんと音を立てて──気付けば、体の内側からクロードへの愛おしさが爆発していた。
「……私は周囲の警戒に努めます。お二人はどうか、体を休めてください」
カーティスはレティシア達に背を向ける。
二人っきりにさせようっていう、カーティスなりの気遣いかしら?
彼、こんなことも出来たのね。
女心が分からない、残念イケメンとも称されるカーティスの気遣いを感じて、レティシアはおかしさが込み上げてきた
「あ、レティシア。笑ってくれたね」
安心したようにクロードは言う。
「そう……ね」
「君が無事で本当によかった」
「それはわたしの台詞よ。そんなことよりクロード、一つだけお願いを聞いてくれる?」
「なんだ?」
クロードが丸い瞳をレティシアに向ける。
彼の顔を真っ直ぐ見つめて、彼女はこう口を動かした。
「ずっとずっと、わたしの傍にいて。あんたのことが好きすぎて、どうにかなっちゃいそうなのよ」





