266・セシリー・リンチギハムが命じます
「なんなのよ、あれ!」
第二王子でもあり、騎士であるゲルト──もといマリア。
彼は突如現れた巨大な馬のような生命体に、声を荒らげた。
あまりに巨大すぎることから、周りの騎士もどうやって戦えばいいのか決めあぐねいているよう。
「お終いだ……」
「最初から勝てるわけなかったんだ」
「ここで死ぬんだ……」
騎士達が謎の生物を見上げ、口々に弱気なことを言い始めた。
「……っ! 諦めないで! あたし達が諦めたら、王都は──いや、世界は終わりだわ。あなた達の大切なものを思い出すのよ!」
マリアの一声にて、一瞬騎士達が士気を取り戻す。
だが、再度謎の生物を見上げて、その士気は粉々に打ち砕かれる。
皆、怖いのだ。
(やっぱり……あたしは、ナイジェルや陛下のように、皆を引っ張っていけるカリスマ性がないっていうの?)
周りを眺めながら、マリアは悔しさが込み上げてくる。
カリスマ性の欠如──それが実力は十分なのに、マリアが未だに騎士団長にもなれない理由。
そのことは前々から自覚していた。
(ならば──あたしのすべきことは、立ち向かう勇気を皆に見せつけること)
ゆえにこのままでは死ぬことを薄々と予感しながら、マリアは再び剣を強く握る。
だが──。
「なにも恐れる必要はありません」
その時──清廉な声が周囲に響き渡る。
え──?
(エリアーヌ?)
その声を聞き、マリアが真っ先に思い浮かべたのは、誰よりも気高く清らかな少女の顔であった。
しかしエリアーヌは魔族界にいるはずである。
そう思い直し、声のする方に顔を向け──目を疑った。
「セ、セシリー……?」
彼の妹であるセシリーが、フェンリルのラルフに乗って、ゆっくりとこちらに歩み寄っている。
騎士達は自然とセシリーのために道を空ける。
こうしている間にも、復活に歓喜するように謎の生物は慟哭を上げている。
それでもなお──まるで時間が止まったかのように、騎士達は静まり返っていた。
「──そう。絶望しなくてもいいの──ですよ」
セシリーがラルフから降り、胸元に拳を当てた。
「セシリー・リンチギハムが命じます。民を守り──そして決して死なないでください。大丈夫。きっとなんとかなるの──です」
今のセシリーの姿を、マリアはある少女と重ねていた。
言わずもがな──エリアーヌである。
ナイジェルから聞くに、セシリーはエリアーヌに懐いており、ずっと彼女の傍にいたという。
そして常々「エリアーヌのお姉ちゃんのようになりたい」と口にしており、最近では大嫌いな野菜も食べるようになっていた。
いつもはいたいけな少女。
しかし今のセシリーはただの可愛い子どもではない。
皆を率いる、リンチギハムの第一王女だ。
マリアは彼女に、理想の王女様としての姿を垣間見た。
(……ほんと、あたしったら情けないわね。陛下にも止められたでしょうに、セシリーはあたし達を助けにきた。妹がこんなに立派になったんだから、あたしも頑張らないと)
そう思ったのも束の間──謎の生物から炎弾が放たれる。
炎弾はセシリーに真っ直ぐ伸びていく。
「ああ──こんな程度だったのね。あたし、どうして臆病風に吹かれていたのかしら」
自分でも不思議なくらいに、集中している。
マリアはすかさずセシリーの前に立ちはだかり、剣を一閃。
その風圧はすさまじく、炎弾の軌道を逸らすだけの威力があった。
「みんな! これでも、まだあの生物が怖い? あたし達の後ろにはセシリー王女様がいるわ! セシリー王女様がいる限り、あたし達は絶対に負けないんだから!」
そう声を張り上げるマリア。
先ほどまで暗かったムードが、一気に払拭される。皆は再び剣を強く握り、鬨の声を上げながら魔族に向かっていった。
「すごい! マリアお兄ちゃんが言ったら、みんな表情が変わったの!」
とセシリーがマリアを賞賛する。
先ほどの神々しい雰囲気は、一旦なりを潜めていた。
「……いいえ。きっかけはあんた。セシリー、成長したわね。礼を言うわ。あとはあたし達に任せて……ね、ラルフ」
セシリーの頭を優しく撫でてマリアが言うと、ラルフは『当たり前だ』と言わんばかりに一声鳴いた。
士気は高いが、状況は変わらない。
相変わらず、謎の生物が我が物顔で王都の中心に陣取っているし、それに対する有効な攻撃手段もなかった。
あるとするならば、あれ以上の破壊で──。
「すまんな。雑魚どものせいで、少し遅れた」
来た──もう一人の救世主だ。
「ドグラス」
マリアはその名を呼ぶ。
「よくぞ、持ち堪えてくれたな。周囲の雑魚どもは汝らに任せる。いけるな?」
「もちろんよ」
「頼もしい言葉だ」
ドグラスがマリアの肩を叩き、楽しそうに笑う。
「ドグラス、あの生物は?」
「魔獣ナイトメアというらしい。魔族達が隠し持っていた秘密兵器だ。だが──」
ドグラスは獣のような獰猛な笑みを浮かべ、ポキポキと拳を鳴らす。
「たかが馬もどきが偉そうな顔をしよる。その自信、我が打ち砕いてやろう」
そう言うと、ドグラスの体が神々しい光に包まれた。
光が薄れ去った時には、彼の姿は変貌を遂げていた。
その姿を『竜の騎士』──と確か、エリアーヌ達は呼んでいただろうか。
「ラルフよ、汝はセシリーを守れ。流れ弾すらも見逃すな。彼女の傍にいてやってくれ」
ドグラスが話しかけると、ラルフは大きく一度頷いた。
そのことに安堵したのか──笑みを零し、ドグラスは再びナイトメアを見据える。
「もう勝った気でいるようだが、それは間違いだ! 我らの希望はこんなことで堕ちぬ!」
叫び、ドグラスが跳躍し謎の生物──ナイトメアに向かっていく。
皆の期待を背負って──。





